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ジョージ・ヘイ (第16代エロル伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第16代エロル伯爵(左)とハッドー卿ジョージ・ゴードン、1781年。

第16代エロル伯爵ジョージ・ヘイ英語: George Hay, 16th Earl of Erroll1767年5月13日1798年6月14日)は、スコットランド貴族。1796年から1798年までスコットランド貴族代表議員を務めた[1]

生涯

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第15代エロル伯爵ジェイムズ・ヘイと2人目の妻イザベラ(Isabella、旧姓カー(Carr)、1742年3月31日 – 1808年11月3日、ウィリアム・カーの娘)の長男として、1767年5月13日にアバディーンシャースレインズ英語版で生まれた[1]ハーロー校で教育を受け、1778年7月3日に父が死去するとエロル伯爵位を継承した[1]

1780年7月27日に軽竜騎兵第7連隊英語版コルネット英語版(騎兵少尉)としての辞令を受けた後[1]、1783年6月21日に中尉に昇進[2]、1786年6月26日に竜騎兵第5連隊英語版の大尉に昇進した[3]。1792年に歩兵第58連隊英語版に転じた後[1]、1793年8月27日に歩兵第78連隊英語版の少佐に昇進[4]、1794年5月3日に近衛歩兵第1連隊captain lieutenant(大尉と中尉の間の軍階)に転じ[5]、1795年3月10日に1個中隊を率いる中佐に昇進した[6]

1796年イギリス総選挙でスコットランド貴族代表議員に当選した[1]。これに対し、第8代ローダーデイル伯爵ジェームズ・メイトランド英語版は選挙申し立てを行ったが、貴族院特権委員会は1797年5月19日に当選を有効とする裁定を下した[1]。エロル伯爵位の継承者には第11代エロル伯爵ギルバート・ヘイ(1674年没)が爵位をいったん返上して再叙爵を受けることで、ジョン・ヘイ(のちの第12代エロル伯爵)を指名したという経緯があったが、ローダーデイル伯爵の主張によると、ステア伯爵位の判例(1748年)では指名権をスコットランド王国イングランド王国合同(1707年)の後に行使することが不可能であると裁定されており[7]、女系継承者のジョージ・ヘイにはエロル伯爵位の継承権がなかったという[1]。判決ではジョージ・ヘイによる爵位継承が疑いようもないとされた[7]

1798年6月14日にロンドンで死去、弟ウィリアムが爵位を継承した[1]

家族

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エロル伯爵夫人エリザベス・ジェマイマ、1790年ごろ。

1790年1月25日、エリザベス・ジェマイマ・ブレイク(Elizabeth Jemima Blake、1831年1月17日没、ジョセフ・ブレイクの娘、初代ウォールズコート男爵ジョセフ・ブレイクの姉妹)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j Paul, Sir James Balfour (1906). The Scots Peerage (英語). Vol. III. Edinburgh: David Douglas. pp. 581–583.
  2. ^ "No. 12450". The London Gazette (英語). 17 June 1783. p. 2.
  3. ^ "No. 12795". The London Gazette (英語). 14 October 1786. p. 491.
  4. ^ "No. 13562". The London Gazette (英語). 24 August 1793. p. 726.
  5. ^ "No. 13651". The London Gazette (英語). 3 May 1794. p. 402.
  6. ^ "No. 13758". The London Gazette (英語). 7 March 1795. p. 224.
  7. ^ a b Scrutator (3 July 1852). "The Earl of Erroll". Notes and Queries: A Medium of Inter-Communication for Literary Men, Artists, Antiquaries, Genealogists, Etc. (英語). London: George Bell. 6 (140): 13.

外部リンク

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スコットランドの爵位
先代
ジェイムズ・ヘイ
エロル伯爵
1778年 – 1798年
次代
ウィリアム・ヘイ