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ディナール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  ディナール使用国
  かつてディナールを使用していた国
左下の枠で囲まれた地図は旧ユーゴスラビア諸国。

ディナールdinar, دينار)は、アラブ地域などの多くの国で使われている通貨である。アラビア語では「ディーナール」と発音される。これは以下の各国で使われているが、それぞれ独自で発行されているため価値はそれぞれ異なる。ディナールの名称は、ローマ帝国の銀貨デナリウスに由来する。ヨーロッパでも一部の国で使用されており、北マケドニアの通貨単位は正確にはデナール(denar)だが、単語の由来はディナールと同じである。

各国のディナール

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現行

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通貨 ISO
アルジェリアの旗 アルジェリア アルジェリア・ディナール DZD
イラクの旗 イラク イラク・ディナール IQD
クウェートの旗 クウェート クウェート・ディナール KWD
セルビアの旗 セルビア セルビア・ディナール RSD
チュニジアの旗 チュニジア チュニジア・ディナール TND
バーレーンの旗 バーレーン バーレーン・ディナール BHD
北マケドニア共和国の旗 北マケドニア マケドニア・デナール MKD
ヨルダンの旗 ヨルダン ヨルダン・ディナール JOD
リビアの旗 リビア リビア・ディナール LYD

廃止

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通貨 廃止年 新通貨
アブダビの旗 アブダビ首長国 バーレーン・ディナール 1973年 UAEディルハム
南イエメンの旗 南イエメン 南イエメン・ディナール 1990年 イエメン・リヤル
スルプスカ スルプスカ・ディナール 1993年 ユーゴスラビア・ディナール
クロアチアの旗 クロアチア クロアチア・ディナール 1994年 クーナ
クライナ クライナ・ディナール 1995年 クーナ
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ ボスニア・ヘルツェゴビナ・ディナール 1998年 兌換マルク
スーダンの旗 スーダン スーダン・ディナール 2007年 スーダン・ポンド
ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア ユーゴスラビア・ディナール 2003年 各国の独自通貨

また、2014年11月にはISILが当時の支配領域でディナールという金貨の使用を開始し、ラッカなど一部地域で使われていた[1]

補助通貨

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  • イランの旗 イラン - 1 イラン・リヤル = 100 ディナール。ただし、リヤルの価値低下のため、実際にはディナールは流通していない。

構想

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歴史

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693年、ウマイヤ朝カリフであるアブドゥルマリクダマスカスでイスラーム帝国初の金貨であるディナール金貨英語版を打刻させた。これがディナールの起源である。イスラーム世界の硬貨はこの時以来近代になって初めて鋳造硬貨が製造されるまで打刻硬貨だった。当初はディンナールと呼ばれ、主に旧東ローマ帝国領で流通した(それまでは、東ローマ帝国が鋳造したノミスマ金貨が流通していた)。8世紀半ばに成立したアッバース朝の時代になるとディルハム銀貨による経済であった旧サーサーン朝ペルシア領でもディナールが流通するようになり、9世紀には金銀二本位制へと移行した。の産出地としては、サハラ砂漠の南のガーナ王国や、エジプトの南のヌビア(現在のスーダン)などが挙げられる。ガーナ王国の金を、ムスリム商人が岩塩と交換するサハラ交易が行われていた。またディナールとディルハムの法定換算比率は1ディナール=20ディルハムであったが時代や地域とともに変化していきアッバース朝5代のハールーン・アッ=ラシード時代には1ディナール:22ディルハム、時代により1ディナール=30ディルハムの比率も発生した。

アシュラフィー金貨

エジプトのトゥールーン朝でのディナール金貨の純度の高さは有名である。しかし10世紀の中頃から金の供給が減少すると12 - 13世紀にはシリア以東ではディナール金貨は打刻されなくなり予算や大きな金額はディルハム銀貨で計算されるようになった。ただ西スーダンの金が供給されていたファーティマ朝ムラービト朝アイユーブ朝マムルーク朝では依然15世紀初頭まで高品質のディナール金貨を打刻し地中海交易の中心的役割を担ったが次第にイタリア諸都市の金貨(デュカティフィオリーニなど)に押されディナール金貨は減少した。1425年にはマムルーク朝スルタン・アシュラフ・バルスバーイが新ディナール(アシュラフィー)を打刻した。

脚注

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  1. ^ 週刊新潮2015年2月5日号 特集記事「「イスラム国」大全」