ヤニック・ダルマス
ヤニック・ダルマス | |
---|---|
2011年 | |
基本情報 | |
国籍 | フランス |
出身地 | 同・ヴァール県ル・ボーセ |
生年月日 | 1961年7月28日(63歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1987-1988,1989-1990,1994 |
所属チーム |
'87-'88,'89,'94 ラルース '89-'90 AGS |
出走回数 | 49 (24スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1987年メキシコGP |
最終戦 | 1994年ポルトガルGP |
ヤニック・ダルマス(Yannick Dalmas, 1961年7月28日 - )はフランス・ヴァール県ル・ボーセ出身の元レーシングドライバー。
ル・マン24時間レースで4度の総合優勝を達成している。
略歴
[編集]初期の経歴
[編集]若手有望株として期待されており、同じくフランス人だったジャン・アレジ(Alesi )、エリック・ベルナール(Bernard )、エリック・コマス(Comas )とともに、「フランスのABCD」と言われていた。
1984年にフォーミュラ・ルノーチャンピオン、1986年のフランスF3選手権ではシーズン3勝、獲得ポイントでアレジ、ミシェル・トロレ、ベルナールらに大差をつけてタイトル争いを制し、シリーズチャンピオンを獲得する[1]。1987年の国際F3000選手権へと順調にステップアップ。第2戦ヴァレルンガでF3000での初ポールポジション、第4戦ポー・グランプリで初優勝を挙げるなど参戦カテゴリーすべてで好成績を挙げた。
フォーミュラ1
[編集]1987年のF1第14戦メキシコグランプリを前に、母国フランスのチームでありF1参戦初年度を戦っていたラルース・カルメルから声が掛かりF1へステップアップ。F1デビュー戦の成績は予選23位・決勝9位完走であった。自身3戦目の第16戦オーストラリアGPでは、チームの最高成績更新となる5位でフィニッシュする。しかしラルースチームはFIAより定められたシーズンエントリー登録時にフィリップ・アリオーのみの1カーエントリーとして登録していたため、追加された2台目であるダルマスに選手権ポイントは与えられなかった。
1988年もラルースと契約しF1継続参戦となるが、ローラ・LC88は非力なノンターボ・エンジン搭載であり、シャシーの戦闘力も低かった。市街地コースで開催のモナコGPとデトロイトGPでは7位で完走し、シーズン最高位が9位だったチームメイトのアリオーを上回った。第15戦日本GPでは中耳炎のために欠場した。この代役として鈴木亜久里がF1デビューを果たす要因となった。最終戦も体調が完治せず欠場となったが、チームとは翌1989年シーズンの契約更新がされた。
1989年にラルースは新たにF1参戦を決めたランボルギーニ(クライスラー)との契約に成功し、V12エンジンの供給を受ける。これを搭載したローラ・LC89が実戦投入されたが、ダルマスがスランプに陥り予選不通過が続いたことから、ラルースはダルマスを休養させてエリック・ベルナールやミケーレ・アルボレートを代役出走させることを決定[2]。ラルースのシートを失った。
その後、母国フランスの小規模チームAGSに加入しF1に復帰するも、1990年シーズンをもって契約満了となる。
一旦F1を離れ、スポーツカー世界選手権(SWC)に参戦するプジョー・ワークスに移籍。1992年のル・マン24時間レースで総合優勝を果たす。同年はプジョー・905を駆り、デレック・ワーウィックらとともにSWCのシリーズチャンピオンに輝いた。
1994年に古巣のラルースからF1に復帰し、第12戦イタリアグランプリと第13戦ポルトガルグランプリに出走。このポルトガルGPがダルマスにとって最後のF1グランプリとなった。ラルースは十分な参戦資金を調達することができず、このシーズンを最後にF1から撤退し活動を終えた。
スポーツカーレース
[編集]ダルマスは以後スポーツカーレースに専念し、ル・マン24時間レースでは前述の1992年だけでなく、1994年、1995年、1999年と4度の総合優勝を果たしている。なお、1995年優勝時のチームメイトに関谷正徳がいる。
レーシングドライバーを引退後、2012年からはFIA 世界耐久選手権のスチュワードを務める[3]。2014年からはフランスの「GT Tour」のレースアドバイザーも兼任する[4]。
2016年6月に行われたル・マン24時間耐久レースにおいてセーフティカー(アウディ・R8)の運転を担当した。雨天に左右されたこのレース中、降雨で赤旗中断の際にはセーフティカーでのドリフト走行を見せた。
エピソード
[編集]- レースキャリアとしては2輪からスタートさせている。モトクロスに参戦した際にひどい骨折を負い、以降は4輪レースに転向した。
- F1デビュー前にレーシング・スクールのインストラクターとして同乗していた際、生徒が事故を起こしダルマス自身も重傷を負った。
- フランスF3に参戦した片山右京が1987年9月に受けたインタビューで、現地で印象に残った若手としてダルマスを挙げ[5]、「彼(ダルマス)はまだ若いのに星野一義さんみたい。完璧にすべての限界をわかってて100周コースを走ってもミスしないって感じ。フランスではアラン・プロスト以来の天才と言われてましたよ。」とフランスでの評価が非常に高い様子を証言している。
- ル・マン24時間を4度制覇したレジェンドながら奢りがない非常に気さくな人物で、食事中であっても「話聞きたいって? まあここに座れよ、悪いね食事中で」と言い取材に応じていた。
- 1998年秋にアメリカン・ル・マン・シリーズの開幕戦(旗揚げレース)「プチ・ル・マン」のロード・アトランタで、レース中ドライブしていたポルシェ・911 GT1が突然宙に舞い上がり、空中で後ろ向きに一回転して路面に叩き付けられるアクシデントに見舞われた。大きなクラッシュだったが幸いにも無傷であった。
レース戦績
[編集]フランス・フォーミュラ3選手権
[編集]年 | エントラント | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1985年 | オレカ | マルティニ Mk45 | アルファロメオ | NOG Ret |
MAG 8 |
LED 2 |
PAU 2 |
LAC 3 |
ROU 1 |
DIJ Ret |
LEC 1 |
NOG2 1 |
ALB Ret |
CET Ret |
LEC Ret |
2位 | 85 |
1986年 | マルティニ Mk46 | フォルクスワーゲン | NOG 1 |
ALB 1 |
MAG Ret |
PAU 1 |
LAC 1 |
ROU 2 |
LEC 1 |
ALB2 3 |
BUG 3 |
LED 1 |
CET 2 |
1位 | 116 |
国際F3000選手権
[編集]年 | エントラント | シャシー | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986年 | オレカ・モータースポーツ | マーチ86B | フォードDFV | A | SIL | VLL | PAU | SPA | IMO | MUG | PER | ÖST | BIR | BUG Ret |
JAR | NC | 0 |
1987年 | マーチ87B | SIL Ret |
VLL Ret |
SPA | PAU 1 |
DON 17 |
PER Ret |
BRH 5 |
BIR Ret |
IMO Ret |
BUG Ret |
JAR 1 |
5位 | 20 |
F1
[編集]年 | チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年 | ラルース | LC87 | BRA | SMR | BEL | MON | DET | FRA | GBR | GER | HUN | AUT | ITA | POR | ESP | MEX 9 |
JPN 14 |
AUS 5‡ |
NC (22位) |
0 |
1988年 | LC88 | BRA Ret |
SMR 12 |
MON 7 |
MEX 9 |
CAN DNQ |
DET 7 |
FRA 13 |
GBR 13 |
GER 19 |
HUN 9 |
BEL Ret |
ITA Ret |
POR Ret |
ESP 11 |
JPN | AUS | NC (18位) |
0 | |
1989年 | LC88C | BRA DNQ |
NC (40位) |
0 | ||||||||||||||||
LC89 | SMR Ret |
MON DNQ |
MEX DNQ |
USA DNQ |
CAN DNQ |
FRA | ||||||||||||||
AGS | JH23C | GBR DNPQ |
GER DNPQ |
HUN DNPQ |
||||||||||||||||
JH24 | BEL DNPQ |
ITA DNPQ |
POR DNPQ |
ESP DNPQ |
JPN DNPQ |
AUS DNPQ | ||||||||||||||
1990年 | USA DNPQ |
BRA Ret |
SMR DNPQ |
NC (25位) |
0 | |||||||||||||||
JH25 | MON DNPQ |
CAN DNPQ |
MEX DNPQ |
FRA 17 |
GBR DNPQ |
GER DNQ |
HUN DNQ |
BEL DNQ |
ITA NC |
POR Ret |
ESP 9 |
JPN DNQ |
AUS DNQ | |||||||
1994年 | ラルース | LH94 | BRA | PAC | SMR | MON | ESP | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA Ret |
POR 14 |
EUR | JPN | AUS | NC (35位) |
0 |
(key)
- ‡ : 1987年オーストラリアグランプリにおいてダルマスは5位の入賞圏内でフィニッシュしたものの、ラルースチームは年間エントリーを1台のみとして登録していたため規定によりポイント獲得は認められなかった。
スポーツカー
[編集]スポーツカー世界選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991年 | プジョー・タルボ・スポール | プジョー・905 | C1 | SUZ Ret |
MON Ret |
SIL Ret |
LMN Ret |
NÜR Ret |
MAG 1 |
MEX 1 |
AUT Ret |
13位 | 40 |
1992年 | C1 | MON 2 |
SIL 1 |
LMN 1 |
DON 2 |
SUZ 1 |
MAG 5 |
1位 | 98 |
BPR GT
[編集]年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年 | トヨタ チーム トムス | トヨタ・スープラ LM-GT | GT1 | JER | PRI | MON | JAR | NÜR | DON | PAR | SCA | SUZ | SIL | NOG | ZHU Ret |
NC | 0 |
FIA GT
[編集]年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | ルーック・レーシング | ポルシェ・911 GT1 | GT1 | HOC 5 |
SIL Ret |
HEL | 13位 | 19 | ||||||||
ポルシェ AG | ポルシェ・911 GT1 Evo | NÜR 17 |
SPA 3 |
A1R 7 |
SUZ 10 |
DON 15 |
MUG 3 |
SEB 4 |
LAG 2 | |||||||
1998年 | ポルシェ・911 GT1-98 | GT1 | OSC 7 |
SIL Ret |
HOC 6 |
DIJ 2 |
HUN 3 |
SUZ 3 |
DON 3 |
A1R 3 |
HMS 3 |
LAG Ret |
3位 | 27 |
ル・マン24時間レース
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1991年 | プジョー・タルボ・スポール | ケケ・ロズベルグ ピエール=アンリ・ラファネル |
プジョー・905 | C1 | 68 | DNF | DNF |
1992年 | デレック・ワーウィック マーク・ブランデル |
プジョー・905 Evo 1B | C1 | 352 | 1位 | 1位 | |
1993年 | ティエリー・ブーツェン テオ・ファビ |
C1 | 374 | 2位 | 2位 | ||
1994年 | ル・マン・ポルシェチーム ヨースト・レーシング |
ハーレイ・ヘイウッド マウロ・バルディ |
ダウアー・962LM | GT1 | 344 | 1位 | 1位 |
1995年 | 国際開発レーシング | 関谷正徳 J.J.レート |
マクラーレン・F1 GTR | GT1 | 298 | 1位 | 1位 |
1996年 | ポルシェ AG | カール・ヴェンドリンガー スコット・グッドイヤー |
ポルシェ・911 GT1 | GT1 | 342 | 3位 | 2位 |
1997年 | エマニュエル・コラール ラルフ・ケレナース |
GT1 | 327 | DNF | DNF | ||
1998年 | ミケーレ・アルボレート ステファン・ヨハンソン |
ポルシェ・911 GT1-98 | GT1 | 107 | DNF | DNF | |
1999年 | チームBMWモータースポーツ | ヨアヒム・ヴィンケルホック ピエルルイジ・マルティニ |
BMW・V12 LMR | LMP | 365 | 1位 | 1位 |
2000年 | モパー チーム・オレカ | ニコラ・ミナシアン ジャン=フィリップ・ベロク |
レイナード・2KQ-LM-モパー | LMP900 | 1 | DNF | DNF |
2001年 | バイパー チーム・オレカ | ステファン・サラザン フランク・モンタニー |
クライスラー・LMP | LMP900 | 126 | DNF | DNF |
2002年 | アウディスポーツジャパン・チーム郷 | 加藤寛規 荒聖治 |
アウディ・R8 | LMP900 | 358 | 7位 | 6位 |
セブリング12時間レース
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | チーム・スカンディア | フェルミン・ベレス ステファン・ヨハンソン アンディ・エヴァンス |
フェラーリ・333SP | WSC | 281 | 1位 | 1位 |
1999年 | チームBMWモータースポーツ | ヨアヒム・ヴィンケルホック ピエルルイジ・マルティニ |
BMW・V12 LMR | LMP | 135 | DNF | DNF |
ツーリングカー
[編集]FIA ツーリング・カー・ワールド・カップ
[編集]年 | 国籍 | エントラント | 車両 | 1 | 2 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1993年 | フランス | プジョー・タルボ・スポーツ | プジョー・405 | MNZ 1 6 |
MNZ 2 16 |
8位 | 20 |
フランス・スーパーツーリング選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | プジョー・タルボ・スポーツ | プジョー・405 | NOG 1 2 |
NOG 2 3 |
MAG 1 2 |
MAG 2 3 |
PAU 1 4 |
PAU 2 2 |
DIJ 1 1 |
DIJ 2 1 |
CHA 1 3 |
CHA 2 5 |
VDV 1 5 |
VDV 2 5 |
CET 1 2 |
CET 2 7 |
LEC 1 7 |
LEC 2 6 |
ALB 1 6 |
ALB 2 7 |
BUG 1 Ret |
BUG 2 5 |
DML 1 4 |
DML 2 Ret |
LED 1 2 |
LED 2 1 |
4位 | 204 |
ドイツツーリングカー選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年 | オペル・チーム・ヨースト | オペル・カリブラ V6 4X4 | HOC1 9 |
HOC2 Ret |
AVU1 11 |
AVU2 10 |
NOR1 18 |
NOR2 Ret |
DIE1 | DIE2 | NÜR1 Ret |
NÜR2 16 |
SIN1 9 |
SIN2 6 |
HOC1 8 |
HOC2 7 |
19位 | 17 |
国際ツーリングカー選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年 | オペル・チーム・ヨースト | オペル・カリブラ V6 4X4 | MUG 1 15 |
MUG 2 Ret |
HEL 1 Ret |
HEL 2 Ret |
DON 1 Ret |
DON 2 DNS |
EST 1 10 |
EST 2 17 |
MAG 1 7 |
MAG 2 4 |
16位 | 15 | ||||||||||||||||
1996年 | ヨースト・レーシング・オペル | HOC 1 Ret |
HOC 2 11 |
NÜR 1 Ret |
NÜR 2 Ret |
EST 1 8 |
EST 2 Ret |
HEL 1 6 |
HEL 2 Ret |
NOR 1 Ret |
NOR 2 DNS |
DIE 1 12 |
DIE 2 7 |
SIL 1 9 |
SIL 2 7 |
NÜR 1 8 |
NÜR 2 7 |
MAG 1 Ret |
MAG 2 DNS |
MUG 1 10 |
MUG 2 10 |
HOC 1 18 |
HOC 2 Ret |
SAO 1 8 |
SAO 2 11 |
SUZ 1 12 |
SUZ 2 9 |
17位 | 33 |
脚注
[編集]- ^ インタビュー アレジ駆け上がる階段 グランプリ・エクスプレス カナダGP号 9-11頁 1990年6月30日
- ^ F1シートに復帰!流浪のアルボレート F1GPX 1989年西ドイツGP号 28頁 山海堂
- ^ Drivers need to be an 'advocate of a high standard' in F1 - F1 PULSE・2012年10月8日
- ^ YANNICK DALMAS ET PIERRE DIEUDONNÉ NOMMÉS « RACE ADVISOR » POUR 2014 - GT TOUR・2014年3月10日
- ^ 気になる二人の気になる会話 鈴木亜久里vs片山右京 Racing On No.019 1987年11月号 104頁 武集書房 1987年11月1日発行号
関連項目
[編集]タイトル | ||
---|---|---|
先代 ピエール=アンリ・ラファネル |
フランスF3選手権 チャンピオン 1986 |
次代 ジャン・アレジ |
先代 フォルカー・ヴァイドラー ジョニー・ハーバート ベルトラン・ガショー |
ル・マン24時間優勝者 1992 with: デレック・ワーウィック マーク・ブランデル |
次代 ジェフ・ブラバム クリストフ・ブシュー エリック・エラリー |
先代 ジェフ・ブラバム クリストフ・ブシュー エリック・エラリー |
ル・マン24時間優勝者 1994 with: ハーレイ・ヘイウッド マウロ・バルディ |
次代 ヤニック・ダルマス J.J.レート 関谷正徳 |
先代 ヤニック・ダルマス ハーレイ・ヘイウッド マウロ・バルディ |
ル・マン24時間優勝者 1995 with: J.J.レート 関谷正徳 |
次代 マヌエル・ロイター デイビー・ジョーンズ アレクサンダー・ヴルツ |
先代 ローレン・アイエロ アラン・マクニッシュ ステファン・オルテリ |
ル・マン24時間勝者 1999 with: ピエルルイジ・マルティニ ヨアヒム・ヴィンケルホック |
次代 フランク・ビエラ トム・クリステンセン エマニュエル・ピロ |