コンテンツにスキップ

ナリタタイシン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナリタタイシン
第36回宝塚記念出走時
(1995年6月4日)
欧字表記 Narita Taishin[1]
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1990年6月10日
死没 2020年4月13日(30歳没)
リヴリア
タイシンリリイ
母の父 ラディガ
生国 日本北海道新冠町
生産者 川上悦夫
馬主 山路秀則
調教師 大久保正陽栗東
調教助手 大久保雅稔
厩務員 岡本勝治
競走成績
生涯成績 15戦4勝
獲得賞金 3億9740万8000円
勝ち鞍
GI 皐月賞 1993年
GII 目黒記念 1994年
GIII ラジオたんぱ杯3歳ステークス 1992年
テンプレートを表示

ナリタタイシン (Narita Taishin)[1]は、日本競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に1993年皐月賞1994年目黒記念1992年ラジオたんぱ杯3歳ステークス

戦績

[編集]
  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[2]

3歳時(1992年)

[編集]

1992年7月11日、札幌での3歳新馬戦横山典弘騎乗でデビューし、6着[3]だった。デビュー戦後球節に疲労が出たため放牧に出され、10月の福島での3歳未勝利戦で復帰し初勝利を挙げた[3]。その後、きんもくせい特別6着、福島3歳ステークスと千両賞で2戦連続2着になった後、重賞初挑戦となったラジオたんぱ杯3歳ステークスでは4コーナー8番手から差し切って重賞を初制覇した[3]。なお、前週に半姉ユーセイフェアリー阪神牝馬特別に勝っており、姉弟で2週連続の重賞制覇となった[4]

4歳時(1993年)

[編集]

4歳を迎え、初戦のシンザン記念ではアンバーライオンの2着[3]に終わった。次戦は東上しての弥生賞。このレースで武豊が初めて騎乗したがウイニングチケットの2着に甘んじた[3]

迎えたクラシック第1戦の皐月賞ではウイニングチケット、若葉ステークスを勝ったビワハヤヒデに続く3番人気に推された。レースではスローペースの中、1コーナーで最後方、4コーナーでも12番手と後方を位置取りながら、最後の直線で馬群をぬって伸び、ビワハヤヒデをクビ差差し切って優勝した[3][5]東京優駿(日本ダービー)でもウイニングチケット、ビワハヤヒデに続く3番人気となったが、レースでは直線で追い込んだものの最内枠がアダとなり、ウイニングチケット、ビワハヤヒデに次ぐ3着に終わった[3]。ダービー後、7月の高松宮杯に出走したが、逃げるロンシャンボーイを捕まえ切れず2着に終わった[3]

秋初戦は京都新聞杯を予定していたが、1週前の追い切り中に運動誘発性肺出血(EIPH)[注釈 1]を発症して出走できず、菊花賞にぶっつけで挑んだが、終始後方のまま17着に終わった[6]

5-6歳時(1994-1995年)

[編集]

年が明けて5歳となった初戦の目黒記念では59.5kgを背負いながら大外直線一気を決めて皐月賞以来の勝利を挙げた。ビワハヤヒデとの一騎討ちとなった春の天皇賞では3コーナーから捲るという奇襲に出たが、ビワハヤヒデには敵わず2着[7]に終わった。

完全復活したかに思われたナリタタイシンだったが、天皇賞(春)後は度重なる怪我に悩まされることになる。宝塚記念の前には右後脚に軽度の骨折が判明して休養。秋に復帰する予定だったが、京都大賞典は下痢で回避[7]、さらに天皇賞(秋)の前には屈腱炎を発症し1年近く休養することになった。

6歳になり、宝塚記念で復帰。1年1か月ぶりの出走だったが16着[6]に終わった。そして、高松宮杯へ向けて調整していた最中に屈腱炎を再発させ、そのまま引退した[6]

競走成績

[編集]

以下の内容は、JBISサーチ[2]およびnetkeiba.com[8]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場) 頭数 枠番 馬番 オッズ

(人気)

着順 タイム

(上がり3F)

着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
1992.07.11 札幌 3歳新馬 芝1000m(良) 9 5 5 02.1(1人) 06着 1:00.3(36.3) -0.8 横山典弘 53 マイネルロカビリー 422
0000.10.10 福島 3歳未勝利 芝1700m(稍) 5 3 3 02.4(2人) 01着 1:44.7(36.8) -0.3 清水英次 53 (エーピーアイアン) 434
0000.10.25 福島 きんもくせい特別 500 芝1700m(良) 9 8 9 04.5(3人) 06着 1:46.3(39.1) -0.7 内山正博 53 マヤノギャラクシー 434
0000.11.21 福島 福島3歳S OP 芝1200m(良) 10 2 2 13.8(7人) 02着 1:10.7(36.4) -0.2 清水英次 53 セントグローリ 424
0000.12.19 阪神 千両賞 500 芝1600m(良) 11 2 2 21.9(6人) 02着 1:38.2(49.2) -0.1 清水英次 54 グランドシンゲキ 416
0000.12.26 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S GIII 芝2000m(良) 12 1 1 16.3(5人) 01着 2:05.8(49.7) -0.1 清水英次 54 (マルカツオウジャ) 422
1993.01.17 京都 シンザン記念 GIII 芝1600m(良) 13 7 10 04.7(3人) 02着 1:36.0(46.9) -0.1 清水英次 56 アンバーライオン 418
0000.03.07 中山 弥生賞 GII 芝2000m(良) 11 7 9 03.5(2人) 02着 2:00.4(35.4) -0.3 武豊 55 ウイニングチケット 422
0000.04.18 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 18 7 14 09.2(3人) 01着 2:00.2(34.6) -0.1 武豊 57 ビワハヤヒデ 426
0000.05.30 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 18 1 1 04.0(3人) 03着 2:25.8(35.9) -0.3 武豊 57 ウイニングチケット 430
0000.07.11 京都 高松宮杯 GII 芝2000m(良) 14 3 4 02.2(1人) 02着 1:59.2(34.7) -0.2 武豊 56 ロンシャンボーイ 424
0000.11.07 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 18 8 18 11.1(3人) 17着 3:14.1(41.6) -9.4 武豊 57 ビワハヤヒデ 432
1994.02.20 東京 目黒記念 GII 芝2500m(良) 13 5 7 05.5(2人) 01着 2:34.0(34.7) -0.0 武豊 58.5 (ダンシングサーパス) 446
0000.04.24 阪神 天皇賞(春) GI 芝3200m(稍) 11 6 6 06.5(2人) 02着 3:22.8(36.1) -0.2 武豊 58 ビワハヤヒデ 442
1995.06.04 京都 宝塚記念 GI 芝2200m(稍) 17 4 8 13.3(7人) 16着 2:12.1(35.4) -1.9 山田泰誠 57 ダンツシアトル 444

引退後

[編集]

引退後は種牡馬となり、6シーズンの供用で血統登録頭数160頭、出走頭数はそのうちの140頭、74頭が勝ち馬となった[9]2003年に種牡馬を引退後は日高町のベーシカル・コーチング・スクールで余生を送っていたが[6]2020年4月13日老衰のため30歳で死亡した[10]サンケイスポーツでは「将来的に平取町義経神社で祀られる予定」とも報じた[11]

主な産駒

[編集]
  • ファヴォリート(新潟ジュニアカップ)[12]

血統表

[編集]
ナリタタイシン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 リヴァーマン系
[§ 2]

*リヴリア
Rivlia
1982 鹿毛
父の父
Riverman
1969 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
River Lady Prince John
Nile Lily
父の母
Dahlia
1970 栗毛
Vaguely Noble *ヴィエナ
Noble Lassie
Charming Alibi Honeys Alibi
Adorada

タイシンリリイ
1981 芦毛
*ラディガ
Ladiga
1969 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Celia Swaps
Pocahontas
母の母
インターラーケン
1966 芦毛
*サミーデイヴィス
Sammy Davis
Whistler
Samaria
*シルヴァーファー
Silver Fir
Abernant
Moyo
母系(F-No.) シルヴアーフアー系(IRE)(FN:1-w) [§ 3]
5代内の近親交配 Roman 5 × 5 = 6.25% 、Alibhai 5 × 5 = 6.25%、Nearco 5 × 5 = 6.25%(父系内) [§ 4]
出典
  1. ^ [13][14]
  2. ^ [14]
  3. ^ [13][14][15]
  4. ^ [13][14]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 強い運動をした際に肺の毛細血管が血圧の上昇によって破れて出血する疾患。重症化すると鼻出血に繋がる。

出典

[編集]
  1. ^ a b ナリタタイシン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年8月1日閲覧。
  2. ^ a b ナリタタイシン 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年8月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j #関西競馬四季報93年秋 p. 771
  4. ^ 『優駿』1993年2月号、日本中央競馬会、102頁
  5. ^ 『優駿』1993年6月号、日本中央競馬会、132頁
  6. ^ a b c d 93年皐月賞馬ナリタタイシンのいま(1)29歳を迎えた世代屈指の切れ者”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd. (2019年7月16日). 2021年8月1日閲覧。
  7. ^ a b #関西競馬四季報94年秋 p. 769
  8. ^ ナリタタイシンの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2021年8月1日閲覧。
  9. ^ ナリタタイシン 種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年8月1日閲覧。
  10. ^ “93年の皐月賞馬ナリタタイシン、皐月賞ウィークに死す”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2020年4月13日). https://hochi.news/articles/20200413-OHT1T50092.html 2020年4月13日閲覧。 
  11. ^ 1993年の皐月賞馬、ナリタタイシン死す 30歳”. サンスポZBAT!競馬. サンケイスポーツ (2020年4月13日). 2021年8月1日閲覧。
  12. ^ ファヴォリート”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年8月1日閲覧。
  13. ^ a b c ナリタタイシン 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年8月1日閲覧。
  14. ^ a b c d e ナリタタイシンの5代血統表”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd.. 2021年8月1日閲覧。
  15. ^ a b 『優駿』1993年2月号、日本中央競馬会、141頁

参考文献

[編集]
  • 「関西競馬四季報 1993秋季号」『競馬ブック』第14巻第3号、ケイバブック。 
  • 「関西競馬四季報 1994春季号」『競馬ブック』第15巻第1号、ケイバブック。 
  • 「関西競馬四季報 1994秋季号」『競馬ブック』第15巻第3号、ケイバブック。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]