コンテンツにスキップ

ウォラストン諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウォラストン諸島
スペイン語: Islas Wollaston
ヤーガン語Yachkusin(島々の場所)
Wollaston Islands
地理
座標 南緯55度40分 西経67度30分 / 南緯55.667度 西経67.500度 / -55.667; -67.500座標: 南緯55度40分 西経67度30分 / 南緯55.667度 西経67.500度 / -55.667; -67.500
諸島 ティエラ・デル・フエゴ
隣接水域 Pacific ocean
主要な島 グレヴィ島(西: Isla Grevy), ベイリー島(西: Isla Bayly), ウォラストン島(西: Isla Wollaston), フレシネト島スペイン語版フランス語版(西: Isla Freycinet)
行政
XII州
スペイン語版英語版 アンタルティカ・チレーナ県スペイン語版英語版
コムーナ カボ・デ・オルノス (コムーナ)スペイン語版英語版
追加情報
NGA UFI= -904865 (ウォラストン諸島), -904864 (ウォラストン島), -882858 (フレシネト島), -873377 (ベイリー島)
テンプレートを表示
ディエゴ・ラミレス諸島を除くビーグル水道以南の島々。小さい島の名前も確認できる。スペイン語表記。

ウォラストン諸島(ウォラストンしょとう、スペイン語: Islas Wollaston英語: Wollaston Islands)は、チリ最南部にある諸島で、ナバリノ島の南、ホーン岬(オルノス岬)の北、オステ島の東に位置する。ウォラストン諸島は、北からグレヴィ島(西: Isla Grevy)、ベイリー島(西: Isla Bayly)、ウォラストン島(西: Isla Wollaston)、フレシネト島スペイン語版フランス語版(西: Isla Freycinet)[1]、および周辺の小島(DédaloSurgideroDianaOtarieMiddle、およびAdriana の各島)からなる。ウラストン諸島のカタカナ表記もみられる[2]。ウォラストン諸島は、カボ・デ・オルノス国立公園の一部を形成する。

地理

[編集]

ウォラストン諸島は、フランクリン海峡フランス語版(西: Canal Franklin)によって隔てられたエルミテ諸島の北に位置する[1][3][4]。ウォラストン諸島の東に位置するTerhaltenSesambreEvout、およびBarnevelt の各島は、ウォラストン諸島の一部とはみなされない。ウォラストン諸島の北はナッサウ湾である。

歴史

[編集]

ウォラストン諸島は、イギリス海軍士官ヘンリー・フォスターによって1829年から1831年の間に名付けられた。その名はイギリスの科学者ウィリアム・ハイド・ウォラストンに因んでいる。先住したヤーガン族の言語、ヤーガン語における元々の地名はYachkusin("島々の場所"の意)であった。ヤーガン族は、ティエラ・デル・フエゴ(フエゴ諸島)の中央部からホーン岬にかけて住んでいた。数多くの地名は19世紀におけるイギリスの権益を反映している。

19世紀後半、ウォラストン諸島には英国聖公会南米伝道協会英語版スペイン語版のヤーガン族に対する布教拠点が置かれたことがあった[5]

チリとアルゼンチンが独立を達成した後、チリとアルゼンチンはこの地域における権利を強く主張した。1881年のチリ・アルゼンチン国境条約スペイン語版英語版において、ビーグル水道以南の島々はチリへ割譲されたが、1904年、アルゼンチンはこれらの島々の領有を主張した。1978年、アルゼンチンはホーン岬周辺の島々を占領しその後のチリの出方次第で第2局面において作戦を停止するかないしは敵対行動を継続するかというソベラニア作戦スペイン語版英語版("主権作戦")を開始したものの、わずか数時間でその侵攻作戦は中止された。1982年、フォークランド侵攻(フォークランド紛争を参照)後にも、アルゼンチン政府はビーグル水道以南の島々への侵攻を再度計画したことがあった。

ホーン岬周辺。グレヴィ島(西: Isla Grevy)、ベイリー島(西: Isla Bayly)、ウォラストン島(西: Isla Wollaston)、フレシネト島スペイン語版フランス語版(西: Isla Freycinet)

脚注・参照

[編集]
  1. ^ a b 10.7 Cabo de Hornos - ホーン岬周辺、ウォラストン・エルミテ多島海周辺の地図。スペイン語表記。本文は英語。
  2. ^ 例えば、『デラックス世界地図帳』(谷治正孝ほか(編)、昭文社、2006年、ISBN 4-398-20012-6)、および『小学館世界大地図』(山川史郎(発行)、小学館、2009年、ISBN 978-4-09-526066-2
  3. ^ 『世界地名大辞典9中南アメリカ』(竹内啓一(編)、朝倉書店、2014年、ISBN 978-4-254-16899-0)の「ウォラストン諸島」「オルノス岬」(いずれも船橋恵美執筆)の項によると、ウォラストン諸島はエルミテ島あるいはオルノス岬(ホーン岬)を含む地域として記述され、南半分をエルミテ諸島とはしていない事に留意。『日本大百科全書21』(相賀徹夫(編)、小学館、1988年、ISBN 4-09-526021-1)の「ホーン岬」の項(執筆松本栄次)の記述も同様に、ホーン岬を「ウォラストン諸島中最南の小島(オルノス島)にある。」と記述している。
  4. ^ 地図では、『デラックス世界地図帳』(谷治正孝ほか(編)、昭文社、2006年、ISBN 4-398-20012-6)が本記事におけるエルミテ諸島を含む全域をウラストン諸島と明示している。他に『グランド世界大地図』(全教図(編)、人文社、1981年)、および"Atlas général Larousse"(Harld Fullard, et al(ed), Liberarie Larousse, 1983, ISBN 2031523317)(百科辞典を出版するラルース社フランス語版のフランス語ベースの地図)においても、ウォラストン諸島およびエルミテ島は確認できるがエルミテ諸島は確認できない。
  5. ^ en:Martin Gusinde Anthropological Museum#Stirling Pavilion(「マルティン・グシンデ人類学博物館スペイン語版英語版」の「スターリング展示館」の節)も参照。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
  • Home Page(英語)(スペイン語)(フランス語)(イタリア語) - "PATAGONIA & TIERRA DEL FUEGO NAUTICAL GUIDE 2nd Ed(パタゴニアとティエラ・デル・フエゴの航海ガイド第2版)"(2007, ISBN 88-85986-34-X)の著者のウェブサイト
    • Nautical Section(英語) - ホーン岬、ウォラストン・エルミテ多島海を含む周辺の海図・地図が紹介されている。