ザーヒル・タタール
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ザーヒル・タタール سيف الدين ططر | |
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ブルジー・マムルーク朝第7代スルターン | |
在位 | 1421年 |
死去 |
1421年 |
子女 | サーリフ・ムハンマド |
王朝 | ブルジー・マムルーク朝 |
ザーヒル・タタール(アラビア語:سيف الدين ططر 転写:Saif ad-Dīn Ṭaṭar、? - 1421年)は、エジプトのブルジー・マムルーク朝の第7代スルターン(在位:1421年)。
生涯
[編集]初代スルターンのバルクークからマムルーク朝に仕えた有力なマムルーク(奴隷)で、1421年に10歳のムザッファル・アフマドという幼主が即位すると、アフマドの生母と結婚して摂政となった。だが、専横が過ぎたために周囲からの反発を買って反乱が発生する[1]。タタールは反乱を鎮圧すると、アフマドを廃して幽閉し、さらにその生母とも離婚して自らスルターンに即位した[1]。
だが、同年のうちに離婚したアフマドの生母によって暗殺されたという[1]。
脚注
[編集]関連文献
[編集]- 大原与一郎 『エジプト マムルーク王朝』 近藤出版社、1976年
- 日本イスラム協会 監修 『イスラム事典』 平凡社、1982年