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アゼルバイジャン=ジョージア国境

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アゼルバイジャン=ジョージア国境
アゼルバイジャンの地図。ジョージアは北西にある。
特徴
対象 アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン ジョージア (国)の旗 ジョージア
延長 428 km
歴史

アゼルバイジャン=ジョージア国境(アゼルバイジャン=ジョージアこっきょう、アゼルバイジャン語: Azərbaycan–Gürcüstan sərhədi, グルジア語: აზერბაიჯან-საქართველოს საზღვარი, ラテン文字転写: azerbaijan-sakartvelos sazghvari)は、アゼルバイジャンジョージアの間の国境である。

西端のアルメニアとの三国国境から北東に進み、ジャンダリ湖英語版を通った後で南東に曲がる。ミンガチェビル貯水池英語版付近からアラザニ川に沿って北東、後に北西に進む。ツノリ英語版の東でアラザニ川から離れて北東に進み、東端のロシアとの三国国境に至る。延長は428キロメートルである[1]

歴史

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コーカサス地方は19世紀を通して、衰退しつつあったオスマン帝国ガージャール朝ペルシャ)、南下を意図していたロシア帝国の間で争われていた。ロシアは、1801年に現在のジョージア東部のカルトリ・カヘティ王国を、1804年に現在のジョージア西部のイメレティ王国英語版を併合した。1800年代、ロシアはペルシャとオスマン帝国の領土に侵攻し、国境を南に押し下げた[2]ロシア・ペルシャ戦争とその後のゴレスターン条約によって、ロシアは現在のアゼルバイジャンの大部分とアルメニアの一部を獲得した[3][4]。ロシアはジョージアとアゼルバイジャンの領土に、チフリス英語版クタイス英語版バクーエリザヴェトポリ英語版の各グベールニヤ(県)を設置した。

ザカタル管区英語版を含む旧チフリス県の地図

1917年のロシア革命の後、南コーカサスの人々は1918年4月にザカフカース民主連邦共和国の建国を宣言し、オスマン帝国との和平交渉英語版を開始した[5][6]。同年5月にジョージアが連邦から離脱し、その直後にアルメニアアゼルバイジャンも脱退して連邦は崩壊し、3つの共和国の間の国境を巡って紛争が勃発した。アゼルバイジャンとジョージアの間の紛争は、旧チフリス県におけるザカタル管区英語版の扱いを巡るものだった[7]。ソビエトロシアが1920年のモスクワ条約英語版でジョージアの独立を承認したが、この条約の中でザカタルがジョージア領とされていたため、アゼルバイジャン政府が抗議した[8][7]。1920年5月、ソビエトロシアの後ろ盾で国境画定を行うことで合意がなされた[7]。1920年6月12日に開催された和平交渉で国境の大部分について合意され、ザカタルの扱いはソビエトロシア主導の委員会によって決定された[7][9]

1920年、ソビエトロシアの赤軍がアルメニアとアゼルバイジャンに侵攻英語版し、両国の独立は終了した。翌1921年にはジョージアにも侵攻英語版した。1921年7月5日、ソビエトロシアはザカタルをアゼルバイジャン領とし、それ以外の国境についてはそのままとすることを確認し、1921年11月15日の条約で最終決定された[7]。1922年、アゼルバイジャンとジョージアはアルメニアとともにソ連領内のザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国に編入されたが、1936年にアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国グルジア・ソビエト社会主義共和国として分離された。

1991年にソビエト連邦が崩壊して構成共和国が独立し、構成共和国の境界がそのまま国境となった。1994年に国境画定作業が開始されたが、領有権を主張する領域に重なりがあるため、作業はいまだに完了していない[7][10]。国境にある赤い橋の周辺には、1990年代の第一次ナゴルノ・カラバフ戦争の時に埋められた地雷がそのままになっている箇所がある。アゼルバイジャンによって、ジョージアの混乱に乗じてアルメニアがこの地域を自国領土への攻撃に利用することを恐れて敷設されたものである[11]。また、ジョージア人にとっての聖地であるダヴィド・ガレジ複合修道院は、国境のすぐそばにあり、特に紛争が絶えない[7][12]

ジョージア領内のクヴェモ・カルトリ州南部などに少数のアゼルバイジャン人が居住し[13][14]、アゼルバイジャン領内のサインギロ英語版地方などにインギロイ人と呼ばれる少数のジョージア人が居住する[15][16][17]

国境通過点

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国境通過点のジョージア側から見たアゼルバイジャン
国境通過点にある「赤い橋

両国間の通行可能な国境通過点は以下の通りである[18]

脚注

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  1. ^ CIA World Factbook - Georgia”. Central Intelligence Agency. 4 February 2021時点のオリジナルよりアーカイブ9 September 2020閲覧。
  2. ^ The boundary between Turkey and the USSR, (January 1952), オリジナルの10 April 2020時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20200410165528/https://www.cia.gov/library/readingroom/docs/CIA-RDP79-00976A000200010005-2.pdf 8 April 2020閲覧。 
  3. ^ John F. Baddeley, "The Russian Conquest of the Caucasus", Longman, Green and Co., London: 1908, p. 90
  4. ^ USSR-Iran Boundary, (February 1951), オリジナルの10 April 2020時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20200410205605/https://www.cia.gov/library/readingroom/docs/CIA-RDP79-00976A000200010003-4.pdf 9 April 2020閲覧。 
  5. ^ Richard Hovannisian, The Armenian people from ancient to modern times, pp. 292–293, ISBN 978-0-333-61974-2, OCLC 312951712  (Armenian Perspective)
  6. ^ Ezel Kural Shaw (1977), Reform, revolution and republic : the rise of modern Turkey (1808-1975), History of the Ottoman Empire and Modern Turkey, 2, Cambridge University Press, p. 326, OCLC 78646544  (Turkish Perspective)
  7. ^ a b c d e f g Georgian State Border – Past and Present”. Centre for Social Sciences (August 2020). 4 February 2021時点のオリジナルよりアーカイブ9 September 2020閲覧。
  8. ^ Lang, DM (1962). A Modern History of Georgia, p. 226. London: Weidenfeld and Nicolson.
  9. ^ Hille, Charlotte (2010). State Building and Conflict Resolution in the Caucasus. Leiden, the Netherlands: Koninklijke Brill NV. pp. 95. ISBN 978-90-04-17901-1 
  10. ^ Ekaterina Arkhipova (December 2016), Georgia and Azerbaijan: border delimitation and security challenges, オリジナルの4 February 2021時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20210204222524/https://www.academia.edu/30233834/Georgia_and_Azerbaijan_border_delimitation_and_security_challenges_Border_Breifings_Vol_3_December_2016_ 9 September 2020閲覧。 
  11. ^ Bradley Jardine (19 September 2018). “Azerbaijan-Georgia border dispute a political, and literal, minefield”. Eurasianet. オリジナルの4 February 2021時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210204222557/https://eurasianet.org/azerbaijan-georgia-border-dispute-a-political-and-literal-minefield 9 September 2020閲覧。 
  12. ^ Michael Mainville (2007年5月3日). “Ancient monastery starts modern-day feud in Caucasus”. Middle East Times. オリジナルのSeptember 29, 2007時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070929095720/http://www.metimes.com/storyview.php?StoryID=20070503-033409-4589r 2007年6月23日閲覧。 
  13. ^ Jonathan Wheatley. Obstacles Impeding the Regional Integration of the Kvemo Kartli region of Georgia. European Centre for Minority Issues Working Paper #23. February 2005
  14. ^ 2014 Georgian General Population Census - Demographic And Social Characteristics Archived 2019-08-15 at the Wayback Machine.. Retrieved 21 May 2017.
  15. ^ Mahdavi, Shirin (17 September 2018). “Georgian Churches in Azerbaijan”. Georgia Today. 4 February 2021時点のオリジナルよりアーカイブ4 October 2020閲覧。
  16. ^ Council of Europe: Secretariat of the Framework Convention for the Protection of National Minorities, Fourth Report submitted by Azerbaijan pursuant to Article 25, paragraph 2 of the Framework Convention for the Protection of National Minorities Archived 2021-02-04 at the Wayback Machine. (Received on 10 January 2017), 10 January 2017, ACFC/SR/IV(2017)002
  17. ^ Are Georgia-Azerbaijan Relations at Risk?”. CACI Analyst (30 July 2019). 4 February 2021時点のオリジナルよりアーカイブ10 September 2020閲覧。
  18. ^ Border checkpoints of Georgia”. State Commission on Migration Issues. 19 July 2021閲覧。
  19. ^ Red Bridge Customs Checkpoint”. Georgian Travel Guide. 19 July 2021閲覧。
  20. ^ a b Georgia Border Crossings”. Caravanistan. 4 February 2021時点のオリジナルよりアーカイブ9 September 2020閲覧。
  21. ^ Mtkvari Customs Checkpoint”. Georgian Travel Guide. 19 July 2021閲覧。
  22. ^ Samtatskaro Customs Checkpoint”. Georgian Travel Guide. 19 July 2021閲覧。
  23. ^ Lagodekhi Customs Checkpoint”. Georgian Travel Guide. 19 July 2021閲覧。

関連項目

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