ギヨーム・ギヨン=ルティエール
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ギヨーム・ギヨン=ルティエール Guillaume Guillon-Lethière | |
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Julien-Léopold Boillyによる肖像画 | |
生誕 |
1760年1月10日 グアドループ |
死没 |
1832年4月22日 パリ |
運動・動向 | 新古典主義 |
ギヨーム・ギヨン=ルティエール(Guillaume Guillon-Lethière、1760年1月10日 - 1832年4月22日)はフランスの新古典主義の画家である。
略歴
[編集]カリブ海のフランスの海外県、グアドループのサンタンヌ(Sainte-Anne)で生まれた。母親は同地のムラートにあたる解放奴隷で、父親のピエール・ギヨンはフランス人の公証人であった。純白人ではない混血であったものの、1799年にパリで父親に認知された。幼い頃から絵の才能を示し、父親はフランスで教育することに決め1774年にフランスに移った。
家族の3番目の息子であったので3番目をしめす「Letiers」の名前を名乗って、ルーアンに設立された美術学校(l’école publique gratuite de dessin)でジャン=バティスト・デカン(Jean-Baptiste Descamps)に学んだ。3年間の修行で技術は上達した。後に「Letiers」の名前の綴りは「Le Thière」に変えた。王立絵画彫刻アカデミーの教授、ガブリエル=フランソワ・ドワイアンに弟子入りして働いた。
1784年にローマ賞に応募し、2位となり、2年後、再び応募して入選しなかったが、ローマに留学した。当時ローマにいたジャック=ルイ・ダヴィッドとともに新古典主義のスタイルを発展させた。数年間ローマに留まり、1791年にパリに戻った。
1807年から1816年まで在ローマ・フランス・アカデミーの校長を務め、1818年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。1819年からエコール・デ・ボザールの教授に任じられ、教えた学生にはイジドール・ピルスやテオドール・ルソー、ルイ・ブーランジェらがいた。
作品
[編集]-
フランス皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1807)
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エリザ・ボナパルト(1806)
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1250年のルイ9世
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Le serment des Ancêtres
ギヨン=ルティエールに学んだ画家
[編集]- オルテンス・オードブール=レスコー(1784-1845)
- フランソワ=ジョゼフ・エイム(1787-1865)
- オクターヴ・タサエール (1800-1874)
- ルイ・ブーランジェ (1806-1867)
- テオドール・ルソー (1812-1867)
- イジドール・ピルス (1815-1875)
参考文献
[編集]- B. Foucart, G. Capy und G. Firent Laballe: Guillaume Guillon Lethière. Paris und Pointe-à-Pitre, 1991.
- Darcy Grimaldo Grigsby: Revolutionary Sons, White Fathers and Creole Difference: Guillaume Guillon Lethière’s „Oath of the Ancestors“ of 1822. In: Yale French Studies, 101 (2002): S. 201–226.
- T. Oriol: Les Hommes célèbres de La Guadeloupe. Basse-Terre, 1935, S. 39–47.