ウィリアム・ヘイ (第17代エロル伯爵)
第17代エロル伯爵ウィリアム・ヘイ(英語: William Hay, 17th Earl of Erroll、1772年3月21日 – 1819年1月26日)は、イギリスの政治家、スコットランド貴族。スコットランド貴族代表議員(在任:1806年 – 1807年、1818年 – 1819年)、スコットランド教会総会への勅使(在任:1817年 – 1818年)を歴任した[1]。
生涯
[編集]第15代エロル伯爵ジェイムズ・ヘイと2人目の妻イザベラ(Isabella、旧姓カー(Carr)、1742年3月31日 – 1808年11月3日、ウィリアム・カーの娘)の次男として、1772年3月21日に生まれた[1]。母方の祖父からイータルの地所を継承すると、1795年3月28日に国王の認可状を受けて姓を母方の旧姓である「カー」に改めた[1]。1798年6月14日に兄ジョージが死去すると、エロル伯爵位を継承した[1]。爵位継承とともに姓をヘイに戻したが、これによりイータルの継承権について大法官庁裁判所で争われることになった[1]。1806年7月16日に下された判決は第17代エロル伯爵に不利なもので[1]、イータルの地所は伯爵の姉シャーロット(1763年7月13日 – 1800年2月9日)が継承した[2]。
1802年10月21日、ノース・ブリテン民兵隊のアバディーンシャー連隊副隊長に任命された[3]。1805年2月5日にスコットランドのKnight Marischalに任命され[2]、1819年まで務めた[1]。1806年イギリス総選挙でスコットランド貴族代表議員に当選[4]、1807年まで務めた[1]。
1817年と1818年にスコットランド教会総会への勅使を務め[2]、1818年から1819年まで再びスコットランド貴族代表議員を務めた[1]。議員としてはホイッグ党に属した[1]。
1819年1月26日にハンプシャーのリンドハーストで死去、次男ウィリアム・ジョージが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1792年1月9日、ジェーン・ベル(Jane Bell、1770年ごろ – 1793年4月14日、マシュー・ベルの娘)と結婚[1]、1女をもうけた[2]。
- ダルシベラ(Dulcibella、1793年3月21日 – 1885年1月10日) - 1821年12月29日、チャールズ・ノース・ウッドハウス(Charles Nourse Wodehouse、1870年3月17日没、初代ウッドハウス男爵ジョン・ウッドハウスの甥)と結婚[2]
1796年8月3日、アリシア・エリオット(Alicia Eliott、1778年ごろ – 1812年4月24日、サミュエル・エリオットの娘)と再婚[1]、3男5女をもうけた[2]。
- ジェームズ・カー(1797年7月7日 – 1815年6月16日) - 陸軍軍人、カトル・ブラの戦いで戦死、生涯未婚[1]
- アリシア(Alicia、1798年12月12日 – 1799年1月21日[2])
- イザベラ(1800年2月24日 – 1868年7月28日) - 1820年4月14日、ウィリアム・ウィームズ(William Wemyss、1852年11月30日没、ウィリアム・ウィームズの息子)と結婚[2]
- ウィリアム・ジョージ(1801年2月21日 – 1891年12月3日) - 第18代エロル伯爵、初代キルマーノック男爵[1]
- ハリエット・ジェマイマ(Harriet Jemima、1803年1月9日 – 1837年2月8日) - 1822年12月12日、デイヴィッド・ガーニー(1880年6月14日没)と結婚[2]
- キャロライン・オーガスタ(1805年5月 – 1877年8月19日) - 1823年9月18日、ジョン・モラント(John Morant、1857年5月5日没)と結婚[2]
- サミュエル(1807年1月19日 – 1847年11月25日) - 1832年4月2日、ルイーザ・プレイデル=ブーヴェリー(Louisa Pleydell-Bouverie、1898年4月18日没、ダンコム・プレイデル=ブーヴェリーの娘)と結婚[2]
- エマ(1809年1月29日 – 1841年7月17日) - 1826年8月8日、ジェームズ・アースキン・ウィームズ(1854年4月3日没)と結婚[2]
1816年10月14日、ハリエット・サマーヴィル(Harriet Somerville、1786年5月23日 – 1863年1月28日、ヒュー・サマーヴィル閣下の娘)と再婚[1]、1男2女をもうけた[2]。
- サマーヴィル(1817年7月20日 – 1853年9月25日) - 1843年6月6日、アリシア・ダイアナ・アースキン(Alicia Diana Erskine、1891年10月31日没、第12代バカン伯爵ヘンリー・デイヴィッド・アースキンの娘)と結婚[2]
- ファニー(1818年8月18日 – 1853年8月28日) - 1848年8月2日、スティーブン・ラルフ・カートライト(Stephen Ralph Cartwright、1862年8月9日没)と結婚[2]
- マーガレット・ジュリア(1819年8月31日 – 1891年10月31日) - 1846年9月23日、フレデリック・アステル・ラッシントン(Frederick Astell Lushington、1892年9月18日没、第2代準男爵サー・ヘンリー・ラッシントンの息子)と結婚[2]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 100–102.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Paul, Sir James Balfour (1906). The Scots Peerage (英語). Vol. III. Edinburgh: David Douglas. pp. 582–585.
- ^ "No. 15533". The London Gazette (英語). 16 November 1802. p. 1206.
- ^ "No. 15981". The London Gazette (英語). 6 December 1806. p. 1588.
公職 | ||
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スコットランド教会総会への勅使 1817年 – 1818年 |
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スコットランドの爵位 | ||
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エロル伯爵 1798年 – 1819年 |
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