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チャールズ・"ハングリー"・ウィリアムズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チャールズ・"ハングリー"・ウィリアムズ
Charles "Hungry" Williams
出生名 Charles Williams
生誕 1935年2月12日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (1986-05-10) 1986年5月10日(51歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル R&B
職業 ドラマー歌手
担当楽器 ドラムス
活動期間 1950年代前半 - 1985年
レーベル チェッカー・レコード
共同作業者 ポール・ゲイテンヒューイ・"ピアノ"・スミスファッツ・ドミノプロフェッサー・ロングヘア

チャールズ・"ハングリー"・ウィリアムズ (Charles "Hungry" Williams, 1935年2月12日1986年5月10日)は米国ドラマー。1950年代から60年代にかけてニューオーリンズのR&Bシーンで活躍した。ときにはヴォーカルを取ることもあり、自己名義のシングルもリリースしている。

来歴

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1935年2月12日、ニューオーリンズに生まれる。ドラマーとしてはファッツ・ドミノのバンドのコーネリアス・コールマンをアイドルとあがめていた[1]。よりファンキーなサウンドを追求し、バス・ドラムを連打するダブル・クラッチンという奏法を編み出した[2]

1950年代初頭にポール・ゲイテンのバンドに加入。1953年にはコズィモ・マタッサのJ&Mスタジオでセッション・ドラマーとしてプレイするようになった[2]。1954年頃、ニューオーリンズのナイトクラブ、クラブ・ティアフアナのハウス・バンドに加入。このバンドにはヒューイ・"ピアノ"・スミスや後に「Barefootin’」のヒットを生むサクソフォン奏者のロバート・パーカー、盲目のギタリストのビリー・テイトもいた[1]

ニューオーリンズの人気ドラマーであったアール・パーマーロサンゼルスに拠点を移すと、引っ張りだこのセッション・ドラマーとして活躍するようになった。ヒューイ・"ピアノ"・スミス・アンド・ザ・クラウンズの1枚目のシングル、「Rocking Pneumonia And The Boogie Woogie Flu」などスミスのレコードの数々でプレイした他、ボビー・ミッチェル(「I’m Gonna Be A Wheel Someday」)、アート・ネヴィル(「Zing Zing」)、ジミー・クラントン(「Just A Dream」)などの楽曲にそのプレイを刻んでいる[2]。尚、彼に「ハングリー」というニックネームを付けたのはスミスで、ウィリアムズが食事の際にいつも2皿ずつ頼む大食いだったからだという[3]

ソロ・アーティストとしては1956年、ポール・ゲイテン・オーケストラのサポートを得てチェッカーよりシングル「So Glad She's Mine」 / b/w「Mary, Don't You Weep, Mary Don't You Moan」をリリース。翌1957年にももう1枚シングルをリリースしている[4]

1960年代に入ると、ニューオーリンズではジョン・ブードローがトップ・ドラマーとして活躍するようになり、ブリティッシュ勢の台頭でニューオーリンズのR&Bシーン自体が勢いを失っていたこともあり、ウィリアムズの仕事は減っていった[2]

後年はパジェット病を患い、演奏活動の頻度は減っていた。最後のレコーディングと思われるのは1978年、アルバート・キングのニューオーリンズ録音盤『New Orleans Heat』への参加[2]、また最後のステージとなったのは1985年4月、ニューヨークのローンスター・カフェにおけるジャム・セッションのステージだ[3]

ウィリアムズは、1986年5月10日、ニューヨークにて死去。51歳だった。

ディスコグラフィ

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シングル

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曲名 レーベル
1956年 So Glad She's Mine

b/w 「Mary, Don't You Weep, Mary Don't You Moan
with Paul Gayten Orchestra

Checker 831
1957年 Darling

b/w 「So Worried

Checker 866

編集盤

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※ウィリアムズの3曲(うち未発表2曲)が収録されたコンピレーションLP
Rhythmatic Rhythm」、「I Cried All The Way Home」(未発表)
What Can I Do」は「So Worried」と同一曲

  • 1995年 『Chess New Orleans』(Chess CHD2-9355)

※ウィリアムズの2曲が収録されたコンピレーション
So Glad She's Mine」、「What Can I Do?」
[6]

  • 2012年 『The Cosimo Matassa Story Volume 2 - Gumbo Ya Ya』(Proper)

※「Darling」と「So Worried」の2曲を収録。[7]

参加作品

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以下は、ウィリアムズがレコーディングに参加した作品の一部である:

シングル

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アルバム

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[2][8][9]

脚注

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  1. ^ a b Huey "Piano" Smith and the Rocking Pneumonia Blues, Author: John Wirt, LSU Press
  2. ^ a b c d e f This Is My Story: CHARLES "HUNGRY" WILLIAMS
  3. ^ a b Wavelength: Drummer Hungry Williams dies in N.Y.C.
  4. ^ 45cat Charles Williams [Checker - Discography]
  5. ^ Various – New Orleans R&B
  6. ^ Various – Chess New Orleans
  7. ^ Various – The Cosimo Matassa Story Volume 2 - Gumbo Ya Ya
  8. ^ Charles Williams: Credits: Instruments & Performace (Discogs)
  9. ^ The Blues Discography 1943-1970 The Classic Years, Les Fancourt & Bob McGrath (Eyeball Productions)

外部リンク

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