第20回選抜高等学校野球大会
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第20回選抜高等学校野球大会 | |
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試合日程 | 1948年4月1日 - 4月6日 |
出場校 | 16校 |
優勝校 | 京都一商(京都、初優勝) |
試合数 | 15試合 |
入場行進曲 | 『鐘の鳴る丘』 |
大会本塁打 | 1本 |
< 19471949 > 選抜高等学校野球大会 |
第20回選抜高等学校野球大会(だい20かいせんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、1948年4月1日から4月6日まで甲子園球場で行われた選抜高等学校野球大会である。
概要
[編集]「全国大会を1年に2回も行う必要はない」とするGHQとの交渉の結果、1948年からは「全国大会」ではなく「近畿中心の招待大会」という位置付けで開催が許可された[1][2]。「全国」の文字は削除され[注釈 1]、回数もリセットされ、学制改革による中等学校から高等学校への改編もあいまって、「第1回選抜高等学校野球大会」として開催された。ただし、開幕と高等学校への改編が同日という日程だったこともあり、出場16校の校名はすべて中等学校時代の校名が採用されている。また、回数については1955年に通算に戻すことが決定され、「第20回選抜高等学校野球大会」となった。
「近畿中心の招待大会」については、これは大会存続のための言葉の綾で、近畿勢が多く選出されるのは1924年の第1回大会以来のことであり、実態は変わっていない。むしろ以前のほうが近畿勢の割合が高い傾向にあり、1934年の第11回大会は出場20校のうち10校が近畿勢だった。
この大会より警察音楽隊による入場行進曲の演奏が始まった。
出場校
[編集]組み合わせ・試合結果
[編集]1回戦 - 決勝
[編集]1回戦 | 準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | |||||||||||
京都二商 | 7 | |||||||||||||
大分中 | 0 | |||||||||||||
京都二商 | 1 | |||||||||||||
享栄商 | 0 | |||||||||||||
享栄商 | 4 | |||||||||||||
徳島商 | 3 | |||||||||||||
京都二商 | 4 | |||||||||||||
下関商 | 2 | |||||||||||||
高知商 | 5 | |||||||||||||
桐生工 | 2 | |||||||||||||
高知商 | 1 | |||||||||||||
(延長14回) | ||||||||||||||
下関商 | 7 | |||||||||||||
下関商 | 4 | |||||||||||||
(延長11回) | ||||||||||||||
浪華商 | 0 | |||||||||||||
京都二商 | 0 | |||||||||||||
京都一商 | 1x | |||||||||||||
田辺中 | 14 | |||||||||||||
岐阜商 | 2 | |||||||||||||
田辺中 | 2 | |||||||||||||
(延長13回) | ||||||||||||||
京都一商 | 4 | |||||||||||||
京都一商 | 3 | |||||||||||||
小倉中 | 2 | |||||||||||||
京都一商 | 4 | |||||||||||||
北野中 | 1 | |||||||||||||
北野中 | 5 | |||||||||||||
金沢三中 | 3 | |||||||||||||
北野中 | 3 | |||||||||||||
神戸二中 | 2 | |||||||||||||
神戸二中 | 2 | |||||||||||||
早稲田実 | 1 | |||||||||||||
決勝戦スコア
[編集]大会本塁打
[編集]- 第1号:鈴江準一郎(徳島商)
その他の主な出場選手
[編集]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1947年(第19回大会)までは「全国選抜中等学校野球大会」という大会名で開催されていた。
出典
[編集]- ^ “Fマークに込められた想い”. 公益財団法人 日本高等学校野球連盟. 2024年9月9日閲覧。
- ^ "「選ぶ意義」重んじ100年…センバツ18日 開幕". 読売新聞オンライン. 読売新聞社. 14 March 2024. 2024年9月9日閲覧。