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ジョゼ・オスカー・ベルナルディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オスカー
日産自動車時代のオスカー(後列右から2人目)
名前
本名 ジョゼ・オスカー・ベルナルディ
José Oscar Bernardi
愛称 カピタン(Capitão)
ラテン文字 OSCAR
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1954-06-20) 1954年6月20日(70歳)
出身地 モンテシオンポルトガル語版
身長 185cm
体重 85kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1972-1979 ブラジルの旗 AAポンチ・プレッタ 34 (13)
1979-1980 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク・コスモス 3 (0)
1980-1987 ブラジルの旗 サンパウロFC 294 (6)
1987-1989 日本の旗 日産自動車 42 (5)
通算 373 (24)
代表歴
1978-1986 ブラジルの旗 ブラジル 59 (2)
監督歴
1989-1991 日本の旗 日産自動車
1991 ブラジルの旗 サンパウロFC アシスタント
1992 ブラジルの旗 AAインテルナシオナル
1992 ブラジルの旗 グアラニFC
1993-1995 サウジアラビアの旗 アル・ヒラル
1995-1996 日本の旗 京都パープルサンガ
1997 サウジアラビアの旗 アル・ヒラル
1997 ブラジルの旗 クルゼイロEC
1998 サウジアラビアの旗 アル・シャバブ
1999-2000 サウジアラビアの旗 アル・イテハド
2001-2003 サウジアラビアの旗 アル・イテハド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョゼ・オスカー・ベルナルディ(José Oscar Bernardi、1954年6月20日 - )は、ブラジルミナスジェライス州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。元ブラジル代表オスカルオスカールと表記されることもある。

経歴

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ブラジル代表として1978年、1982年、1986年と3度のワールドカップに出場[1]し主将も務めた[2]。1978年大会では、2次リーグにおいて最終節で得失点差でアルゼンチンに逆転され、決勝進出を逃した[3]。1982年大会の1次リーグ、スコットランド戦ではヘディングでゴールを決めた[4]

クラブではブラジル国内でのプレーを経て、1978年から約1年間ニューヨーク・コスモスでプレー、リーグ制覇を果たした[5]。1980年にサンパウロFCに移籍、約8シーズンに渡りキャプテンとしてプレー[5]ウルグアイ代表ダリオ・ペレイラと鉄壁のDFラインを形成し、州の選手権では4度優勝、1986年にはブラジル全国選手権制覇に貢献した[5]

1987年、加茂周監督が自ら交渉にあたり[1]日産自動車サッカー部(現在の横浜F・マリノス)に移籍した。攻守に活躍しただけでなく、クラブにプロ意識を与え、日産のサッカーを大きく変えるなど、チームに計り知れない好影響を与えた[2]。1988-89シーズンには日本サッカーリーグ天皇杯JSLカップの三冠達成に貢献、リーグ年間最優秀選手に選ばれた[6]

1989年に現役引退し、加茂前監督から譲られる形で同クラブの監督に就任[7]。当時の日本国内では珍しかったフィジカルコーチの招聘や[8]、戦術面では3-5-2システムを採用するなど新しい試みを実践しながら翌年も三冠を達成した[6]1991-92シーズン、前半戦では低迷したため、これまでレギュラーであった木村和司水沼貴史をベンチに置くなどのテコ入れを図り[9]、最終的にリーグ戦では2位まで持ち直した。その後、ブラジル国内のクラブ等を渡り歩き、1995年に当時JFL所属でJリーグへの昇格を目指していた京都パープルサンガの監督に就任した。その年に京都をJリーグ昇格に導いたが、1996年の京都Jリーグ初年度は開幕からリーグ戦15連敗[10](カップ戦も含めると17連敗)を喫し、シーズン途中で解任された。

オスカーはJリーグ開始以前に世界トップクラスの現役選手が日本のクラブでプレーした初めてのケースであり、その先駆者である。帰国後は、ブラジル国内でサッカースクールを運営している。

その他

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雑誌『ストライカー』において、オスカーが解説するスーパースターの究極テクという連載をしていた。カレッカ[11]ロジェ・ミラなど[12]

加茂周はオスカーについて、「こんな素晴らしい人間性の人間が居ると思わなかった。温厚、紳士、最高の人間である。」と評価していた[7]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1987-88 日産 20 JSL1部 22 2 0 0
1988-89 20 3 5 1
通算 日本 JSL1部 42 5 5 1
総通算

代表歴

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試合数

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  • 国際Aマッチ 59試合 2得点(1978年-1986年)[13]


ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
1978 11 0
1979 1 0
1980 4 0
1981 13 0
1982 11 1
1983 0 0
1984 2 0
1985 11 0
1986 6 1
通算 59 2

監督成績

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年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯
1989-90 JSL1部 日産 優勝 22 47 14 5 3 優勝 優勝
1990-91 JSL1部 日産 2位 22 42 11 9 2 優勝 準優勝
1995 旧JFL 京都 2位 30 70 23 - 7 - 1回戦
1996 J 京都 - 15 0 0 - 15 - -

タイトル

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選手時代

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サンパウロFC
日産自動車サッカー部
個人

指導者時代

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日産自動車サッカー部
  • 日本サッカーリーグ1部:1回(1989-90
  • 天皇杯全日本サッカー選手権大会:2回(1989-90
  • JSLカップ:2回(19891990

脚注

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  1. ^ a b 衝撃だったセレソン主将・オスカーの日産入団 J前夜を歩く第21回”. soccermagazine. 2020年10月21日閲覧。
  2. ^ a b サッカーマガジン 1989年2月号 no.358号 p.143-147 ベースボールマガジン社
  3. ^ ジーコともプレーしたレジェンド。大物ブラジル代表が日産に加わるまでページ1”. sportiva. 2021年2月26日閲覧。
  4. ^ ワールドクラスの大物オスカーを迎えた日産”. library.footballjapan. 2020年10月21日閲覧。
  5. ^ a b c ジーコともプレーしたレジェンド。大物ブラジル代表が日産に加わるまでページ2”. sportiva. 2021\02-26閲覧。
  6. ^ a b 衝撃だったセレソン主将・オスカーの日産入団 J前夜を歩く第21回 ページ2”. soccermagazine. 2020年10月21日閲覧。
  7. ^ a b すべては加茂周からはじまった。「気合いがないと下はついてこない」”. まりびと (2019年11月28日). 2024年12月8日閲覧。
  8. ^ レナトとエバートン”. library.footballjapan. 2020年10月21日閲覧。
  9. ^  ストライカー 1991年7月号 付録 オスカーのインテリジェントサッカー全科 p.3-10
  10. ^ オスカー・ベルナルディ”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  11. ^ サッカーストライカー 1990年11月号 p.104-106 学研
  12. ^ サッカーストライカー 1990年12月号 p.104-106 学研
  13. ^ ジョゼ・オスカー・ベルナルディ - National-Football-Teams.com

関連項目

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外部リンク

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