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ノート:東洋活性白土

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会社解散時の社長について

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蒸気機関車2号機(くろひめ号)が糸魚川小学校に展示されていた当時の展示説明では「昭和58年5月に東洋活性白土株式会社の山田政義社長から糸魚川市へ寄贈されたものです」とあったらしく[註A 1]、会社解散時の社長は「山田政義」のようです。

◇註A

  1. ^ アルプス舎 (2008年9月6日 更新). “糸魚川小学校 展示説明”. 大糸線沿線の展示SL. http://www.asahi-net.or.jp/~PB3I-ITKR/3-5-a-sl.htm 2009年12月11日(金)閲覧。 より。

--Nzrst1jx 2009年12月11日 (金) 07:48 (UTC)[返信]

会社記事としてまた題名としてこの記事内容はふさわしいのか

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東洋活性白土の専用線に関しては日本の鉄道史において重要な位置づけであることは否定をしませんが、この項目が果たして会社名でいいのかという議論は起こらないのでしょうか。この内容であればきっちり東洋活性白土専用線と題名を変えた上で記事を充実をさせるべきではありませんかね。現在活況をみている一般市民がかかわった日本初であろう動態保存活動の拠点でもあり、実用蒸気が最後まで走っていたということから多数の書物に記録が残っているので作成されることには反対はしないのですが。この記事名のままではどうも鉄道マニアの暴走にとられても仕方ないように思え百科事典と見た場合にはどうしても違和感を禁じ得ないのですが。 --はやたま 2009年12月12日 (土) 02:31 (UTC)[返信]

この記事を作成するときに「東洋活性白土株式会社」の情報をGoogleで検索して探してみたのですが、ほんとど見つけられませんでした。会社解散時の社長名は糸魚川小学校に展示されていたときに展示説明に明示されていたそうなので、2号機が現在展示されているフォッサマグナミュージアムの展示説明にも明示されているのではないかと思いますが、現在その博物館まで出かけるこができないので直接確認できない状況です。糸魚川市が発行している市史には会社のことが記述されているようですが、会社の年表を作成できる程度の内容までにはいってななさそうです。これも直接確認していないのではっきりしたことはわかりません。製品の活性白土の製造についても一般的な製造方法は東洋活性白土#関連文献に提示した文献に記載されているようですが、東洋活性白土株式会社の工場で実際に製造していた方法については不明なのが現状です。製品の製造方法はともかく、会社の年表ぐらいは体裁を整えたいと思ってはいるのですが、20数年枚に解散した会社なのでインターネット上で会社自体についての情報を得るのは難しい状況です。糸魚川市の図書館で市議会の議事録を閲覧したり、国立国会図書館や会社登記簿を保存している機関などで保存している資料にあたれば会社自体の情報を得られるとは思うのですが、そこまでする意欲が現在はありません。そんなわけで現在の記事の状態はこのような有様になっています。
記事内容と記事名に整合性がないというご指摘ですが、現状では上述したましたように会社自体の情報が得られないので仕方がないかと思います。「鉄道マニアの暴走」とのご指摘ですが、既にリダイレクトで東洋活性白土専用線東洋活性白土に転送しています。「鉄道マニアの暴走」に相当する行為になるのかな。東洋活性白土を作成した動機は、この会社が所有する専用鉄道について書くことでした。専用鉄道なので、輸送している製品(活性白土)についても記述しようと思ってGoogleで検索してみましたが、東洋活性白土株式会社のように天然粘土質鉱物を原料に活性白土を製造することは最近はやっていないようで、合成により活性白土を製造しているようです。会社が解散した20数年前と現在とでは活性白土の製造方法も変わっており、会社自体についても、そこで製造されていた製品(活性白土)自体についてもわからないことばかりです。製品がセメント袋のようなものに袋詰めされて出荷されていたことまではわかっているのですが。
はやたまさんは記事名の変更を望んでおられますが、私はこの記事名のままで会社自体の内容を充実させることを望みます。私のこのような姿勢を「鉄道マニアの暴走」と見なしても一向にかまいません。今回のノートページへのはやたまさんの書き込みからの推察ですが、はやたまさんが会社自体の記事を充実させるつもりがないことはわかりました。充実させる気があるならノートページにこのような書き込みはせず、記事の充実のために努力しているでしょうから。はやたまさんの行為はどうも記事内容を充実させる気は更々ないのに記事ついて口だけは出したいと思われても仕方ないように思え、百科事典の作成にかかわる姿勢としてはどうしても違和感を感じ得ないのですが。--Nzrst1jx 2009年12月12日 (土) 03:22 (UTC)。typo。--Nzrst1jx 2009年12月12日 (土) 10:38 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます、まず根本としてこの専用線に関することは間違えなくウィキペディアに載せるべき必要性のある路線であることは否定しませんし、もちろんこの運営を行った会社に関しても産業史や郷土史的にみても記事を起こすべきものであると私もかんがえております。ただし20数年前に解散した企業であり残念ながら会社情報を集めることは相当至難のことになるでしょう。であるならば素直記事名を東洋活性白土専用線としリダイレクトとして東洋活性白土に転送は何故できなかったのかなとの疑問がありました。もっというなれば思い切って会社と専用線とに分離を行ってももんだいはないのではないのかとも思っておりますがいかがですかね。この会社が支援を行った動態保存活動に関して記載を考えておりましたが今の構成のままでやみくもに記事の充実を行っていいものなのか、大きな疑問を感じたのでまずノートに記載させていただいてます。--はやたま 2009年12月13日 (日) 03:26 (UTC)[返信]
車両の動態保存活動を行っていた主体は羅須地人鉄道協会であり、東洋活性白土株式会社ではありませんので、動態保存活動について加筆するおつもりなら「東洋活性白土」にではなく「羅須地人鉄道協会」に加筆するほうが適切だと思います。--Nzrst1jx 2009年12月13日 (日) 05:44 (UTC)[返信]
はやたまさん、今回のあなたの書き込みは「ノート:尾小屋鉄道」差分「利用者‐会話:663highland」差分のように事を荒立てるような書き込みをして、誰かと誰かを対立させるための着火行為ですか。この2件ではこんな感じになりましたね。
あなたはその後は何もせずに放置。今回の書き込みの意図・企図もこの2件と同じってことでいいのかな?  --Nzrst1jx 2009年12月12日 (土) 08:12 (UTC)[返信]
まず対立の着火行為という件は厳重に抗議いたします。根本として二件とも画像の取り扱いに関してどうしても納得がいかないことがあり書き込みを次第であり、特に高野山駅の画像については前段階としてノート:神戸空港(ターミナルビルの画像について)があることをご理解ください。また今回の記事内容に関してなにか批判をずべき点が無いことも理解ください。--はやたま 2009年12月13日 (日) 03:26 (UTC)[返信]
ノート:神戸空港#ターミナルビルの画像について」での はやたまさんの書き込みを読みましたよ。これですね →「ノート:神戸空港#ターミナルビルの画像について」差分。この書き込み内容では揉め事の解決にはつながらず、火に油を注ぐだけだと思います。尾小屋鉄道の写真の件、高野山駅の写真の件、そして神戸空港の写真の件、3件とも はやたまさんの書き込み内容では物事の解決にはほど遠いもので、逆に争いを煽るだけのものだという印象を受けました。これらのことから、はやたまさんは「紛争」を解決または収束させるために必要な文章表現力を持ち合わせていないと見ました。以後このような活動は控えたほうがいいのではないでしょうか。人には向き不向きがありますから。現在「羅須地人鉄道協会」には保存車両の節はありますが動態保存活動に関する節はありません。動態保存活動に関する節を新設して、その節への執筆活動に専心されてはいかがでしょうか。--Nzrst1jx 2009年12月13日 (日) 05:44 (UTC)[返信]
◆おれはこの記事名のままでの存続を希望します。
専用線が有名であり専用線にかかわる文献は多数残されているため記述が専用線に傾斜してしまうということはあるでしょう。しかしながらそこをとば口に「どんな会社だったんだろう」といった興味を持つ者もいるだろうと思いますし(おれはそうだ)、また産業史的にも記述をする価値がある会社だろうとも思います。ここで専用線記事として題名を変更してしまうと、会社記事としての成長の芽を摘むことにならざるを得ないでしょう。
Wikipediaなんて急いでどうこうしようとかがんばるもんじゃありません。現状では会社の情報が痩せているということは言えるかもしれませんが、だからといって角を矯めて牛を殺すような変更をして当面の問題の解決をはかるというのはスマートじゃない。しばらく、というか年単位でこのまま様子見をするということでよろしいんじゃないでしょうか。--Nekosuki600 2009年12月12日 (土) 09:09 (UTC)[返信]