ノート:渡辺囚獄佑
統合提案
[編集]- 渡辺守 (戦国時代)を渡辺因獄佑への統合を提出します。同一人物のページのため。--Ababa1989(会話) 2021年2月27日 (土) 23:35 (UTC)
- 報告 抜けていたので{{統合提案}}を補いました。--MathXplore(会話) 2021年5月2日 (日) 07:24 (UTC)
- 賛成 両方の記事を比較しました。略歴が似通っており、この記事で使用されている文献でも「渡辺守」と表記していますので、同一人物に関する記事だと認めて統合に賛成します。--MathXplore(会話) 2021年5月2日 (日) 07:24 (UTC)
- コメント統合は妥当と考えますが、どちらを残すかの選択で、 渡辺因獄佑のほうが一般的と理解されているということでよろしいでしょうか?--Customsprofesser(会話) 2021年5月6日 (木) 02:26 (UTC)
統合提案(再)
[編集]議論が止まっておりますので、同一人物のページである「渡辺因獄佑」と「渡辺守 (戦国時代)」を統合することを改めて提案します。統合後の項目名は「渡辺守 (戦国時代)」を提案します。
後述の通り「特定しやすい」「よく使用されている」点もありますので、残す候補が「ひとやのすけ」のほうでもよいのですが、参考文献に掲げられた『武田氏家臣団人名辞典』や論文などにアクセスできる方にご確認いただきたいことがあります。囚獄司のスケなのですから「囚獄佑」であって、「因獄佑」は誤りなのではないでしょうか?(記事に「囚獄佑とも表記される」と加筆したのは私ですが、決め打ちできる材料を用意してそのうち改名を提案しようと思ったまま忘失しておりました)。
- 寛政重修諸家譜の旧刊本では「囚獄佑」(旧刊本は誤字もままあるというので、『新訂~』を使うのがベストでしょうけれども)
- 山梨県西八代郡上九一色村 遺跡詳細分布調査報告書pp.1,7(pdfの7,13ページ目)「渡辺囚獄佑」
- 上九一色村の文化財p.75(pdfの76ページ目)、村史跡「渡辺囚獄佑の墓」
たしかに検索に埋もれそうな「渡辺守」よりは「渡辺囚獄佑」の方が唯一無二?のインパクトがあります。上記史跡名等にも用いられていますし、そうした史跡等の解説でももっぱら「渡辺囚獄佑」が用いられているようではあります。しかし、諱の同定については争いのない人物のようですので、項目名は諱で立てたほうがよいと思われます。『武田氏家臣団人名辞典』でも項目名は「渡辺守」だとのことですので、統合後の項目名は「渡辺守 (戦国時代)」を推します。--桂鷺淵(会話) 2021年12月12日 (日) 18:52 (UTC) --桂鷺淵(会話) 2021年12月14日 (火) 13:42 (UTC)
- コメント下記に提案を変更します --桂鷺淵(会話) 2021年12月14日 (火) 13:47 (UTC)
改名・統合提案(提案変更)
[編集]提案を変更いたします。本項「渡辺因獄佑」を「渡辺囚獄佑」と改名し、「渡辺守 (戦国時代)」をこちら側に統合すること(存続する項目名は「渡辺囚獄佑」)を提案します。
- 本項には履歴が多いのに対し、「渡辺守 (戦国時代)」については内容に関する履歴は実質初版のみであり、履歴継承等に便宜があること。統合元ページとして誤字によるページ名を残したくはありません。
- 近い時代に「渡辺守」が存在すること。「戦国」「渡辺守」などのキーワードでgoogle検索をかけましたが(ほとんどは「渡辺守綱」に関するページでした)、渡辺了(勘兵衛)の子で藤堂家に仕えた「渡辺守」(長兵衛)が検出されます。渡辺守(長兵衛)は藤堂高虎の妹婿となり、大坂の陣で功績を挙げ、本人は早く亡くなったものの子孫は藤堂名字をゆるされて重臣「藤堂長兵衛家」として続いたというので(個人サイトですが、「大坂の陣絵巻」や「藤堂高虎とその家臣」)、「特筆性」もある人物ではないかと思われます。多分に強弁ですが、長兵衛の時代も広い意味での(大坂の陣以前の)戦国時代とは言えますし、囚獄佑の活動期は狭い意味での(足利義昭追放以前の)戦国時代から安土桃山時代にはみ出しているとは言えます。本項の人物が「渡辺守 (戦国時代)」を占有してよいのかということになるとも想定されます(なお「渡辺守」は現在、渡辺糺の子の渡辺守(権兵衛)の記事となっていますが、曖昧さ回避ページとすることが望ましいでしょう)。「渡辺守 (囚獄佑)」や「渡辺守 (九一色衆)」といった改名でもよいかもしれませんが、いっそのこと「渡辺囚獄佑」でよいのではないか。
- 現在の富士河口湖町の指定史跡名(上掲の上九一色村の指定を継承)も「渡辺囚獄佑の墓」ではあり、「渡辺囚獄佑」の方が検索用語としては有用そうであること。地元の関連記事(前記の史跡が残されているほか、「本栖公家行列」という行事に由緒づけられているそうです(公益社団法人やまなし観光推進機構))では「渡辺囚獄佑」として言及されることが多いように思われます。小泉次大夫のように諱が明確でも「良く知られた通称」で立項されている人物も多いですので、「渡辺囚獄佑」でよいのではないか。
参考情報として提示するには手抜きではありますが、google書籍検索で「渡辺 九一色衆」「渡辺 本栖」などをかけた結果、研究書では「渡辺守」のみ、「渡辺囚獄佑」のみの表記のいずれも見られるようです。『寛政重修諸家譜』を見る限りは、本項の人物の家系で他に「囚獄佑」を称した人物はおりません(息子と孫が「囚獄」を称してはいます)。
「統合すること」については異論がないと思われるのですが、本項の人物を同定するのに適切な名称についてはさまざまなご意見があるかもしれません。統合についての反対がなければ、先に「渡辺守 (戦国時代)」を本項に統合し、その後にしかるべき名に改名する、という手順を踏みたいと思いますが、いかがでしょうか。--桂鷺淵(会話) 2021年12月14日 (火) 13:42 (UTC) --桂鷺淵(会話) 2021年12月14日 (火) 13:47 (UTC)
- 報告提案通り改名・統合を実施いたしました。--桂鷺淵(会話) 2021年12月21日 (火) 15:15 (UTC)