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ジョン・ハーシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
John Hersey
ジョン・ハーシー
1958年撮影
誕生 John Richard Hersey
1914年6月17日
中華民国の旗 中華民国 天津
死没 (1993-03-24) 1993年3月24日(78歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フロリダ州キーウェスト
職業 小説家ジャーナリスト
主題 小説、ノンフィクション
代表作ヒロシマ』(1946年)
主な受賞歴 ピューリッツァー賞 小説部門
(1945年、『アダノの鐘』)
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ジョン・リチャード・ハーシーJohn Richard Hersey1914年6月17日 - 1993年3月24日)は、アメリカ合衆国ジャーナリスト小説家原爆投下直後の広島での取材をまとめたルポ「ヒロシマ」で知られる。

来歴

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中国天津生まれ[1]。父親は宣教師で、両親は現地でYMCAの活動をしていた。10歳の時にアメリカに帰国、イェール大学ケンブリッジ大学に学ぶ。1936年に卒業後、シンクレア・ルイスの秘書兼「タイム」の海外特派員となる[2]第二次世界大戦中、特派員として欧州やアジア各地を転々とした。

妻のフランシス・アンは学生時代にジョン・F・ケネディと交際、婚約まで考えた関係であった。1944年6月17日付けの「ザ・ニューヨーカー」に、ジョン・F・ケネディ(当時アメリカ海軍大尉)の父ジョセフ・P・ケネディの依頼でジョンの英雄譚を執筆している。

1944年、イタリアでの経験を基にした小説「アダノの鐘」を発表、1945年にピューリッツァー賞 小説部門を受賞した。

1946年、原爆投下直後の広島での取材をまとめたルポ『ヒロシマ』を「ザ・ニューヨーカー」に発表、大きな反響を得る[3][4][5]。同年秋には書籍版も出版され、多くの言語に翻訳されるものの、日本語版に関しては原爆の影響に関する報道を厳しく禁止する占領軍ダグラス・マッカーサー元帥の意向で1949年まで発行されなかった[4]。一方、『ヒロシマ』は、アメリカでは学校の社会科の副読本として長きに渡り広く読み続けられ、また、20世紀アメリカジャーナリズムのTOP100の第1位に選出されている[6]

しかし、『ヒロシマ』が記事になる数日前から、密かにノースカロライナ州の田舎町ブローイング・ロック英語版に引きこもり、亡くなるまで『ヒロシマ』のインタビューを避け続けた[7]。その後、1950年にフィクションのナチスドイツとワルシャワ・ゲットーを扱った戦争小説『The Wall』を発表し、ベストセラーとなり[8][9]Jewish Book Council英語版(ユダヤ人書籍議会)[10]や、ジャーナリストを表彰するシドニー・ヒルマン財団英語版[11]から賞を贈られた。

原爆投下40周年を迎えた1985年、日本を再訪し、続編である『ヒロシマその後』を執筆。再び「ザ・ニューヨーカー」誌に掲載された[4]

1945年から現在まで、世界を原爆から守ってきたものは何だったのだろうか。それは、抑止力、つまりある種の兵器への恐怖心ではない。記憶なのだ。広島で起きたことの記憶なのである
—『ヒロシマその後』

1993年3月24日、78歳で死去[5]

主な著作

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  • 「バターンの人々」(Men on Bataan, 1942年)
  • 「渓谷へ」(Into the Valley, 1943年)
  • 「アダノの鐘」(A Bell for Adano, 1944年) - 1945年に映画化。
  • Hiroshima, 1946年
  • The Wall, 1950年
  • The Marmot Drive, 1953年
  • 「ただ一つの石」(A Single Pebble, 1956年)
  • 「戦争を愛する者」(The War Lover, 1959年) - 1963年『戦う翼』で映画化。
  • The Child Buyer, 1960年
  • Here to Stay, 1963年
  • White Lotus, 1965年
  • Too Far To Walk, 1966年
  • 『歩くには遠すぎる』、加島祥造訳(二見書房、1968年)
  • Under the Eye of the Storm, 1967年
  • The Algiers Motel Incident, 1968年
  • Letter to the Alumni, 1970年
  • The Conspiracy, 1972年
  • My Petition for More Space, 1974年
  • The Walnut Door, 1977年
  • Aspects of the Presidency, 1980年
  • The Call, 1985年
  • Blues, 1987年
  • Life Sketches, 1989年
  • Fling and Other Stories, 1990年
  • Antonietta, 1991年
  • Key West Tales, 1994年

伝記

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  • レスリー・ブルーム『ヒロシマを暴いた男』、高山祥子訳(集英社、2021年)

脚注

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  1. ^ John Hersey - books.google.com
  2. ^ Brennan, Elizabeth A.; Clarage, Elizabeth C. (1999). Who's Who of Pulitzer Prize Winners. Greenwood Publishing Group. p. [要ページ番号]. ISBN 1-57356-111-8. https://books.google.com/books?id=63nvmt4HqTEC&pg=PA494&lpg=PA494&dq=%22john+hersey%22+cambridge+university 
  3. ^ John Hersey, American Society of Authors and Writers”. 27 August 2016閲覧。
  4. ^ a b c Raphael, Caroline (22 August 2016). “How John Hersey's Hiroshima revealed the horror of the bomb”. Magazine (BBC News). https://www.bbc.com/news/magazine-37131894 27 August 2016閲覧。 
  5. ^ a b Obituary of John Hersey”. The New Yorker (April 5, 1993). 27 August 2016閲覧。
  6. ^ The Top 100 Works of Journalism of the Century” (英語). NYU Journalism. 2023年8月10日閲覧。
  7. ^ GHQの検閲を逃れ、“ヒロシマの真実”を世界に初めて伝えた米記者の「知られざる物語」”. クーリエ・ジャポン (2020年8月22日). 2023年8月10日閲覧。
  8. ^ New York Times Fiction Best Seller List of 1950など
  9. ^ The No. 1 New York Times Best Seller: intriguing facts about the 484 books that have been #1 New York Times bestsellers since the first list, 50 years ago, Berkeley: Ten Speed Press, 1992, pp. 43–47
  10. ^ Past Winners”. Jewish Book Council. January 19, 2020閲覧。
  11. ^ The Stanley Hillman Foundation Journalism Awards, hillmanfoundation.org”. January 29, 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月4日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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