ケニア (軽巡洋艦)
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艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1938年6月18日 |
進水 | 1939年8月18日 |
就役 | 1940年9月27日 |
退役 | |
その後 | 1962年10月29日にスクラップとして売却 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 満載 10,450トン |
全長 | 169.3 m (555.5 ft) |
全幅 | 18.9 m (62 ft) |
吃水 | 5.0 m (16.5 ft) |
機関 | アドミラリティ式重油専焼水管缶 4基 パーソンズ式ギアード・タービン 4基 4軸推進、(72,500 shp) |
最大速力 | 33ノット(61 km/h) |
航続距離 | 6,520海里/13ノット |
乗員 | 730名 |
兵装 | Mark XXIII 6インチ3連装砲 4基 Mark XVI 4インチ連装砲 4基 2ポンド4連装ポムポム砲 3基 ボフォース 40mm連装機関砲 4基 エリコン20mm連装機関砲 6基 Mark IX 21インチ3連装魚雷発射管 2基 |
搭載機 (後に撤去) |
スーパーマリン ウォーラス2機 |
ケニア (HMS Kenya, C14) は、イギリス海軍のフィジー級軽巡洋艦。艦名は当時イギリス領であったケニアに由来する。
マウントバッテンピンク塗装がされていた時期があり、その外見から「ピンクレディ」(The Pink Lady)の愛称があった[1]
艦歴
[編集]起工は1938年6月18日。進水は1939年8月18日で、1940年9月27日に竣工した。
1941年5月、ドイツ戦艦「ビスマルク」の追撃戦に参加、それから「ケニア」はアーチェリー作戦、ハルバード作戦、ハープーン作戦、ペデスタル作戦に参加した。
1941年6月3日、「ケニア」と軽巡洋艦「オーロラ」はデービス海峡でドイツ補給船(タンカー)「Belchen」を沈めた[2]。
ペデスタル作戦に参加中、1942年7月12日にイタリア潜水艦「アラジ (Alagi)」に雷撃され損傷した。1942年12月に戦列に復帰し、1944年に東洋艦隊の第4巡洋艦戦隊に編入されるまで本国艦隊に所属していた。1945年はアラカン上陸支援などをおこなった。
第二次世界大戦後は、修理をおこなった後西インド諸島の第8巡洋艦戦隊に編入され1947年まで所属していた。一旦予備艦となったが朝鮮戦争の勃発で再就役した。1962年に売却されスクラップとなった。
脚注
[編集]- ^ Wright, Malcom (2016). British and Commonwealth Warship Camouflage of WW II: Cruisers and Minelayers Volume III. Barnsley, Yorkshire: Seaforth Publishing. ISBN 978-1848324206, p157 - p158
- ^ Cruisers of World War Two, p. 103, 124, Axis Blockade Runners of World War II, p. 97
参考文献
[編集]- M. J. Whitley, Cruisers of World War Two: an International Encyclopedia, Naval Institute Press, 2000, ISBN 1-55750-141-6
- Martin Brice, Axis Blockade Runners of World War II, B. T. Bastsford, 1981, ISBN 0-7134-2686-1