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ザカフカース民主連邦共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザカフカース民主連邦共和国
Закавказская демократическая федеративная республика (ロシア語)
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
:ru:Администрация Западной Армении
1918年
4月22日 - 5月28日
グルジア民主共和国
アゼルバイジャン民主共和国
アルメニア第一共和国
ザカフカースの国旗
(国旗)
ザカフカースの位置
ザカフカース民主連邦共和国の地図
公用語 グルジア語
アゼルバイジャン語
アルメニア語
首都 ティフリス
ザカフカース議会議長
1918年 - 1918年 ニコライ・チヘイゼ
閣僚会議議長
1918年 - 1918年アカキ・チケンケリロシア語版
変遷
建国 1918年4月22日
共和国廃止1918年5月26日
通貨ルーブル

ザカフカース民主連邦共和国(ザカフカースみんしゅれんぽうきょうわこく、ロシア語: Закавказская демократическая федеративная республика)は、1918年4月から5月にかけて南カフカースアゼルバイジャンアルメニアジョージア)に存在した連邦国家である。ロシア革命にともない、アゼルバイジャンのミュサヴァト党、アルメニアのダシナク党(民族主義者)、ジョージア(グルジア)のメンシェヴィキを中心としてロシアからの分離、独立を果たしたが、2ヶ月も経たないうちに3カ国に分裂した。

歴史

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前史

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ロシア帝国時代、南コーカサス地方はティフリス(現在のトビリシ)カフカース総督府の管轄下に置かれていたが、二月革命後の1917年旧暦3月9日、その権限は超党派のザカフカース特別委員会英語版: ОЗАКОМ)に引き継がれた[1][2]。委員会はペトログラードの臨時政府に従って戦争を継続し、十月革命ボリシェヴィキのクーデターとして退けた[3]。しかし、革命によりロシア人兵士が帰還すると、オスマン帝国との戦線は劣勢となった[4]

1917年旧暦11月15日にはザカフカース委員部ロシア語版が形成され、グルジア人メンシェヴィキゲゲチコリ英語版議長を含めた12名で構成された[5]。さらに18年2月には立法機関としてザカフカース議会(セイム)ロシア語版が設置された[5]

1918年3月3日、モスクワのソビエト政府はブレスト=リトフスク条約により同盟国と講和したが、しかしザカフカース委員部に諮ることなく、オスマン帝国に隣接するカルス州とバトゥーム州を放棄したため、やがて2州は占領された[5][4]

独立宣言

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このような事態に対処するため[5]、あるいはオスマン帝国の要求に従い[4]、1918年4月22日にザカフカース議会はロシアからの分離、ザカフカース民主連邦共和国の建国を宣言した[5][4]

共和国の最高機関は、ザカフカース議会であり、ニコライ・チヘイゼ(グルジア人)が議長を務め、アルメニア人とアゼルバイジャン人が副議長を務めた。共和国政府はブレスト=リトフスク条約を認めなかったが、軍事力を有さなかったため、5月11日~26日、バトゥーミにおいてドイツ・トルコ軍司令部と交渉に入った。交渉中、3民族の意見の相違(アルメニアとグルジアは親独、アゼルバイジャンは親土など)が明らかになったため、3民族の国民会議は独立国家の建国に賛成した。また、ドイツ・トルコ側も連邦共和国の廃止に賛成した。

1918年5月26日、ザカフカース議会は連邦共和国の廃止を建議した。5月26日にグルジア民主共和国が、27日にアゼルバイジャン民主共和国が、28日にアルメニア共和国が建国された。

ザカフカース議会

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ザカフカース議会は、1918年2月10日、ザカフカースのロシアからの離脱の法的手続を目的にザカフカース委員部により設置された機関である。3月26日の委員部解散後、同地域の主要権力機関となった。議会は、ザカフカースから制憲議会に選出された代議員、アゼルバイジャンのミュサヴァト党、アルメニアのダシナク党、グルジアのメンシェヴィキ等、政党の代表から構成された。共和国大統領たる議会議長には、ニコライ・チヘイゼが選出された。3月、ザカフカースのロシアからの離脱を可決し、4月9日、ザカフカース民主連邦共和国を宣言した。連邦共和国の分裂後、5月26日、議会の解散が宣言された。

脚注

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  1. ^ 木村(1999年)、204ページ。
  2. ^ 伊藤(2014年)、210ページ。
  3. ^ 伊藤(2014年)、210-211ページ。
  4. ^ a b c d 伊藤(2014年)、211ページ。
  5. ^ a b c d e 木村(1999年)、205ページ。

参考文献

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  • 木村英亮 『ロシア現代史と中央アジア』 有信堂高文社、1999年
  • 伊藤順二「帝国ソ連の成立―南コーカサスにおけるロシア帝国の崩壊と再統合」山室信一、岡田暁生、小関隆、藤原辰史(編)『現代の起点 第一次世界大戦 第4巻 遺産』 岩波書店、2014年

関連項目

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