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ノート:武田信貞

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改名提案

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以下の理由から武田信貞という記事名は不適切であると考えられるため、油川信貞へ改名することを提案いたします。

①武田信貞とするのは、管見の限りでは正徳2年(1711年)4月に仁科盛信の子孫を称する仁科資真(内蔵介)が書き残した「八王子信松院江納候由緒書之控」が「武田源兵衛信貞」としたのが端緒と思われる(『史録仁科五郎盛信』P139-141を参照)が、『寛政重修諸家譜』によれば信貞の曾孫・信定の時に「享保七年十月二十八日油川を改て武田を称す」とあることから、油川家の武田改姓は信貞死後のことであり、寛永3年(1626年)に亡くなった信貞は油川姓を称したとみられる点
寛永2年10月23日付の信貞宛の判物では宛名が「油川源兵衛どのへ」となっている点(『花の若武者 仁科五郎盛信』P161を参照)。
③参考文献として挙げられている『武田氏家臣団人名辞典』でも「油川信貞」として立項されている点

--山本角間会話) 2025年2月2日 (日) 03:11 (UTC)(修正)--山本角間会話2025年2月2日 (日) 08:26 (UTC)[返信]

その場合、武田信貞 (曖昧さ回避)武田信貞 の改名も必要ではないでしょうか。--フューチャー会話2025年2月3日 (月) 07:07 (UTC)[返信]
また、油川信貞のリンク元については油川弥九郎とこの武田信貞のどちらを指すかをきちんと吟味して修正する必要があります。--フューチャー会話2025年2月3日 (月) 07:13 (UTC)[返信]


武田信貞 (曖昧さ回避) →武田信貞 の改名については、曖昧さ回遊のページ内で武田信貞となっているのを油川信貞と改めるだけで事足りるように思われますので、現時点では必須ではないように思われます。 なお、油川信貞のリダイレクトが既に存在していることから当記事を改名するにしても現状では移動が出来ないので、この改名提案が合意された際には油川信貞のリダイレクトについてはこのノートを元に移動依頼で削除を申請する予定です。

油川弥九郎については『勝山記』(『妙法寺記』)『一蓮寺過去帳』という史料に名前が確認出来ますが、いずれの史料でも諱を「信貞」とする記述はなく、参考文献として挙げられている『武田氏家臣団人名辞典』では油川弥九郎として立項されていますが、同書では諱を信貞とする記述は確認できないため、弥九郎=信貞とするのはおそらく独自研究と思われます。 したがって油川信貞のリダイレクト先が油川弥九郎となっている現状は問題だと思われますので、油川信貞のリンク元がこの記事を指すものに修正したいと考えています。

また、油川弥九郎についてはWP:Nを満たしていないことから現在関連記事と共に削除依頼を提出中です。
何か不十分な点があれば御指摘いただければと思います。--山本角間会話2025年2月3日 (月) 08:21 (UTC)[返信]