パープル・シャドウズ
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パープル・シャドウズ(Purple Shadows)は、1968年結成のグループ・サウンズのバンドである。
メンバー
[編集]GS時代
[編集]- 今井久(1947年2月22日 - 、ギター)
- 綿引則史(1945年 - 2024年7月、ギター)
- 川合良和(ベース)
- 大場吉雄(1946年-2013年5月22日死去、ドラムス)もとザ・サベージ、郷田哲也とサン・フラワーズ、その後2006年からセミプロバンド「塚原光男&ザ・ムーンサルト」
- 岡村右(オルガン)【1969年 - 】
- 鈴木正人(ギター)【1975年 - 1978年】
- 木幡ユキ(ボーカル)【1986年 - 1991年】
2008年12月時点
[編集]- 今井久(ボーカル、ギター)
- 赤井美紀恵マリリン”(ボーカル)【1991年 - 】
- 伊藤康夫(ドラムス)【1976年 - 】
- 門脇優“npeかどわき”(ベース)【1990年 - 】
概要
[編集]1968年の結成当時、グループ・サウンズ人気は既に下降線をたどり始めていたが、他のグループ・サウンズとは異なるムード歌謡的な曲調の「小さなスナック」の大ヒットを飛ばす。だがその後はヒット曲に恵まれなかった。その後メンバーの脱退・加入を繰り返し、1980年代には「今井久&パープル・シャドウズ」名義で活動した。
ハワイアン的なムード歌謡風の曲調が特徴。今井のギターをフィーチャーしたインスト・アルバムも発売された。
岡村はその後RVC→BMGビクターでプロデューサー・ディレクターとして活動し、レイジー・西城秀樹[1]・角松敏生などを担当した。
それから10年後の1979年、ロス・インディオス&シルヴィアがカバー・シングルとして発売、翌1980年に掛けて大ヒットとなった「別れても好きな人」は、パープル・シャドウズが本家であった。元はシャッフルのリズムだったが、ロス・インディオス&シルヴィアのカバー・バージョンは、一部歌詞の地名を変更(青山→原宿、狸穴→高輪など)して落ち着いたムード歌謡曲調にアレンジし直されている。
2007年2月17日、2008年2月22日、2009年2月27日、(BS2)グループサウンズ大全集 綿引則史&今井久、2012年1月24日、NHK歌謡コンサート(NHK総合)に出演し、「小さなスナック」を披露。
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]- 小さなスナック(1968.3.25) -オリコン週間チャート2位、総売上47.0万枚
- 作詞:牧ミエコ/作曲:今井久/編曲:林一
- ラブ・サイン(1968.8.25)
- 作詞:牧ミエコ/作曲:今井久/編曲:今井久、林一
- さみしがりや(1968.11.25)
- 作詞:なかにし礼/作曲:今井久/編曲:今井久、林一
- 土曜日の午後(1969.4.25)
- 作詞:牧ミエコ/作曲:今井久/編曲:今井久
- 別れても好きな人(1969.11.5)
- さよならはこわくない(1971.4)
- ほか
アルバム
[編集]- 『小さなスナック/パープル・シャドゥズ・アルバム』(1969年1月)
- 『まごころ/ロマンチック・ギター・サウンド』(1969年11月)
- 『パーブルシャドウズ・ファースト』
出演
[編集]映画
[編集]- 『小さなスナック』(1968年、松竹)
CM
[編集]- 三菱電機 温風暖房機 クリーンヒーター(綿引則史の単独出演・「元パープルシャドウズ」のクレジットあり・1984年)
脚注
[編集]- ^ 岡村は1975年の「白い教会」~1988年の「33才」までの13年間、西城のディレクターを務めている。午前0時の歌謡祭 TWILIGHT MADE …HIDEKIでは西城と共にプロデュースし、同じく自身がエグゼクティブプロデューサーを担当していた角松との共演を実現させた。