アルトゥーラス・パウラウスカス
アルトゥーラス・パウラウスカス Artūras Paulauskas | |
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生年月日 | 1953年8月23日(71歳) |
出生地 | リトアニア・ソビエト社会主義共和国、ヴィリニュス |
所属政党 |
新同盟(1998年 - 2011年) →労働党(2011年 - 2017年) |
リトアニア共和国大統領(代行) | |
在任期間 | 2004年4月6日 - 2004年7月12日 |
リトアニア共和国環境大臣 | |
在任期間 | 2008年 - 2008年 |
アルトゥーラス・パウラウスカス(リトアニア語: Artūras Paulauskas、 、1953年8月23日 - )は、リトアニアの政治家。2000年から2006年までリトアニア議会議長。また、2004年には4月6日から7月12日までは大統領代行も務めた[1]。子供は前妻との間に2人の息子、現在の妻との間に息子と娘、計4人いる[1]。
政治家になるまで
[編集]大学では法学を専攻し、1976年にヴィリニュス大学を卒業。その後は研究者、検察官として活躍した。1987年から1990年にかけて、リトアニア検事副総長、1990年から1995年まではリトアニア検事総長を歴任し、1995年から1997年まで再び検事副総長を務めた。1997年から2000年までは民事裁判実務にたずさわる。[1]
政治家として
[編集]パウラウスカスは1997年、リトアニア大統領選挙に出馬、政界に足を踏み入れた。当時現職のアルギルダス・ブラザウスカス大統領の支援を受けたが、わずかの差でヴァルダス・アダムクス候補に敗れる。その後1998年4月25日、パウラウスカスは新党「新同盟」を設立し、その党首に就任[1]。新同盟は2000年リトアニア議会選挙で 19.6 % の得票率を獲得し第2党となり、第1党のリトアニア社会民主党などとともに連立政権入りを果たす。そしてパウラウスカスは2000年10月19日にリトアニア国会の議長に就任した。
2002年、パウラウスカスは再び大統領選挙に出馬するも、第1回投票でアダムクス、パクサス両候補に敗れた。
2004年4月6日パクサス大統領が弾劾され失職すると、パウラウスカスは代行でリトアニアの大統領も務めた。この代行は次のアダムクスが就任するまでの約3ヶ月間続いた。その後2006年4月11日にはリトアニア議会議長を辞職。2008年には環境大臣を務めた。
近年では政権与党の年金削減政策などに反対し、年金受給者や障害者などの社会的弱者の救済を訴えている[2]。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]議会 | ||
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先代 ヴィータウタス・ランズベルギス |
リトアニア共和国セイマス議長 (ただし大統領職代行中はユルシェーナスが代行) 第14-15代:2000年 - 2006年 |
次代 ヴィクトラス・ムンティアナス |
公職 | ||
先代 ロランダス・パクサス |
リトアニア共和国大統領(代行) 2004年 |
次代 ヴァルダス・アダムクス |
先代 アルーナス・クンドロタス |
リトアニア共和国環境大臣 2008年 |
次代 ゲディミナス・カズラウスカス |
党職 | ||
先代 (結党) |
新同盟党首 1998年 - 2011年 |
次代 (労働党に吸収) |