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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ファラオ 20220511

選考終了日時:2022年5月25日 (水) 00:05 (UTC)2022年6月8日 (水) 00:05 (UTC)2022年6月22日 (水) 00:05 (UTC)

  • (自動推薦)2022年4月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2022年5月11日 (水) 00:05 (UTC)[返信]
  • コメント 20年以上前の出典も多いですが、これはその時点での学説が現在も有力として扱われているからのでしょうか。(そうなのであれば、勿論全く問題ないと思います。)--綿貫会会話2022年5月11日 (水) 03:42 (UTC)[返信]
  • コメント 主執筆者です。私以外の方が見ると記事に問題が発見されるかもしれないと思いますので、賛成票ではなくひとまずコメントのみにとどめておこうと思います。
当記事は良質な記事の基準のうち、検証可能性を十分に満たすことに特に気を付けて執筆しました。本文の文章は翻訳ではなく、すべて私が参考文献より書き起こしたものです。もちろん、一般読者がわかりづらいと思える部分は注釈をふんだんにつけてあります。
綿貫会さんご指摘の、「参考文献は信頼できるものなのか」という問題に関しましては、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史にあります「専門書」に該当するため問題ないと思います。しかし、「現在も定説か」という問いに関しては、私はこれら以外の本を読んだことがないため、「不明」と回答せざるを得ません。しかし、「王権」という観点で主体的に述べられている書籍が1969年(なんと53年前)のものだったので仕方なく用いましたが、似た考え方は別の著者1994/1998年の書籍にも見られますので特段問題はないと考えます。1998年はそんなに昔ではないでしょう。--Sethemhat会話2022年5月11日 (水) 14:01 (UTC)[返信]
  • コメント:大作であり、良く纏まっておりますが、気になった点を指摘致します。
  1. 注釈部分を含め、出典が付されていない箇所が散見しておりますので、お願い致します。
  2. 独自研究表現が4か所あります。 1)第2中間期節の「それに至るまで中王国の崩壊があったが、その詳細に関しては謎に包まれている。一つ分かっていることは、中王国第12王朝最後の王はセベクネフェルウという女王であったことだ。これは、後継者の不在、男系の断絶という事実を示している。」は、出典が無ければ独自研究です。「その詳細に関しては謎に包まれている。一つ分かっていることは」との表現も、百科事典的ではなく、WP:AWWにも関わります。 2)改革の意義節の「王の宗教的狂信及び革命の原因などについては王権の強化を目的とした政治的意図で説明できない部分もあるため、異論も存在することに留意されたい」。これは「私は読者の皆さんに…を留意してほしいと考えています」との意味で取れます。百科事典の記述では、「私」は要らないのです。「私は考える」「私は見た」ではなく、「…と考えられる(推察される)」「…と観察された」と書くべきなのは、言わずもがなでしょう。 「…ようである」「詳細は不明だが…」「資料が乏しい部分が多いが…」との表現が頻出しますが、WP:AWWを避けるため、前者は言い切って下さい。後2者は、出典という担保があるのですから(出典ゼロの場合は除く)、あいまいな表現は削除し、堂々と言い切って下さい。百科事典に細かいニュアンスは不要です。 3)「エジプトに最後の繁栄をもたらしたとされる王、ラメセス3世」。定説なら出典をお願いします。一人が言っているだけなら、使わない方が賢明です。 4)キャプション「アメン大司祭が王とほぼ同じ大きさで書かれていることに注目」。「…で描かれている。」でお願いします。
  3. 「後世」「前近代」ではなく、「何年(何世紀)以降」「何年(何世紀)以前」と書いてください。定義なしで用いるのはWP:AWWになりますので。あといきなりナカダI期だの初期王朝だの言われても分かりませんので、各期間ごとに、おおよその年代を書いて下さい。全体的にみて、ウィキリンクはもっと増やせます。日本語版には無い記事なら、諸言語版も使いましょう。
  4. アテン信仰節の「王はアテンの名においてアジア諸国を征服したと記されている[40]」。アジアって何処を指しますか?今と同じではないですよね。そもそもアフリカですよね。 「アメン神をきっぱり捨て新たなる太陽神アメンに切り替える」。後者はアテンですね。 「アテン神に対する狂信という極めて非政治的手段」何を言いたいのか分かりません。「狂信」は百科事典的でないでしょう。 改革の意義節の「非常に一神教的傾向が強くなっている」は、一神教と言い切って下さい。 「異論も存在することに留意されたい」。では異論を載せてください。
  5. 官僚の腐敗節「人類史上最初のストライキ」。出典が必要ですし、「エジプト最初」にしておいた方が安全かと。 暗殺節「致死傷が発見され、歴史は塗り替えられたのである」。百科事典では、「…発見された。」で十分です。
  6. 第20王朝節「大ハリス・パピルス」いきなり出されても意味不明です。「エジプトを収める」。治めるの誤りです。 第21王朝節「一方北では」。北エジプトでしょうか。
  7. 現代節は、すでにファラオとは無関係な内容なので、不要です。 
  8. 和書の場合、「何某1 何某2 et al.」ではなく、「何某ほか」と記載してくださいWikipedia:出典を明記する#著者名

取り敢えず30王朝まで読みました。宗教権力章以降は後日に。--Falcated会話2022年5月11日 (水) 15:43 (UTC)[返信]

  • コメント:余計なお世話ですが、綿貫会さんの発言に対して。今回の記事の場合、「王権」に拘らず、河合望(2021)『古代エジプト全史』等からファラオの業績のみを拾い、それに川村ほか(1969)を加味してまとめる方法を、私なら採ります。--Falcated会話2022年5月11日 (水) 15:52 (UTC)[返信]
  • コメント:選考とは直接関係ないのですが、Falcatedさんのご指摘が気になったのでコメントします。「いきなりナカダI期だの初期王朝だの言われても分かりません」は当然の指摘と思いますが、基本的に用語説明は内部リンクで済ませられる場合はその方が望ましく、注釈は立項が難しいほど些細な用語の説明に限定して用いるべきと思います。ご指摘にあった「初期王朝」はすでに記事にありましたので内部リンクを、「ナカダⅠ期」はまだjawpに記事は在りませんが十分に立項可能なテーマとおもいますので英語版に仮リンクを、私の方で付けておきました。なお「内部リンク先を読んでも説明が十分ではない」「赤リンクだから説明がない」という状況もあるかと思いますが、そうしたケースは内部リンク先の記事の問題であって、当該記事の完成度とは別と考えています。--あずきごはん会話2022年5月12日 (木) 13:03 (UTC)[返信]
  • では、続きを書きます。
  1. ホルスとオシリス節「「ホルス名」、例えば「ホル・アハ」のようにしか記されていなかった」。ホルス名は上に出てきますが、再度解説して下さると助かります。
  2. オシリスの護符ジェド(Dd)。Ddはエジプト文字をラテン文字に音写したものでしょうが、音写は今まで出てきていないのに、唐突に感じます。本記事では不要と考えます。
  3. 先王朝時代節「アビドス」は地名ですか。
  4. 中王国時代節「永生の質的相違」は分かりにくいので、書き換えてもらえますか。また「棺柩」というのも、よく使われる言葉ではないので、定着した用語でなければ、言い換えて頂きたく思います。
  5. 新王国時代節「墓は…しかしこれは装飾用であったらしく、葬祭の場は墓より少し離れた場所に移された」墓と葬祭殿は別物ですよね。「これは装飾用であった」の意味が分かりません。
  6. 「文化」という章名に違和感があります。「称号・継承」でいかがでしょう。
  7. 婚姻節「ファラオは複数の妻を持つことができた。古代エジプトでは、男性は複数の妻を持つことができたが、その記録は少なく、実例は…」。「古代エジプトでは、男性は複数の妻を持つことができたが」が挿入されると分かりにくくなるので、「ファラオは複数の妻を持つことができたが、その記録は少なく」が良いと思います。
  8. 王名表節「これらは、歴史の流れを見るうえで非常に貴重な資料となっている」。注が付かなければ独自研究です。

ここまでと致します。--Falcated会話2022年5月12日 (木) 14:53 (UTC)[返信]

  • コメント 大作ですね。私はこの方面の知識が乏しく、専門的な内容につっこんだことは言えません。外形的なことを。
  • 記事の序盤の語源節で、なんの説明もなく「ホルス名」「ホルスである王」とでてきて、知識がない私としてはそこでまず「ホルス名って何?」となります。
  • 全体的には、概して断定口調(直接話法)で記されています。ところどころ「と杉勇は提唱する。」(中王国時代)、「と屋形 (1969)は言う」(王権観の変化)、のように帰属化(間接話法)されています。これだと、帰属化された部分だけが一般的でない説で、それ以外は定説というふうに見えます。
  • 歴史記事では、帰属化・間接話法を用いて「学説史・研究史」的な書き方をするか、直接話法で断定的な書き方をするか、大雑把には二通りあります。どちらを選択するかは一長一短です。前者では精緻な記述が可能ですが複雑になります。後者はその逆。この記事ではテーマがカバーする範囲が大きいので、後者(直接話法・断定口調)で概論的に述べるにとどめ、細かい話は個別記事に委ねるのがよいのでしょうねえ。
  • 「王権」節が長大で、ボリュームの上では記事の大半を占めます。リード文では「時代ごとのファラオが持つ王権について解説する」と意図が示されているのですが、読み進めるほどに、当初の意図を見失って「古代エジプト通史」的な様相となっていくように感じます。(執筆者には責任はなく、Wikipediaの仕様の問題なのですが)「2.7.1.6.4」みたいに節の階層が深まると、もはや見出しをみただけではいま全体のどのあたりにいるのか見失いがちで、どういう文脈で何を説明されているのかわからなくなる的なところがあります。世の中の一般的な文献では「第2部 第7章 第1節 第6項」的な見出しをおくことで現在地がわかるようになっているのですが、Wikipediaの標準仕様だと「見出し文字の大きさ」で判別するほかなく、これがむずかしい。
  • たとえば・・・節構成の工夫で、たとえば「古王国期の王権」「中王国期の王権」「新王国期の王権」みたいに節をおおもとから分割してしまうとか、たとえば「新王国」の冒頭に簡単な概要文「新王国期には、王権とアメン神官団の権力の対立から、王権観はホニャララのように変化し、ファラオという語を用いるようになった」的なアウトラインを示すなどすると、見通しがよくなるかもしれません。
  • 記事ではまず「狭義のファラオ」(本来の用法、第18王朝以降限定の概念)と「広義のファラオ」(近代の用法、古代エジプトの王全般)があることが示されます。そのうえで「広義のファラオ」概念に則っての説明となります。そのために記事の焦点がぼやけてしまうような気がします。「狭義のファラオ」に絞って「ファラオという語が登場した・使われ始めた経緯」に特化したほうが、明瞭になるかも(現状の内容は「古代エジプトにおける王権の変遷」みたいな別記事にしちゃってもいい)。英語版では第18王朝以前は「king」という語が使われ、以後は「pharaoh」が普及した云々とあります。(この「king」は日本語で「王」とするのか、それとも「ホニャララ」みたいな発音準拠なのか、どう書き表す的なのもありますけどね。)ここを境に、呼称の変化と共に王権・王権観の変化があった、ということなのでしょうかねえ。「王の在り方の変化」節にそのあたりが書かれているようではあるのですが、そのことと「ファラオ」という語の登場・使用との関連性が書かれていないのでわからないです。
  • 「後世」節には諸語での「ファラオ」という語の受容について簡単に書かれています。できれば、肝心の「ペル・アアがギリシャ語でファラオと表記された」経緯的な話があってもいいのかも。ただし原語(であろう)ヒエログリフから、発音とギリシャ文字、カタカナ表記の話と、ガチで書き始めると面倒くさいことになりそうな予感はします。英語版のEtymology節を眺めても、すでにややこしい。分野の方々で決めていただければいいと思うのですが、出だしの「ファラオ(英: Pharaoh)」というところからして、「英」でいいのかって感じになりますね。学説史みたいな話になりますが、「日本では誰某が最初にPharaohを『ファラオ』とカタカナ書きして定着した」とかね。私がいる競馬分野では、馬主が「アメリカンファラオ」と命名しようとして間違って「Pharoah」と綴ってしまい「フェイロー」になっちゃったとかって話があります。--柒月例祭会話2022年5月12日 (木) 09:51 (UTC)[返信]
  • コメント 皆様、ご指摘/コメント誠にありがとうございます。しかしながら私は現在忙しいため、頂いたコメントを受けての記事の改善は1週間後程度のちに行わせて頂こうと思っております。もうしばらくお待ちいただけますようお願い致します。--Sethemhat会話2022年5月12日 (木) 11:52 (UTC)[返信]
  • コメントまず、気になるのは「松本」の多さです。この松本弥さんという方はエジプトの専門家なのは間違いないでしょう。ただプロフィールに「株式会社弥呂久に所属」とあり、この方が書いたことはそのまま本になって出ていくような立場なのではないか、と思えます。この方の記述が学会の一般的な認識なら問題はないのですが、こんなに「松本」ばかりで偏りはないのだろうか、と不安になるところです。次に、この方の文字の本が出典に使われている箇所があるのですが、このあたりは別の文献で裏付けることはできないのでしょうか。文字の本の説明は「当時こういう文化だったから、こういう文字になったんですよ」という、文字の説明のための説明であって、当時の文化や歴史全般を紹介することが目的の文献ではないと思います。
    私は、この記事が削除依頼に出たので本を手配し、ずっと後になって届いた本で関係箇所を確認した、程度ですので、通りすがりの人のただの感想と無視していただいてもかまいません。--西村崇会話2022年5月12日 (木) 23:42 (UTC)[返信]

返信 (Falcatedさん宛) 1個目のコメントについて、

  1. 作業中 あらかたはつけるようにします。リード文はサマリーなので出典がつけづらいからなのかはわかりませんが、出典が免除される傾向にあるようですので各章のリード文はそのままでもあまり問題はないかと。
    1. チェック 出典を付け、表現を改善しました。
    2. 未了... まず、「第1中間期」節の資料が少ない旨の記述は、「資料が少ない」と言っている出典があったため付けました。しかし、古代のことであるから全くの事実として書くのは憚られます。私が濁して書いているように見えるところは、断定したくないところになります。事実、詳細は不明なのだから不明としか書きようがないのではないでしょうか?
    3. チェック よく考えたら、ヌビア王朝時代にも繁栄した時代があるとされていますから、これは屋形氏のミスですね。除去しました。
    4. チェック キャプションを修正しました。
  2. チェック 一部済/ 未了... 「前近代」の話は、(私が書いたわけではないので)具体的にはどの時代なのかわかりませんが、少なくとも古代エジプトは脱却していると思います。なので、その旨を追加しました。ウィキリンクをべたべた貼るのは私はあまり好きではなく、別に今のままでも十分かなと思いましたが、ほどほどに追加する予定です。
    1. チェック アジアについての解説を、出典は見つかりませんでしたが付けました。
      しかし、右図にもある通り新王国の最大領域はこんな感じですし、文献の中でもシリアパレスチナはよく出てくるのでこの地域だと考えます。たぶんアフリカではないと。
    2. チェック アテンに訂正しました。元文献に「狂信」とあったのでそのまま載せましたが、良くないようでしたので修正しました。一神教的「傾向」としたのは、ラー神信仰は廃止されなかったためです。異論については出典を探すので、 作業中です。
  3. 未了...'?' 書籍2つに「人類史上最初」と大書してあるのでこのままにします。考えるに、記録されている中で最初、という意味なのでしょうがそこまでは書かれていなかったので書けません。「歴史が塗り替えられた」は大言壮語的でしたので、「定説が覆された」としました。1998年文献の屋形、松本では暗殺未遂となっていたため、CTスキャンによる事実の判明を強調したい意図を持っています。
  4. × これは元々あった(無出典)記述を参考に、出典を追加して書いたものです。現代の用法も書きたいので書きます。若干辞書的定義にはなっていますが、イスラーム観があるならばこれも書いておいて損はないと考えました。
  5. チェック 別にet al.でもよいではないかと思いましたが、ともかく改善しました。今後はご提示のスタイルでいきたいと思います。

二回目のコメントについて、

  1. チェック 二文を合体させわかりやすくしました。
  2. チェック 翻字は実は今まででも注釈にもりもり出てきていますが、本文では確かに初めてかもしれません(王権のところに翻字を入れましたが。)後でen:Djedを翻訳しリンクを貼り、そちらに翻字を記載することにします。
  3. チェック アビドスは地名です。わかりづらかったようなのでリンクを貼りました。
  4. チェック 言い換え/書き換えました。
  5. チェック 文章が悪かったので書き直しました。「装飾の壁画」と加工としたらこうなってしまった模様です。直接関連はないですが、上の「中王国時代の葬祭」節において、今回は記述がわかりづらかったとは言え、文章のみでは限界がありますね。墓の構造難しいですが、どうやって読者に伝えるかが難問です。書籍は挿絵が入っていますがこれをスキャンしてそのまま載せたならばストレートで著作権侵害になってしまいます。かといってWindows標準搭載ペイント謹製の5歳児のような絵(作: Sethemhat)を載っけるわけにもいかないですから。
  6. 未了... 「王名表」節をここに追加しましたが、どうでしょうか。「文化」という言葉はこの節の総括になっていますでしょうか。
  7. チェック 改善しました。
  8. チェック 事実そのままの表現だと思うのですが(石碑は個々の王の業績しかわからないため、歴史の流れを見るためにはリストが不可欠)、いずれにせよ独自研究表現だったのでコメントアウトしました。出典を用意してから復帰します。無理そうなら消します。

今日は、Falcatedさんのご指摘に対処しました。他の方々のコメントは明日以降順次記事に反映します。--Sethemhat会話2022年5月18日 (水) 15:00 (UTC)[返信]

反対 :再度読み直したのですが、柒月例祭さんもご指摘されている、王権の主題が一貫しておらず、何が言いたいか分からなくなっています。平易なファラオ業績史か、一貫した王権論として、書き直した方がよいと思いますが、今回はそこまで要求致しません。それと、これまでにも指摘したように、独特の言い回しがあり、私はそこで読むのが止まってしまいます。松本(1994)「図説古代エジプト文字手帳」および(1996)「古代エジプト美術手帳」を読みましたが、この中で「資料が乏しい」「留意されたい」、第1王朝での「有名なナルメルのパレット」といった言い回しを見つけました。この手の表現をそのまま写すのは、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#文章を丸写しすることの、基本が理解出来ていないことになります。複数の著者の資料を吟味すれば、こんな言い回しはしないものです。引用するのはあくまで内容を、であり、表現ではありません。となると、「岩波講座世界歴史」からも、そのまま写してるんだろうなあと、邪推してしまいます。細かいことは書くのを止めますが、大きい点として、
  1. 注釈に注が付いていない箇所がまだありますので、埋めてください。注釈20の「アジア」はWP:NORになりかねませんので、出典を入れ替えてください。
  2. 「この節の「後世」とは古代エジプトの時代の後、すなは(ママ)ち紀元後を指す」。それなら節名を「紀元1世紀以降」若しくは「ローマ帝国期以降」としてしまえば、明瞭ではないですか。 「前近代のイスラーム教徒のファラオ観」。これも「ムスリムのファラオ観」で解決です。 「現代」は「20世紀以降」若しくは「(オスマン帝国・イギリスからの)独立以降」でいいでしょう。
  3. 語源節の後に、「王名節」をおいて、五つの王名の解説を入れましょう。
大きく内容が変わらない限り、本選考でのコメントは、これを最後に致します。--Falcated会話2022年5月22日 (日) 14:44 (UTC)[返信]
  • 返信 (Falcatedさん宛) すみません。だいぶ立て込んでおりまして、なかなか返信できませんでした。その通り、丸写しは盗作でしょう。しかし、「独自の文章ではなく、文献を参考にして執筆しろ」と言っている以上多少表現が似る事は仕方のないことであり、許容されるべきではないですか。著作権も文の一要素まではカバーしないでしょう。こうなれば、Falcatedさんに屋形(1969)もお読み頂きたいと思います。現在のFalcatedさんの基準ですと、私が原著者の表現に多少引きずられただけでも著作権侵害に該当してしまいます。:特徴的な表現に、「王権をまたも変革させうる、太陽神ラーの要素」「神ラーの信仰興隆」「王権の後退は明瞭」などがありますが、これははいったいどうやって言い換えればよいか私でもわかりません。下手に言い換えると内容が原作者の意図とはずれる可能性もあります。これを一つ一つ違う表現に頑張って改めるのは面倒なので細かくはしていませんが、ざっと見て似てそうなのはあらかた直しました(たぶん)。これで手を打ちましょう。著作者の屋形氏よりクレームが来たらその時に全面改稿する手間は惜しみません。
さらにそれぞれについて、
  1. 今日は疲れているので、注釈は明日見ます。原則として出典が用意できなければ消(して個人サイトにでも載せる)予定です。注釈20の「アジア」についてですが、「エジプト史でのアジアはシリア・パレスチナを指す」などと明確に述べている文献はありません。"sTtiw"という語を"Asiatics"との訳例ならありますが、Asiaticの指示対象はわかりません。しかし、支配領域からアジアの指す語は上記の地方であろうことは容易に推測できると思いますがどうですか。この表記を抜くならそもそもの文章を注釈不要な形に書き換えないといけません。
  2. 「すなわち」「ムスリム」「独立」は訂正しました。前半なのですが、聖書の成立年代はローマ以前であるためそれでは不適切になります。この聖書中のファラオという項目は私がかなり書きたかった項目ですが、資料がなかなかなく旧約聖書の浅読みで書きました。そのため節削除はしたくないです。
  3. 「五重称号」という私がWikipediaを始めたころに書いた記事があるのでこちらに丸投げではいけませんか? 現在は注釈でページ数が示されておらず不完全な記事ですが、近日中に改稿したいと思いますのでこちらで代用できると思います。節だけ作ってMainテンプレートの貼り付けでもよいと思いますが、どれがよいでしょうか。
宗教的狂信~の話はコメントアウトしました。出典が用意できてから復帰します。--Sethemhat会話2022年6月3日 (金) 14:11 (UTC)[返信]
  • 賛成 :では、おおよそ良くなりましたので、この時点で賛成致します。細かい箇所ですが、
  1. 征服・貿易節の「第2急湍きゅうたん」のルビは、Wikipedia:表記ガイド#読み仮名の要否にて、「囲みの引用文などに限り、HTML上の < ruby>...< /ruby> タグを使用して構いません」とありますので、本文中での使用はおひかえ頂き、「第2急湍(きゅうたん)」にして下さい。
  2. 「現在(イギリスからの独立以降)」は「イギリスからの独立(エジプト共和国)以降」にして下さい。

繰り返しになりますが、今後のテーマとして、

  1. 注釈のついていない箇所を埋める。
  2. 文末は曖昧な表現(「…という」「…ようである」等)をさけ、「…である」と、言い切る。
  3. できましたら、王権節は特論とて別の章節に分け、ファラオ通史を中心におく。
  4. 西村崇さんもご指摘の、松本弥氏の弥呂久発行文献は、今後引用を控える。 私も読みましたが、悪い本ではありません(少なくとも吉村氏の女王伝よりずっと良い)。ですが氏は、日本での「アカデミックな村社会」に属していない「事実」が有りますし(賛否あるでしょうが)、紀要は査読が無いので、WP:RSを満たしていないなどと言われる方も居るので(私は使いますが)、気を付けた方がよいでしょう。西村崇さんも言われるように、松本氏の資料は、他で替えが効くものです。--Falcated会話2022年6月5日 (日) 14:24 (UTC)[返信]
  • 「今後引用を控える」は言い過ぎたかもしれませんが、吉成薫氏も含め、弥呂久という、著者と同じ名前の、謎出版社本が5タイトルも並んでいると、不審に思えてくるのです。1タイトルだけなら気にならないでしょうが。--Falcated会話2022年6月6日 (月) 13:17 (UTC)[返信]
  • 報告 申し訳ありませんが、まだ注釈の修正作業が終了していないため、終了期限をさらに2週間延長しました。これで選考期間は6/22までで合計6週間のリミットに達しますので、早急に完成させたいと存じます。--Sethemhat会話2022年6月7日 (火) 12:47 (UTC)[返信]

賛成 大方ご指摘のことが改善されたと考えるため、賛成票とします。

  1. ホルス名は後述という方法にしました。
  2. 私が「うーん、これは一般的には言えそうにない」と思ったことや、「学者が独自に発案した説のようだ」「言い方が少々断定的なのではないか」と思うところは、「帰属化」しております。「私独自の考えではないですよ」との意味も込められています。その意味で帰属化されている記述が所々に点在しているのはしかたないかなとも思います。
  3. 王権の書き方に対処するためには大幅改稿が必要ですが、現状私の時間がないためそれは無理そうです。代わりにノートページにご指摘をまとめたものを書き、今後の課題とさせていただきたく思います。
  4. ファラオの語の成立事情については、独自研究が混ざりながら(つまり私の推測)でもいいなら書けます。つまりWikipediaに乗せるには様々な文献を見て情報をつなぎ合わせるしかないので、さすがにその労力は大きいです。そもそも、私がいろいろ文献を見てきた中でですが、少なくとも王名においてはpr-aA(ファラオ)の語が用いられたことを見たことがありません。18王朝以降においても王は変わらずnswtと使われており、pr-aAではないのです。松本(1998)には、「ペル・アア」は王の総称として使われている例が見えていますので、実際の使用例を探すしかない以上、参考文献が一次資料だらけになる可能性があります。その点でwikipediaに乗せられる内容になってしまいます。まあこれも、一次資料しかない事象に関しては、独自研究(編集者の独自の解釈)を禁止している弊害ですから仕方ないといえば仕方ないのかなと。
  • 返信 (西村崇さん宛) いえ、すべてのコメントを参考にさせて頂いております。その上でご期待にお応えできなく申し訳ないです。一番いいのは仰る通り様々な文献で裏付けをとることでしょうが、正直これは私の能力的に無理です。個人的には出典一つつけているだけで検証可能性の面でいえば十分なのであり、これ以上検証するときは私が気分が向いたときでないと無理そうです。
「文字の本」の問題につきましては確かに仰る通りなのですが、内容がそこにしか載っていない以上、検証可能性の面で言えば文字の本を参考文献にせざるを得ないです。検証できるならよいのではないかという考えです。
  • 返信 (Falcatedさん宛) 弥呂久発行文献の引用を控えるのは、正直に申し上げて、不可能です。これからも使うことになるでしょう。この考えは、信頼できる情報源のフィルターよりも、検証可能性のほうが強いのですから、そもそも私の独自研究ではないことが証明できている点で私の発言より件の書籍は優越しており、使用が可能といった考えに基づきます。しかし、そういえば英語文献をInternet Archiveで検索したことはあっても、日本語論文を探したことはなかったなと思い調べてみましたところ、河合望氏の論文がある程度見つかりましたので、同内容の場合は論文を積極的に利用し、より正確な表現に努めたいと思います。ご助言感謝いたします。

この記事を読まれ感想を下さったすべての方に、厚く御礼申し上げます。--Sethemhat会話2022年6月12日 (日) 10:06 (UTC)[返信]

  • 賛成 上の方の指摘も反映されて、良い記事だと思います。後は些末な問題だと考えるのでもう賛成票を入れておきますが、2点ほどミスと思われるところを見つけました。
    • 「古王国」の「前期」の節、「このような王個人のためだけの大葬祭建築物を建造するためには、当然強大な王権の確立が予想される」という文章がありますが、これより前に大葬祭建築物への言及がないように思います。推敲の過程で対応がずれてしまったのでしょうか。ピラミッドのことを指しているのだろうと思うのですが。
    • 「第22王朝」の節、シェションク1世の息子の名前がイウプトとイプウトと2通り出てきます。どちらが正しいのか判断できませんでした。イウプト1世とは別、と注釈されているのでイウプトかと思えば、「王位継承」の節では古王国時代のイプウト1世という人物名も出てくるので判断できませんでした。古王国時代はあまりに時代が離れているので違うかとは思いますが。--Tam0031会話2022年6月14日 (火) 13:50 (UTC)[返信]
    返信 (Tam0031さん宛) ご指摘ありがとうございます。まさに仰る通りでした。前者は推敲課程で文章を「葬送習慣」節に移動させた際、後ろの文章の修正を忘れていたようです。後者は私のスペルミスで、実際に2通りの名前が存在しますが、取り違えておりました。22王朝はiwpwt「イウプト」が正しく、「王位継承」節はipwt「イプウト」でそれぞれつづりが違うようです。
    ともに修正しましたので、良ければご確認ください。--Sethemhat会話2022年6月14日 (火) 14:27 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2022年6月16日 (木) 14:40 (UTC)[返信]