コンテンツにスキップ

クライナ・ディナール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クライナ・ディナール

ディナールセルビア語キリル・アルファベット: динар)は、1992年から1994年までのクライナ・セルビア人共和国通貨。複数形はディナーラ(динара)。

歴史[編集]

1991年6月25日にクロアチアユーゴスラビアからの独立を宣言したが、クロアチア領内に居住していたセルビア人はこれに反発し、大規模な反乱を起こしてクライナ・セルビア人共和国を樹立させ、独自の通貨であるクライナ・ディナールを発行した。最初は1992年7月にデノミが行われた新しいユーゴスラビア・ディナールと並行して導入されたが、導入から間も無くユーゴスラビアと同じくハイパーインフレーションに陥った。1993年10月1日に100万対1、3ヶ月後の1994年1月1日に10億対1のデノミネーションを行ったが、結局同年1月24日のノヴィ・ディナールへの置き換えまでハイパーインフレーションが改善することはなかった。

3種類のディナールのいずれについても硬貨は発行されなかった。

1995年8月上旬、クロアチア嵐作戦によってクライナ・セルビア人共和国は領土の大部分を失い、同地域の通貨はクロアチアのクーナに取って代わられた。

紙幣[編集]

1991年に1万、2万、および5万ディナールの額面の片面印刷の戦時債権証書が作成されたが、発行されなかった。これらは紙幣に似ているが、厳密には紙幣ではなかった[1]

1992年に、通常の紙幣として10、50、100、500、1000、5000ディナールが発行された。1992年の後半に、Narodna Banka Republike Srpske Krajine (スルプツカ・クライナ共和国国立銀行)によって1万ディナールと5万ディナールの紙幣が発行された。これらの紙幣はユーゴスラビア・ディナール用に製紙された用紙が流用されており、ユーゴスラビアクロアチア紛争への直接的な関与がここから窺い知れる。インフレーションに伴い1993年には10万、100万、500万、1000万、2000万、5000万、1億、5億、10億、50億、100億ディナールの紙幣が続いた。一連の紙幣はスルプスカ共和国・ディナール英語版と共通しており、額面と彩紋、クライナ・セルビア人共和国の国章が書かれている。

1993年10月1日のデノミ後に発行された紙幣は様式が刷新され、表面にクニンクニン要塞英語版が、裏面にクライナ・セルビア人共和国の国章と額面、彩紋が書かれている[2]。ハイパーインフレーションの結果、短期間で5000、5万、10万、50万、500万、1億、5億、50億、100億、500億の額面で紙幣が発行された。1994年1月1日のデノミでは、デノミ前と全く同じ様式の紙幣が1000、1万、50万、100万、1,000万ディナールの額面で発行されたが、インフレーションは収まらず僅か3週間足らずで無価値になった。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Linzmayer, Owen (2012). “Serbian Krajina”. The Banknote Book. San Francisco, CA: www.BanknoteNews.com. https://banknotenews.com/?p=11726 2021年3月29日閲覧。 
  2. ^ この紙幣の彩紋は1979年に設計・印刷されるも発行されなかったヨシップ・ブロズ・チトーの肖像が描かれたユーゴスラビア・ディナール紙幣及び1989年に発行された50万、200万ユーゴスラビア・ディナール紙幣より流用されている。

参考文献[編集]

  • Pick, Albert (1994). Standard Catalog of World Paper Money: General Issues. Colin R. Bruce II and Neil Shafer (editors) (7th ed.). Krause Publications. ISBN 0-87341-207-9 

外部リンク[編集]