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アン・ドノバン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アン・ドノバン
Anne Donovan
故人
英語 Anne Donovan
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1961-11-01) 1961年11月1日
没年月日 (2018-06-13) 2018年6月13日(56歳没)
出身地 ニュージャージー州
身長(現役時) 204cm (6 ft 9 in)
獲得メダル
女子 バスケットボール
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1984 ロサンゼルス バスケットボール
1988 ソウル バスケットボール
パンアメリカン競技大会
1983 カラカス バスケットボール
1987 インディアナポリス バスケットボール

アン・ドノバンAnne Donovan1961年11月1日 - 2018年6月13日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州リッジウッド出身の元女子バスケットボール選手でバスケットボール指導者である。

熊谷組でプレーしていたジョン・ドノバンは実兄。

来歴

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大学

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地元の高校卒業後、オールドドミニオン大学に進学し1979年にはチームをAIAWのチャンピオンに導くなど支配的な選手として活躍した。オールアメリカンに3度選出され、1983年には初代女子ネイスミス賞を獲得した。

日本での活躍

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大学卒業後、日本のシャンソン化粧品に入団。身長204cmは日本リーグ→Wリーグでプレーした歴代全選手で最長身である。

オールジャパン初優勝、3連覇に貢献。日本リーグでも優勝3度で2度のMVPと3度のベスト5を獲得し、第20回大会(1986-87シーズン)ではリバウンド賞も合わせての三冠獲得。第1次シャンソン黄金時代を支えた。

1987年からはイタリアのプロリーグでプレー。

ナショナルチーム

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米国代表としても1984年のロサンゼルス、1988年のソウルの2大会の連覇に貢献し金メダルを獲得した。

指導者

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1989年に現役引退。母校であるオールドドミニオン大学のアシスタントコーチに転じ、1995年イーストカロライナ大学のヘッドコーチに就任、ABLを経て、WNBAインディアナ・フィーバーシャーロット・スティングで指揮を執った。

2002年にはローレン・ジャクソンスー・バードらを擁するシアトル・ストームのヘッドコーチに就任。2004年のプレイオフでは女性ヘッドとして初めてとなる王座に導いた。ストームでは2007年まで指揮を執った。

2006年、女子米国代表ヘッドコーチに就任。同年の世界選手権は3位に終わったものの、北京オリンピックで金メダルを獲得。大会後勇退。

2009年、ニューヨーク・リバティアシスタントコーチに就任。後にヘッドコーチ昇格。

2010年、シートン・ホール大学のヘッドコーチに就任。

2013年、コネティカット・サンヘッドコーチとしてWNBA復帰。2015年退任。

1995年にはバスケットボール殿堂入りを果たしている[1]。1999年設置された女子バスケットボール殿堂にも顕彰されている。

2018年6月13日、心不全のため死去[2]。シアトル・ストーム、コネティカット・サン、シャンソンVマジックなど、日米問わず大きく貢献した各チームから追悼メッセージが寄せられた。[3]

脚注

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  1. ^ Porter p. 115
  2. ^ “女子バスケ米国代表で五輪連覇のドノバンさん死去”. 日刊スポーツ. (2018年6月14日). https://www.nikkansports.com/sports/news/201806140000538.html 
  3. ^ アン・ドノバンさん死去”. シャンソン化粧品 シャンソンVマジック オフィシャルサイト. 2018年9月13日閲覧。

出典

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  • David L. Porter, ed (2005). Basketball: A Biographical Dictionary. Greenwood Press. ISBN 978-0-313-30952-6 

関連項目

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外部リンク

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