エリモローラ
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この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
エリモローラ | |
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欧字表記 | Erimo Roller[1] |
品種 | サラブレッド[1] |
性別 | 牡[1] |
毛色 | 鹿毛[1] |
生誕 | 1979年3月24日[1] |
死没 | 不明(1988年9月27日用途変更) |
父 | イースタンフリート[1] |
母 | プティットデェース[1] |
母の父 | ダイアトム[1] |
生国 | 日本(北海道えりも町)[1] |
生産者 | えりも牧場[1] |
馬主 | 山本慎一[1] |
調教師 | 大久保石松(栗東)[1] |
競走成績 | |
生涯成績 | 27戦8勝[1] |
獲得賞金 | 2億642万5400円[1] |
勝ち鞍 |
GII:日経新春杯(1984年) 毎日杯(1982年) 京都記念(1983年) 京阪杯(1983年) |
エリモローラ(Erimo Roller、1979年3月24日 - 不明)[1]は、日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍は1982年の毎日杯、1983年の京都記念、京阪杯、1984年の日経新春杯。
経歴
[編集]競走馬時代
[編集]4歳時、新馬戦から3連勝後毎日杯に勝ち、クラシック戦線の伏兵馬と一部で騒がれたもののその後振るわず、1年以上鳴かず飛ばずの成績に陥っていた。5歳夏の札幌タイムス杯では単枠指定され、圧倒的な1番人気に応え勝利した。その後一息入れ京都記念、京阪杯と人気薄で重賞連覇を果たし、続く阪神大賞典では不得意な距離にもかかわらずシンブラウンの4着と健闘、重賞連覇がフロックでないことを印象付けた。
明け6歳初戦でのダート変更された日経新春杯では、得意のダートということもあり1番人気に支持された。同馬は3コーナー手前から持ったまま先頭に進出、一切追ったところなく、2着ハシローディーに 2-1/2馬身差をつけ勝利した。
その後京都記念にエントリーしたが脚部に屈腱炎を発症、現役から引退を余儀なくされた。「ダート専用馬」というような低評価の時代もあった[要出典]が、晩年はターフでも信頼感を高めており、充実期での引退であった。
引退後
[編集]引退後は種牡馬となったが、産駒は5頭しか残すことができず、そのいずれも未勝利に終わった。1988年9月27日付で用途変更となり[2]、以降の動向は不明。
競走成績
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
血統表
[編集]エリモローラの血統ナスルーラ系 / Nearco 4×4=12.50%、Bull Dog 5×4=9.38%、Blenheim5×4= 9.38% | (血統表の出典) | |||
父 *イースタンフリート Eastern Fleet 1968 鹿毛 |
父の父 Fleet Nasrullah1955 鹿毛 |
Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Happy Go Fleet | Count Fleet | |||
Draeh | ||||
父の母 Amoret1952 鹿毛 |
Bull Lea | Bull Dog | ||
Rose Leaves | ||||
Mar-Kell | Blenheim | |||
Nellie Flag | ||||
母 *プティットデェース Petite Deesse 1970 黒鹿毛 |
*ダイアトム Diatome 1962 黒鹿毛 |
Sicambre | Prince Bio | |
Sif | ||||
Dictaway | Honeyway | |||
Nymphe Dicte | ||||
母の母 Petite Ourse1960 |
Krakatao | Nearco | ||
Life Hill | ||||
Aurore Polaire | Alizier | |||
Aurore Boreale F-No.22-a |