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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/大異教軍 20181111

選考終了日時:2018年11月24日 (土) 17:02 (UTC)

  • (自動推薦)2018年10月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話2018年11月10日 (土) 17:02 (UTC)[返信]
  • コメントこれは翻訳記事のいつものパターンなのですが、「Great Heathen Army」を「大異教軍」と和訳することの妥当性は何によって裏付けられているのでしょう。Great Heathen Armyは、イギリス史に興味があればよくお見かけする術語とは思いますけれど、「大異教軍」と和訳したものを私は見たことがないです。(私が知らないだけという可能性は大いにあります)
  • あらためて記事全体についての コメント
  • コメントの前提として、私が下記文献に当たっていることを示しておきます。「」内は、同文献内におけるヴァイキング集団の表現のうち、Great Heathen Armyに近そうなものを拾い出したものです。「近い」というだけで「Great Heathen Army」そのものについての直接的な言及はないです。
  • 『イギリス史1』(G.M.トレヴェリアン、みすず書房、1973、1996)「『軍勢』」
  • 『世界の歴史教科書シリーズ2 イギリス史II』(RJクーツ、帝国書院) 「デーン人の『大部隊』」
  • 『イギリス中世史』(ミネルヴァ書房、1988、1996)
  • 『世界歴史大系 イギリス史1』(山川) 「デーン軍」「デーンの大軍」
  • 『オックスフォード ブリテン諸島の歴史3 ヴァイキングからノルマン人へ』(慶應義塾出版会、2015)「大軍勢(micel here)」
  • 『図説イギリスの歴史』(河出書房新社、2002、2015)
  • いずれの文献でも「Great Heathen Army」そのものへの言及はないです。なぜないかと言うと、要するにこの表現は『年代記』内の修辞的表現に過ぎず、歴史家が用いるような語ではないからです。いくつかの文献では「軍」と呼ぶに値するものだったのかが論考されています。
  • 『ヴァイキング時代百科事典』(ジョン・ヘイウッド(王立歴史学会正会員)、伊藤盡監訳、柊風舎、2017) たぶんこれが一番「刺さり」まして、p221「大軍勢(Great Army)」です。
  • この記事は、記事名に問題があること、記事の企画(何を説明しようとしているのか)が一本筋が通っていない、ちぐはぐな印象がある、と思います。
  • まず冒頭定義部で、「9世紀後半に(中略)侵攻したノース人(ヴァイキング)の軍勢のこと」とあるのですが、ここがよろしくない、と考えます。
  • この記事は、「8世紀末から数百年間ヨーロッパ各地を襲ったヴァイキングのこと」を書くのか、「それらのうちイングランドを襲った連中」のことを書くのか、それとも「865年からアルフレッド大王が戦った一派」のことに話を絞るのか、そこがあやふやです。「Great Heathen Army」なる語に拘るならば3つ目のことに集中すべきであると同時に、この記事は全体のうち特定の一部を採り上げたものですよ、という企画意図を冒頭部で簡潔に示すべきです。
  • 歴史記事としては、時系列や空間(場所)の話が入り組んでいたり、大きな話題と小さな話題のバランスを欠いているようにも思います。「背景」節は、歴史的なバックグラウンドというよりは、「侵入の始まり」という感じであり、いわゆる歴史背景はまったくふれられていません。「軍勢の規模」節はここに置くべきでなく、もっと後ろの方に独立して置くべきでしょう。
  • 時系列なり空間別なり、それはどちらを選ぶかですが、いずれにせよまずは「全体として何が起きたか」をスッキリ説明し、それから細かいエピソードを語り、現代的な研究や評価は最後に、というふうにしたほうが整うのでは。
  • 例を挙げるならば、記事名をノルマン人のアイルランド侵攻のようにして、時間・空間的に秩序だてて体系化された記事群の一つとすることです。すなわち、イングランドの歴史の孫記事であり、イングランドの歴史#ヴァイキングの侵入の子記事に位置づけられるでしょう。
  • そして仮にそのように、全体のうちの一部を切り取った記事としてまとめるならば、この記事の現状には不足が大きいです。たとえば「ノース人」や「デーン人」などの概念の説明。注釈で少し触れられてはいますが。現代の我々は、当時のイングランドの人々による呼称は、実際の民族とは合致しないことを知っています。(なんでもかんでも「デーン人」と呼んだり、とか。)
  • たいていの文献では、ヴァイキングの最初の来寇事件をまず採り上げて詳述します。すなわち「背景」節の冒頭にある「787年」の出来事です。これについて記事では「一部の歴史家からは、最初のイングランドに対する襲撃とみなされている」とあるのですが、私が各種の本を読んだ限りにおいては、「一部」どころか「明確に記録があるヴァイキング来訪としては最古のもの、というのが定説」となっているように思います。
  • 冒頭定義部は、たとえばこんな感じ。
  • 「9世紀から10世紀にかけてイングランド各地を襲ったヴァイキング集団のうち、865年から878年にかけてアルフレッド大王と対峙したヴァイキングを、『アングロサクソン年代記』は“古英語: mycel hæþen here(英語: Great Heathen Army)”と表現した。」
  • ただし『ヴァイキング時代百科事典』p221「大軍勢(Great Army)」には、この語は本来は特定のものを指すのではなく、ヴァイキング全体を表現したものだったと解説されています。それがのちに865年のものを指すようになったということです。
  • そもそも冒頭部が長すぎます。2、3文に絞り、あとは「概要」節とするべきでしょう。(それが正しく記事の概要に値するか、その部分の検証可能性はどうなのか、とかありますが。)
  • 無いものねだりの「べき論」ですが、まず「イングランドへのヴァイキングの侵入」みたいな親記事があって全体像はそこで説明し、この記事はその子か孫の位置づけで話題を絞る、というのがいいんでしょうね。それにしても「Great Heathen Army」の定訳がないならば、記事名は改めて「ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)」みたいな方式にしたほうがよいでしょう。(センスが良いかはともかく。)
  • そもそも翻訳記事なので構成をどうこう言われても困る・・・と言われればまあそうなのですが、それをいうと身も蓋もないです。
  • WP:GACにあげられている5項目の「目安」に照らして著しい減点をできるかというと、なんかあまり減点ですと言い難いので「反対票」を投じるまでにはいかないのですが、記事を読んでいいなあとかわかりやすいなあとか、よく調べよくまとめられているなあと感じるかと言うと、「賛成票」は投じられないです。私はイギリス人じゃないのでイギリス人の感覚はわからないのですが、もしかすると、日本人ならば武田信玄とか義経とかサクサク話されても前提知識があるのでついてけるけど、一般的な日本語話者にとってはもっと丁寧に解説していかないとワケガワカラナイ、という感じはします。--柒月例祭会話2018年11月15日 (木) 15:12 (UTC)[返信]
コメント翻訳者です。コメントが遅くなり申し訳ありません。リアルで忙しく、文献を集めなおすのに手間取ってしまいました。まずは、記事を細部まで検証していただいたことに感謝申し上げます。
さて、まず「大異教軍」という名前について。柒月例祭さんが最初のコメントで挙げていたデータベースは私も翻訳時に確認したのですが、日本語の定訳を見つけることができませんでしたので、直訳した語をつけました(一応ネットでこの名前が引っ掛かったのでそれを使ったのですが、大半は個人ブログ記事なので、研究者の間での定訳とは言えないのは確かです)。大沢氏の『アングロ・サクソン年代記』はアングロサクソン年代記原本が出典となっている部分に日本語文献を付け加えるために参照しただけで、「大異教軍」という語はなく、ただ「デーン人の軍勢」と訳されています。また『ヴァイキング時代百科事典』も翻訳の参考にしようとして目を通しております。ただ大沢氏の訳にしても『ヴァイキング時代百科事典』の「大異教軍」という見出しにしても、どちらもアングロサクソン年代記本来のmycel hæþen here(Great heathen army)という記述(すなわち英語版記事の記事名)の訳としてはあてはまらないので除外しました。mycel hæþen hereという言葉自体が文章中からの切り抜きに過ぎず固有名詞としては扱えない、というご指摘については、記事内容と絡めて後述します。
ただ「大異教軍」という訳語が適切かどうかという問題は、正直に言えば、私はこれが絶対正しいという根拠を持っておりません。「大異教徒軍」という訳語がドラマで使われている、という話は初めて聞きました。公に近い場で用いられた例があるなら、そちらがより適切かもしれません。しかし「研究者が使っている」という絶対的評価に足るものかと言えば、そこに到達できる訳語候補が無いのも事実です。一旦ここで区切って、次に記事の企画と内容についてお話しします。--McYata会話2018年11月16日 (金) 04:22 (UTC)[返信]
コメント ここからは、en:Great Heathen Armyを翻訳した記事がそのまま歴史記事として成立し得る、ということを述べます。私は記事名を現行のものから変えても良い、と考えておりますが、以下ではとりあえず「大異教軍」で統一します。見出し語が定まらないことを理由にページ削除などが決まった場合は、以下のコメントは意味のないものとなります。
  • 日本語文献での扱いについて
ご指摘のように、日本語文献では「865年のヴァイキングの大軍勢」に関連する語がなかなか見つけられません。唯一"The Great Heathen Army"を記載していた久保田義弘氏の論文[3]では「異教徒の大軍隊」という訳が試みられています。これはこの語を歴史用語とみるか否かという問題において折衷的な表現だと思いますが、少なくともWikipediaの記事名にするのは難しいでしょう。
  • 「Great Heathen Armyは修辞表現に過ぎず歴史家が用いる語ではない」
日本語文献の不足からそう断ずるのはあまりにも早計ではないでしょうか。そもそもこのヴァイキング軍団について取り扱った「日本語」研究が絶対的に少なく、またこの語が日本語訳された前例がないために研究者たちが意図的に使用を忌避しているというのが実情ではないでしょうか。というのも、英語文献(というか当記事の脚注)を見れば、"Great Army"(大軍勢)もしくは"the Great Heathen Army"(大異教軍)その他類似表現が、この時代において非常に重要な意義を持った歴史用語として用いられているのが明らかだからです。後々記事強化に使うためもあって、一部をノートに列挙しました。そちらもぜひ参照なさってください。
  • 記事の主題
柒月例祭さんは、記事の企画に筋が通っていない、ちぐはぐな印象があると指摘されたうえで「9世紀後半に(中略)侵攻したノース人(ヴァイキング)の軍勢のこと」という冒頭定義がよろしくない、とおっしゃっています。この点、残念ながら私は柒月例祭さんの仰っていることがよく理解できませんでした。この記事の主題は、まさに「9世紀後半に(中略)侵攻したノース人(ヴァイキング)の軍勢のこと」です。なるほど「9世紀後半」という範囲指定が曖昧というなら確かにそうですが、それならInfoboxなど記事内の様々な場所に記しているように「865年もしくは866年から878年にかけて」と書き換えれば済む話です。上述の通り外国語文献では"The Great Heathen Army"もしくは"Great Army"を歴史用語として使用している例が多いため、定義文で譲歩的にアングロサクソン年代記を持ち出す必要も無いのではないでしょうか。柒月例祭さんがどのように記事を読まれたのか(皮肉でも何でもなく)よく分からないのですが、大異教軍の構成は、まず#背景でイングランドにおけるヴァイキング襲撃の前史を述べたうえで、#大異教軍の侵攻から主題の大異教軍の顛末について述べるという形になっており、私としてはそこまで難しくないものになっていると思うのです。
まず全体として何が起きたかを説明せよ、とおっしゃいますが、それこそ冒頭部分でまとめられていることでは足りないのでしょうか。冒頭の大部分を概要節に移せば済む話で、そこまでとりたてて言うほどの問題でしょうか?
背景が「侵入の始まり」に見える、とおっしゃいますが、もし当記事が「イングランドへのヴァイキングの侵入」を主題にしているならご指摘の通りですが、これは先述の通り冒頭なりInfoboxを読めば違うと分かるはずです。改めて確認しますが、当記事は865年以降のある特定のヴァイキング集団による戦争をとり扱っているので、現時点での背景記述は真っ当だと考えます。ご指摘の通り#軍勢の規模など記述位置がおかしい部分もありますが、これは英語版の構成をそのまま残しているだけであり、単に節ごと入れ替えるだけですっきりするものと考えます。個々の要素と大筋については、柒月例祭さんが仰るほど問題があるようには思えないのですが、いかがでしょうか。
  • 大異教軍の主体について
まず「ノース人」について。翻訳にあたり、英語版記事のニュアンスを参考に、スカンディナヴィア系諸民族・ヴァイキングの上位概念として「ノース人」を用いました。なお、記事内では「ノース人」の語は冒頭を除けば引用文にしか用いておりません。「デーン人」については、本文中では基本的に「大異教軍」もしくは「ヴァイキング」に統一するよう修正するのが無難と考えます。いずれにせよ、当時の執筆家の理解と裏腹に大異教軍の主体が多民族で構成されていたことは、冒頭の注釈の他に#イングランド侵攻でも触れています。これでも不足でしょうか。
  • 大異教軍の特筆性について
「大異教軍」もしくは「大軍勢」が本来アングロサクソン年代記の一表現に過ぎなかったこと、またこれが「軍」に値するのか議論がもたれていること、これはいずれも事実です(というか後者については既に記事内に一節を設けてあります。構成の難はともかくとして)。それでもなおこの言葉が歴史用語として用いられている理由として、アングロサクソン人側の記述だけでなくノース人側のサガでも特別視されていること、それまでの略奪を目的としたヴァイキングの襲撃と異なり明らかに征服と定住を目的としたものであってヴァイキング時代の画期であったこと、そして実際にアングロサクソン人の王国のほとんどが打倒された大事件であったことなどが挙げられます(以上はいずれも記事内で説明されていることです)。それゆえ、en:Great Heathen Armyの翻訳記事は歴史記事として十分に特筆性があり、他のヴァイキングに関する記事から独立して存在する必要があります。当記事の上位記事を作成する(例: en:Norse activity in the British Islesを翻訳して立項)ことには賛成です。
長くなりましたが、最後に私の立場をまとめます。
  • まず記事翻訳者として。現在の記事名が最も適切であるとは現時点で言い切れない。これは別の場で改めて議論する必要がある。
  • 一読者として。この記事は、現時点で構成も主題も明確である。ただし、冒頭部の定義の時間範囲と、「軍勢の規模」節の位置は不適当なので、修正を要する。また、冒頭部分は分割して概要節を作る。
ひとまずは以上です。貴重なご指摘ありがとうございます。--McYata会話2018年11月16日 (金) 17:14 (UTC)[返信]
コメント冒頭の消し忘れた不要な分に線を引きました。--McYata会話2018年11月16日 (金) 17:39 (UTC)[返信]
コメント 冒頭部や構成を修正してくださったのですね。ありがとうございます。記事が何を説明しようとしているのかがグッと明瞭になったと思います。先に結論を言いますと、あまり口ばっかり難癖つけるよりは(WP:DIG)、実際に手持ちの資料で加筆するほうが100倍生産的なので、ちょっと手を加えます。
まず言い訳をしておくのですが、私は私なりに読んで感じたことを書いています、が、少なくともこの記事は月間賞に選ばれるほどに多くの方から支持されているわけでして、私以外の方々がいまでもじゅうぶん良い記事だと考えているはずです。もしかするときっと、私の要望は「秀逸」「完璧」レベルを求めてないものねだりをしているかもしれません。私の「要求」をいれなくとも、いまでも「良質」水準には十分だという見解もあるでしょう。ただ、私も私なりには、今はまだ行きがかり上踏ん切りがつかないだけで、適度なところで「良質」に賛成してもいいんじゃないかなーとも思っています。
記事名ですが、定訳の決定版といえるほどではないのですが、『イングランド王国前史 アングロサクソン七王国物語』(桜井俊彰、吉川弘文館、2010)p127に「デーン人の「大異教徒軍団」」というのがありました。他の用例もそうなのですが、どれも「」つきの表現であるというのがミソと思います。
固有名詞、とくに人名は難しいですね。ハールヴダン・ラグナルスソンの改名なんかが典型ですが、たぶんこの人物は日本語文献では「ハーフダン(ハルフダン、ハールフダン)」として知名度が高いはずで、それはおそらく現代英語風の読み方です。WP:NCは原音主義ではなく知名度優先なので、たとえ当時の発音や北欧での現地発音が「ハールヴダン」なんだとしても、仮に「ハーフダン」のほうが有名ならそれに合わせるべきです。それにしても、この記事の登場人物の多くはそもそも「有名」といえるほどの定訳がみあたらなさそうなので、現代英語風・古英語風・北欧風、どう書くんだ?というのは悩まされますね。(アルファベットならば発音は気にせず綴が合ってりゃいいのですから楽ですよね。)どっち側の視点で書くかというところもあります。
中身のいろいろについては、加筆後に。--柒月例祭会話2018年11月17日 (土) 18:10 (UTC)[返信]
(追記)これはいちばん重要なことなんですが、大変な労力をかけて翻訳なさったものに対して、なんにも貢献していない私がダラダラ論難するというのは、不愉快だろうと思います。そこは本当にすみません。--柒月例祭会話2018年11月17日 (土) 18:30 (UTC)[返信]
コメントなるほど、分かりました。リンク追加や用語の検討など行っていただき、ありがとうございます。
今後も内容を増やしたり訳語の検討を続けたりはしていく予定ですが、記事の大枠はこれ以上あまり変わらないと思います。--McYata会話2018年11月18日 (日) 18:11 (UTC)[返信]
報告&コメント 「加筆後に」と言いましたが、1日やそこらでは成りませんでした。(準備はしていますが、加筆分だけで現状2万バイトほどで、おそらくその数倍になります。)選考期間のこともあるので、ちょっと書き留めておきます。
従前の私のコメントは抽象的で具体性に欠きますね。「ちぐはぐ」云々は、この記事が「歴史的な事実」を書こうとしているのか、「伝承」を書こうとしているのか不明瞭である、ということです。おそらく両方なんでしょうけれど、両者が明瞭に区別されていないです。譬えると、『日本書紀』の記述を紹介しつつそれが史実であるかのように書いている、ような感じです。(日本語の文献では、『年代記』は『日本書紀』『古事記』ぐらいのものだと書いてあります。おそらくフツーの日本語話者は、『古事記』にこうある、と書いたところでそれを史実だとは受け取らない程度の前提知識はあるでしょう。けれど、イギリス史分野では、『年代記』にこうあるとだけ書くとそのまま史実だと受け取ってしまうんじゃないかなーと思います。)
例えば「概要」節には「大異教軍の意図」が「復讐」にきたと書かれています。普通の読者はこれを読むと、そうなんだと思うでしょう。しかし「大陸でのヴァイキングの動向」節には全然違うことが書かれています。ハールヴダン・ラグナルスソンには「史実であるという証拠はない」と2つの出典つきで書かれています。ラグナル・ロズブロークには、そもそもこの人物自体が実在しないと書いてあります。ファンタジーなのです。本記事では「イングランド侵略」までいくとようやく「史実かどうかは不明」と出てきます。ここらへんは、記事の書き方としてあんまり良くないです。
概要節のこの部分には、出典が1つだけあります。しかしこの「Ancient-Origins」というのは、登録制のフォーラムであり([4])、この記事を書いたのは「ḎḤWTY」というユーザーネームの学生([5])です。信頼できる情報源としてはちょっと採用できません。この部分の記述のうち、「Aという文献にはBと書いてある」というような記述は単なる事実であり、他の情報源で代替できる可能性はありそうです。しかし「それはおそらく・・・だったから」という分析的記述はこのユーザーのものであり、全く採用できません。
この記事の大部分は『年代記』に拠っています。この時代の史料はほとんどそれぐらいしかなので、それはしかたがない。ですが複数の文献で、『年代記』は「炎を吹くドラゴンが複数目撃された」などの記述もあり無批判に受け入れられるような代物ではない、ことも明記されています。反面、ほかに大した史料がないので、書きようがないというのもあります。そこらへんは少し工夫がいりそうだと思っています。
「こういうお話があるよ」というのと、それが史実かどうかというところを、うまく区別できるようにまとめられるといいと思いますが、それなりに手を加える必要があります。例にあげた「復讐」云々の部分は、ちょっと方法があんまりよろしくないのですが、私が直接情報源を確認できていないので、各記事からの転記という手法でひとまず追記しました・・・が、まだあんまりいい塩梅じゃないと思っています。この「概要」節については、節の名前も含めて手直しを考えています。--柒月例祭会話2018年11月19日 (月) 07:58 (UTC)[返信]
サガの内容を歴史学が利用しうるのは、他の資料や考古学などの史料と符合する場合だけである。サガは(中略)具体的であるために、サガの記述をそのまま10世紀の現実としてみたいという欲求が読者に起きやすい。歴史的事件の発生に際して残される様々な記録(証文、書簡、日記、土地台帳など)と違って、歴史を叙述したもの(叙述史料)はつねに時代錯誤の危険を伴う。
熊野聰(中世北欧史・日本アイスランド学会会長)、『ヴァイキングの歴史 実力と友情の社会』(2017年)p53

ぴったり当てはまるような文章がありました。サガ類は歴史書と言うよりは文学として扱うべきでしょう。--柒月例祭会話2018年11月20日 (火) 09:49 (UTC)[返信]

サガを歴史事実として扱うべきでないというのには全く同意します。確かに初版を読み直したら、史実性の問題の触れ方が甘かったですね。英語版だとラグナル・ロズブロークのことは(創作性が強いことも含めて)知っていて当然というような書き方でしたが、最初の方で改めてしっかり説明する部分が無いと初学者が読んだ場合危険ですね。私自身、この記事を読む人なら前提知識としてわかっているだろうという思い込みがあって見逃してしまった部分であります。
年代記が信用できないというのはそうかもしれませんが、この9世紀後半の部分の記録の内容は、大枠では各研究でも「否定」されていません。それでも本の内容の一部に変な部分があるからだめとしたら、それこそ古事記や日本書紀について上代の天皇の記述すら全面否定するような話になってしまいます。「考古学などの史料と符号」していることは記事内で示していますし、年代記原本以外の出典もしっかりついているのですから、年代記ベースの記事内容はとりあえず「史実」として取り扱っても良いのではないですか。--McYata会話2018年11月20日 (火) 15:21 (UTC)[返信]
返信 「とりあえず史実として扱う」ことはダメです。何らかの別材料をもとに「史実として認められている」ことと「史実性を否定されている」ことのあいだには、「史実であるか否か決定つけられていない」ものがあります。単に「年代記の記述」として扱えば良いだけであり、それが「史実である/史実でない」とする必要はありません。ただ、読者に「あたかも学術的に史実として認められているかのように」「あたかも学術的に史実性が否定されているかのように」思わせないように記述するということです。
「否定されていない」=「肯定されている」ではないです。各研究で「否定されていない」のは、積極的に否定する材料が発見されないからでしょう。たとえば「Aが王になった」と書かれているのに、考古学史料や書簡などの証拠が「Aは王にならなかった」と訴えてくるならば、否定する材料になりえます。「Aが王になった」という証拠があれば肯定材料になります。が、そういう考古資料や書簡などの証拠が見当たらない場合には、肯定も否定もできない、というだけです。古事記や日本書紀も、「文書にそう書いてある」というだけでいいのです。
たとえば「ドラゴンが目撃された」ことを実証的に否定するのは悪魔の証明になりますよね。「ドラゴンは目撃されていない」という証拠が出てくるのでもない限り。しかし「常識」からすると「ドラゴンなんているわけないのだから目撃されるはずがない」と判断されます。これは実証的ではなく、論証による否定です。同じように論証(推測)による肯定「こういうことはありえそうだ」というのもありますが、これも「実証的に史実と判定された」のとは違います。
「肯定されている」ことと「否定も肯定もされていない」ことが混在しているものを、どうやって明確に整理しながらうまく記述していくか、そこが実務的には工夫がいる・むずかしい・なやましいところだなあとは思います。1つのやり方は、「以下は年代記の記述だ」と宣言した上でザーッと書いて、それから「これこれの件は肯定されている/否定されている」ということを書いていく。もう1つのやり方は、トピックごとに「年代記はこう、歴史家の見解はこう

」というように書いていく。一長一短があり、どちらがいいかは、私もちょっとまだわかりません。なんとなーく、前者のほうが読者が話を追いやすいんじゃないかなー、という感じはしてます。--柒月例祭会話2018年11月21日 (水) 03:17 (UTC)[返信]

いや、「肯定も否定もされていないから史実として書こう」なんて言っているんではなくて・・・もう一度言いますが、この範囲の年代記の記述については脚注やノートで挙げたように既に数々の実証研究が行われており、そうした文献を記事の出典として明示しています。そもそもそれら膨大な研究を総合してこの大異教軍という記事が出来上がっているわけであって、基本的に「(今のところ)学術的に史実として認められている」内容が書かれているのは明らかなはずです。そこであえて「これは肯定されている、否定されている、これはまだ比定されていないけど史実とは言えない」というのをまだ突き詰めようとしたら、あまりにも分量が膨れ上がって煩雑になってしまいます。そんな細目の分析は専門家が新たな研究書か論文を書いてやるべきであって、もはや百科事典の域にあるとは言えないでしょう。
誤解の無いように申し上げますが、別に私は現在進行中の議論を示したり、歴史的事実として肯定・否定されていることを書いたり、元となる文献名を本文中で挙げたりすることには反対していません。重要な議論点は本文でも取り上げられています。もうこれ以上やるのは不要だと言いたいのです。--McYata会話2018年11月21日 (水) 04:09 (UTC)[返信]
McYataさんは、翻訳にあたり、この記事で使用されている出典にすべてあたって内容を確認されたのですか?--柒月例祭会話2018年11月21日 (水) 06:24 (UTC)[返信]

コメント 検証作業が行われている途中ですのでちょっと話を拡散させてしまうかもしれませんが、一応読んでみたのでコメントのみさせていただきます。結論から言うと翻訳の品質に問題は無いが、良質な記事としては若干こころもとないという感想です。対象は2018年11月19日 (月) 20:24版です。なお、イングランド史について特別明るいわけではないのでほぼ記事を読んだだけの見解となります。

  • 用語の問題:固有名詞のカナ転写はそれによって指し示す概念が変化しない限り何でもいいと思うのですが、冒頭の「デンマーク人を中心に、ノルウェー人やスウェーデン人も参加した~」という表現は例えデーン人やノース人などの北方ゲルマン人たちがその後のデンマーク人やスカンディナヴィアの国民に繋がっていくとしても9世紀の人々の集団を指すものとして正しくない表現だと思います。英語版原文から離れてしまいますが、「現代のデンマーク地方の人々を中心にスカンディナヴィア地方にいた人々も参加した~」というよう文章が良いのではないでしょうか。
  • 記事名:ここでの議論とは内容が違いますが、英語版のノートでも記事名でちょっともめた形跡があり、そういう主題であるのかもしれません。Great Heathen Armyの訳語として直訳(大異教軍)をあてるのはそれでいいと思いますが、学術的に定まった日本語の定訳が存在しないことは記事内で明記した方が良いと思います。ノート:ホータキー朝でやや似たような話があったのですが、定訳が存在しない記事の場合でも何かしら名称が必要なので、「日本語の記事名に十分な学術的裏付けがない」ことをきちんと書いておけば、直訳であることはとりあえず重大な問題ではないと思います(本記事の場合、英語名の出所がはっきりしてるので、名称についての説明は十分なものが用意できそうに見えます)。
  • 記事名と内容の対応:柒月例祭さんは「ちぐはく」と表現していますが、私も同じような感想を持ちました。というより、分割されるべき二つの主題がないまぜの状態で説明されているという感じでしょうか。具体的には
    • A.大異教軍が「どういう文献に登場する用語で」「歴史学的にどのような存在として扱われており」「その構成員はどのような人々であったか」 という分析的な内容。
    • B.9世紀のイングランド史におけるヴァイキングの侵入とそれに対する諸王国の戦いの経過という叙述的な内容。
の二つです。極大雑把には、Aは§概要の一部、§軍勢の規模、§遺跡 に色濃く出ており、Bは§背景、§イングランド侵略 が主にそうなっていると思います(極端な話、§背景、§イングランド侵略の二つの節はほとんど同じ内容のまま「ブリテン島の歴史」のような記事に移植しても成立すると思います)。この二つの要素が整理されずに登場していることで記事が説明したいことがぼやけていると感じます。
  • 所感:例えばですが、大異教軍(Great Heathen Army)がイングランド史においてどのような行動をとった人々として描写されているか(§背景、§イングランド侵略に相当する部分)を説明する部分を大項目1「歴史叙述における大異教軍」などのような形で先に持ってきて、現在§概要や§軍勢の規模にあるような現代の研究者の見解とか分析を大項目2-小項目にまとめれば、ある程度見通しが良くなるのではないかと思います。
  • 史料:これはついでですが、『アングロ・サクソン年代記』の史料的性格についてはもし書けるならば注釈で説明があるとぐっと記事の価値があがると思います--TEN会話2018年11月21日 (水) 16:14 (UTC)[返信]
  • 補足:追加ですみません、McYataさんの「この範囲の年代記の記述については脚注やノートで挙げたように既に数々の実証研究が行われており」は大枠としてその通りなのだろうと個人的には予想します。実際、ここ一年の間に良質な記事に選定されてきた翻訳記事と比較しても様々な確認は十分に行われていると思います。全ての出典を確認するのは無論理想ではありますが、「使用されている出典にすべてあたって内容を確認」しているかのどうかという問いかけは少々行き過ぎではないかと思います。自信はありませんが、本記事について言えば重要な点は「Great Heathen Army」という用語の厳密な学術的位置の追求ではなく(それ自体には当然意義がありますが)、上に述べたようなわりと単純な記事構成の整理であると感じます。--TEN会話2018年11月21日 (水) 17:39 (UTC)[返信]
私も「翻訳の品質」は良いと思っています!が、翻訳元の英語版の記事の質がそれほど高くない。私がいろいろ難癖をつけていることで、きっとMcYataさんは不愉快だろうなあとは思うのですが、でもそれはMcYataさんの責任というわけではないです。
「出典を確認したのか」ですが、「出典を確認しろ」と要求しているわけではないです。でも「脚注やノートで挙げたように既に数々の実証研究が行われており」という点については疑問視しています。出典の中身を見なければ、言えるのは「数々の研究が行われていること」であり、それが「実証研究か」どうかは判断できないのでは?
「遺跡」節などは実証研究の名にふさわしいものですが、記事の中核であるはずの「イングランド侵略」節は、少なくとも記事を眺めた印象として、実証的な研究の成果であるように書かれているとは感じません。単に『年代記』の記述をなぞっているようにみえます。部分的には「ダラムのシメオンによれば」「アッサーによれば」などとあり、一次史料に拠っているようにみえます。もしも実証的な研究によって史実と認められているならば、そういう書き方をするはず/すべきです。
翻訳元の記事でさえ「これらは史実である」とは書いていないですよね?それなのに、出典の内容を確認もせず、「たくさん出典があるから史実なんだろう」といって、<年代記ベースの記事内容はとりあえず「史実」として取り扱っても良い>、というのに反対しているだけです。
たとえば<11月1日にヨークを攻略した[2][31][32]>みたいな記述の3出典は、実証研究によるのか、それとも単に学者が「『年代記』には11月1日にヨークを攻略したとある」と書いているのを引いているのか、これだけでは判断できませんよね。私なりに推測を働かせるなら、実証されているならば<『年代記』にこうあり、それはこれこれの証拠から実証されている[2][31][32]>のような書き方になるはずです。まあでもわからない。少なくとも私が眺めた日本語文献では<『年代記』以外にあまり材料がないのでよくわかっていない>とか、単に<『年代記』にはこうある>という趣旨のものが多いです。そのため<「学術的に史実として認められている」内容が書かれているのは明らかなはず>とは思えません。
英語版は、いろいろな執筆者がツギハギをしています。たとえば私が問題視した「ḎḤWTY」の部分はIP利用者によるもので、この加筆だけ目に見えて品質が低いように思います。これも翻訳者のせいではないのです。英語版に限らず、この手のいろいろなレベルの人が部分的に継ぎ足した記事はどうしても、大局的な話と微細な話、実証的な学術考証と伝承の挿話のバランスが悪かったり、筋道があっちこっち行ってたりします。バランスは加筆で、筋道は構成の修正で対応していくことになります。
たとえば「イングランド侵略」節は、「『年代記』に描かれたイングランド侵略」のような節名に変えるだけで、私はおおかた解決すると思っています。(でも、年代記の内容を史実として扱おうというなら、この節名は気に食わないかもしれませんね。)
まあ、気長にやりましょう。その気になって文献をイギリスから取り寄せようとすれば、それだけで2週間かかったりしますし。実際のところは、TENさんがおっしゃる通り「わりと単純な記事構成の整理」でおおかたどうにかなるように思います。イギリスから文献を取り寄せずとも、和書だけでかなりなんとかなるようにも思っています。今の時点では、私は口ばっかりで、具体的な貢献をまったくしていませんから、因縁をつけているだけみたいに思われても仕方がないです。が、私なりに文献を読み直したり加筆の準備をしておりまして(現時点で3.5万バイト&地図2点)、しばらくすれば「私だったらこうすればいいと思う」というものを投稿します。それをみたうえで「こんなのダメだよ」と言われれば差し戻しされてもいいですし。--柒月例祭会話2018年11月21日 (水) 19:41 (UTC)[返信]
私は初版翻訳者として訳語や訳文には責任を負っていると思っていますが、内容については完全に一読者、第三者としてこの記事を見ています。最初のコメント(末尾のまとめ)からそのつもりでここにいるので、柒月例祭さんが私に因縁をつけているとか、記事の問題指摘を通して私の気分を害しているとかはまったく考えておりませんから、いちいち断り書きをしていただかなくとも結構です。
今あらためて初版「執筆者」としての総合的な気持ちを言うと、今更何を言うと思われるでしょうが、初版から今に至るまでの「大異教軍」が良質な記事にふさわしいとは全く考えていないというのが正直なところです。先月の月間新記事選出には私が一番驚いています。落選した別の翻訳記事を良質な記事に推薦したいくらいです。「大異教軍」は、ほとんど充実していない中世前期イングランド史の中で、内容も質も「そこそこ」の記事を翻訳してとりあえず記事が無い穴を埋めよう、という気持ちで書いた記事なので、良質な記事の選考とか関係なく、このレベルの記事なら史実性検証を盛り合わせるよりも流れをそのまま書いて置いておくくらいでいいんじゃないか、という個人的な判断基準で考えています。史料の性質について一節をもうけるくらいならともかく、一事一事に細かく史実性検証や文献検証を加えていくのは「今の記事では」耐えられない、そちらの史料研究の方がメインになってしまう(再三申し上げている通り、それは百科事典ではなく研究書になってしまう)という考えです。
私がここにいるのは、この記事に愛着があるからでも、今のままで良質な記事に押し上げようとしているからでもありません。単に、私が初版を作成した記事に関する質問に私ができる範囲でお答えするためです。ヒラ記事のノートで質問を受けた場合と何も変わりません。ただ、(アングロサクソン年代記という史料の性格や位置づけが特殊であるからにしても)、今までや他の良質選考と比べると大分手厳しいなぁ、と感じているくらいです。
ところで、柒月例祭さんが全面的に書き直していらっしゃるという話を、私は心底楽しみにしております。私は英語版を翻訳してたまにちょこまか修正するだけの利用者なので、㭍月例祭さんが私の翻訳を1バイト残らず更地にして史料の吟味と年代記の批判も含めた体系的な記事が作り直されるのであれば、日本語版ウィキペディアで層が貧弱な分野に屹立する新たな良質もしくは秀逸な歴史記事を読めることになるでしょうから、私は一読者としてもろ手を挙げて喜ぶでしょう(また変に勘繰られても困りますが、これは全くの私の本心です。)。その基礎がしっかりした記事においてこそ「『年代記』に描かれたイングランド侵略」といった節名や記述方針も生きるはずです。
柒月例祭さんには、焦らずじっくり時間をかけて素晴らしい記事に仕立て直していただきたいです。これ以上私が今の記事に何かしても無駄でしょうから、一旦記事の更新をやめてただ柒月例祭さんの記事完成を待ちたいと思います。ただ一点、TENさんが挙げてくださった数々の改善点の中で、「デンマーク人を中心に」という部分についてご指摘いただいたのがあまりにも恥ずかしいので(冒頭部分ながら全く気付いていませんでした・・・)、今のうちにここだけTENさんの案に沿って修正しておきます。--McYata会話2018年11月22日 (木) 15:23 (UTC)[返信]
(今のタイミングでここに書くか?という感じですが)
今回の件、McYataさんの立場は難しいところがあったと思います。前提として、翻訳記事です。ちょっと失礼な言い回しになってしまいますが、McYataさんは「原文を日本語化しただけ」であって、「原文の内容が適正かどうかは知らん」という立場だと思うんですよね。だから、「翻訳がおかしい」という指摘に対しては応じる責任(義務ではない)があると思いますけど、「内容がおかしい」という指摘に対してはMcYataさんは責任を負う必要はないはずです。「内容がおかしい」という指摘に答えなければいけないのは、原文を書いた人なんですよ。
でも行きがかり上、McYataさんが全部応じるハメになってしまいました。「訳しただけなんで中身のことは知りませーん」と言っちゃってもよかったはずなのに。それはMcYataさんが責任感が強いんだと思います。
自薦したわけでもなく、月間賞から自動推薦で選考にきて、頼んでもいないのに批判されるというのはなんかちょっと理不尽ですよね。私が厳しすぎるのではないか、私のせいで月間賞レベルの執筆者がやる気を削がれるのではないか、「ご苦労さんご苦労さん、さあどんどんGAにしちゃおうねー、おめでとー」ってゆるーくやってったほうがいいのかなあ、という迷いはあるのですよ。--柒月例祭会話2018年12月24日 (月) 15:26 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛否なしのため、今回は見送りとなります。--Tam0031会話2018年11月30日 (金) 14:52 (UTC)[返信]