コンテンツにスキップ

アエロフロート8641便墜落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アエロフロート 8641便
同型機のYak-42
事故の概要
日付 1982年6月28日
概要 金属疲労によるスクリュージャッキの破損、設計上の欠陥
現場 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 白ロシア マズィル付近
1738北緯39度39分37.12秒 西経119度52分40.81秒 / 北緯39.6603111度 西経119.8780028度 / 39.6603111; -119.8780028座標: 北緯39度39分37.12秒 西経119度52分40.81秒 / 北緯39.6603111度 西経119.8780028度 / 39.6603111; -119.8780028
乗客数 124
乗員数 8
負傷者数 0
死者数 132(全員)
生存者数 0
機種 ヤコヴレフ Yak-42
運用者 ソビエト連邦の旗 アエロフロート・ソビエト航空
機体記号 CCCP-42529
出発地 ソビエト連邦の旗 プルコヴォ空港
目的地 ソビエト連邦の旗 キーウ・ジュリャーヌィ国際空港
テンプレートを表示

アエロフロート8641墜落事故(アエロフロート8641びんついらくじこ)は、1982年6月28日に発生した航空事故である。プルコヴォ空港キーウ・ジュリャーヌィ国際空港行きだったアエロフロート8641便(ヤコヴレフ Yak-42)が、ピッチ角のコントロールを失い急降下した。機体は空中分解し、乗員乗客132人全員が死亡した。この事故は、Yak-42で発生した初めての事故であり、ベラルーシ史上最悪の航空事故ともなっている[1][2]

事故機

[編集]

事故機のヤコヴレフ Yak-42(CCCP-42529)は、事故までに795時間の飛行時間と496サイクルを経験していた[3]

事故機には4人のコックピットクルーと4人の客室乗務員、124人の乗客が搭乗していた[3][4]。コックピットクルーは、機長と副操縦士、航空機関士、ナビゲーターにより構成されていた[3][4]

事故の経緯

[編集]

8641便は搭乗の遅れにより、定刻より1分遅いUTC9時01分にプルコヴォ空港を離陸した。10時45分にボルィースピリ管制の空域に入った。10時48分01秒、パイロットは降下の準備を開始したが、57秒後に緊急着陸の許可を管制官に要求した。管制官は7,800メートル (25,600 ft)のホールディングパターンを維持するよう指示した。パイロットは飛行経路を確認したが、8641便からの交信は以降なかった。10時51分20秒、自動操縦により着陸に向けて降下を開始した。10秒後に突然、スタビライザーが機首下げ位置の限界である2度を越え、-1.5Gが生じた。自動操縦は、スタビライザーを調節し0.6度まで戻した。しかし、パイロットが機体を水平にするため操縦桿を3秒間引いたため、自動操縦が解除された。機体は急降下を始め、10時51分50秒に俯角が50度に達した。機体には2Gを越える力が働き、空中分解し墜落した[5]

機体の残骸は首都圏から南西12km地点で発見された。6.5×3.5kmの範囲に残骸は散乱しており、乗員乗客132人全員が死亡した[5]

事故調査

[編集]

Yak-42のスクリュージャッキの構造に欠陥があり、疲労亀裂が生じたことが判明した。原因として、不適切なメンテナンス及びスタビライザーの制御装置が基準を満たしていなかったことをあげた。スクリュージャッキの図面にサインをした3人のエンジニアが有罪判決を受けた。

スタビライザーの突発的な動作は構造不良により、42M5180-42ねじが疲労により破断したことが原因だと述べられた。この事故を受けて、Yak-42は全機が設計が修正されるまでの間、運航停止となった[1][5][6]

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b ASN Aircraft accident Yakovlev 42 CCCP-42529 Mozyr”. aviation-safety.net. 2017年12月29日閲覧。
  2. ^ УПАВШИЕ С НЕБА. Архив БГ. №29 (345) 29 июля 2002 г.. БелГазета. Новости Беларуси. Белорусские новости”. www.belgazeta.by. 2017年1月11日閲覧。
  3. ^ a b c Яковлев Як-42 Бортовой №: СССР-42529”. russianplanes.net. 2017年12月29日閲覧。
  4. ^ a b Документальный детектив (2014-09-15), Документальный детектив – Ленинград-Киев. Прерванный полёт..., https://www.youtube.com/watch?v=mxbiHqdDoNc 2017年1月11日閲覧。 
  5. ^ a b c Катастрофа Як-42 Ленинградского УГА близ Наровли, Белоруссия”. www.airdisaster.ru. 2017年1月11日閲覧。
  6. ^ Gordon, Komissarov and Komissarov 2005, p. 315.