現代ウクライナ文学
現代ウクライナ文学(ウクライナ語: сучасна українська література)とは一般的には1980年代後半以降に書かれたウクライナ文学を指す。ソヴィエト連邦時代にはウクライナ文学は社会主義リアリズムを強制されていたが、ソ連崩壊後は政府による検閲がなくなり表現の自由が生まれた[1][2]。現代ウクライナ文学は、過去にはタブーだったテーマを扱うようになり、新しい様式を取り入れている[3]。
歴史[編集]
時代的な定義は1980年代後半以降を指し、チェルノブイリ原発事故やペレストロイカ、詩人グループのブー・バー・ブーが結成された時期にあたる[4]。現代ウクライナにおいて原発問題、独立運動、文学は結びついており、1986年のチェルノブイリ原発事故の後に、モスクワ政府との対立やウクライナ語の公用語運動が行われた。1989年の言語法でウクライナ語が公用語となり、1991年のソ連崩壊と独立によってソ連時代に検閲されていた作品の復刊や再評価が進んだ[5]。
世代によって作風に違いが見られる。1928年から1947年生まれの作家は1960年代以降から活動しており60年代人と呼ばれ、「心の亡命」の世代とも呼ばれる[注釈 1][1]。1939年から1953年生まれの作家は1970年代から活動しており、ポスト60年代人で内向的とも呼ばれる[注釈 2]。1949年から1965年生まれの作家は80年代人で個人主義でメランコリーの世代とも呼ばれる[注釈 3]。1964年から1977年生まれの90年代人は、検閲がなくなって文学を多様化した世代とも形容される[注釈 4]。1978年から1988年生まれの作家は自己PRやパフォーマンスがうまい世代とも呼ばれる[注釈 5]。さらに2010年代以降に活動を始めた作家や、世代的な特徴では区分できない作家もいる[8]。
言語[編集]
言語的な定義は、ウクライナ在住またはウクライナをテーマとするウクライナ語やロシア語作家の作品を主に指す。これに加えて、ウクライナ語とロシア語の混合語スルジクの作品や、国外の作家がウクライナ語や非ウクライナ語で執筆した作品もある(後述)[4][9]。
ウクライナ語は古東スラヴ語をもとにしており、ロシア語やベラルーシ語に近い。ウクライナがロシア帝国領やソ連の構成国だった時代には、ウクライナ語はしばしば使用を禁止された[注釈 6]。独立後はウクライナ語の復権が行われている[13]。
作品形式とテーマ[編集]
ソ連時代の文学では社会主義リアリズムが強制され、ウクライナ文化の表現が迫害の対象だった[2]。独立後は言語や表現の抑圧がなくなり、作家の挑戦によってそれまでになかったジャンルの作品も発表された。また、国外の文芸作品の翻訳が読まれるようになった[14]。解放と自由によって1990年代から2000年代に重要な作品を発表した作家として、ユーリー・アンドルホーヴィチ、エフゲン・パシュコフスキ、オレーシ・ウリャネンコ、オクサーナ・ザブジェコ、ユルコー・イゾドリック、ステパーン・プロチュクらがいる[注釈 7][15]。
詩、歌謡[編集]
1987年に結成された詩人グループのブー・バー・ブーは、ペレストロイカ期の1987年から1992年にかけてリヴィウやキーウで詩の朗読会を行い、風刺と笑いの作風で人気を集めた[16]。ブー・バー・ブーのメンバーであるユーリー・アンドルホーヴィチは現代ウクライナ文学の牽引者として知られており、小説やエッセイも発表し、ハンナ・アレント賞などで国際的な評価を得ている[17][18]。
セルヒー・ジャダンは繊細な詩とソ連崩壊後の社会問題をテーマとする小説を発表している[19]。イリーナ・ ツィリックは、詩人・作家のほかに映画監督としても活動している[20]。音楽活動を行う作家もおり、セルヒー・ジャダンはロックバンドジャダン・イ・ソバキ(ジャダンと犬)、イレーナ・カルパはカルパというパンクバンドで人気を呼んでいる[21]。
1960年代にデビューしたリーナ・コステンコは、幼少期に独ソ戦を経験し、政治的圧力を受けながら創作を続けて1980年代に著名になった経歴があり、ウクライナ文学の生き証人である。歴史物語詩『マルーシャ・チュライ』(1979年)や『十字路のマドンナ』(2012年)など古典的な詩から自由詩までさまざまな形式で表現し、国民的詩人となった[22][23]。19世紀の詩人タラス・シェフチェンコは民族独立の象徴として知られており、生誕200年祭は2014年の尊厳の革命の直後に行われた[注釈 8][25]。
小説[編集]
独立後は短編小説が流行し、のちに長編小説が発表されるようになった。オクサーナ・ザブジュコは『置いて行かれた秘密の図書館』(2009年)という832ページの小説を発表し、ウクライナには本当に長い長編がないという批判への反証となった[注釈 9][26]。詩人のリーナ・コステンコは初の小説として、オレンジ革命を経験するプログラマーの物語『ウクライナのいかれた人の日記』(2010年)でも注目された[27]。アンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』(1996年)、『大統領の最後の恋』(2004年)、『ウクライナ日記』(2015年)は、独立後から2010年代のウクライナ社会の変化も描いている[28]。
ミロスラフ・ドチネツィの『時代をみた人』(2011年)はカルパチアの老人の伝記の形式をとりながら過去のウクライナ人の知恵が語られている。長生きの秘訣、食事やレシピ、運動についても触れられており、それまでウクライナになかった種類の作品だった[29]。ウィーン在住のテチャーナ・マリャルチュックは幅広くテーマを扱い、ウクライナの厳しい現実、マジック・リアリズム、思想家のビャチェスラフ・リピンスキをテーマにした作品などがある[30]。リューブコ・デーレシは18歳で最初の作品を出版し、世代間の衝突や孤独感などを描く。ポストモダン風の作風やファンタジー系の作風もあり、同世代に読まれている[31][18]。
SF、ファンタジー、ホラーなどの作品は独立後に増えて読まれるようになった[32][33]。 ウラジーミル・アレーネフはファンタジーを中心としつつ評論でも活動し、自作のウクライナ語訳も手がける[34]。ゲンリ・ライオン・オルジはドミートリイ・グロモフとオレグ・ラディジェンスキイのコンビのペンネームで、ファンタジー、ホラー、SFなどの要素を組み合わせた作風を持つ[35]。マクス・フライは画家のスヴェトラーナ・マルティンチクのペンネームで、90年代後半のファンタジーブームを牽引し、SFやアンソロジーの編集でも活動している[36]。マリーナ&セルゲイ・ディアチェンコはジャンルにとらわれずに共作している夫妻作家で、少女が奇妙な専門学校で人間ではない存在に変容する過程を、家族関係や恋愛をまじえながら描いた長編『Vita Nostra』(2007年)が広く読まれた[37]。アンドレイ・ワレンチノフは歴史上の人物が登場するファンタジーを執筆しており、架空歴史小説のシリーズを発表している[38]。テチャーナ・マリャルチュックにはマジック・リアリズム的な設定で周囲に馴染めない主人公が登場する作品もある[30]。クリミア半島出身のイラストレイターのカテリナ・シュタンコは『龍たち、行け!』(2014年)という児童文学でクリミアが舞台のファンタジー作品を書いている[注釈 10][32] [40]。
イレン・ロズドブディコはサスペンス作家で脚本家でもあり、街の一般的なウクライナ女性を描く作品が多い。ラリーサ・デニセンコは『マスクでの踊り』(2006年)でウクライナ人にとって珍しい韓国のウクライナ人の物語を描いた。リュコー・ダシュワルは村や小さな町の生活や対立、人間関係をテーマとしている。歌手でもあるイレーナ・カルパは日常会話のウクライナ語で小説、紀行などを発表している[21]。
独立後の小説には歴史や社会をテーマにした作品が増え、ソ連時代は検閲されていたテーマも発表されている(後述)[41]。
エッセイ、ノンフィクション[編集]
疫学者のユーリー・シチェルバクは、チェルノブイリ原発事故についてのドキュメンタリーとして『チェルノブイリからの証言』(1987年)を発表した[42][43]。タラス・プロハシコの『なぜならその通りである』(2010年)は端正なウクライナ語で哲学的な内容を持ち、自由や社会、人間関係について考察されている[44]。
ユリア・サヴォースティナ(Юлия Савостина)は、2013年に「国産で1年生きる」というプロジェクトを行い、ウクライナ産の品物のみを扱う店舗やマーケットを企画し、それをもとにした本も発表した[45]。ボグダン・ログウィネンコは旅行ブログの執筆から旅行記を出版し、ウクライナ各地の文化とそれを支える人々を紹介する動画プロジェクトを行っている[20]。オリガ・コトルシ (Ольга Котрус)はパリでの生活をブログに書いて話題になり、キーウに戻ってから『私を食べてしまった街』という本を予約制で自費出版した[46]。ウィーン在住のテチャーナ・マリャルチュックは国外のウクライナ人のアイデンティティについて書いている[45]。
ジェンダー[編集]
ウクライナ独立後の初のフェミニストとしては、文芸評論家のソロミヤ・パウリチコや作家・評論家のオクサーナ・ザブジュコがいる。ザブジュコはウクライナ社会の女性の役割や考え方を『ウクライナ人のセックスのフィールドワーク』(1996年)で論じた[47]。セックスとアイデンティティはそれまで語られていなかったテーマだった[17]。2014年の尊厳の革命は女性の社会進出に影響を与え、女性が活躍する『これは彼女が作った』(2018年)という子供向けの物語が出版されて人気を呼び、続刊も作られた[注釈 11][48]。
タマラ・マルツェニュックは『皆のためのジェンダー。ステレオタイプを変革しよう』(2017年)や『なぜフェミニズムを怖がらなくてもいいのか』(2018年)で注目を集めた[48]。アメリカ在住のオクサーナ・ルツィーシナは、ウクライナ社会の女性、家族、愛、暴力などをテーマにしている。パリで活動するイレーナ・カルパはパリのウクライナ女性をテーマにした『アラル海からの日記』(2019年)や、『どうして何回も結婚していいのか』(2020年)において伝統的なウクライナの女性像や家族観の変化を書いてヒットした[49]。女性や家族、女性の声を読みやすく伝える作家として、ハリーナ・フドビチェンコやミラ・イワンツォワもおり、フドビチェンコは『黒くてより黒い鶏』(2018年)など子供向けの本も発表している[50]。ラリーサ・デニセンコは児童書『マヤと彼女のお母さん達』(2017年)では多様化する家族の形を子ども向けの物語として広めた[51]。
新型コロナウイルスの流行によるロックダウンが始まった時期には、ウクライナ初の女性向け出版社としてクリエイティヴ・ウーマン・パブリッシングが設立された。同社は女性の支援を目標とし、女性の原稿を集めたエッセイ集『Про що вона мовчить』(2021年)を出版した[52]。このエッセイ集には、身体性、セクシュアリティ、母性、病気、死別、家庭内暴力、有害な関係、自分らしくあることなどについての物語や経験が収められた[53]。
歴史[編集]
独立後のウクライナでは、ソ連時代に禁止されていた歴史テーマも扱われている。たとえば20世紀初頭の独立運動はウクライナ革命とも呼ばれているが、ソ連時代にはブルジョワ民族主義や分離主義として否定されていた[26][54]。ワシーリー・シクリャルはウクライナのベストセラーの父とも呼ばれ、1920年代のソビエト・ウクライナ戦争におけるウクライナ独立軍を描いた『黒いカラス』(2009年)が最も知られている。ユーリー・ウィニチュークは小説の他に短編、児童書、歴史書や百科事典にも関わっており、『死のタンゴ』(2012年)では第二次世界大戦下のウクライナ人、ロシア人、ポーランド人、ユダヤ人の友人関係と現在が交錯する。ヴォロディーミル・リースは、『ヤーコブの100年間』(2010年)で5つの政権を経験した人物を主人公にしている。シクリャルとリースの作品はウクライナ文学の授業にも採用された[55]。マリヤ・マティオスはウクライナの複雑な歴史と人間関係を描き、『可愛いダルーシャ』(2004年)ではソ連軍に占領されたウクライナの村が舞台となっている[56]。
紛争[編集]
2014年以降には政変やウクライナ紛争についての作品が増加している。アンドレイ・クルコフの小説『灰色のミツバチ』(2018年)では、紛争の前線近くに住んでいる養蜂家がロシア人、ウクライナ人、クリミア・タタール人と交流するが、どちらの陣営からも警戒されてしまう[57]。イリーナ・ ツィリックは、軍隊に志願する女性たちが増加する傾向に注目して『見えない部隊』(2017年)というドキュメンタリーも作った[58]。侵攻後は以前のような創作活動はできないと語る作家もいる[59]。
児童書でも紛争が語られるようになり、『戦争が町にやってくる』(2015年)や『私のおじいちゃんはサクランボの木だった』(2015年)が出版された[60][61]。絵本作家のオリガ・グレベンニクによる『戦争日記』は、子供を連れてハルキウから避難した体験が描かれている[57]。児童文学作家のヴォロディミル・ヴァクレンコは、自閉症の息子のために物語を書いたり、児童施設での読み聞かせなどで子供を支援していたが、ロシア軍に連行されたのちに遺体で発見された[62]。作家・人権活動家のヴィクトリア・アメリーナは、ウクライナの人権団体トゥルース・ハウンズ(真実の猟犬)と共にロシアの戦争犯罪を取材し、ヴァクレンコがロシア軍に連れ去られる前に隠した日記を発見した[63]。しかしアメリーナは2023年にミサイル攻撃によって死亡し、共に食事をしていたコロンビアの作家らも被害を受けた[注釈 12][65]。
マリウポリでは劇場への爆撃によって劇場が廃墟となり、マリウポリの劇団『コンツェプツィヤ』はウクライナ軍を支援するチャリティー公演『笑う心のレントゲン』をキーウで行った[66]。人形劇と舞台芸術の施設であるリヴィウ人形劇場は避難所となりつつ新規公演を続けている。大人向けの新作も増やし、ウィニチュークの小説『死のタンゴ』の舞台版を上演した[67]。
作家とは異なるウクライナ市民の言葉も出版されている。『ウクライナ戦争日記』は、ハルキウ出身で東京在住の市民によって編集された[68]。詩人・翻訳家のオスタップ・スリヴィンスキーは、日常の言葉の意味が戦争によって変わってしまったことに気づき、避難者の証言を集めて『戰争語彙集』を出版した[注釈 13]。スリヴィンスキーは本書のきっかけとして、リヴィウに避難してきた人々を支援した体験をあげている[注釈 14][71]。『ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記』は、日本のアニメ、漫画、小説を愛好する市民がドニプロから日本に渡航した体験が書かれている[72]。
言語の多様性[編集]
ウクライナ語は国家語として規定され、標準語・国語化が進んでいる[注釈 15][74][73]。他方でウクライナ東部や南部にはロシア語話者が多く、ウクライナ出身者のロシア語文学も歴史的に書かれてきた[注釈 16][75]。現代ウクライナのロシア語作家として小説家のアンドレイ・クルコフ、詩人のアレクサンドル・カバノフ、詩人・小説家のアンドレイ・ポリアコフらがいる。クルコフの作品をはじめとしてウクライナ、ロシア両国で読まれ世界各国でも翻訳されている[77]。
独立後の特徴として、ウクライナ語とロシア語の混合語であるスルジク作品の増加がある。ミハイロー・ブリニフはスルジクで文学史をテーマにした作品を執筆しており、架空の博士が世界文学の作品を語るというスタイルを取っている[41]。クリミア・タタールの現代文学は、ミコラ・ミロシニチェンコによってウクライナでの紹介やウクライナ語訳が進んだ[注釈 17][78]。
複数の言語で執筆する作家もいる。脚本家のレシ・ポデレビャンスキはウクライナ語、スルジク、ロシア語を使っている[41]。小説家のウラジミール・ラフェエンコやイレン・ロズドブディコ、劇作家のナタリア・ヴォロジビトらはロシア語作家として活躍したのちウクライナ語でも執筆するようになった。アルテム・チャパイは『奇妙な人々』(2019年)でスルジクを中心にしながら登場人物や場面に応じてウクライナ語やロシア語も取り混ぜている[79][80]。スルジクを執筆に使うことについては作家の間でも賛否が分かれつつも、ウクライナの言語の多様性は文芸作品にも反映されている[注釈 18][80]。
ウィーン在住のテチャーナ・マリャルチュックはドイツ語でも執筆し、ドイツの文学賞インゲボルグ・バッハマン賞を受賞した[30]。オデッサ出身のマリアナ・ガポネンコは15歳でドイツ語を学んでドイツ語で執筆し、ウクライナを舞台にした作品も発表している[81]。
文学論[編集]
独立後には文学研究や文芸評論が進んでおり、独立前後の文学の違いや、独立後の文学の発展の理由などについて論じられている[82]。独立後に盛んになった議論として、世代による政治性の違いがある。1960年代のように社会や政治を積極的に改革しようとする姿勢と、1980年代以降の政治風刺や非政治的な姿勢についての議論がきっかけだった。2014年以降のウクライナ政府とロシア政府の対立の影響で、言語と政治的立場を考慮しない発言が難しい状況となっている[83]。
出版、図書館、イベント[編集]
ソ連時代は作家協会に入ることで政府から作家として認められて生活が保障されたが、検閲が存在した[85]。現在は作品の出版のみで生活できる作家は限られており、多くの作家は他の仕事を持ちながら活動している。ソ連時代と異なり、資金があれば自費出版が可能となった。また、作家自身が出版社を起業できるようになった[86]。
出版社として、ナーシュ・フォルマート、アババガラマガ、アストラ、ブック・シェフ、ネーボ・ブックラボ、ラーノク、コモラ、ピラミダ、エレニー・ペス、クリエイティヴ・ウーマン・パブリッシングなどがある[27][87]。ウクライナの出版社は国際的なブックフェアにも参加するようになった[40]。2018年にはフランクフルト・ブックフェアでウクライナ文学のブース”Senses of Ukraine”が展示された[84]。2019年にはロンドン・ブックフェアにウクライナの出版社12社が初参加した[87]。
国内のブックフェアで最大級のものは、アーセナル・ブックフェスティバルが5月に開催される[88][89]。会場のミステツキー・アーセナルはキーウのペチェールシク区にあり、芸術と博物館の複合施設となっている[90]。リヴィウでは9月にブックフォーラム・リヴィウが開催されている[88]。
ウクライナ文学の普及を目的とする国家機関として、文化省のウクライナ書籍協会がある。読書促進、出版や翻訳活動の支援、国内でのイベントや、国外への普及のために国際ブックフェアでのブース運営を行っている[91]。
ロシアによるウクライナ侵攻は出版社や書店にも影響を与えている。読者の関心はロシア作家から離れ、公営書店ではロシア語の書籍を回収するキャンペーンを行った。多数のロシア語話者がウクライナから出国したことも影響し、ロシア語の書籍の売れ行きは減少した[92]。ロシア文学の古典への関心も変化し、2022年以降には近代ロシア文学を象徴するプーシキンの像が各地で撤去された。キーウ出身の作家ブルガーコフのブルガーコフ記念館は、ブルガーコフがウクライナ独立に否定的だったことを理由に存続が議論された[92]。
2022年のロシア侵攻当初は、ハルキウ国立科学図書館のような大規模図書館をはじめとしてハルキウ、チェルニーヒウ、ルハーンシクなどの図書館が被害を受けた。文化遺産の損失が懸念され、国際的な支援も始まった[注釈 19][93]。
図書館は避難民のためのセンターとなり、シェルターとしての場所や必需品を支援し、地下鉄駅に避難する人々に本を提供した[94][95]。子供に対しては、読み聞かせや児童図書館での教育プログラムのほか、国外に避難した子供にウクライナ語の本を届けるプロジェクト “Books Following You” も行われた[94][96][97]。
国際児童図書評議会(IBBY)は「チルドレン・イン・クライシス(危機にある子どもたち)」の一環として子供への支援を行っている。Universal Reading Foundationは、ウクライナの出版社の作品をポーランドで印刷し、避難所や避難者に届けた。ミュンヘン国際児童図書館は“We Stand with Ukraine”のキャンペーポスターを作成してデータを販売し、前述のポーランドのプロジェクトに売り上げを寄付した。ウクライナ書籍協会は、ウクライナの児童書をヨーロッパで印刷する資金をクラウドファンディングで募った[98]
主な現代ウクライナ作家[編集]
- 以下の一覧は、ホメンコ (2018) 、ホメンコ (2019) 、ホメンコ (2021) 、奈倉 (2023) を参照して作成。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ リーナ・コステンコ、リュドミラ・スキルダらがいる。60年代に活動した作家で、創作を続けながら政治家になった者として、イワン・ドラチ、ドミトロー・パフリチコ、ヴォロディミル・ヤヴォリーフスキらがいる[6]。
- ^ この世代の作家として、レシ・ポデレビャンスキ、カテリーナ・モトリッチ、ユーリ・ウィンイチュック、オレグ・リシェガ、ボフダン・ジョルダック、ミコーラ・リャブチュックらがいる[7]。
- ^ この世代の作家として、オクサーナ・ザブジュコ、レオニッド・コノノビチ、ユーリ・アンドルホーヴィチ、イワン・マルコビチ、ビクトル・ネボラック、ナタルカ・ビロツェルキウェツィ、ハリーナ・パフチャック、コスチャンティン・モスカレツ、ヴォロディミル・ディブロワ、イレン・ロズドブディコ、イホーリ・リマルック、フリツコ・チュバイ、オレーシ・ウリャネンコらがいる[7]。
- ^ この世代の作家として、マリアンナ・サフカ、セルヒー・ジャダン、イワン・アンドルシャック、ワシーリー・マフノ、ロマン・クハルック、アンドリー・ボドナル、タラス・プロハシコ、ステパーン・プロチュク、ラリーサ・デニセンコらがいる[7]。
- ^ この世代の作家として、カテリーナ・バブキナ、ドミトロ・ラズトキン、ハリナ・クルック、スヴィトラーナ・ポヴァリャーイェヴァ、ミハイロー・ブリニフ、リューブコ・デーレシ、アナトリー・ドニストリウィー、イレナ・カルパ、スウィトラナ・ピルカロ、サシコ・ウシカロフ、ナタルカ・スニャダンコらがいる[8]。
- ^ ウクライナ語の禁止令は1720年、1847年、1863年、1876年、1881年、1882年、1914年、1933年に行われた[10]。ウクライナ語の出版や教育を抑圧したヴァルーエフ指令(1863年)やエムス法(1876年)が有名である[11][12]。
- ^ この時期の作品として、パシュコフスキ『Вовча зоря』(1991年)、アンドルホーヴィチ『Московіада』(1993年)や『Перверзія』(1995年)、ウリャネンコ『Сталінка』(1996年)、ザブジェコ『ウクライナのセックスのフィールドワーク』(1996年)、イゾドリック『Воццек』(1997年)、プロチュク『Шибениця для ніжності』(2001年)などがある[15]。
- ^ ロシア侵攻後は、シェフチェンコの詩『死者と生者とまだ生まれざる同郷人たちへ』をもとにしたシールが街の一角に貼られることもあった[24]。
- ^ ザブジェコはベラルーシの作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『チェルノブイリの祈り』をロシア語からウクライナ語に翻訳している[18]。
- ^ その他のファンタジーやSFの作家として、ユリヤ・ウラジミロヴナ・オスタペンコ、ナターリヤ・ソコローワ、アレクサンドル・ゾリチ[39]、ユーリイ・ニキーチン、ウラジーミル・ポクロフスキイらがいる[32]。
- ^ ジャーナリスト出身のハンナ・ホプコやスヴェトラーナ・ザリシュックなど若い世代の女性議員も増えた[48]。
- ^ アメリーナは、リヴィウ出身でポーランドのSF作家スタニスワフ・レムが住んでいた家を舞台とした小説『Дім для Дома』も発表している[64]。
- ^ たとえば「ココア」「シャワー」「ナンバープレート」「沈黙」「林檎」などの言葉がある[69]。
- ^ スリヴィンスキーは『戰争語彙集』の序文で、ポーランドの詩人チェスワフ・ミウォシュが『世界』という叙事詩で日常の言葉を独自に解釈したことをあげている。ミロシュはナチス占領下のワルシャワで暮らしていた[70]。
- ^ 2019年の「国家語としてのウクライナ語の機能保障法」によって社会生活におけるウクライナ語の使用が義務づけられた[73]。
- ^ 著名な作家としてニコライ・ゴーゴリ、ミハイル・ブルガーコフ、アンナ・アフマートヴァらがいる[75][76]。
- ^ クリミア・タタールは2014年にロシアによるクリミアの併合が行われた。
- ^ 文学に限らず、歌手のヴェールカ・セルヂューチュカの人気にもウクライナの言語文化の特徴が表れている[41]。
- ^ 公共図書館の状況や取り組みについては、ウクライナ図書館協会のFacebookアカウントやヤロスラフ賢公記念ウクライナ国立図書館のブログが情報を発信した[93]。
出典[編集]
- ^ a b ホメンコ 2019, p. 114.
- ^ a b ソロシェンコ 2021, pp. 29–30.
- ^ ホメンコ 2019.
- ^ a b 奈倉 2023, pp. 109–110.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 105–106.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 106–107.
- ^ a b c ホメンコ 2019, p. 115.
- ^ a b ホメンコ 2019, pp. 115–116.
- ^ 田中 2022, p. 64.
- ^ 中澤 2018, p. 101.
- ^ 田上 2017, pp. 25–26.
- ^ 光吉 2018a, pp. 148–149.
- ^ 中澤 2018, pp. 100–102.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 107, 114.
- ^ a b ホメンコ 2019, p. 107.
- ^ 奈倉 2023, p. 109.
- ^ a b ホメンコ 2019, p. 119.
- ^ a b c 奈倉 2023, p. 110.
- ^ ホメンコ 2019, p. 123.
- ^ a b ホメンコ 2019, p. 125.
- ^ a b ホメンコ 2021, pp. 26–27.
- ^ 原田 2018, pp. 105–106, 138.
- ^ ホメンコ 2019, p. 106, 117.
- ^ キャンベル 2023, p. 151.
- ^ 藤井 2018, p. 188.
- ^ a b ホメンコ 2019, pp. 116–117.
- ^ a b ホメンコ 2019, p. 117.
- ^ 奈倉 2023, pp. 110–111.
- ^ ホメンコ 2019, p. 118.
- ^ a b c ホメンコ 2019, p. 121.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 123–124.
- ^ a b c 宮風 2015.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 114, 121.
- ^ 宮風 2015, p. 54.
- ^ 宮風 2015, pp. 62–63.
- ^ 宮風 2015, p. 106.
- ^ 宮風 2015, pp. 82–83.
- ^ 宮風 2015, p. 127.
- ^ 宮風 2015, pp. 90–91.
- ^ a b ホメンコ 2019, p. 127.
- ^ a b c d ホメンコ 2019, p. 116.
- ^ ホメンコ 2019, p. 200.
- ^ “来日講演会資料 チェルノブイリの遺産:21世紀へ向けて ユーリ・シチェルバク、ウクライナ特別全権大使”. 複合原子力科学研究所 (2006年4月). 2024年4月8日閲覧。
- ^ ホメンコ 2018, p. 120.
- ^ a b ホメンコ 2021, p. 32.
- ^ ホメンコ 2019, p. 113.
- ^ ホメンコ 2021, pp. 25–26.
- ^ a b c ホメンコ 2021, p. 31.
- ^ ホメンコ 2021, pp. 32–33.
- ^ ホメンコ 2019, p. 122.
- ^ ホメンコ 2021, p. 26.
- ^ Егорова, Ніка (25 березня 2021). “Creative Women Publishing: «Хороша команда – це коли не зрозуміло, хто бос»”. Woman Magazine. 2024年5月8日閲覧。
- ^ “«Чоловіки бились об заклад, коли я вже здамся». Історія першої українки, яка піднялася на Еверест”. Wonderzine (2021年4月19日). 2024年5月8日閲覧。
- ^ 光吉 2018b, p. 161.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 117–118.
- ^ ホメンコ 2019, p. 120.
- ^ a b 奈倉 2023, pp. 112–114.
- ^ ホメンコ 2021, p. 29.
- ^ 名古屋学院大学 2023, pp. 5–6.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 126–127.
- ^ “ウクライナの翻訳絵本『戦争が町にやってくる』平和とは戦争とは何か”. 絵本ナビ (2022年6月16日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ 「"Видали свої ж". Як жив і загинув від рук росіян письменник Володимир Вакуленко」『BBC News Україна』、2022年12月6日。2024年5月8日閲覧。
- ^ “ロシアの戦争犯罪を告発し続けたウクライナ人作家の死”. Wedge (2023年7月19日). 2024年5月8日閲覧。
- ^ Вікторія (2017年11月3日). “Вікторія Амеліна: «Дім для Дома» – книжка про небезпечну ностальгію»” (ウクライナ語). Слово Правди - новини Володимира-Волинського. 20 січня 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月8日閲覧。
- ^ “ウクライナPEN、ヴィクトリア・アメリーナ氏逝去の報”. 日本ペンクラブ (2023年2月9日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ “マリウポリ劇場の俳優たち、キーウでウクライナ軍支援の慈善舞台を上演”. ukrinform (2023.3.17.). 2024年5月8日閲覧。
- ^ キャンベル 2023, pp. 155–156.
- ^ “あの日を境に変わった日常 市民の声を集めた「ウクライナ戦争日記」”. 朝日新聞 (2022年8月14日). 2024年4月8日閲覧。
- ^ スリヴィンスキー 2023, pp. 27, 40, 107, 114.
- ^ スリヴィンスキー 2023, p. 2.
- ^ “戦争が“言葉”を変えていく ある詩人が見たウクライナ”. NHK (2023年8月23日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ “16歳少女が見たロシア侵攻のリアル ウクライナから日本に1人で避難 日本語でつづった日記を本に”. 東京新聞 (2022年10月22日). 2024年4月8日閲覧。
- ^ a b 池澤 2023, p. 115.
- ^ 中澤 2018, p. 104.
- ^ a b 中澤 2018, p. 102.
- ^ 中村 2018, pp. 207–208.
- ^ 中村 2018, p. 211.
- ^ “Данило КОНОНЕНКО, Мости духовного єднання”. 25 лютого 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2024.5.8.閲覧。
- ^ ホメンコ 2019, pp. 116, 122.
- ^ a b 池澤 2023, pp. 112–113.
- ^ 名古屋学院大学 2023, pp. 2, 24.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 108–109.
- ^ 奈倉 2023, pp. 113–114.
- ^ a b “Міністерство культури України :: Стартував 70-й Міжнародний Франкфуртський книжковий ярмарок”. mincult.kmu.gov.ua. 2019年1月24日閲覧。
- ^ ホメンコ 2019, p. 111.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 111–112.
- ^ a b “ロンドン・ブックフェアにウクライナの出版社が初参加”. Ukrinform. 2024年5月3日閲覧。
- ^ a b ホメンコ 2019, pp. 110–111.
- ^ “Книжковий Арсенал: нове та надовго?”. Українська правда _Життя. 2024年5月8日閲覧。
- ^ “Мистецький Арсенал. Істоія створення”. 17 квітня 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月8日閲覧。
- ^ 10 запитань про Інститут книги — Лівий берег, 16 січня 2018
- ^ a b “キーウの書店本棚から撤去されたロシア語書籍 ソ連批判作家の記念館にも「脱ロシア化」の矛先”. 東洋経済オンライン (2023年7月16日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ a b “ロシアによるウクライナ侵攻に関連する図書館・博物館の状況 藤田順”. カレントアウェアネス-E (2022年4月21日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ a b “図書館は「希望の島」であり続ける:ウクライナの図書館がロシアの侵攻にどのように対応しているか(記事紹介)”. カレントアウェアネス-R (2022年4月14日). 2024年5月5日閲覧。
- ^ “ウクライナの図書館員はいかにしてロシアの文化戦争に「動員」されたのか?(記事紹介)”. カレントアウェアネス-R (2022年8月22日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ “図書室で歌って踊ろう 占領地から逃れた子どもたち 動いた司書”. 朝日新聞 (2022年10月18日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ “ウクライナ・キーウの図書館による、国外避難している子どもに本を届けるプロジェクト(記事紹介)”. カレントアウェアネス-R (2023年7月22日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ “本によって、ウクライナの子どもを支援する取り組み”. 国際子ども図書館 (2022年6月17日). 2024年5月8日閲覧。
参考文献[編集]
- 池澤匠「シンポジウム報告 : 「ウクライナ・ベラルーシにおける多言語文化」」『東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』第37巻、東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室、2023年10月、111-120頁、2024年3月3日閲覧。
- 石川達夫 編『ロシア・東欧の抵抗精神 抑圧・弾圧の中での言葉と文化』成文社、2023年。
- 奈倉有里『銃殺された文芸復興──一九三〇年代の文学グループ弾圧と、現代にいたる言語と民族の問題』。
- オスタップ・スリヴィンスキー 著、ロバート・キャンベル 訳『現代ウクライナ短編集』岩波書店、2023年。
- ロバート・キャンベル『戦争のなかの言葉への旅』。
- ヴィクトリア・ソロシェンコ/進藤理香子訳「冷戦体制下のソビエト文化政策とウクライナ問題」『大原社会問題研究所雑誌』第758号、法政大学大原社会問題研究所、2021年12月、109-117頁、2024年3月3日閲覧。
- 田中壮泰「イディッシュ語で書かれたウクライナ文学 : ドヴィド・ベルゲルソンとポグロム以後の経験」『スラヴ学論集』第25巻、日本スラヴ学研究会、2022年、63-82頁、2024年3月3日閲覧。
- 徳永恭子「ウクライナのディスプレイスト・パーソンを描く―ウクライナ・ロシア系ドイツ語作家ナターシャ・ヴォーディンの『彼女はマリウポリからやって来た』に関して―」『近畿大学教養・外国語教育センター紀要(外国語編)』第14巻第2号、近畿大学全学共通教育機構教養・外国語教育センター、2023年11月、1-17頁、2024年3月3日閲覧。
- 名古屋学院大学国際文化学部「移動するアイデンティティ—東欧出身のドイツ語圏越境作家たちとともに世界平和を願って」、名古屋学院大学国際文化学部、2023年2月、2024年3月3日閲覧。
- 服部倫卓, 原田義也 編『ウクライナを知るための65章』明石書店〈エリア・スタディーズ〉、2018年。
- イーホル・ダツェンコ『民族・言語構成』。
- 中澤英彦『ウクライナ語、ロシア語、スールジク』。
- 中村唯史『ロシア文学とウクライナ』。
- 藤井悦子『国民詩人タラス・シェフチェンコ』。
- オリガ・ホメンコ『現代文学』。
- 光吉淑江『ロシア帝国下のウクライナ』。
- 光吉淑江『第一次世界大戦とロシア革命』。
- 原田義也「現代のマドンナは何を祈るか -リーナ・コステンコの詩的世界-」『明治大学国際日本学研究』第10巻第1号、明治大学国際日本学部、2018年3月、105-138頁、ISSN 18834906、2024年3月3日閲覧。
- オリガ・ホメンコ(Ольга Хоменко)「独立後の現代ウクライナ文学:プロセス、ジャンル、人物」『スラヴ文化研究』第16巻、東京外国語大学ロシア東欧課程ロシア語研究室、2019年3月、104-127頁、2024年3月3日閲覧。
- オリガ・ホメンコ(Ольга Хоменко)「女性の顔を持つウクライナ : 歴史的な伝統,社会規範,メディアでのイメージと最近のトレンド」『神戸学院経済学論集』第52巻3・4、神戸学院大学経済学会、2021年3月、13-27頁、2024年3月3日閲覧。
- 宮風耕治「現代ロシアSF人名事典」『スラブ・ユーラシア研究報告集』第7号、スラブ・ユーラシア研究センター、2015年、2024年5月3日閲覧。
関連文献[編集]
- 池澤匠「ウクライナにおける言語イメージの変化 : ロシア連邦による軍事侵攻の影響1」『東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』第37巻、東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室、2023年10月、37-60頁、2024年3月3日閲覧。
- 藤井悦子, オリガ・ホメンコ 訳『現代ウクライナ短編集』群像社〈群像社ライブラリー〉、2005年。
- オリガ・ホメンコ『キーウの遠い空 戦争の中のウクライナ人』中央公論新社、2023年。