コンテンツにスキップ

トニー・ホーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トニー・ホーム
プロフィール
リングネーム トニー・ホーム
ルドヴィッグ・ボルガ
ザ・バイキング[1][2]
本名 トニー・クリスチャン・ホーム[1][2][3]
ニックネーム 格闘サイボーグ
虐殺バイキング
ヘルレイザー・フロム・ヘルシンキ[4]
身長 193cm[1]
体重 140kg(全盛時)[1]
誕生日 (1963-01-06) 1963年1月6日[3]
死亡日 (2010-01-08) 2010年1月8日(47歳没)[3]
出身地  フィンランド
ウーシマー県ヘルシンキ[3]
スポーツ歴 ボクシング[2]ウエイトリフティング[2]
トレーナー バーン・ガニア[2]
ブラッド・レイガンズ[2]
デビュー 1989年[2]
引退 1997年[2]
テンプレートを表示

トニー・ホームTony Christian Halme[1][2][3]1963年1月6日 - 2010年1月8日)は、フィンランドプロレスラープロボクサー総合格闘家ヘルシンキ出身。

アメリカ合衆国のプロレス団体WWFにおける、ルドヴィッグ・ボルガLudvig Borga)としての活動でも知られる[1]

来歴

[編集]

フィンランドではヘビー級のボクサーとして活動し、フィンランド選手権を6度、スカンディナヴィア選手権を4度制覇[5]1983年は欧州アマチュア・ヘビー級選手権に優勝、アマチュア時代は通算48戦全勝(41KO)という戦績を残した[5]

1989年アメリカに渡り、映画のスタント・パーソンなどを経てロード・ウォリアーズの勧めでプロレスラーに転向[5]ブラッド・レイガンズのトレーニングを受け、1989年にデビュー[2]カリフォルニア州マリナ・デル・レイのインディー団体UWFではザ・バイキングThe Viking)を名乗り、ザ・パトリオットなどと対戦した[1][6]

1990年10月25日、プロボクサーとして新日本プロレスグリーンドーム前橋大会に初来日、ザ・ソウルテイカーとの異種格闘技戦でKO勝ちを収めた[5][7]。12月26日には橋本真也をTKOで破り、翌1991年は橋本との抗争を展開した[5]。同年10月はビッグバン・ベイダーとも異種格闘技戦2連戦を行い、1勝1敗となった[5]。アメリカではその間もプロレスラーとして活動していたが、1991年12月16日の大阪府立体育会館におけるクラッシャー・バンバン・ビガロ戦で日本でも本格的にプロレスラーに転向[5]1992年11月22日には、両国国技館にてスコット・ノートンとタッグを組み、リック&スコットスタイナー・ブラザーズからIWGPタッグ王座を奪取した[8]

1993年7月、ルドヴィッグ・ボルガLudvig Borga)のリングネームWWFに参戦[9]ヘルレイザー・フロム・ヘルシンキThe Hellraiser from Helsinki)の異名を持つヒールとして売り出され、8月30日のサマースラムではマーティ・ジャネッティを一蹴[10]。以降はレックス・ルガータタンカとの抗争アングルが組まれ、11月24日のサバイバー・シリーズにはヨコズナクラッシュジャック・ルージョーらと「フォーリン・ファナティックス」なる反米ユニットを結成して出場。ルガー、スタイナー兄弟、ジ・アンダーテイカーの「オール・アメリカンズ」と対戦した[11]。同年12月14日にはレイザー・ラモンインターコンチネンタル王座に挑戦、一旦はピンフォールでタイトル奪取を宣告されるが、ショーン・マイケルズの介入があったため判定が覆り、幻のIC王者となっている[1][12]

1994年ロイヤルランブルレッスルマニアへの出場が予定されていたが、1月17日のリック・スタイナー戦で足首を負傷し、そのままWWFを離脱[13]。同年8月20日からはリングスに参戦し、11月19日には前田日明とも対戦した[5]1995年オットー・ワンツの主宰するドイツCWAにルドヴィッグ・ボルガの名義で遠征、12月20日にブレーメンにてランボーを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得した[14]

その後もホームはプロボクサーや総合格闘家としてのキャリアを重ね、1997年5月30日のUFC 13ではランディ・クートゥアのデビュー戦の相手を務めた。

晩年

[編集]

2003年3月にはフィンランドの議会議員に選出され[1]、映画『スペース・タイム 時空を超えた使命』(Kohtalon Kirja)にも出演したが同年に自宅のアパートで拳銃を発砲し、拳銃の所持許可を取り消されるというスキャンダルを起こした。騒動が起きた当時、試合を数日後に控えており、医者からペインキラーを処方されていた。また、その薬以外にも酒を飲んでいたため騒動につながった。さらに、血中からアンフェタミンが検出され、自宅から非合法のステロイドも見つかったが、「自分が酔っているすきに何者かが薬物を置いていったのだ。」と主張した。

2004年、裁判の様子がMTV3で放送され、4か月間の格闘家としての活動停止処分と罰金を科せられたが[15]、議員を辞職することはなかった。

以降も薬物とアルコールの問題を抱え続け[16]2006年は飲酒運転で有罪となり、同年3月にはアルコールの過剰摂取によるせん妄が悪化したため精神病院にも通院。また、アルコール依存症によって肝硬変[17]急性膵炎を患い、議会の任期終了後は障害者として障害年金を受けた。

2010年1月8日、自宅であるヘルシンキのアパートで死去。47歳没。その2日後の1月10日、ホームの遺体が発見された。検死の結果、不法所持の拳銃による自殺だと判明した[17][18]

得意技

[編集]

獲得タイトル

[編集]
新日本プロレス
キャッチ・レスリング・アソシエーション
  • CWA世界ヘビー級王座:1回[14]

戦績

[編集]

総合格闘技

[編集]
総合格闘技 戦績
10 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
3 3 0 0 0 0 0
7 3 4 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× ランディ・クートゥア 1R 0:56 チョークスリーパー UFC 13: The Ultimate Force
【ヘビー級トーナメント 1回戦】
1997年5月30日
× ディック・フライ 1R 2:42 TKO(ドクターストップ) リングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.2 1997年4月22日
× 長井満也 8:58 膝十字固め リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1995 Grand Final 1996年1月24日
× ディック・フライ 2:43 TKO(レフェリーストップ) リングス RISING SERIES HAZUKI 1995年8月27日
× ヴォルク・ハン 6:36 アキレス腱固め リングス RISING SERIES FUMIZUKI 1995年7月18日
× ディック・フライ 2:55 KO リングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT GRAND FINAL 1995年1月25日
× 前田日明 6:21 逆片エビ固め リングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT 3rd Round
【3回戦】
1994年11月19日
ビターゼ・タリエル 4:19 KO リングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT 2nd Round
【2回戦】
1994年10月22日
ディミータ・ペトコフ 5:14 KO リングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT 1st Round
【1回戦】
1994年9月21日
トーマス・ルーロス 2:05 KO リングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 RINGS IN YOKOHAMA 1994年8月20日

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i Ludvig Borga Profile”. Online World of Wrestling. 2008年1月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j Cagematch profile”. 2011年1月18日閲覧。
  3. ^ a b c d e Ludvig Borga Bio”. Accelerator 3359. 2008年1月12日閲覧。
  4. ^ Brock Lesnar Leaving the UFC Would Be a Brutal Hit to MMA”. Bleacher Report. 2010年12月29日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P25(2002年、日本スポーツ出版社
  6. ^ The UWF matches fought by Tony Halme in 1990”. Wrestlingdata.com. 2016年6月13日閲覧。
  7. ^ Event Datenbank: NJPW”. Cagematch.net. 2016年6月13日閲覧。
  8. ^ a b IWGP Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月19日閲覧。
  9. ^ The WWE matches fought by Tony Halme in 1993”. Wrestlingdata.com. 2016年6月13日閲覧。
  10. ^ WWF Summer Slam 1993”. pWw-Everything Wrestling. 2011年1月19日閲覧。
  11. ^ WWF Survivor Series 1993”. pWw-Everything Wrestling. 2011年1月19日閲覧。
  12. ^ WWE Yearly Results 1993”. The History of WWE. 2011年1月19日閲覧。
  13. ^ WWE Yearly Results 1994”. The History of WWE. 2011年1月19日閲覧。
  14. ^ a b CWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月19日閲覧。
  15. ^ HS Home 30.1.2004 - Four-month suspended sentence for MP Tony Halme
  16. ^ Jim Ross says Ludvig Borga was a selfish bully”. The Sun (2010年1月25日). 2011年1月19日閲覧。
  17. ^ a b トニー・ホーム自殺 橋本真也にガチKO勝利、クートゥア戦も”. Fight!Miruhon.net (2010年1月12日). 2011年1月18日閲覧。
  18. ^ Helsingin Sanomat: Tony Halme kuolleena kaksi päivää ennen löytymistään Archived 2014年4月26日, at the Wayback Machine.

外部リンク

[編集]