ゲイリー・グリッター
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ゲイリー・グリッター | |
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ゲイリー・グリッター (1974年) | |
生誕 |
ポール・フランシス・ガッド Paul Francis Gadd 1944年5月8日(80歳) イングランド、バンベリー |
別名 | |
活動期間 | 1960年 - 2005年 |
子供 | 3 |
音楽家経歴 | |
ジャンル | |
担当楽器 | ボーカル、ギター |
ゲイリー・グリッター(Gary Glitter、1944年6月4日 - )は、イギリスのグラムロック歌手。本名はポール・フランシス・ガッド(Paul Francis Gadd)。
経歴
[編集]16歳から音楽活動を始め、 Paul Russell、Paul Raven、Rubber Bucketなど芸名を何度も変更しながらデビューを繰り返すも、チャートインの機会に恵まれず長い下積み時代を続ける。1961年には一時音楽活動から引退し、当時の人気テレビ番組レディ・ステディ・ゴーの収録前説の仕事に就く。
番組の前説を担当しながらエンタテイナーの技能を地道に磨く日々を送りつつ、長年に渡り出演者たちを観察した結果、「彼らは自分の才能に比べたら大した事ない連中ばかりじゃないか?」と考えるようになる。
そして1972年にグラムロック・ムーブメントの中で新バンドを結成し、新しいキャラクターとしてゲイリー・グリッターを思い付く(その他にTerry Tinsel、Vicky Vomitなど別のキャラクター候補案も存在した)。間も無くして制作したシングル「ロックン・ロール」はT・レックス と双璧を成すブギー路線のグラムロックの代表曲として大ヒットする。
他のグラムロックのアーティストよりも1世代年上であるものの、敢えてその加齢に伴う体型変化を隠さずに若い世代のグラムロック・アーティストを遥かに超越する綺羅びやかな衣装、厚底のロンドン・ブーツ、パーマのかかった派手なリーゼント・ヘア、それに目をひん剥いて鋭く眉をつり上げながらのステージングなどのコミカルなスタイルで絶大な人気を博した。
70年代と90年代にそれぞれ自己破産の申請を行なっているものの、所属レーベルに依存せず自らレーベル事業を開業し、時代ごとの新しいアプローチによる新曲発表や過去のヒット曲のリバイバル等を多数経験した結果、経済的には何度も復活を果たす。
加えて、グリッターが逮捕等で自由を束縛されていた期間に本人抜きの状態でバックバンドメンバーだけで敢行したツアーですら大盛況で終えるほど、ゲイリー・グリッターの名前とその音楽が持つ影響力やファンからの支持はイギリスでは絶大であった。
性犯罪
[編集]児童ポルノの閲覧
[編集]1997年、グリッターがパソコンの修理を依頼したところ、ハードディスクの中から4000以上もの児童ポルノが収められていたことを作業員が発見し当局に通報、逮捕された。グリッターは有罪を認め、1999年に禁錮4か月の実刑判決を言い渡された。さらに、刑期後7年間性犯罪者登録簿に載せられ、英国警察機関の監視下に置かれる措置となる。
刑期を終えて出所したグリッターは、直ちに祖国を後にした。
カンボジアにて児童性的虐待
[編集]スペイン、キューバでの短期間生活を展開した後に、カンボジアに渡る。しかし、カンボジアでも少女に対して児童買春を繰り返していたとして2002年に国外退去処分を受け、その後の居住地であるベトナムにおいても2006年に南部のバリア・ブンタウにて児童性的虐待の罪で有罪判決を受ける。
刑期満了後の英国強制送還・被害者に多額の賠償金を支払うという条件付きで(本来なら最高で終身刑の重罪)懲役3年の刑を言い渡される。その後、刑期満了前に27ヶ月の服役を以て恩赦が下り、両国の当局による厳密な監視の下で英国に帰国する。
過去の性的虐待により逮捕
[編集]2008年8月の英国帰国と同時に性犯罪者として終身登録され、加えて以降の海外渡航は警察機関からの許可なくして不可能となった。
2012年、司会者のジミー・サヴィルが未成年の男女に性的虐待を繰り返していたとして死後に告発された際、国家規模の捜査「ユーツリー作戦」が英国警察全体の威信に掛けて展開される。その捜査にてグリッターがスターとしての地位を利用し、サヴィルと同じ時代にBBC局の楽屋内で多数の少女に性的暴行していたという事実が新たに発覚し、同年10月に逮捕。
その後、保釈金支払いの下で一度は自由の身になるも、2015年2月5日の裁判において強姦未遂、1975年から1980年の期間に及ぶ13歳未満の少女との淫行、及びその他の強制わいせつ行為で有罪となり、懲役16年が言い渡される。
この判決により、BBCはグリッター出演の番組映像の一切を封印することとなり、貴重な過去の音楽番組の再放送やソフト化は絶望的となった。
以降、全英から集められた性犯罪者が収監される性犯罪者指定刑務所(HM Prison The Verne)に収監。
仮釈放されるも再収監
[編集]2023年2月3日、刑期の半分である8年の服役を経て、仮釈放を認められる。行政機関と警察機関からの厳しい監視下に置かれ、GPS装置の常時装着などの厳しい制約を厳守しない場合は仮釈放取り消しとなる条件であった。
しかし翌月の2023年3月13日、その条件をグリッターが守らなかった事実が発覚。直ちに当局による身柄拘束がなされて再度の刑務所収監となり、現在も刑務所にて再び服役中である。
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 『グリッター』 - Glitter (1972年)
- 『タッチ・ミー』 - Touch Me (1973年)
- 『G.G.』 - G. G. (1975年)
- 『シルヴァー・スター』 - Silver Star (1977年)
- Boys Will Be Boys (1984年)
- Leader II (1991年)
- On (2001年)
書籍
[編集]- Glitter, Gary with Lloyd Bradley (1991), Leader: The Autobiography of Gary Glitter, Ebury Press, ISBN 0-85223-977-7
- Anon. (1976), Garry Glitter Annual 1976, Jarrold & Sons, ISBN 978-0-72350-341-5
- Anon. (1975), Garry Glitter Annual 1975, World Distributors Ltd., ISBN 978-0-7235-0284-5
脚注
[編集]- ^ Giulio D'Agostino (January 2001). Glam Musik: British Glam Music '70 History. iUniverse. pp. 201–. ISBN 978-0-595-16563-6
- ^ “Profile: Gary Glitter”. BBC News. (21 August 2008) 7 February 2015閲覧。