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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/天明の打ちこわし 20121211

選考終了日時:2012年12月24日 (月) 18:59 (UTC)

賛成 読みました。

  1. 「大阪」(72件)と「大坂」(18件)については使い分けの意図をあまり感じなかったので単なる誤記だと思われますが、統一した方が良いかと思います。
  2. 「後手に廻る幕府の都市政策」節について。「しかも高米価が・・・招くことになった」について何故後手後手にまわったのかがいまいち理解できませんでした。もう少し背景について詳細な記述があった方が良いように思います。また、奉公人の給与高騰についても、給与高騰の理由と対策については記述があるのですが、根本的なところで、給与が高騰すると何がまずいのかがよくわからないので、打ちこわしが発生した背景としてこの節が具体的にどう絡んでくるのかがよくわからなくなってしまいました。加筆が可能かどうか検討頂ければと思います。
  3. 浅間山の噴火について国会図書館に画像がありました[1]。これはウィキペディアに移入が可能なのでしょうか。打ちこわしそのものの画像もあった方が良いと思うのですが、こちらは見つけきれませんでした。
細部にわたって丁寧に記述されており、非常にレベルの高い記事だと思います。良質な記事への選出に賛成します。--ayasesaya会話2012年12月14日 (金) 13:28 (UTC)[返信]
ayasesayaさんこんにちは、丁寧にお読み頂きどうもありがとうございます。まず「大阪」と「大坂」ですが、当初は全て現在の地名である大阪で書き進めていたのですが、参考文献が江戸時代の名称である大坂となっていたため、途中から書き直したのですがまだ大阪が残ってしまっているようですね。ちょっとこのところ忙しいのに加えて体調が十分でないので、今週末くらいに時間が取れそうなので修正いたします。
「後手に廻る幕府の都市政策」節ですが、まず前段のご質問についてですが、米価が上がることは武士の利益に直結するため、米価が高騰して都市住民の生活が苦しくなっても、どうしても米価を下げる政策に舵を切ることをためらいがちとなり、結局打ちこわしなど庶民の不満が爆発するまで幕府は具体的な対応に乗り出そうとしないというような意味合いです。もう一点の奉公人としての給料が上がることが打ちこわしにどのように繋がっていくのかがわかりにくいと言うご指摘ですが、確かに給料が上がることは庶民にとって利益となるので打ちこわしとの関係がわかりにくいと言うのはごもっともだと思います。この部分は都市生活者の就労形態の変化と、続いて都市貧民層にも家族持ちが増加していったことを説明し、都市の構造が大きく変わってきたことを説明するのが目的でした。この部分は「後手に廻る幕府の都市政策」とは離れる内容であり、「都市の発展と矛盾の増大」全体で構成を見直したほうが分かりやすくなると思いますので、時間が取れるときに構成の見直し、加筆を行います。
浅間山の天明の大噴火は天明の打ちこわしの引き金の一つとなった大きな出来事であり、画像があった方が良いと思いますが、ご紹介の画像の移入が可能なのかどうかは申しわけありませんが私にはわかりません。どなたかご教示していただければ幸いです。また天明の打ちこわしの描いた絵画はどの専門書にも記載が無く、多分打ちこわしそのものを描いた絵は無いのではないかと思います。ただ記事内で紹介した黄表紙の「やれ出たそれ出た亀子出世」で、すっぽんが打ちこわしを行っている挿絵は紹介されています。--のりまき会話2012年12月17日 (月) 12:04 (UTC)[返信]
加筆修正について検討頂きましてありがとうございます。経緯は確認できましたので指摘1については修正しておきました。--ayasesaya会話2012年12月18日 (火) 11:00 (UTC)[返信]
  • 賛成 非常に高い水準で執筆されていて面白く読めました。打ちこわしという偶発的・暴力的な行動に見えるのに、ある程度の秩序・統制が見られたというのは非常に不思議に思われますね。やはり指導者のようなものを想定しないと説明が難しいのでしょうか。郡上一揆のときも思いましたが、やはり発生した問題に対して本格的に取り組もうとする姿勢が幕府にあったからこそ、270年も江戸時代が続いたのだなと理解することができるように思います。--Tam0031会話2012年12月16日 (日) 10:31 (UTC)[返信]
Tam0031さんこんにちは。いつも丁寧にお読み頂きありがとうございます。天明の江戸打ちこわしの指導者については記録には全く残っていないのですが、統制が取れた打ちこわし勢の行動から指導者層の存在を想定する専門家もいます。このあたりは今のところはっきりとした結論は出ていないようです。また江戸での激しい打ちこわしと、全国各地に打ちこわしが広まったことを受け、幕府は幕閣から田沼派を排除して松平定信政権を成立させ、寛政の改革を開始したわけで、確かにご指摘のように大きな社会問題に対応していく姿勢を見せています。これは次の天保期の天保の改革などでも見られる点であり、江戸幕府の政治史で見逃すことが出来ない一面だと思います。--のりまき会話2012年12月17日 (月) 12:04 (UTC)[返信]
  • 賛成  非常に高いレベルで、なおかつ字が詰まっているのに読みやすい、達筆としかいえません。皆さんと同じく読みながら指導者層や打ちこわしの計画性などがとても気になったのですが、読み進めるとちゃんとと書いてありました。打ちこわしの動機についてあれだけきちんと説明されているのですから、打ちこわしの計画性や「打ちこわしを主導する指導者層の存在を想定する説」など現代推測されている仮説を仮説としてもう少し詳しく書いていただけたらFA化を検討していただきたいほどの出来だと思います。--ぱたごん会話2012年12月18日 (火) 15:00 (UTC)[返信]

賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--ぱたごん会話2012年12月20日 (木) 15:16 (UTC)[返信]