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野中信吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野中 信吾
オリックス時代
(2012年7月8日、QVCマリンフィールドにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県神埼市
生年月日 (1983-09-24) 1983年9月24日(41歳)
身長
体重
168 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手遊撃手二塁手
プロ入り 2001年 ドラフト5巡目
初出場 2002年9月23日
最終出場 2013年5月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

野中 信吾(のなか しんご、1983年9月24日 - )は、佐賀県神埼市出身の元プロ野球選手外野手内野手)。右投両打。

経歴

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プロ入り前

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佐賀県神埼市出身。2001年第73回選抜(2回戦敗退)・第83回全国選手権(3回戦敗退)と春夏連続出場。遊撃での高い守備力とセンスと脚力、高校通算19本の本塁打を放った思い切りのいい打撃を評価されプロのスカウトの注目を浴びることになる。2001年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから5巡目指名を受けて入団。このとき横浜も野中を指名予定であったが、直前で攫われたことから、当時の監督の森祇晶に「ドラフト失敗」とまで言わしめた。

日本ハム時代

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2002年にルーキーながらも終盤に一軍へ昇格し、9月23日の対ロッテ戦で、代走としてプロ初出場を果たす。10月5日の対近鉄戦で、プロ初安打を記録。

2003年は一軍出場はなく、同年オフに横山道哉との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍[1]。このトレードは、2001年当時横浜のスカウトを務め、野中を追いかけていた岩井隆之が2004年から二軍監督に就任するにあたり、どうしても諦めきれずに日本ハムに譲渡を申し入れたものである。また、岩井の進言によって一時左打ち転向となり、さらには一軍ヘッド兼打撃コーチの松原誠の進言でスイッチヒッターに転向する。

横浜時代

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横浜時代(2009年8月25日、横須賀スタジアムにて)

2004年イースタン・リーグの盗塁王(32盗塁)を獲得。一軍でも代走で7試合に出場し3盗塁を記録(打席機会なし)。

2005年は代走要員として一軍に定着し、30試合に出場。4月29日の対中日戦で移籍後初打席に立ち、右中間を破るタイムリー三塁打を放った。

2006年はイースタン・リーグで2度目の盗塁王(26盗塁)を獲得するが、一軍では2試合の代走出場のみに終わった。

2007年に監督就任した大矢明彦の勧めで、交流戦途中にスイッチヒッターから右打ちに戻した。シーズン前半は主に代走・守備固めで活躍。後半からはスタメン起用が大幅に増え、自己最多の79試合に出場しチームトップの15盗塁を記録した。また、7月25日に読売ジャイアンツ林昌範からプロ初本塁打を放ち、7月28日には3安打1盗塁2得点の活躍でヒーローインタビューを経験、出塁率は3割を超えるなど打力でもアピールした。二塁手24試合、遊撃手32試合を守ってどちらのポジションでも安定した守備を見せ、出場機会を増やすため外野手も1試合守った。

2008年は打撃成績などが思うように伸びず、ほとんどの成績で前年を下回る結果となった。

2009年は僅か7試合の出場で、盗塁出来ずに盗塁失敗は2回。

2010年は36試合に出場し7盗塁を記録するも打席に立つ機会は少なく、2年連続で無安打だった。11月11日に一輝との交換トレードで桑原謙太朗と共にオリックス・バファローズへ移籍。背番号は横浜時代と同じ53に決まった。

オリックス時代

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2011年は監督の岡田彰布の進言で、再びスイッチヒッターに転向[2]。代走要員として開幕一軍入りを果たす。しかし、4月16日の対楽天戦で、同点の二塁走者として代走で出場するも、坂口智隆の安打で打球判断を誤って三塁に止まり、結局後続の凡退で同点に追いつけず試合に敗れた。5月22日に登録抹消されて以降は、後藤光尊大引啓次ら内野陣が安定し始めたのもあり、一軍に昇格する事なくシーズンを終えた。12試合の出場に留まり、打撃も3打席で1犠打・2三振で3年連続無安打だった。

2012年は外野手として登録され、前年同様に代走要員として開幕一軍入りを果たす。5月17日の対読売ジャイアンツ戦で坂口智隆が戦線離脱したのを受け、5月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、横浜時代の2010年4月23日の対ヤクルト戦以来、移籍後初のスタメン出場を果たすと、第2打席で内野安打を放ち2008年9月5日以来1352日ぶりの安打を記録した。1点を追う9回表の第4打席でも安打を放ち、2007年9月2日以来1721日ぶりのマルチ安打を記録し、その後の逆転劇で結果的にチームの連敗を6で阻止する契機となり、1、2番打者として出場する機会が増えていき、5月25日の対広島東洋カープ戦では自己最多の1試合3盗塁をマークし、5月27日のDeNA戦では5年ぶりの三塁打も放っている。その後は74試合に出場してチーム最多の12盗塁をマークした。

2013年は坂口の復帰や糸井嘉男の加入もあり、一転して僅か6試合の出場に留まった。10月7日に球団から戦力外通告を受ける[3]

引退後

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引退後はトレーナーの養成専門学校に通いつつ仁志ベースボールアカデミーの講師として活動。2016年から地元・神埼市の教育委員会の学校体育補助員に就任した[4]

選手としての特徴・人物

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俊足好守の内野手・外野手[5]。プロ入り後はトップクラスの俊足[6]と二塁・遊撃・外野をこなす守備力[7]を活かして主に代走・守備固めのスペシャリストとして活躍した[8]。打撃に課題を持つが[9]、学生時代からバントが得意であった[10]

内野守備では仁志敏久を参考にしている[9]。2007年からは彼と同僚となり、試合で二遊間を組むこともあった[9]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2002 日本ハム 5 6 5 0 1 1 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 3 0 .200 .200 .400 .600
2004 横浜 7 0 0 3 0 0 0 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2005 30 7 6 8 1 0 1 0 3 1 1 1 1 0 0 0 0 2 0 .167 .167 .500 .667
2006 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2007 79 140 115 22 29 5 1 1 39 8 15 7 12 0 10 0 3 25 2 .252 .328 .339 .667
2008 54 57 56 5 10 2 0 1 15 1 6 3 1 0 0 0 0 6 2 .179 .179 .268 .446
2009 7 1 1 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2010 36 7 5 7 0 0 0 0 0 0 7 2 0 0 2 0 0 1 0 .000 .286 .000 .286
2011 オリックス 12 3 2 2 0 0 0 0 0 0 2 1 1 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2012 74 149 120 22 26 3 2 0 33 7 12 6 16 0 11 0 2 20 2 .217 .293 .275 .568
2013 6 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:11年 312 372 312 71 67 11 4 2 92 17 47 24 32 0 23 0 5 59 6 .215 .279 .295 .574

記録

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背番号

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  • 61 (2002年 - 2003年)
  • 53 (2004年 - 2013年)

脚注

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  1. ^ 「日本ハムと横浜でトレード」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2003年(平成15年)10月15日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  2. ^ オリ岡田監督が野中にスイッチ再転向指令 - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2024年2月12日閲覧。
  3. ^ オリックス 鴨志田ら4選手に戦力外通告スポーツニッポン2013年10月7日配信
  4. ^ 元プロ野球選手の野中さん、体育補助員に佐賀新聞2016年4月8日配信
  5. ^ 元プロ野球選手の野中さん、体育補助員に 子どもたちの体力向上へ | 行政・社会 | 佐賀新聞ニュース”. 佐賀新聞 (2024年1月29日). 2024年1月28日閲覧。
  6. ^ 【オリックス】移籍の野中が俊足を披露 - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2024年1月28日閲覧。
  7. ^ マルチな活躍でチームを支える | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2024年1月28日閲覧。
  8. ^ バイプレーヤーの存在感 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2024年1月28日閲覧。
  9. ^ a b c SPORTSよこはまVol.4:横浜熱闘倶楽部 / 横浜スポーツ情報サイト[ハマスポ]”. 2024年1月28日閲覧。
  10. ^ 佐賀新聞”. 2024年1月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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