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ケルビム・エスコバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケルビム・エスコバー
Kelvim Escobar
ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムでの現役時代
(2007年)
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 ラ・グアイラ州ラ・グアイラ
生年月日 (1976-04-11) 1976年4月11日(48歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 アマチュア・フリーエージェント
初出場 1997年6月29日
最終出場 2009年6月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ
WBC 2006年

ケルビム・ホセ・エスコバー・ボリーバルKelvim Jose Escobar Bolivar, 1976年4月11日 - )は、ベネズエララ・グアイラ州ラ・グアイラ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。

アルシデス・エスコバーエドウィン・エスコバービセンテ・カンポスは従兄弟である[1]

経歴

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ブルージェイズ時代

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1992年トロント・ブルージェイズと契約し入団。

1997年は開幕を故障者リスト入りで迎えたが、5月にA級で復帰を果たし3試合登板した後AA級へ昇格。6月29日にメジャーデビューを果たし、7月13日にメジャー初セーブ記録すると以後、抑えで起用され17回のセーブ機会のうち14回でセーブを記録し、球団史上新人投手として歴代2位にランクした[2]

1998年は当初はリリーフとして起用されたが5月25日の時点での防御率が12.66でマイナーへ降格した。その後、8月5日にメジャーへ復帰。それ以後は先発投手として10試合に登板し、2勝2敗・防御率3.95の成績を残した。

1999年は防御率が5.69だったが規定投球回を上回り、デビッド・ウェルズの17勝に次ぐ14勝を挙げ、チーム2番目の勝数を記録した[3]

2000年は当初は先発ローテーションの一員で、6月21日タイガース戦でメジャー初完封勝利を記録するも、24試合に先発登板した時点で7勝13敗・防御率5.42。8月15日以降はリリーフに回った。その後2001年まで先発・中継ぎの両役割をこなし、2002年に再び抑えに回ると自己最高の76試合に登板し、セーブを量産した。9月には11セーブ挙げビリー・コッチの球団月間セーブ記録(1999年8月)に並び、シーズン通算で球団史上歴代2位となる38セーブ(リーグ5位)を記録した[4]

2003年は当初はリリーフとして登板したが15試合に登板した時点で防御率は7.79。5月23日に2年ぶりに先発登板をし、以後先発投手として12勝8敗を記録した。オフに、FAとなった。

エンゼルス時代

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2003年11月24日に「ラテン系のスターを獲得したい」というアナハイム・エンゼルスへ3年総額1,875万ドルで移籍した。[5]

2004年以降は先発投手に定着した。

2005年には故障で登板数が自己最低に終わった。

2006年開幕前の3月に第1回WBCベネズエラ代表に選出された[6]

シーズンでは、ビル・ストーンマンGMはエスコバーを高く評価し、5月に3年総額2850万ドルで契約延長した[7]

2007年には、18勝7敗・QS率66.7%・防御率3.40と自己最高の成績を残し、ジョン・ラッキーとともに「エースと呼ぶにふさわしい安定感」[8]でチームを牽引した。オフには、故郷に学校を寄進するなどの慈善事業をしており、ウゴ・チャベス大統領の下で母国ベネズエラが反米に傾くことによって野球少年がMLB入りする機会が減ったりしないか心配している[9]

2008年3月に、右肩を故障し手術することになった。この影響で、この年は、試合に出場することはなかった。

2009年もほとんど登板することがなかった。オフに、FAとなった。

エンゼルス退団後

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2009年12月23日に、ニューヨーク・メッツと単年125万ドルで契約した。

2010年の登板はなかった。

2013年1月10日ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ。しかし、開幕前に解雇された。

メキシカンリーグ時代

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2013年は、メキシカンリーグタバスコ・キャトルメンでプレーした。

選手としての特徴

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投球スタイルは150キロ近い速球と縦に変化するスプリッターやスライダーを決め球にする。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1997 TOR 27 0 0 0 0 3 2 14 -- .600 139 31.0 28 1 19 2 0 36 0 0 12 10 2.90 1.52
1998 22 10 0 0 0 7 3 0 -- .700 342 79.2 72 5 35 0 0 72 0 0 37 33 3.73 1.34
1999 33 30 1 0 0 14 11 0 0 .560 795 174.0 203 19 81 2 10 129 6 1 118 110 5.69 1.63
2000 43 24 3 1 1 10 15 2 2 .400 794 180.0 186 26 85 3 3 142 4 0 118 107 5.35 1.51
2001 59 11 1 1 0 6 8 0 13 .429 517 126.0 93 8 52 5 3 121 2 0 51 49 3.50 1.15
2002 76 0 0 0 0 5 7 38 0 .417 355 78.0 75 10 44 6 5 85 4 0 39 37 4.27 1.53
2003 41 26 1 1 0 13 9 4 0 .591 797 180.1 189 15 78 3 9 159 9 0 94 86 4.29 1.48
2004 ANA
LAA
33 33 0 0 0 11 12 0 0 .478 878 208.1 192 21 76 2 7 191 9 0 91 91 3.93 1.29
2005 16 7 0 0 0 3 2 1 2 .600 242 59.2 45 4 21 1 2 63 4 0 21 20 3.02 1.11
2006 30 30 1 0 1 11 14 0 0 .440 789 189.1 192 17 50 2 4 147 7 0 93 76 3.61 1.28
2007 30 30 3 1 1 18 7 0 0 .720 812 195.2 182 11 66 2 3 160 9 0 79 74 3.40 1.27
2009 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 23 5.0 4 0 4 0 1 5 0 1 2 2 3.60 1.60
MLB:12年 411 202 10 4 3 101 91 59 17 .526 6483 1507.0 1461 137 611 28 47 1310 54 2 755 695 4.15 1.38
  • ANA(アナハイム・エンゼルス)は、2005年にLAA(ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)に球団名を変更

代表歴

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脚注

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  1. ^ Former MLB Hurler Kelvim Escobar Drops Price on Mansion”. Real Estate News and Advice - realtor.com. 2015年10月28日閲覧。
  2. ^ Kelvim Escobar 1997 Career Highlights” (英語). 2008年6月10日閲覧。
  3. ^ 1999 Toronto Blue Jays Statistics and Roster - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年6月9日閲覧。
  4. ^ Kelvim Escobar 2002 Career Highlights” (英語). 2008年6月10日閲覧。
  5. ^ 月刊メジャー・リーグ』2004年3月号、ベースボールマガジン社、2004年、雑誌 08625-3、32-33頁
  6. ^ 2006 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月3日閲覧 [リンク切れ]
  7. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、201頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  8. ^ 小林信行マリナーズの戦力は整ったのか? 狙った獲物は……」 『月刊スラッガー』2008年3月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-3、42-45頁。
  9. ^ Maria Burns Ortiz, "Politics makes toxic mix with MLB's investment in Venezuela," ESPN.com, November 18, 2007. 2008年3月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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