ノート:国家社会主義
Goo辞書の国家社会主義の項目と酷似しています。lebit 2004年12月4日 (土) 13:42 (UTC)
中立的に編集してみました。天皇制ファシズムという言葉の是非については少々疑問がありますが、昭和初期~敗戦の日本は確かにある種の国家社会主義に陥っていたという考えには賛成できるので、このような形にしてみました。 --221.22.136.24 2005年12月4日 (日) 11:16 (UTC)
日本の国家社会主義
[編集]修正につき、二三の疑問点がありましたので、以下に記します。
(その1) 「(2)民族または人種に重きをおく国家社会主義を行わなければならず、また(3)国家社会主義を行わなければ国家や民族を防衛できないとする主張である。」
→「(2)民族または人種に重きをおく国家主義を行わなければならず、また(3)社会主義を行わなければ国家や民族を防衛できないとする主張である。」
具体的には日本の国家社会主義を規定した高畠の理論、または国家社会主義者の理論派石川準十郎の理論を念頭に置いている。(運動の途中で出て行った赤松一派の理屈は、切っ掛けの説明とはなっても、一般的定義とはなりにくいと考える。)
「真の国家主義者は必ず社会主義者でなければならず、真の社会主義者は必ず国家主義者でなければならない」というのが国家社会主義の命題である以上、「民族または人種」等の言葉は敢えて修正しないにしても、国家主義と社会主義を両面的に行う必要があるという主張を、説明すべきではないか。
無論、明らかに極度に国家主義的な国家社会主義者(国家社会主義時代の津久井龍雄、林癸未夫など)も存在するが、結局は一人一党である以上、これらを全てを列挙するのは説明としては無意味となる。そのため、機関紙(日本社会主義、国家社会主義)に何度も記された上記の説明を採用したものである。
(その2)
「本来は反社会主義的立場でありながら社会主義に有利な情勢に抗しきれない人々」
敢えて修正はしなかったが、(3)の説明は下中派や津久井龍雄などを念頭に書いたもので、社会主義を基軸としない説明文句を択んだものです。(顧問に大川周明がいるなど)国家社会主義が社会主義のアンチテーゼ的なものとして現れたのは是認できるが、社会主義方面のみを基軸にするのは視点の偏りを感じる。何等かの微修正を施して頂きたい気がする。
(その3)勤労日本党
国家社会主義の統一組織として日本国家社会党準備会が出来たが、近藤栄蔵派と石川準十郎派が対立し準備会は分裂した。(1933年)分裂の責任をとって、近藤、石川の両者は準備会を脱退した。その後、国家社会主義学盟を中心とする勢力が石川を担いで大日本国家社会党を結成した。(1934年3月)そのため、準備会の残留組が勤労日本党を結成させた。(同年4月)
これが私の知る国家社会主義政党の分裂劇ですので「勤労日本党」を加えましたが、何故にこれを削除なされたのか。削除すべき理由がある場合は、当然ながらそちらに従いますが、取り敢えず大日本国家社会党と勤労日本党とは併記される場合があるので、復活させておきます。
以上、IP:220.98.111.44
赤松克麿について
[編集]- 赤松克麿は、日本共産党、社会民衆党(社会民主主義)、国家社会主義、日本主義へと思想が移り変わっています。本文の「赤松克麿の思想」という表現を、「赤松克麿が一時期となえた国家社会主義」などに変更する必要があるように思います。--Miki08 2010年3月11日 (木) 05:14 (UTC)
- 反対です。思想家に思想の変遷があるのは一般的です。記事のラッサール偏向(後述)でもあり反対です。--Rabit gti 2010年3月17日 (水) 14:38 (UTC)
- 思想家に思想の変遷があり、赤松克麿の場合は、国家社会主義から日本主義に移っているからこそ、「赤松克麿の思想」ではなく「赤松克麿がとなえた国家社会主義」等と記述するべきです。読者に誤解を与えないよう正確に記述するという趣旨であり、ラッサールは関係ありません。--Miki08 2010年3月22日 (月) 07:18 (UTC)
- 了解しました。赤松克麿の記述に関する私の反対は取り下げます。--Rabit gti 2010年3月22日 (月) 07:34 (UTC)
北一輝について
[編集]- 北一輝が「国家社会主義」を自称したという出典はありますでしょうか? --Miki08 2010年3月10日 (水) 07:46 (UTC)
- 現在の記述は「自称した」とは、どこにも書かれていません。例えば「マルクス主義」も自称ではありません。--Rabit gti 2010年3月11日 (木) 14:42 (UTC)
- 北一輝は『国体論及び純正社会主義』の緒言で次のように書いています。
- 「本書の力を用ひたる所は所謂講壇社會主義といひ國家社會主義と稱せらるゝ鵺的思想の驅逐なり。」
- また、北一輝は日本改造法案を書いた目的と心境について、「左翼的革命に対抗して右翼的国家主義的国家改造をやることが必要であると考へ、」と述べています。(ニ・ニ六事件 憲兵隊調書、『北一輝著作集』第三巻、p.434)
- また、彼は日本改造法案の主張が「国家至上主義に立脚して」いると述べています。(ニ・ニ六事件 警視庁聴取書(ニ)、同書、p.485)
- 以上のことから、北一輝の思想は国家主義であって、国家社会主義と呼ぶのは適切でないと思います。国家社会主義の記事から北一輝の記述を削除したいと思います。--Miki08 2010年3月16日 (火) 13:58 (UTC)
- 反対です。「国家社会主義」の定義は1種類ではありません。国家主義だから社会主義で無いとは限りません。記事のラッサール偏向(後述)でもあり反対です。なお、自称では無いと修正しました。--Rabit gti 2010年3月17日 (水) 14:38 (UTC)
ビスマルクについて
[編集]- (1)Rabit gtiさん、こんにちは。「ビスマルクは1881年に、自らの政策を「国家社会主義」と呼んだ」についてお聞きします。出典は、ウィキペディア英語版の「Otto von Bismarck」の以下の文章でしょうか?(つたない翻訳をさせていただきます。)
- ビスマルクはモーリッツ・ブッシュへ次の正確な予言を作った(手紙に書いた?)。「私が死んだあとで、私たちの政策が無に帰す(逆転されられる)かもしれない。しかし国家社会主義は自分自身を(越え)打つ・たたく(進む?)だろう。」
- 誤訳があったらすみません。要するに、--ビスマルクは公の場では、自分の政策を国家社会主義とは呼ばなかった。しかし、たった一文だけ、「but」という接続詞や文脈から考えて、ビスマルクが自分自身の政策を国家社会主義と呼んだと解釈可能な文がある。この一文が、「ビスマルクは・・・自らの政策を「国家社会主義」と呼んだ」という本文記述の唯一の根拠である--と理解してよろしいでしょうか?
- (2)バートランド・ラッセルがビスマルクの政策を国家社会主義と呼んだ文章を引用していただけないでしょうか? --Miki08 2010年3月9日 (火) 22:49 (UTC)
- 現在の記述は「ビスマルクは1881年に、自らの政策を「国家社会主義」(Staatssozialismus、State Socialism)と呼んだ」であり、「自称した」とも「呼び続けた」とも書かれておらず、問題はありません。(2)1章が「ビスマルクの国家社会主義、それにともなう党指導者と一般党員との対立」です。出典は記載済で、私は現在の記述以上に詳細化する必要性を感じないので、これ以上は自分で調べてください(Wikipediaは個人の無料家庭教師ではありません)。--Rabit gti 2010年3月11日 (木) 14:42 (UTC)
- 調べて、ラッセルからの引用を修正しました。--Miki08 2010年3月22日 (月) 06:04 (UTC)
- 了解しました。国家社会主義と呼んで(呼ばれて)いる事と、その評価の両方が記載されており、賛成です。--Rabit gti 2010年3月22日 (月) 07:34 (UTC)
非中立的な記述(ラッサールへの著しい偏向)
[編集]- 当記事は2010年1月以降、1名(Miki08さん)によりラッサールへの著しい偏向が進められています。2009年12月24日の時点は、ラッサール・ビスマルク・北一輝・ソ連などが併記されていました。これは後述のWikipedia各国語版や世間の辞書とも大差ありません。しかし現在では「国家社会主義(state socialism)」は「ラッサールの提唱した社会主義。」と断定(限定)され、ビスマルクやソ連は執拗に「矮小化」が繰り返されています。Wikipediaでは各言語版で相違がある事自体は問題ではありませんが、世界的視点も必要で、日本語版だけ、1個人の思い込みだけで、記述の偏向が著しいのは問題です。このため各国語版を参考に更新予定です(ラッサールも書くべきですが、ラッサールが提唱した思想とか、ラッサールが主である、のような記述は明らかに不適切なため。なお、日本の社会主義的傾向の強い事典の一部には「国家社会主義はラッサールが主張した思想」などの記述が存在しますが、中立的とは言えません。)以下はWikipedia各国語版や事典での記述です。
- 英語版(en:State socialism)では、「国家による生産手段の管理などを行う社会主義の1種」との趣旨の広い定義で、マルクス・スターリン・トロツキー・ソ連などを説明し、ラッサール(Lassalle)の記述はありません。
- 英語版(en:State Socialism)では、わざわざビスマルクの記事が独立しており(大文字/小文字で記事を分けるのは感心しませんが)、ラッサールの記述はありません。
- ドイツ語版(de:Staatssozialismus)では、上記の英語版の2記事から各国語版リンクが張られていますが、定義は英語版と同等で、ビスマルクとソ連などが説明され、ドイツ人でもあるラッサール(Lassalle)の記述はありません。
- フランス語版(fr:Socialisme d'État)も、定義は英語版と同様で、主にソ連を説明し、ラッサール(Lassalle)の記述はありません。
- the free dictionaryの定義では、単に「国家の公的管理などによる社会主義」であり、特にラッサールの思想と書かれていません。
--Rabit gti 2010年3月17日 (水) 14:38 (UTC)
- (1)Rabit gtiさん、外国語版へのリンクをたくさん張られているので、念のため出典に関するウィキペディア日本語版の方針を引用させていただきます。
「ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用するべきです。これは、情報源の資料が正しく使用されたことを、日本語版の読者が容易に検証できるようにするためです。」(Wikipedia:検証可能性#情報源/ソースより)
- (2)本節の見出し「非中立的な記述(ラッサールへの著しい偏向)」を「諸潮流の記述の比重について」に変更しました。Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まり#ノートページでの見出しづけの「中立的な見出しを選ぶ:見出しはトピックを指すべきであり、それに対する特定の見解を示すものであってはいけません。」と「見出しで批判しない」にもとづきました。
- (3)「ラッサールらのとなえた主張。」という表現を、「ラッサールの提唱した社会主義。」と個人に限定したのは、Rabit gtiさん自身です(2010年2月27日 (土) 12:04の更新)。
--Miki08 2010年3月18日 (木) 00:53 (UTC)
- (1)話のすりかえです。該当の「ウィキペディア日本語版の方針」は、記事に関する出典です。私の指摘は「日本語版だけ、各国語版と State socialism の定義や、説明内容が大幅に異なっている(ラッサールへの著しい偏向)のは不適当」なので、比較対照は当然ながら各国語版です。Wikipediaでは世界的視点で記述すべきです。各国別の細かい事情は「日本ではラッサール主義を指す場合が多い」などと追記すれば足ります。(2)話のすりかえです。該当のガイドは、記事に関するガイドです。Wikipediaでは「記事が中立的かどうか」はノート等で議論するルールであり、ノートで「現在の記述が中立的でない」等の節名が使われるのは当然です。他のノートでも一般的です。POV を見た読者が該当の節が判るためにも必要です。ノートでの他者の記載を、勝手に書き換えないでください。書き戻しました。(3)それでは、世界的視点で修正予定です。なお共産主義なども大半は翻訳がベースです。 --Rabit gti 2010年3月18日 (木) 01:59 (UTC)
- Rabit gtiさん、(1)については、記事修正時に気をつけて下さいという意味で指摘しました。
- (2)のWikipedia:ノートページでの慣習的な決まり#ノートページでの見出しづけは、ノートに関するガイドであり、記事に関するガイドではありません。
- (3)Rabit gtiさん、本節冒頭の、太字を使っての、「当記事は2010年1月以降、1名(Miki08さん)によりラッサールへの著しい偏向が進められています。」という表現は、必要以上に攻撃的なものと感じました。私もRabit gtiさんと同様、記事の改善を進めているつもりです。礼儀と丁寧さを忘れないようにお願いします。--Miki08 2010年3月18日 (木) 16:26 (UTC)
- (1)了解です。しかし当記事に限らず、ヨーロッパの思想関係の記事の大多数は翻訳で、その出典の大多数も非日本語なのも現実です。私は適切な同等の日本語版が判れば日本語を優先していますが、優先であり必須ではないとの認識です。(2)了解です。しかし現節名の「非中立的な記述(ラッサールへの著しい偏向)」は、批判というより客観的事実の記述です(他言語版と比較して、実際にラッサールに偏向しているので)。(3)客観的事実の記載です。なお「改善」は主観的用語で、客観的には「編集」です。当記事は1~3月のMiki08さんの執拗な編集を、私が何回か妥協してしまった事もあり、残念ながら各国語版と比較してもラッサールへの著しい偏向と、非常に読みにくい分断された記事構成となってしまいました。本人は善意の「改善」の結果とは思いますが、結果的には残念ながら明白な「改悪」です。私も共犯者として反省しています。このため世界的視点で修正予定です。--Rabit gti 2010年3月21日 (日) 15:58 (UTC)
- (半年以上空きましたが)冒頭の説明を「State- は、ラッサール、ビスマルク、ソ連などで、呼ばれる事がある(それぞれ他称)」や、「National- は、バレス、ハインドマン、オーストリア、ハンガリー、ドイツなどで提唱された(それぞれ自称)」と、それぞれ中立的に同等に併記する記述に修正しました[1]。この結果、「非中立的な記述(ラッサールへの著しい偏向)」は、少なくとも冒頭の説明では無くなったため、POVを削除しました。(本文は後日、別途修正予定です)--Rabit gti 2010年10月15日 (金) 16:15 (UTC)
National Socialism の定義について
[編集]- 「National Socialism はナショナリズムを掲げた社会主義。」という記述の出典が無効のようです。英語版の「National Socialism」の記事を見る限り、Tombs Robertの『France 1814–1914』は、別の記述(「National Socialism という用語は Maurice Barrès というフランスの知識人によって作り出された。」)という記述の出典でしかありません。--Miki08 2010年10月18日 (月) 05:24 (UTC)
コメント (1)各国語版の冒頭の記述と合わせ「ナショナリズムと社会主義を結合した思想」としました。(英語版[2]は「National Socialism is the name used for political ideologies which purpose to merge nationalist and socialist positions. 」、ドイツ語版[3]は「die Nationalismus und Sozialismus auf verschiedene Weise miteinander verbanden und verbinden.」、中文版[4]は「國家與社會主義」)。直接の出典はありませんが、バレスやナチスなど各思想に共通した、緩やかな説明です。(2)なおMiki08さんの編集[5]ですが、他人の著作物である出典の直訳を本文の一部に記述するのは、Wikipedia:引用のガイドライン#引用の要件の「明瞭区別性」や「主従関係」に違反し、更に日本の著作権法に抵触します。過去も同じ指摘をしましたが、「すみません」と書かれたのであれば類似行為を繰り返さないでください。ウィキペディアは記事の執筆なので、出典を参考にしつつ、本文は自分自身の言葉で書く必要があります。--Rabit gti 2010年10月18日 (月) 15:28 (UTC)
- (2)わかりました。気をつけます。--Miki08 2010年10月19日 (火) 01:14 (UTC)