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ネーメ・ヤルヴィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ネーメ・ヤルヴィ
Neeme Järvi
「エストニア・ソング・フェスティバル」 に参加するネーメ・ヤルヴィ(2009)
基本情報
出生名 Neeme Järvi
生誕 (1937-06-07) 1937年6月7日(87歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
エストニア・ソビエト社会主義共和国
タリン
学歴 タリン音楽院卒業
レニングラード音楽院卒業
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
打楽器奏者
担当楽器 指揮
打楽器
活動期間 1963年 -
ネーメ・ヤルヴィ

ネーメ・ヤルヴィ(またはイェルヴィNeeme Järvi, né Jööts, ロシア語: Не́эме Я́рви, 1937年6月7日 – )は、エストニア出身の指揮者[1]

人物・来歴

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略歴

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旧ソ連時代のタリン出身。タリン音楽院で打楽器と合唱指揮を学んだ後、レニングラード音楽院に進んでエフゲニー・ムラヴィンスキーに師事。タリン音楽院在学中の1960年にエストニア放送交響楽団に入団し打楽器奏者として活躍した[2]。その後指揮者に転じ、1963年から1979年までエストニア放送交響楽団(1975年エストニア国立交響楽団に改称)の首席指揮者[2]、1963年から1975年までエストニア国立歌劇場首席指揮者を歴任[3]1971年聖チェチーリア国立音楽院国際指揮者コンクールで第1位を獲得した[3]

1980年にアメリカ合衆国に出国。1982年から2004年までエーテボリ交響楽団首席指揮者[4]、1984年から1988年までロイヤル・スコッティシュ・ナショナル管弦楽団首席指揮者[3]、1990年から2005年までデトロイト交響楽団音楽監督[5]、1995年9月より日本フィルハーモニー交響楽団客員首席指揮者[3]、2005年から2009年までニュージャージー交響楽団音楽監督[6]、2005年から2012年までハーグ・レジデンティ管弦楽団首席指揮者、2010年から2020年までエストニア国立交響楽団芸術監督兼首席指揮者(2017年から名誉芸術監督)を務める[3]


ヤルヴィは、カラヤン以後の世代で最も録音数の多い指揮者として記憶と記録に残されている[2]。その録音では、あらゆる作曲家のあまり知られていない作品を数多く取り上げ世に紹介している[7]。厖大なレパートリーの中でも、ロマン派音楽20世紀音楽の解釈で知られ、フランツ・シュミット交響曲全曲録音は、この作曲家の名声の復活と、国際的な普及に貢献した。エストニア音楽の庇護者でもあり、エドゥアルド・トゥビンアルヴォ・ペルトの録音も有名で[7]ペルトの「クレド」は1968年にヤルヴィの指揮で初演された。

得意とする作曲家はショスタコーヴィチで、交響曲全集(交響曲第7番『レニングラード』の録音は、その年に死去した師のエフゲニー・ムラヴィンスキーに捧げられている)、バレエ音楽の録音が知られている。また、デトロイト時代には積極的にアメリカ人交響曲作家の系譜をたどり、チャドウィックエイミー・ビーチアイヴズバーバー等の作品を録音して世界に広めた。

客演先は厖大で手広く指揮している。その中でもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とは親密な関係を築いており、ほぼ毎年のように客演し、レコーディングも行っている。

ヤルヴィは打楽器奏者出身の指揮者であるためか、ティンパニ小太鼓等を強調する傾向があると共に、速いテンポ設定(例えば、Chandosレーベルに録音したマーラー交響曲第6番「悲劇的」第1楽章は反復を行って20分を切っている)により、音楽のうねりや力感を強調し、情緒やニュアンスを排した解釈が特徴的である。それ故引き出される音楽は、一方では知的で構成力を感じさせる半面、ともすれば無味乾燥ともとられかねない。しかし、細部にとらわれずに、巧みな牽引力によってオーケストラから輝かしく力強い音色を引き出し、爆発的に燃焼力の高い演奏を行なっている。

家族

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長男パーヴォ1962年 - )、次男クリスチャン1972年 - )も指揮者。長女マーリカ(1964年 - )はフルート奏者。

脚注

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  1. ^ 世界の指揮者名鑑866 2010, p. 118 ヤルヴィ, ネーメ.
  2. ^ a b c 世界のオーケストラ(2)上 ~パン・ヨーロピアン 編~ 2017, p. 98-102 25.エストニア国立交響楽団.
  3. ^ a b c d e Neeme Järvi” (エストニア語). ERSO. Diregindid. 2023年7月1日閲覧。
  4. ^ 世界のオーケストラ名鑑387 2009, p. 33「エーテボリ交響楽団」.
  5. ^ 世界のオーケストラ(1) ~北米・中米・南米編~ 2015, p. 55.
  6. ^ 世界のオーケストラ(1) ~北米・中米・南米編~ 2015, p. 144.
  7. ^ a b ネーメ・ヤルヴィ - Neeme Järvi”. NAXOS Music Library. 2023年7月1日閲覧。

参考文献

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  • ONTOMO MOOK『世界の指揮者名鑑866』音楽之友社、2010年。 
  • 上地 隆裕著『世界のオーケストラ(1) ~北米・中米・南米編~』株式会社 芸術現代社、2015年。ISBN 978-4-87463-203-1 
  • 上地 隆裕著『世界のオーケストラ(2)上 ~パン・ヨーロピアン 編~』株式会社 芸術現代社、2017年。ISBN 978-4-87463-206-2 
  • ONTOMO MOOK『世界のオーケストラ名鑑387』音楽之友社、2009年。 


先代
ロマン・マツォフ
エストニア国立歌劇場
音楽監督
1963年 - 1977年
次代
ペーテル・リリエ
先代
ロマン・マツォフ
エストニア放送交響楽団
首席指揮者
1963年 - 1980年
次代
ペーテル・リリエ
先代
ズデニェク・マーツァル
ニュージャージー交響楽団
音楽監督
2005年 -  
次代
-
先代
ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン
ハーグ・レジデンティ管弦楽団
首席指揮者
2005年 -  
次代
-