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ジョヴァンニ・ヴィオーラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョヴァンニ・ヴィオーラ
名前
ラテン文字 Giovanni Viola
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1926-06-20) 1926年6月20日
出身地 サン・ベニーニョ・カナヴェーゼ
没年月日 (2008-07-07) 2008年7月7日(82歳没)
身長 179cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1945-1958 イタリアの旗 ユヴェントス 244 (0)
1946-1947 イタリアの旗 カッラレーゼ (loan) 33 (0)
1947-1948 イタリアの旗 コモ (loan) 33 (0)
1948-1949 イタリアの旗 ルッケーゼ (loan) 33 (0)
1958-1959 イタリアの旗 ブレシア 27 (0)
代表歴
1954-1956 イタリアの旗 イタリア 11 (0)
監督歴
1965-1966 イタリアの旗 ピネローロ英語版
1968-1969 イタリアの旗 アオスタ英語版
1969-1970 イタリアの旗 バルレッタ
1970-1971 イタリアの旗 ヴィジェーヴァノ英語版
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョヴァンニ・ヴィオーラGiovanni Viola, 1926年6月20日 - 2008年7月7日)は、イタリアサン・ベニーニョ・カナヴェーゼ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。ポジションはゴールキーパー

経歴

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クラブ

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ルチーディオ・センティメンティ英語版の後継者として、レンタル移籍から帰還した1949年からユヴェントスの守護神を務め、1958年に退団するまで3度のスクデットを獲得した[1]。その後にセリエBブレシアに移籍し、そこで現役生活を終えた[2]

代表

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イタリア代表の一員として1954年のFIFAワールドカップスイス大会に参戦。グループステージの全2試合ではジョルジョ・ゲッツィがGKを務めたが、続く決勝トーナメント進出をかけたプレーオフのスイス代表戦では代わってヴィオーラがゴールマウスを守った[3]。この試合がイタリア代表としてのデビュー戦であったが、1-4の敗北を喫し大会を終えることとなった[2]

現役引退後

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2008年7月7日、82歳で死去した[1]

タイトル

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ユヴェントス

脚注

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  1. ^ a b CALCIO, JUVENTUS: MUORE A 82 ANNI L'EX PORTIERE GIOVANNI VIOLA” (イタリア語). La Repubblica (2008年7月7日). 2022年12月31日閲覧。
  2. ^ a b Gli eroi in bianconero: Giovanni VIOLA” (イタリア語). Tutto Juve (2016年6月20日). 2022年12月31日閲覧。
  3. ^ 1954 FIFA World Cup Switzerland™ Switzerland - Italy” (英語). FIFA. 2022年12月31日閲覧。

外部リンク

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