ジャン=リュック・ゴダール
ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard, 1930年12月3日 - 2022年9月13日[1]) は、フランスの映画監督。編集技師・映画プロデューサー・映画批評家・撮影監督としても活動し、俳優として出演したこともある。
はじめ映画批評家として出発したが、『勝手にしやがれ』(1960年)ほかの作品でトリュフォーやシャブロルと並ぶヌーヴェルヴァーグの旗手とみなされるようになり、独創的なカメラワークや大胆な編集技法によって映像表現の世界に革命をもたらした[2]。注目度の高さから、20世紀の最も重要な映画作家の一人とも称される[3]。
生涯
[編集]- 1930年代 - 1950年代
1930年12月3日、フランス・パリ7区コニャック=ジェ通り (Rue Cognacq-Jay) 2番地に生まれる[4]。父方[注 1]は平和主義を信念に第一次世界大戦さなかの1916年にスイス・ジュネーヴ近郊に移住した。母方はジュネーヴ在住のフランス系プロテスタントの著名一族で、母方祖父はBNPパリバ創業者の一人である。少年期のジャンは1940年のパリ陥落時まではパリにいたが、同年にブルターニュの伯母方に移ってからフランスを横切りスイスに移動した。
スイスヴォー州・ニヨンのコレージュを出た後、バカロレアのためにパリに戻りパリ15区のリセ・ビュッフォン (fr) に入学した。しかし、勉学に身が入らずバカロレアに落第した。1948年にスイスのエコール・レマニア (fr) に移ったが2度目も落第、1949年に3度目でバカロレアに通りその年の秋からパリ大学に通った。その間、父の病気が原因で両親は離婚した。またこの年、モーリス・シェレール(エリック・ロメール)の主催する「シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン」に参加、ジャック・リヴェット、フランソワ・トリュフォー、ジャン・ドマルキらと出会う。1949年、ジャン・コクトー、アンドレ・バザン主催「呪われた映画祭」に参加。
1950年5月、モーリス・シェレール編集『ラ・ガゼット・デュ・シネマ』創刊(同年11月廃刊)、執筆参加(ハンス・リュカス名義)。またこの年、ジャック・リヴェットの習作短編第2作『ル・カドリーユ』に主演する。
1951年4月、アンドレ・バザン編集『カイエ・デュ・シネマ』創刊、のちに執筆に参加。また同年エリック・ロメールの習作短編第2作『紹介、またはシャルロットとステーキ』に主演する。
1954年、習作短編第1作『コンクリート作業』を脚本・監督。1958年までにトリュフォーとの共同監督作品『水の話』を含めた数本の短編を撮る。
- 1960年代
1960年3月、初の長編映画『勝手にしやがれ』が公開[5]。ジョルジュ・ド・ボールガール製作。ジャン・ヴィゴ賞、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した。同年3月末から5月末にかけて[注 2]スイスのジュネーヴで長編第2作『小さな兵隊』を撮影(公開は1963年)[7]。
1961年3月3日、『小さな兵隊』に主演女優として出演したアンナ・カリーナと結婚。同年7月、『女は女である』でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞。
1964年、アンナ・カリーナと独立プロダクション「アヌーシュカ・フィルム」( - 1972年)設立。設立第1作は『はなればなれに』。同年12月、カリーナと離婚[8][9]。
1965年7月、『アルファヴィル』でベルリン国際映画祭金熊賞受賞。同年11月、『気狂いピエロ』一般公開。
1966年4月28日、初来日する。ミシェル・ボワロン監督の『OSS117/東京の切札』の撮影のため滞日中のマリナ・ヴラディと会い、次回作の出演を依頼すること、『カイエ・デュ・シネマ』の依頼で羽仁進と今村昌平にインタビューすることが主な目的だった[10]。ゴダールは、日本では公開されていなかった『アルファヴィル』『気狂いピエロ』『男性・女性』の3作のフィルムを持参しており[11]、そのうち『男性・女性』が5月7日に東京国立近代美術館で特別に上映された。上映後、ゴダールは質疑に応じた[10][12]。日本を発つまでの11日間のゴダールの動きは以下のとおり[10]。
4月28日 | 18時40分羽田空港着。帝国ホテルに宿泊。 |
4月29日 | ドライブ。晴海ふ頭の立ち入り禁止区域に乗り入れる。 |
4月30日 | 羽仁進の『アンデスの花嫁』を鑑賞。 マリナ・ヴラディと会見。 |
5月1日 | 能を鑑賞。 |
5月2日 | アーサー・ペンの『逃亡地帯』を鑑賞。 蔵原惟繕と会い、公開を阻まれている『愛の渇き』の話を聞く。 『カイエ・デュ・シネマ』の依頼で羽仁進をインタビュー。 |
5月3日 | 公開前の『愛の渇き』を鑑賞。 浜美枝と会食。17時、新幹線で京都へ出発。 |
5月4日 | 依田義賢の案内で満願寺の溝口健二の墓参り。 東山の料亭で撮影中の『OSS117/東京の切札』のロケ現場を見学。 |
5月5日 | 保津川下りを体験。 |
5月6日 | 日本テレビの『南ベトナム海兵大隊戦記・第一部』(1965年)を見たいと同局に交渉するも不成立。 今村昌平のインタビューは互いに時間が取れず中止。夜、成城の浜美枝の自宅でパーティー。 |
5月7日 | 今村の『にっぽん昆虫記』を日活の試写室で鑑賞。 東京国立近代美術館で『男性・女性』の特別上映会。上映後、質疑に応じる。 |
5月8日 | 今村の『「エロ事師たち」より 人類学入門』を鑑賞。 22時30分発の日航機で羽田を発つ。 |
1967年7月22日、『中国女』に主演したアンヌ・ヴィアゼムスキーと結婚( - 1979年離婚)。同年8月、商業映画との決別宣言文を発表。
1968年5月、五月革命のさなかの第21回カンヌ国際映画祭に、映画監督フランソワ・トリュフォー[注 3]、クロード・ルルーシュ、ルイ・マルらとともに乗りこみ各賞選出を中止に追い込む。同年、ジャン=ピエール・ゴランらと「ジガ・ヴェルトフ集団」を結成。匿名性のもとに映画の集団製作を行う。
- 1970年代
1971年、オートバイ事故に遭う。
1972年、イヴ・モンタンとジェーン・フォンダを主役に、ジャン=ピエール・ラッサム製作、仏伊合作『万事快調』をジガ・ヴェルトフ集団として撮る。本作にスチルカメラマンとして参加したアンヌ=マリー・ミエヴィルと出逢い、製作会社「ソニマージュ」を設立( - 1982年)、『ジェーンへの手紙』を同社で製作、完成をもってジガ・ヴェルトフ集団を解散。
1973年、ミエヴィルとともに拠点をパリからグルノーブルに移す。1974年、ミエヴィルとの脚本共同執筆第1作『パート2』を監督。以降、ミエヴィルとの共同作業でビデオ映画を数本手がける。
1979年、ミエヴィルとともに拠点をグルノーブルからスイス・ヴォー州ロールに移し、アラン・サルド製作による『勝手に逃げろ/人生』で商業映画への復帰を果たす。製作会社「JLGフィルム」を設立( - 1998年)。
- 1980年代 - 1990年代
1982年、『パッション』を脚本・監督。「ソニマージュ」社は「JLGフィルム」社らと本作を共同製作したのちに活動停止。
1983年、『カルメンという名の女』により第40回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得。
1987年、『右側に気をつけろ』によりルイ・デリュック賞を受賞。
1990年、「JLGフィルム」社が『映画史』以外の活動を停止するにともない、ミエヴィルとの新会社「ペリフェリア」を設立。
- 2000年代 - 2020年代
2002年、日本の高松宮殿下記念世界文化賞受賞。
2006年、パリのポンピドゥー・センターで初の個展が開かれる。同会場での上映のための映画『真の偽造パスポート』(Vrai-faux passeport)を製作・脚本・監督。
2010年、第83回 アカデミー名誉賞を受賞[13][14]。
2018年、第71回カンヌ国際映画祭で、「スペシャル・パルム・ドール」を受賞(カンヌ国際映画祭粉砕事件50周年を記念した特別賞であり、コンペ最高賞のパルム・ドールや、名誉賞のパルム・ドール・ドヌールとは異なる)[15]。
2022年9月13日、死去。91歳没。ゴダールは日常生活に支障を来す疾患を複数患っており、居住しているスイスで「判断能力があり利己的な動機を持たない人」に対して合法化されている「自殺幇助」(安楽死)を選択。医師から処方された薬物を使用し亡くなったと伝えられている[16][17][18]。
映画制作史
[編集]- 1954年 - 1967年 『コンクリート作業』 - 『ウイークエンド』
シネフィルとして数多くの映画に接していた若き日のゴダールは、シネマテーク・フランセーズに集っていた面々(フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャン=マリ・ストローブ等)と親交を深めると共に、彼らの兄貴分的な存在だったアンドレ・バザンの知己を得て彼が主宰する映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』に批評文を投稿するようになっていた。すなわちゴダールは、他のヌーヴェルヴァーグの面々、いわゆる「カイエ派」がそうであったように批評家として映画と関わることから始めた。
数編の短編映画を手掛けた後、先に映画を制作して商業的な成功も収めたクロード・シャブロル(『美しきセルジュ』『いとこ同志』)やフランソワ・トリュフォー(『大人は判ってくれない』)のように、受け取る遺産も、大手配給会社社長の家族もいないゴダールは、プロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールと出会うことで、長編処女作『勝手にしやがれ』(1960)[5]でやっとデビューできた。ジャン=ポール・ベルモンドが演ずる無軌道な若者の刹那的な生き方を描くこの作品は、撮影技法では即興演出、同時録音、自然光を生かすためのロケーション中心の撮影など、ヌーヴェルヴァーグ作品の特徴にくわえて、ジャンプカットを多用する斬新な編集手法でも注目された[19][注 4]。
『勝手にしやがれ』でジーン・セバーグが演じた役柄には、ゴダールは当初は片思い状態で思慕していたアンナ・カリーナを想定していたが、本人の拒絶により実現しなかった。しかし『勝手にしやがれ』の成功を背景としてカリーナとの関係は親密なものとなり、1961年に結婚。以降アンナ・カリーナは前期におけるゴダール作品の多くの主演女優を務めることになる。
1965年には話題作『気狂いピエロ』を発表した[20][21]。1967年の『ウイークエンド』を1つの頂点として商業映画との決別を宣言する中期に至るまで、1年に平均2作程度というペースで作品を制作し続け、ゴダールは名実ともにヌーヴェルヴァーグの旗手としての立場を固めていった。
この時期のゴダール作品の題材は、アルジェリア戦争(『小さな兵隊』)・団地売春の実態(『彼女について私が知っている二、三の事柄』、1966年)・SF仕立てのハードボイルド(『アルファヴィル』、1965年)と広範囲に及んでいる。
- 1967年 - 1979年 『たのしい知識』 - 『うまくいってる?』
1967年8月に、ゴダールはアメリカ映画が世界を席巻し君臨することを強く批判し、自らの商業映画との決別宣言文を発表した。
パリ五月革命を先取りしたとも言われる『中国女』(1967年)において既に政治的な傾向が顕著になっていたが、それが明確になったのは1968年の第21回カンヌ国際映画祭における「カンヌ国際映画祭粉砕事件」だった。
映画祭開催9日目の5月19日、会場にジャン=リュック・ゴダールが現れ、コンペティション部門に出品されていたカルロス・サウラの作品上映を中止させようとした[22]。ヌーベル・バーグ運動の中心的人物だったゴダールとフランソワ・トリュフォーはフランスで行われていた学生と労働者のストライキ運動に連帯し、警察の弾圧、政府、映画業界のあり方への抗議表明としてカンヌ映画祭中止を呼びかけ[22]、クロード・ルルーシュ、クロード・ベリ、ジャン=ピエール・レオ、ジャン=ガブリエル・アルビコッコらと会場に乗り込んだ。
審査員のモニカ・ヴィッティ、テレンス・ヤング、ロマン・ポランスキー、ルイ・マルもこれを支持して審査を放棄し、上映と審査の中止を求めた[22]。コンペティションに出品していたチェコスロヴァキアの監督ミロシュ・フォルマンも出品の取りやめを表明した。その結果、この年のカンヌ映画祭は中止になった。
しかし、この事件をきっかけとして映画作家の政治的主張の違いも鮮明になり、作家同士が蜜月関係にあったヌーヴェルヴァーグ時代も事実上の終わりを告げるに至った。プライベートでも、女優アンナ・カリーナと1965年に破局が決定的になり、『中国女』への出演を機に1967年にアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールの新たなるパートナーとなった。この後『ウイークエンド』(1967年)を最後に商業映画との決別を宣言し『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画に復帰するまで、政治的メッセージを発信する媒体として作品制作を行うようになる。
また商業映画への決別と同じタイミングで、作品に「ジャン=リュック・ゴダール」の名前を冠することをやめ、「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗って活動を行う(1968年 - 1972年)。ソビエトの映画作家ジガ・ヴェルトフの名を戴いたこのグループは、ゴダールと、マオイストの政治活動家であったジャン=ピエール・ゴランを中心とした映画製作集団で、この時期のパートナーであるアンヌ・ヴィアゼムスキーもメンバーとして活動に加わった。1972年、『ジェーンへの手紙』完成をもって同グループは解散、ゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルとのパートナーシップ体制に入る。この時期のゴダールは映画を政治的なメッセージ発信の手段として明確に位置づけ、その手段として、膨大な映像の断片と文字、引用(スローガン、台詞、ナレーション)とを大量に列挙してみせた。
ローリング・ストーンズが出演し、アルバム『ベガーズ・バンケット』のレコーディング風景が収録されたことで多くの話題を呼んだ『ワン・プラス・ワン』(1968年)においては、様々な場面や場所で多様な人が政治的なメッセージを読み上げるシーンと、試行錯誤しているストーンズのリハーサルシーンとを交互に重ね合わせることにより、当時の政治的な状況を映画作品として再現する実験を試みている[注 5]。
- 1980年 - 1987年 『勝手に逃げろ/人生』 - 『ゴダールのリア王』
ゴダール曰く「第二の処女作」である『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画への復帰を果たし、1980年代のゴダールは『パッション』『ゴダールのマリア』『カルメンという名の女』などの話題作を次々に発表した。この時期にはトリュフォーをして「彼こそが本物の天才だ」と言わしめた初期の大胆な撮影・編集手法は、しだいに影をひそめるようになった。
- 1988年 - 2000年 『ゴダールの映画史』(『言葉の力』 - 『オールド・プレイス』)
1990年代のゴダールは『映画史』の製作に没頭することになった。これは19世紀末から始まる世界の映画史全体をふりかえる構想で、ビデオ作品として製作・発表された。その構成要素は、1950年代までのハリウッド、ヌーヴェルヴァーグを中心としたフランス、イタリアのネオ・レアリスモ、ドイツ表現主義およびロシア・アヴァンギャルド等、その他ヨーロッパ諸国の作品が圧倒的多数を占め、非欧米圏からは日本から4人の作家(溝口健二、小津安二郎、大島渚、勅使河原宏)とインドのサタジット・レイ、イランのアッバス・キアロスタミ、ブラジルのグラウベル・ローシャ、台湾の侯孝賢が参照されている。
この時期に作られた『新ドイツ零年』(1991年)や『JLG/自画像』(1995年)でも、映画史上のさまざまな作品を引用する手法は踏襲されている。ほかに『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)、『フォーエヴァー・モーツアルト』(1996年)がある。
- 2001年 - 2018年
『映画史』が完成するころからさまざまな短篇群、オムニバス作品に積極的に参加するようになり、ゴダールが監督として、あるいは俳優として参加した映画作品は、140を超える[23]。2014年、3D映画『さらば、愛の言葉よ』で第67回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞している[24]。2018年に公開された『イメージの本』は、『映画史』を彷彿とさせる無数の映画作品のコラージュで構成されている。
フィルモグラフィ
[編集]監督作品のうち主な長編映画のみ記載。
- 勝手にしやがれ À bout de souffle (1960年)
- 小さな兵隊 Le Petit Soldat (1960年完成、1963年公開)
- 女は女である Une femme est une femme (1961年)
- 女と男のいる舗道 Vivre sa vie. Film en douze tableaux (1962年)
- カラビニエ Les Carabiniers (1963年)
- 軽蔑 Le Mépris (1963年)
- はなればなれに Bande à part (1964年)
- 恋人のいる時間 Une femme mariée. Fragments d’un film tourné en 1964 (1964年)
- アルファヴィル Alphaville, une étrange aventure de Lemmy Caution (1965年)
- 気狂いピエロ Pierrot le fou (1965年)
- 男性・女性 Masculin féminin (1966年)
- メイド・イン・USA Made in USA (1966年)
- 彼女について私が知っている二、三の事柄 Deux ou trois choses que je sais d'elle (1967年)
- 中国女 La Chinoise (1967年)
- ウイークエンド Week-end (1967年)
- たのしい知識 Le Gai Savoir (1968年完成、1969年公開)
- ワン・アメリカン・ムービー One A.M. (1968年製作、1972年公開)ドキュメンタリー D・A・ペネベイカーと共同監督
- ワン・プラス・ワン One Plus One / Sympathy for the Devil (1968年)ドキュメンタリー
- あたりまえの映画 Un film comme les autres (1968年) ジガ・ヴェルトフ集団名義
- ブリティッシュ・サウンズ British Sounds (1970年) ジガ・ヴェルトフ集団名義
- プラウダ (真実) Pravda (1970年) ジガ・ヴェルトフ集団名義
- 東風 Le vent d'est (1970年) ジガ・ヴェルトフ集団名義
- イタリアにおける闘争 Lotte in Italia (1970年) ジガ・ヴェルトフ集団名義
- ウラジミールとローザ Vladimir et Rosa (1971年) ジガ・ヴェルトフ集団名義
- 万事快調 Tout va bien (1972年) ジガ・ヴェルトフ集団名義
- ジェーンへの手紙 Letter to Jane (1972年) ジガ・ヴェルトフ集団名義
- パート2 Numéro deux (1975年)ドキュメンタリー
- うまくいってる? Comment ça va? (1975年完成、1978年公開) アンヌ=マリー・ミエヴィルと共同監督
- ヒア & ゼア こことよそ Ici et ailleurs (1976年) アンヌ=マリー・ミエヴィルと共同監督
- 勝手に逃げろ/人生 Sauve Qui Peut (la vie) (1980年)
- パッション Passion (1982年)
- カルメンという名の女 Prénom Carmen (1983年)
- ゴダールのマリア Je vous salue, Marie (1985年)
- ゴダールの探偵 Détective (1985年)
- アリア Aria 挿話「アルミード」Armide (1987年)
- ゴダールのリア王 King Lear (1987年)
- 右側に気をつけろ Soigne ta droite (1987年)
- ヌーヴェルヴァーグ Nouvelle vague (1990年)
- 新ドイツ零年 Allemagne 90 neuf zéro (1991年)
- ゴダールの決別 Hélas pour moi (1993年)
- JLG/自画像 JLG/JLG - autoportrait de décembre (1995年)
- フォーエヴァー・モーツアルト For Ever Mozart (1996年)
- ゴダールの映画史 Histoire(s) du cinéma (1998年)
- 愛の世紀 Éloge de l'amour (2001年)
- アワーミュージック Notre musique (2004年)
- ゴダール・ソシアリスム Film Socialisme (2010年)
- さらば、愛の言葉よ Adieu au Langage (2014年)
- イメージの本 The image book (2018年)
受賞歴
[編集]賞 | 年 | 部門 | 作品 | 結果 |
---|---|---|---|---|
ジャン・ヴィゴ賞 | 1960年 | - | 『勝手にしやがれ』 | 受賞 |
ベルリン国際映画祭 | 1960年 | 監督賞 | 『勝手にしやがれ』 | 受賞 |
1961年 | 審査員特別賞 | 『女は女である』 | 受賞 | |
1965年 | 金熊賞 | 『アルファヴィル』 | 受賞 | |
1966年 | インターフィルム賞 | 『男性・女性』 | 受賞 | |
1973年 | インターフィルム賞 | 『万事快調』 | 受賞 | |
1985年 | インターフィルム賞 | 『こんにちは、マリア』 | 受賞 | |
フランス映画批評家協会賞 | 1960年 | 作品賞 | 『勝手にしやがれ』 | 受賞 |
ナストロ・ダルジェント賞 | 1961年 | 外国監督賞 | 『勝手にしやがれ』 | ノミネート |
ヴェネツィア国際映画祭 | 1962年 | 審査員特別賞 | 『女と男のいる舗道』 | 受賞 |
パシネッティ賞 | 受賞 | |||
1967年 | 審査員特別賞 | 『中国女』 | 受賞 | |
1982年 | 栄誉金獅子賞 | - | 受賞 | |
1983年 | 金獅子賞 | 『カルメンという名の女』 | 受賞 | |
1991年 | 上院議会金メダル | 『新ドイツ零年』 | 受賞 | |
英国映画協会 | 1965年 | サザーランド杯 | 『気狂いピエロ』 | 受賞 |
全米映画批評家協会賞 | 1980年 | 作品賞 | 『勝手に逃げろ/人生』 | 2位 |
監督賞 | 3位 | |||
1990年 | 特別賞 | - | 受賞 | |
2014年 | 作品賞 | 『さらば、愛の言葉よ』 | 受賞 | |
監督賞 | 2位 | |||
セザール賞 | 1981年 | 作品賞 | 『勝手に逃げろ/人生』 | ノミネート |
監督賞 | ノミネート | |||
1983年 | 作品賞 | 『パッション』 | ノミネート | |
監督賞 | ノミネート | |||
1987年 | 名誉賞 | - | 受賞 | |
1998年 | 名誉賞 | - | 受賞 | |
ロッテルダム国際映画祭 | 1986年 | 最優秀革新的映画賞 | 『ゴダールの探偵』 | 受賞 |
ルイ・デリュック賞 | 1987年 | - | 『右側に気をつけろ』 | 受賞 |
ニューヨーク映画批評家協会賞 | 1994年 | 特別賞 | - | 受賞 |
ロカルノ国際映画祭 | 1995年 | 名誉豹賞 | - | 受賞 |
モントリオール世界映画祭 | 1995年 | アメリカ特別グランプリ | - | 受賞 |
テオドール・アドルノ賞 | 1995年 | - | - | 受賞 |
バリャドリッド国際映画祭 | 2001年 | 審査員特別賞 | 『愛の世紀』 | 受賞 |
ストックホルム国際映画祭 | 2001年 | 生涯功労賞 | - | 受賞 |
ファジュル国際映画祭 | 2002年 | 水晶のシームルグ賞 | 『愛の世紀』 | 受賞 |
高松宮殿下記念世界文化賞 | 2002年 | 演劇・映像部門 | - | 受賞 |
ヨーロッパ映画賞 | 2004年 | 脚本賞 | 『アワーミュージック』 | ノミネート |
2007年 | 生涯貢献賞 | - | 受賞 | |
サン・セバスティアン国際映画祭 | 2004年 | 国際映画批評家連盟賞 | 『アワーミュージック』 | 受賞 |
国際映画批評家連盟賞 | 2004年 | グランプリ | 『アワーミュージック』 | 受賞 |
アカデミー賞 | 2010年 | 名誉賞 | - | 受賞 |
ロサンゼルス映画批評家協会賞 | 2010年 | インディペンデント/実験的作品賞 | 『ゴダール・ソシアリスム』 | 受賞 |
カンヌ国際映画祭 | 2014年 | カンヌ国際映画祭審査員賞 | 『さらば、愛の言葉よ』 | 受賞 |
2018年 | スペシャル・パルムドール | 『イメージの本』 | 受賞 | |
国際フィルム・アーカイヴ連盟 | 2019年 | FIAF賞 | - | 受賞 |
著作
[編集]- 『ゴダール 映画史(全)』奥村昭夫訳、ちくま学芸文庫、2012
- 元版『ゴダール/映画史』奥村昭夫訳、筑摩書房(全2巻)、1982
- シリル・ベジャン編『ディアローグ デュラス : ゴダール全対話』福島勲訳、読書人、2018
- アラン・ベルガラ編『ゴダール全評論・全発言〈1〉1950-1967』奥村昭夫訳、筑摩書房、1998
- アラン・ベルガラ編『ゴダール全評論・全発言〈2〉1967-1985』奥村昭夫訳、筑摩書房、1998
- アラン・ベルガラ編『ゴダール全評論・全発言〈3〉1984-1998』奥村昭夫訳、筑摩書房、2004
- Godard, Jean-Luc: The Future(s) of Film, Berlin: Verlag Gachnang & Springer, 2002.
- 『ゴダール全集4 ゴダール全エッセイ集』蓮實重彦・柴田駿監訳、竹内書店、1970。この巻のみ
- ジャン=リュック・ゴダール・マルセル・オフュルス共著『映画をめぐるディアローグ ゴダール/オフュルス全対話』福島勲訳、読書人、2022
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 父親の父方はシェール県、母方は北フランスノール県カトー=カンブレジの出。
- ^ コリン・マッケイブの『ゴダール伝』には「4月4日から5月初めまで」と記されている[6]。
- ^ 「暗くなるまでこの恋を」など多くの作品を監督した
- ^ アナーキストを題材に取ったフランス以外の映画としては、マーロン・ブランド主演の『蛇皮の服を着た男』(1960年、アメリカ)がある。
- ^ なお、この映画は本来ならレコーディングは完了せずに終る予定であり、未完であることにこそ本質的な意味があるとゴダールは考えていたのであるが、制作者側の商業的な意図により作品の最後で完成した「悪魔を憐れむ歌」が挿入されてしまった。この作品はゴダールが活動資金稼ぎを目的として制作されたもので、中期に位置するものの商業映画(イギリス資本)としてゴダールの署名で制作されている。
出典
[編集]- ^ “映画監督ゴダール氏死去、ヌーベルバーグ「勝手にしやがれ」 仏報道”. Yahoo!ニュース (2022年9月13日). 2022年9月13日閲覧。
- ^ Brody, R. , Everything Is Cinema: The Working Life of Jean-Luc Godard (2008); Boslaugh, Sarah, and Boslaugh. "Godard, Jean–Luc (1930–)." Encyclopedia of the Sixties: A Decade of Culture and Counterculture, edited by James S. Baugess, and Abbe Allen DeBolt, Greenwood, 1st edition, 2011.
- ^ Morrey, Douglas. Jean-Luc Godard. Manchester University Press Manchester, 2005.
- ^ ジャン・リュック・ゴダール 2023年2月4日閲覧
- ^ a b 勝手にしやがれ - IMDb
- ^ マッケイブ 2007.
- ^ ベルガラ 2012, pp. 678–679.
- ^ Thomson, David (2019年12月16日). “Journey to the end of the beach: Godard, Karina and Pierrot le fou” (英語). Sight & Sound. 2023年8月19日閲覧。
- ^ Hudson, David (2019年12月17日). “Unforgettable Anna Karina” (英語). The Criterion Collection. 2023年1月12日閲覧。
- ^ a b c 柴田駿、白井佳夫「ゴダール監督の日本の10日間」 『キネマ旬報』1966年6月上旬号、50-54頁。
- ^ 『映画評論』1966年7月号、7頁、「日本にやってきたゴダール」。
- ^ 『映画評論』1966年7月号、68-72頁、「ゴダールへの質問状」。
- ^ “ジャン=リュック・ゴダール監督、アカデミー賞名誉賞授賞式の欠席を正式表明!”. シネマトゥデイ (2010年10月26日). 2017年10月1日閲覧。
- ^ “ゴダールの授賞式欠席が決定 米アカデミーの説得むなしく”. 映画.com (2010年10月27日). 2017年10月1日閲覧。
- ^ ““スペシャル・パルムドール”受賞のゴダールがビデオ通話で会見!カンヌ受賞結果一覧”. Movie Walker. (2018年5月20日) 2018年11月2日閲覧。
- ^ “映画監督のゴダール氏死去 「勝手にしやがれ」など手がける 仏報道”. 朝日新聞デジタル. 2022年9月13日閲覧。
- ^ “Disparition Mort de Jean-Luc Godard, histoire du cinéma”. リベラシオン. 2022年9月13日閲覧。
- ^ ゴダール監督、自殺ほう助での死選ぶ - AFPBB News 2022年9月13日
- ^ The film employed various techniques such as the innovative use of jump cuts ,//Brody, p. 69.
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- ^ a b c 史上初めて会期途中で映画祭が中止、カンヌを震撼させた「1968年」AFP, 2008年5月13日
- ^ Jean-Luc Godard: Documents, éditeur : Centre Georges Pompidou, Paris, 2006.
- ^ Shoard, Catherine (2014年5月24日). “Cannes 2014: Winter Sleep takes Palme d'Or in ceremony of upsets”. The Guardian. 2014年10月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 洋書
- Bergala, Alain. Jean-Luc Godard au travail: Les années 60, Cahiers du Cinema, 1998.
- アラン・ベルガラ『六〇年代ゴダール―神話と現場』奥村昭夫訳、筑摩書房〈リュミエール叢書〉、2012年9月。ISBN 978-4480873194。
- Brenez, Nicole (ed.) Jean-Luc Godard: Documents, Centre Georges Pompidou, 2006.
- Brody, Richard. Everything Is Cinema: The Working Life of Jean-Luc Godard, New York : Metropolitan Books/Henry Holt & Co., 2008.
- Chiesi, Roberto, Jean-Luc Godard, Roma : Gremese.
- Dixon, Wheeler Winston. The Films of Jean-Luc Godard. Albany: State University of New York Press, 1997.
- Loshitzky, Yosefa. The Radical Faces of Godard and Bertolucci, Wayne State UP, 1995.
- MacCabe, Colin. Godard: A Portrait of the Artist at 70. London: Bloomsbury, 2003.
- コリン・マッケイブ『ゴダール伝』堀潤之訳、みすず書房、2007年6月。ISBN 978-4622072591。
- MacCabe, Colin. Godard: Images, Sounds, Politics. London: Macmillan, 1980.
- Morrey, Douglas. Jean-Luc Godard. Manchester: Manchester University Press, 2005.
- Silverman, Kaja and Harun, Farocki. Speaking About Godard. New York: New York University Press, 1998.
- Sterrit, David. The Films of Jean-Luc Godard: Seeing the Invisible. Cambridge: Cambridge University Press, 1999.
- Temple, Michael et al. (eds.) For Ever Godard. London: Black Dog Publishing, 2007.
- Temple, Michael and James S. Williams (eds.) The Cinema alone: Essays on the Work of Jean-Luc Godard 1985-2000. Amsterdam: Amsterdam University Press. 2000.
- Temple, Michael et al. (eds.) Jean-Luc Godard: Documents, Paris: Centre Georges Pompidou, 2007.
- Wiazemsky, Anne. Une année studieuse. Paris: Gallimard, 2012.
- アンヌ・ヴィアゼムスキー『彼女のひたむきな12カ月』原正人訳、山内マリコ解説、DU BOOKS、2016
- Wiazemsky, Anne. Un an après. Paris: Gallimard, 2015 - ミシェル・アザナヴィシウス監督『グッバイ・ゴダール!』原作。
- アンヌ・ヴィアゼムスキー『それからの彼女』原正人訳、真魚八重子解説、DU BOOKS、2018
- 和書
- 『ジャン=リュック・ゴダール』(改訂第二版)エスクァイアマガジンジャパン〈E/Mブックス〉、2003年8月。ISBN 978-4872950199。 ※初版は初版は1998年4月10日発行
- 『ヌーヴェルヴァーグの時代』エスクァイアマガジンジャパン〈E/Mブックス〉、1999年3月。ISBN 978-4872950618。
- 浅田彰・松浦寿輝『ゴダールの肖像』大野裕之編、とっても便利出版部、増訂版2000
- カイエ・デュ・シネマ・ジャポン編集委員会編『ゴダールとストローブ=ユイレによる映画』勁草書房、1997
- 郡淳一郎編『ゴダール : 映画史 : テクスト = Jean-Luc Godard : histoire(s) du cinéma : texte』愛育社、2000
- 小松祐夫『ゴダールの黙示録 : Jean-Luc Godard : Helas pour moi!』新風舎、2006
- 小松祐夫『ゴダールの文法』新風舎、2000
- 佐々木敦『ゴダール原論 : 映画・世界・ソニマージュ』新潮社、2016
- 佐々木敦『ゴダール・レッスン : あるいは最後から2番目の映画』フィルムアート社、新装版1998
- 杉原賢彦『ゴダールに気をつけろ!』フィルムアート社、1998
- 蓮實重彦編『光をめぐって : 映画インタヴュー集』筑摩書房、1991
- 蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー : 思考と感性とをめぐる断片的な考察』NTT出版、2008/増補版・青土社、2019
- 蓮實重彦『ゴダール革命』筑摩書房「リュミエール叢書」、2005/ちくま学芸文庫、2023
- 平倉圭『ゴダール的方法』インスクリプト、2010
- 松浦寿輝『ゴダール』筑摩書房「リュミエール叢書」、1997
- 山田宏一『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』ワイズ出版、2010/増補版 同・映画文庫 2020
- 山田宏一『ゴダール/映画誌』草思社、2024年4月
- 山田宏一『映画はこうしてつくられる:山田宏一映画インタビュー集』草思社、2019年9月。ISBN 978-4794224019。
- 四方田犬彦『ゴダールと女たち』講談社現代新書、2011
- 四方田犬彦・堀潤之編『ゴダール・映像・歴史 : 『映画史』を読む』産業図書、2001
- 雑誌特集など
- 『現代思想 ゴダールの神話』青土社、1995年11月臨時増刊
- 『ユリイカ 詩と批評 特集 60年代ゴダール』1998年10月号、青土社
- 『ユリイカ 詩と批評 特集 ゴダールの世紀』2002年5月号、青土社
- 『ユリイカ 詩と批評 特集 ゴダール2015』2015年1月号、青土社
- 『KAWADE夢ムック 総特集 ゴダール』河出書房新社〈文藝別冊〉、2002年4月
- 『ユリイカ 詩と批評 総特集 ジャン=リュック・ゴダール 1930-2022』青土社、2023年1月臨時増刊
関連人物
[編集]関連項目
[編集]- オブジェクティフ49
- シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン
- ラ・ガゼット・デュ・シネマ
- カイエ・デュ・シネマ
- アヌーシュカ・フィルム - ゴダールとアンナ・カリーナが設立した製作会社
- ジガ・ヴェルトフ集団 - ゴダールとジャン=ピエール・ゴランが中心になって活動した映画作家集団
- ソニマージュ - ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルが設立した製作会社
- ペリフェリア - ゴダールとミエヴィルが設立した製作会社
- ヴェガ・フィルム - ゴダールの製作を支えた
- ヌーヴェルヴァーグ