シグマンド・ノイマン
人物情報 | |
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生誕 |
1904年5月1日 ドイツ ライプツィヒ |
死没 |
1962年10月22日 (58歳没) アメリカ合衆国 コネチカット州ミドルタウン |
出身校 | ハイデルベルク大学・グルノーブル政治学院・ライプツィヒ大学 |
学問 | |
研究分野 | 政治学 |
研究機関 | ドイツ政治大学・ウェズリアン大学・ミュンヘン大学 |
シグマンド・ノイマン[1](Sigmund Neumann, 1904年5月1日 - 1962年10月22日)は、ドイツ出身の政治学者。
経歴
[編集]1904年、ライプツィヒのユダヤ人家庭に生まれる。ハイデルベルク大学、フランスのグルノーブル政治学院、ライプツィヒ大学で社会学、経済学などを学び、ライプツィヒでは社会学者のハンス・フライヤーに師事した。大学卒業後はライプツィヒ大学(1926~1928年)、ベルリンのドイツ政治大学(現ベルリン自由大学)(1928~1933年)で教鞭をとるが、アドルフ・ヒトラー政権の誕生を受けて1933年にイギリスに移住する。
英国で王立国際問題研究所研究員、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス講師を務めた後、1934年に米国に移住、コネチカット州のウェズリアン大学に助教授として迎えられ、同校で政治学、近代史を講義する。1944年には正教授に昇格して社会科学部長も務めた。第二次世界大戦後の1949年からは再び母国ドイツに戻ってミュンヘン大学、ベルリン自由大学の客員教授となり、戦後ドイツ政治学の復興に努力した。その功績を称えられ、ミュンヘン大学(1949年)、ベルリン自由大学(1962年)の両校から名誉博士号を授与されている。 また、米国でも引き続き教鞭をとり、イェール大学、ハーバード大学、コロンビア大学、ミシガン大学アナーバー校などの客員教授も務めた。
研究内容・業績
[編集]ドイツ政治の研究から出発し、その後は政党理論などの研究を行なったが、自らの経験も踏まえ、ソビエト連邦共産党、ファシスト党、ナチ党などによる独裁の理論的考察も行い、『大衆国家と独裁』を著した。同書はフランツ・レオポルド・ノイマンの『ビヒモス』(1942年)やエーリヒ・フロムの『自由からの逃走』(1941年)、エミール・レーデラーの『大衆の国家』(1940年)、ゲオルク・ヴォルフガング・フェリックス・ハルガルテンの『独裁者』(1957年)などとともに、ドイツからの亡命者による独裁研究として評価が高い。
著作
[編集]単著
[編集]- Die Stufen des preußischen Konservatismus: Ein Beitrag zum Staats und Gesellschaftsbild Deutschlands im 19. (Ebering, 1930).
- Die deutschen Parteien. Wesen und Wandel nach dem Kriege. (Junker und Dunnhaupt, 1932).
- Permanent Revolution: The Total State in a World at War. (Haper and Row, 1942/2nd ed., Frederick A. Praeger, 1965).
- The Future in Perspective. (G.P. Putnam, 1946).
- Makers of modern strategy. (Princeton University. Press, 1943).
- Leadership. (Wesleyan University, 1941).
- Die Parteien der Weimarer Republik (Kohlhammer, 1965).
- Die deutschen Parteien 1932の増補改題
編著
[編集]- Modern Political Parties: Approaches to Comparative Politics. (University of Chicago Press, 1956).
- 渡辺一訳『政党――比較政治学的研究(1・2)』(みすず書房、1958 - 1961年)
脚注
[編集]- ^ ドイツ語読みで「ジークムント・ノイマン」とも日本語表記される。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ドイツ国立図書館による著作目録(ドイツ語)