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オトル・アイヒャー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オトル・アイヒャー
Otl Aicher
1959年のアイヒャー
生誕 (1922-03-13) 1922年3月13日
ドイツ、ウルム
死没 1991年9月1日(1991-09-01)(69歳没)
ドイツ、ギュンツブルク
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アイヒャーがデザインした書類ホルダー
アイヒャーがデザインした1972年ミュンヘンオリンピックピクトグラム
Rotis serifフォント

オトル・アイヒャーOtl Aicher, 1922年3月13日 - 1991年9月1日)は、20世紀ドイツを代表するグラフィックデザイナー[1]タイポグラファー書体デザイナー)。

生涯

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アイヒャーは、バーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市に生まれる[1]。反ナチス・ドイツの抵抗運動・白薔薇のメンバーであるハンス・ショルゾフィー・ショルの末弟・ヴェルナー・ショルと親友であり、アイヒャー自身も反ナチス派であった[1]。アイヒャーはヒトラーユーゲントへの加入を拒んだために、ギムナジウムの修了資格が得られず、19歳で兵役に就く[1]。そして、1945年1月には、配属されていた東部戦線から脱走し、終戦までショル家に匿われていた[1]

1952年に、1943年に処刑されたハンス・ショルとソフィ・ショルの姉、インゲ(Inge Scholl)と結婚した[1]

1953年に、デザイナーのマックス・ビルMax Bill)と妻を伴い、ウルム造形大学Hochschule für Gestaltung Ulm)を設立する[1]。この美術学校は1950年代から1960年代にかけて、ドイツにおけるデザイン教育の中心地となった。オトルは理論と実践によりヴィジュアル・コミュニケーション・デザイン(視覚伝達デザイン)の概念と具体的な方向を打ち出した。

1985年、アイヒャーは、自身が第二次世界大戦時に脱走兵であったことを告白した[1]

関連作品

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  • 1988年Rotis(ローティス)というフォント・ファミリーをデザインした。このフォントは彼が事務所を構えていたドイツの地名ローティスにちなんで名付けられた。

脚注

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参考文献

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  • 對馬達雄『ヒトラーの脱走兵 : 裏切りか抵抗か、ドイツ最後のタブー』中央公論新社、2020年。ISBN 978-4-12-102610-1 

外部リンク(英語)

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