フォルカー・シュタンツェル
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フォルカー・シュタンツェル Volker Stanzel | |
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生誕 |
1948年9月22日(76歳) 連合国軍占領下のドイツ ヘッセン州クロンベルク |
国籍 | ドイツ |
別名 | 史 丹沢(シー・ダンツォー)[1] |
出身校 | ケルン大学 哲学博士号 |
職業 | 官僚、外交官 |
活動期間 | 1979年、外務省入省 |
肩書き | 駐日ドイツ大使 |
任期 | 2009年 - 2014年 |
前任者 | ハンス=ヨアヒム・デア |
後任者 | ハンス・カール・フォン・ヴェアテルン |
政党 | ドイツ社会民主党 |
配偶者 | メイファン・シュタンツェル(妻) |
子供 | 二人 |
受賞 |
ドイツ連邦共和国功労勲章[2] 旭日大綬章[3] |
フォルカー・シュタンツェル (Volker Stanzel、 1948年9月22日-)は、ドイツの官僚、外交官。
来歴
[編集]1948年9月22日フランクフルト・アム・マイン北西近郊の町クローンベルク・イム・タウヌス生まれ。 1968年、フランクフルト大学入学。日本学・中国学・政治学専攻。1972年~1975年京都大学留学。1980年ケルン大学にて哲学博士号修得[4]。
1979年、外務省入省。1981年から82年と1987年から88年の二年間を経済局、1988年から1990年までの二年間を欧州政治協力担当課、1993年から1995年までの二年間を緊急連絡本部、1999年から2001年までの二年間を原子力平和利用・不拡散政策担当課、2001年から2004年[注 1]、2007年から2009年の合計五年間を政務局にて局長などの役職を務めあげてきた[4]。
在外ドイツ大使館勤務はイタリア、ハンガリー、南イエメン、中華人民共和国、日本など多岐にわたる。特にアジアにおいて在中国大使館で、大使館広報部長、特命全権大使の役職をそれぞれ三年果たし、在駐日大使館で政務・広報担当を三年、大使の役職を五年、果たした[4]。2009年10月21日にハンス・カール・フォン・ヴェアテルンに代わり駐日本ドイツ連邦共和国特命全権大使に任命され、同年12月18日、皇居正殿松の間にて信任状を捧呈した[5]。2014年10月に日本離任。退官後、アメリカにて大学教授として教壇に立つ[6]。2013年10月、日本国政府より旭日大綬章を受章[3]。
人物
[編集]- 既婚者。妻メイファン・シュタンツェルとのあいだに二人の子どもをもうけた。
- 2013年9月27日ドイツ連邦共和国功労勲章を受賞[2]。
- 富士山登山経験あり[7]。
- 1966年から2013年までドイツ社会民主党(SPD)に所属し、1995年から1998年までSPDドイツ連邦議会会派外交担当をつとめていた[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2001年から2002年まで政務局長代理アジア政策担当。2002年から2004年まで政務局長アジア・アフリカ・中南米担当
出典
[編集]- ^ “(Germany)德意志联邦共和国大使馆” (中国語). 中華人民共和国外交部. 2016年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月26日閲覧。
- ^ a b “ドイツ大使館 ドイツ総領事館 - トップページ”. 駐日ドイツ大使館 (2013年9月4日). 2013年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月27日閲覧。
- ^ a b “外国人叙勲受章者名簿 平成25年”. 外務省 (2013年10月4日). 2024年8月6日閲覧。
- ^ a b c d “ドイツ大使館 ドイツ総領事館 - 大使 略歴”. 駐日本ドイツ連邦共和国大使館 (2011年). 2015年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月27日閲覧。
- ^ “新任駐日ドイツ連邦共和国大使の信任状捧呈”. 外務省 (2009年12月18日). 2016年3月27日閲覧。
- ^ “ミドルパワーによる戦略的調整関係築け フォルカー・シュタンツェル 駐日ドイツ大使”. 日本記者クラブ (2013年9月27日). 2016年3月27日閲覧。
- ^ フォルカー・シュタンツェル & ドイツ大使も納得した、日本が世界で愛される理由, p. 11.
参考文献
[編集]- フォルカー・シュタンツェル『ドイツ大使も納得した、日本が世界で愛される理由』幻冬舎、2015年1月8日。ISBN 9784344027077。
- Aus der Zeit gefallen. Der Tenno im 21. Jahrhundert. OAG-Taschenbuch Nr. 103. Tokyo: Judicium (Deutsche Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens), 2015.
- Chinas Außenpolitik. Wege einer widerwilligen Weltmacht, München/Wien: Oldenbourg 2002, ISBN 3-486-25887-7 (veröffentlicht unter dem Pseudonym Gustav Kempf).
- Im Wind des Wandels. Ostasiens neue Revolution. Bonn: Bouvier 1997, ISBN 3-416-02676-4.
- Japan, Haupt der Erde, Würzburg: Königshausen und Neumann 1982, ISBN 3-88479-097-8.
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- フォルカー・シュタンツェル 駐日ドイツ大使 2013.9.27 - YouTube - 日本記者クラブでの会見(2013年9月27日 12:00〜13:30)、発言は日本語
- 駐日ドイツ連邦共和国大使館
外交職 | ||
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先代 ハンス=ヨアヒム・デア |
駐日ドイツ大使 2009年10月21日 - 2014年 |
次代 ハンス・カール・フォン・ヴェアテルン |
先代 アンナ・プリンツ |
駐日ドイツ大使館公館長 2009年10月21日 - 2014年 |
次代 シュテファン・ヘルツベルク |