コンテンツにスキップ

エリモローラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エリモローラ
欧字表記 Erimo Roller[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1979年3月24日[1]
死没 不明(1988年9月27日用途変更)
イースタンフリート[1]
プティットデェース[1]
母の父 ダイアトム[1]
生国 日本北海道えりも町[1]
生産者 えりも牧場[1]
馬主 山本慎一[1]
調教師 大久保石松栗東[1]
競走成績
生涯成績 27戦8勝[1]
獲得賞金 2億642万5400円[1]
勝ち鞍 GII:日経新春杯(1984年)
毎日杯(1982年)
京都記念(1983年)
京阪杯(1983年)
テンプレートを表示

エリモローラErimo Roller1979年3月24日 - 不明)[1]は、日本競走馬種牡馬。主な勝ち鞍は1982年毎日杯1983年京都記念京阪杯1984年日経新春杯

経歴

[編集]

競走馬時代

[編集]

4歳時、新馬戦から3連勝後毎日杯に勝ち、クラシック戦線の伏兵馬と一部で騒がれたもののその後振るわず、1年以上鳴かず飛ばずの成績に陥っていた。5歳夏の札幌タイムス杯では単枠指定され、圧倒的な1番人気に応え勝利した。その後一息入れ京都記念、京阪杯と人気薄で重賞連覇を果たし、続く阪神大賞典では不得意な距離にもかかわらずシンブラウンの4着と健闘、重賞連覇がフロックでないことを印象付けた。

明け6歳初戦でのダート変更された日経新春杯では、得意のダートということもあり1番人気に支持された。同馬は3コーナー手前から持ったまま先頭に進出、一切追ったところなく、2着ハシローディーに 2-1/2馬身差をつけ勝利した。

その後京都記念にエントリーしたが脚部に屈腱炎を発症、現役から引退を余儀なくされた。「ダート専用馬」というような低評価の時代もあった[要出典]が、晩年はターフでも信頼感を高めており、充実期での引退であった。

引退後

[編集]

引退後は種牡馬となったが、産駒は5頭しか残すことができず、そのいずれも未勝利に終わった。1988年9月27日付で用途変更となり[2]、以降の動向は不明。

競走成績

[編集]

血統表

[編集]
エリモローラ血統ナスルーラ系 / Nearco 4×4=12.50%、Bull Dog 5×4=9.38%、Blenheim5×4= 9.38% (血統表の出典)

*イースタンフリート
Eastern Fleet
1968 鹿毛
父の父
Fleet Nasrullah
1955 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Happy Go Fleet Count Fleet
Draeh
父の母
Amoret
1952 鹿毛
Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Mar-Kell Blenheim
Nellie Flag

*プティットデェース
Petite Deesse
1970 黒鹿毛
*ダイアトム
Diatome
1962 黒鹿毛
Sicambre Prince Bio
Sif
Dictaway Honeyway
Nymphe Dicte
母の母
Petite Ourse
1960
Krakatao Nearco
Life Hill
Aurore Polaire Alizier
Aurore Boreale F-No.22-a


脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o エリモローラ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年6月26日閲覧。
  2. ^ エリモローラ(JPN) - 血統書サービス、2022年7月15日閲覧。

外部リンク

[編集]