チェルケス人
伝統衣装を纏い国旗を掲げるチェルケス人の子供達 | |
(約400 - 800万人) | |
居住地域 | |
---|---|
トルコ | 推定100万人[1]
〜200万人[2][3] 〜300万人[4][5] 〜500万人[2][6] 〜700万人[7] |
ロシア | 720,000(2010年国勢調査)[8] |
ヨルダン | 6万5000人[10] 〜18万人 |
シリア | 8万人[10][11][12] 〜12万人[13] |
ドイツ | 4万人[10][14] |
イラク | 3万4000人 |
アメリカ | 9000人[10] - 2万5000人 |
サウジアラビア | 2万3000人 |
エジプト | 1万2000人 |
イスラエル | 4000人[15][16]〜5000人[17] |
セルビア | 2800人 |
イラン | ?人 |
ウズベキスタン | 1600人 |
ウクライナ | 1100人 |
ブルガリア | 600人(1994年統計)[18] |
オランダ | 500人[19] |
言語 | |
チェルケス語
| |
宗教 | |
大部分がムスリムである。 少数派として、 が信仰される。 | |
関連する民族 | |
アブハズ人・アバザ人 |
チェルケス人(チェルケスじん、アディゲ語およびカバルド語: Адыгэхэр, ラテン文字転写: Adygekher)は、歴史的チェルケス地方(チェルケシア)を故地とする、北西コーカサス語族のチェルケス語を母語とする民族である[20]。
概要
[編集]19世紀にロシア帝国の侵略(コーカサス戦争)によって、多くのチェルケス人が故郷を失った。特に1864年のロシア・チェルケス戦争の後の流出が激しかった。最狭義には、「チェルケス人」はアディゲ人(チェルケス語:Адыгэ, Adyge)の12の氏族を表す。
国旗の12の星はこの氏族を表す。しかし、ソ連は同じ民族を4つの行政区画に分断した上で、
- アディゲ共和国のアディゲ人→アディゲ人
- カラチャイ・チェルケス共和国のアディゲ人→チェルケス人
- カバルダ・バルカル共和国のアディゲ人→カバルド人
- クラスノダール地方のアディゲ人→シャプスグ人
と一方的に民族名を押し付けた。
チェルケス人のほとんどがイスラム教スンニ派である[22]。チェルケス人は北西コーカサス語族に属するチェルケス語を話し、方言は主に3つに分かれる[23] 。約80万人のチェルケス人が歴史的チェルケス地方(現在のアディゲ共和国・カラチャイ・チェルケス共和国・カバルダ・バルカル共和国・クラスノダール地方の南半分・スタヴロポリ地方南西部)に暮らす。2010年の国勢調査では、本来のチェルケス人は71万8727人だった。内訳は、カバルド人が51万6826人、アディゲ人が12万4835人、狭義のチェルケス人が7万3184人、シャプスグ人が3882人だった[8]。
代表なき国家民族機構は、1990年代初頭時点で、世界50ヶ国に370万人の「民族的チェルケス人」が離散していると推定した[24]。 これは、チェルケス人は7人中6人が故郷を離れた事を意味する[24]。トルコに200万人、レバントおよびメソポタミアに30万人、西欧及びアメリカに5万人が暮らす。
名称
[編集]チェルケス人は自らを「アディゲ人」と呼ぶ。これは「海岸近くの山岳民」を表す[25][26]。
歴史
[編集]起源
[編集]遺伝的には、アディゲ人は近隣のコーカサス人と部分的に同じ祖先を持つ[27]。アディゲ語・カバルド語・ウビフ語を含むチェルケス語は、古代北西コーカサス語族の一員である。
中世
[編集]3世紀から5世紀にかけて、ギリシャや東ローマ帝国の影響を受けて、キリスト教がコーカサスに広まった[29][30]。チェルケス人はキリスト教を国教として受け入れたが、彼ら固有の宗教も放棄しなかった。
400年頃から、異民族に何度も侵略されるようになる。最初に中央アジアのステップ出身のブルガール人が侵入した。
632年、ブルガール人はファナゴリアに首都を置き、現在のウクライナ南部に大ブルガリアを建国した。
668年、ハザールの圧力を受け大ブルガリアが滅亡し、ハザール・ハン国が建国された。
1000年頃、ハザール・ハン国の滅亡に伴って、アディゲ人はアラニア王国を建国した。
15世紀後半、クリミア・タタール人とオスマン帝国の影響を受けて、チェルケス人の一部がイスラム教を受け入れ始める。彼らはマムルークとなり、カイロのマムルーク朝(1250年〜1517年)に仕え、スルタンまで上り詰めた者もいた。エジプトでは1950年にナセルが大統領になるまで、アディゲ人がエリート層を成していた。
17世紀にはチェルケス人の多くがイスラム教に改宗した[31]。 ペルシアのサファヴィー朝やガージャール朝に多くのチェルケス人が移住し、ハレムの特権を得て「グラム」と呼ばれる上流兵士となったり、様々な仕事に従事した。アッバース2世やスレイマン1世を始め、サファヴィー朝の貴族やエリートの多くがチェルケス人の子孫だった。イランへの移住は20世紀まで続き、多くが現地社会に溶け込んだ一方で、テヘランやタブリーズ、ギーラーン州、マーザンダラーン州ではチェルケス人社会が未だに存在する[32][33][34][35]。1800年〜1909年の間に、オスマン帝国にチェルケス人を中心とする約20万人の奴隷が輸出されたと見積もられている[36]。チェルケス美人は側室として需要があった[37]。
ロシアのチェルケス侵略
[編集]18世紀後半〜19世紀中盤にかけて、アディゲ人はロシア帝国に対し何度も防衛戦争を行ったが、結局独立を失った。西欧ではアディゲ人への同情が高まったが、具体的な援助を受けられなかった。
ロシア・ペルシャ戦争 (1804年-1813年)とロシア・ペルシャ戦争 (1826年-1828年)の結果、ガージャール朝は現在のジョージア・アルメニア・ダゲスタン・アゼルバイジャンをロシア帝国に割譲し[39]、ロシアは南コーカサスの大半を支配下に収めた。
1856年に終結したクリミア戦争後は、ロシアは更にコーカサスに圧力を加えた。
1859年、ロシア帝国はシャミールを北コーカサス東部で倒してのち、関心と戦力を北コーカサス西部のチェルケシアに向けた。
1864年6月2日、アディゲ軍の敗北を受けて、アディゲ人指導者はロシアに降伏した。
2011年5月20日にジョージア議会は、19世紀のロシア帝国のチェルケス人虐殺を非難する決議を95対0で可決した[40]。
ロシア支配下の他の少数民族と同様に、国境地帯に住むアディゲ人は強制移住させられた。ロシア南方の広い範囲を支配するオスマン帝国は、アディゲ人兵士を勇敢で経験豊富と考えており、国境地帯に住まわせ防衛力を高めた。
-
チェルケス抵抗運動の指導者、カズベチュ・トゥグジョコ
-
「村(アウル)を去る山岳民」(ピョートル・グルジンスキー、1872年
祖国喪失後のチェルケス人
[編集]- トルコ:世界最大のアディゲ人社会を有する。特に、黒海沿岸のサムスン、首都アンカラ近郊、中央内陸部のカイセリ、最大都市イスタンブール近郊に集中している。多くのアディゲ人がオスマン軍で戦い、1919年に始まったトルコ革命にも参加した。
- シリア:ほとんどがゴラン高原に移住した。1967年の第三次中東戦争以前は、約3万人のアディゲ人が主要民族となっていた。中心都市はクネイトラだった。現在は国内に5万人から10万人が暮らすと推定される[41]。
- 旧イギリス委任統治領パレスチナ(イスラエル):最初にクファル・カマ、レハニヤ、ハデラの3都市に移住した。その後マラリアの流行によって、ハデラのアディゲ人社会は消滅した。イスラエル国防軍に務めるアディゲ人は、イスラム教スンニ派であっても愛国者と見做される[42][43][44]。
- ヨルダン:アディゲ人はヨルダンの人口の1–2%を占め、歴史上重要な役割を果たした[45][46]。初代首相のサーイド・アル・ムフティはアディゲ人である。各内閣に1人以上アディゲ人が含まれるのが一般的であり、王宮のハーシム家近衛兵もアディゲ人である。2010年には王立エディンバラ軍楽隊祭にヨルダン代表で参加した[47][48]。スウェイレフと首都アンマンに大きなアディゲ人社会がある。
- イラク:チェルケシアから直接移住した第一波と、バルカン半島から再移住した第二波に分かれる。ほとんどが首都バグダッドに暮らし、世帯数は約3万と記録がある。キルクークやディヤーラー県、ファルージャにも少人数が暮らす。複数の首相がチェルケス人を祖先に持つ。
ソチ五輪論争
[編集]2014年にソチ五輪が開催されたソチは、かつてチェルケス人の首都だった[49]。 この地域には1860年 - 1864年のロシア帝国の侵略により虐殺されたチェルケス人の集団墓地がある[50]。
写真
[編集]-
伝統衣装を纏うアディゲ人の子供達
-
オスマン帝国のチェルケス人貴族女性
-
カバルド地方のアディゲ人
-
18世紀のアディゲ人男性
-
伝統衣装を纏うチェルケス人少女
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ Dalby, Andrew (2015). Dictionary of Languages: The definitive reference to more than 400 languages. Bloomsbury Publishing. p. 136. ISBN 978-1408102145
- ^ a b Richmond, Walter (2013). The Circassian Genocide. Rutgers University Press. p. 130. ISBN 978-0813560694
- ^ Danver, Steven L. (2015). Native Peoples of the World: An Encyclopedia of Groups, Cultures and Contemporary Issues. Routledge. p. 528. ISBN 978-1317464006
- ^ Natho, Kadir I. (2009). Circassian History. Wayne, New Jersey: Xlibris Corporation. p. 505. ISBN 978-1-4415-2389-1
- ^ Zhemukhov, Sufian (2008). “Circassian World Responses to the New Challenges”. PONARS Eurasia Policy Memo No. 54: 2 8 May 2016閲覧。.
- ^ Alankuş, Sevda (1999). Taymaz, Erol. ed. Kültürel-Etnik Kimlikler ve Çerkesler. Ankara, Turkey: Kafder Yayınları
- ^ Alankuş, Sevda; Taymaz, Erol (2009). "The Formation of a Circassian Diaspora in Turkey". Adyghe (Cherkess) in the 19th Century: Problems of War and Peace. Adygea, Russia: Maikop State Technology University. p. 2. 2016年5月4日閲覧。
Today, the largest communities of Circassians, about 5–7 million, live in Turkey, and about 200,000 Circassians live in the Middle Eastern countries (Jordan, Syria, Egypt, and Israel). The 1960s and 1970s witnessed a new wave of migration from diaspora countries to Europe and the United States. It is estimated that there are now more than 100,000 Circassian living in the European Union countries. The community in Kosovo expatriated to Adygea after the war in 1998.
- ^ a b Russian Census 2010: Population by ethnicity
- ^ a b c d e f g Russian Federation Federal State Statistics Service (FSSS) (2010). "Всероссийская перепись 2010, Материалы. Табл. 7. Национальный состав населения по субъектам Российской Федерации" [All-Russian Census 2010, Materials. Table 7. National Composition of the Populations on the Subjects of the Russian Federation] (Press release) (Russian). Moscow.
{{cite press release2}}
:|access-date=
を指定する場合、|url=
も指定してください。 (説明) - ^ a b c d Zhemukhov, Sufian (2008). “Circassian World Responses to the New Challenges”. PONARS Eurasia Policy Memo No. 54: 2 8 May 2016閲覧。.
- ^ “Syrian Circassians returning to Russia’s Caucasus region”. TRTWorld and agencies. TRTWorld. (2015年) 8 May 2016閲覧. "Currently, approximately 80,000 ethnic Circassians live in Syria after their ancestors were forced out of the northern Caucasus by Russians between 1863 and 1867."
- ^ “The Russian Presidential Council for Civil Society and Human Rights calls for the hosting of Syrian refugees in Russia.”. Sputniknews. (2015年) 8 May 2016閲覧。
- ^ “single | The Jamestown Foundation”. Jamestown.org (7 May 2013). 20 August 2013閲覧。
- ^ Lopes, Tiago André Ferreira. “The Offspring of the Arab Spring”. Strategic Outlook. Observatory for Human Security (OSH). 16 June 2013閲覧。
- ^ Besleney, Zeynel Abidin (2014). The Circassian Diaspora in Turkey: A Political History. Routledge. p. 96. ISBN 978-1317910046
- ^ Torstrick, Rebecca L. (2004). Culture and Customs of Israel. Greenwood Publishing Group. p. 46. ISBN 978-0313320910
- ^ Louër, Laurence (2007). To be an Arab in Israel. Columbia University Press. p. 20. ISBN 978-0231140683
- ^ Prepared by Antoniy Galabov National Report Bulgaria p. 20. Council of Europe.
- ^ Zhemukhov, Sufian, Circassian World: Responses to the New Challenges, オリジナルの2009年10月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ One Europe, Many Nations: A Historical Dictionary of European National Groups, Questia Online Library, (25 August 2010), p. 12
- ^ Gammer, Mos%u030Ce (2004), The Caspian Region: a Re-emerging Region, London: Routledge, p. 67
- ^ “Главная страница проекта "Арена" : Некоммерческая Исследовательская Служба СРЕДА”. Sreda.org. 20 August 2013閲覧。
- ^ “International Circassian Association”. 26 April 2014閲覧。
- ^ a b Unrepresented Nations and Peoples Organization (1998). Mullen, Christopher A.; Ryan, J. Atticus. eds. Yearbook 1997. The Hague: Kluwer Law International. pp. 67–69. ISBN 90-411-1022-4
- ^ Spencer, Edmund, Travels in the Western Caucasus, including a Tour through Imeritia, Mingrelia, Turkey, Moldavia, Galicia, Silesia, and Moravia in 1836. London, H. Colburn, 1838. p. 6.
- ^ Loewe, Louis. A Dictionary of the Circassian Language: in Two Parts: English-Circassian-Turkish, and Circassian-English-Turkish. London, Bell, 1854. p. 5.
- ^ Li, Jun; Absher, Devin M.; Tang, Hua; Southwick, Audrey M.; Casto, Amanda M.; Ramachandran, Sohini; Cann, Howard M.; Barsh, Gregory S. et al. (2008), “Worldwide Human Relationships Inferred from Genome-Wide Patterns of Variation”, Science 319 (5866): 1100–1104, Bibcode: 2008Sci...319.1100L, doi:10.1126/science.1153717, PMID 18292342.
- ^ “המרכז למורשת הצ'רקסית בכפר קמא”. www.circassianmuseum.co.il. 2013年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月24日閲覧。
- ^ The Penny Magazine. London, Charles Knight, 1838. p. 138.
- ^ Minahan, James. One Europe, Many Nations: a Historical Dictionary of European National Groups. Westport, USA, Greenwood, 2000. p. 354.
- ^ "Rekhaniya". Jewish Virtual Library.
- ^ “ČARKAS”. 2014年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月22日閲覧。
- ^ Encyclopedia of the Peoples of Africa and the Middle East Facts On File, Incorporated ISBN 978-1438126760 p. 141
- ^ “Circassian”. Encyclopedia Britannica. 22 February 2015閲覧。
- ^ http://www.fofweb.com/History/MainPrintPage.asp?iPin=EEPI0143&DataType=WorldHistory&WinType=Free
- ^ W. G. Clarence-Smith (2006). "Islam And The Abolition Of Slavery". Oxford University Press. pp. 13–16. ISBN 0-19-522151-6
- ^ "The Circassian Slave; or, The Sultan's Favorite". The Project Gutenberg EBook.
- ^ Richmond, Walter (2013). The Circassian Genocide. Rutgers University Press. back cover. ISBN 978-0-8135-6069-4
- ^ Timothy C. Dowling Russia at War: From the Mongol Conquest to Afghanistan, Chechnya, and Beyond pp. 728–729 ABC-CLIO, 2 December 2014 ISBN 1598849484
- ^ Barry, Ellen (20 May 2011). “Georgia Says Russia Committed Genocide in 19th Century”. New York Times
- ^ Peleschuk, Dan (2012年3月27日). “Long Lost Brethren”. Russiaprofile.org. 2012年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月20日閲覧。
- ^ “Circassians in Israel”. My Jewish Learning. 2016年10月24日閲覧。
- ^ “Caucasus Foundation”. www.kafkas.org.tr. 2008年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月24日閲覧。
- ^ “Israel's Ethnic Communities”. archive.constantcontact.com. 2016年10月24日閲覧。
- ^ “His Majesty King Abdullah II and the Circassian Elders Council 2011 (Translated)”. YouTube (5 August 2011). 20 August 2013閲覧。
- ^ “Jordan News Agency”. Petra. 20 August 2013閲覧。
- ^ “Jordan at the Tattoo | Edinburgh Military Tattoo”. www.edintattoo.co.uk (5 August 2010). 14 August 2012閲覧。
- ^ Echoes from Jordan アーカイブ 2010年7月27日 - ウェイバックマシン
- ^ "Circassians: Home thoughts from abroad: Circassians mourn the past—and organise for the future", The Economist, dated 26 May 2012.
- ^ Ishaan Tharoor (6 February 2014). “Russia's Sochi Olympics Stirs Circassian Nationalism”. TIME.com 22 February 2015閲覧。
- ^ “Хабзэ. Т-дамыгъэ / Т-символ”. Habze.info. 20 August 2013閲覧。
参考資料
[編集]- Jaimoukha, Amjad, The Circassians: A Handbook; New York, Palgrave, 2001; London, Routledge Curzon, 2001. ISBN 978-0-312-23994-7.
- Jaimoukha, Amjad, Circassian Culture and Folklore: Hospitality Traditions, Cuisine, Festivals & Music (Kabardian, Cherkess, Adigean, Shapsugh & Diaspora), Bennett and Bloom, 2010.
- Bell, James Stanislaus, Journal of a residence in Circassia during the years 1837, 1838, and 1839 .
- Richmond, Walter. The Circassian Genocide, Rutgers University Press, 2013. ISBN 978-0-8135-6069-4
外部リンク
[編集]- International Circassian Association.
- Britannica – "Circassian".
- Famous Circassians.
- Map of the diaspora.
- Justice for North Caucasus.
- The Cherkess Fund Organization.
- Circassian Education Foundation, USA.
- EuroXase (Federation of European Circassians), EU.
- NART TV (National Adyghe Radio & Television), Jordan.
- KAFSAM (Kafkasya Stratejik Araştırmalar Merkezi), Turkey.