コンテンツにスキップ

アブドルラヒーム・ゴヴァーヒー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アブドルラヒーム・ゴヴァーヒー[1]ペルシア語: عبدالرحیم گواهیAbdolrahīm Govāhī英語: Abdolrahim Gavahi1944/45年[2] - )は、宗教学神秘主義哲学教授であり、政界での経歴も持っている。また、モハンマドタギー・ジャアファリーペルシア語版英語版の薫陶を受けた教え子の中でも最古参に属する[3]2000年8月から2002年7月にかけて経済協力機構(ECO)の事務総長を務め[4]日本スウェーデンノルウェーフィンランドに駐箚するイラン大使を務めたこともある[5]バーザルガーン政権では、首相首席補佐官と副首相を務めていた[6]

ゴヴァーヒーはアリーアクバル・モイーンファルペルシア語版英語版石油大臣ペルシア語版英語版の下で石油副大臣を務めていたことがあり、イラン商工鉱業農業会議所ペルシア語版英語版の会頭や政治組織エンジニア・イスラム学会ペルシア語版英語版書記に就任していたこともある。彼は現在、世界宗教研究所[7]の所長であり[8]イラン科学アカデミーペルシア語版英語版で未来予測の研究チームを率いている。

教育

[編集]

ゴヴァーヒーは1966年にアーバーダーン工科大学(現・石油工科大学ペルシア語版英語版)を卒業し、1973年ハーバード・ビジネス・スクールのイラン分校で経営学修士(MBA)を取得、1986年にはスウェーデンウプサラ大学宗教学Ph.D.博士水準の学位)を取得した[3]

日本との関係

[編集]

1982年から1987年まで、ゴヴァーヒーは駐日イラン大使を務めていた。長らくイランと日本の文化関係の強化に努めたことを評価され、2010年春の叙勲の受賞者に選ばれて、同年5月7日鳩山由紀夫首相の手渡しで旭日重光章を受章した[9]。ゴヴァーヒーの授かった旭日重光章は、革命前の皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィー1958年の訪日時に受賞した大勲位菊花章頸飾に次いで、日本からイラン人に授与された勲章の中では2番目に序列の高い勲章である。尚、後任のモハンマドホセイン・アーデリー駐日イラン大使も、2014年春の叙勲で旭日重光章を受章している[10]

出典・脚注

[編集]
  1. ^ アブドッラヒーム・ギャヴァーヒーとも。国立国会図書館で使用例あり。
  2. ^ イラン暦1323年。西暦1944年3月21日~1945年3月20日に相当。
  3. ^ a b アブドルラヒーム・ゴヴァーヒー博士へのインタビュー (مصاحبه دكتر عبدالرحیم گواهی) (ペルシア語) - 2003年7月8日
  4. ^ 経済協力機構の歴代事務総長 (ECO Secretary Generals) (英語)
  5. ^ アブドルラヒーム・ゴヴァーヒー『我々に降り注ぐ雨 ~半世紀と人生の肖像~』(قطره باران ما: تصویری از نیم قرن تلاش و زندگی) (ペルシア語)(ケリーダル、2014年) pp.310-312, p.320
  6. ^ ゴヴァーヒー『我々に降り注ぐ雨』 pp.307-308
  7. ^ 世界宗教研究所(ペルシア語: مرکز پژوهش ادیان جهان‎、英語: World Religion Research Center, WRRC
  8. ^ 本学会の研究員: アブドルラヒーム・ゴヴァーヒー博士 - 世界宗教研究所 (اعضای شـورای علمی: دکتر عبدالرحیم گواهی - مرکز پژوهش ادیان جهان) (ペルシア語)
  9. ^ 元駐日イラン大使が、春の叙勲で受章 - 2010年5月9日
  10. ^ 日本、元駐日イラン大使に旭日重光章を授与 - 2014年5月10日
公職
先代
エンダー・エザルトルコ語版
経済協力機構(ECO)事務総長
2000~2002年
次代
セイイェド・モジュタバー・アラーストゥー