Wikipedia:秀逸な記事の選考/西洋美術史 20210418
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賛成/条件付賛成/保留/反対 0/0/0/0 この項目の選考期間は、2021年7月18日 (日) 05:40 (UTC)(2021年7月18日 (日) 14:40 (JST))までです。
- (推薦)数年前にIPで些細な編集をしただけなので、他薦となります。当分野の初心者でも西洋美術の全体像が掴めるような構成となっており、基礎的な知識はすべてここで得ることが可能でしょう。ご意見等ありましたらどうぞ。--Yuuya51(会話) 2021年4月18日 (日) 05:40 (UTC)
- 「このため、これらの遺例は(中略)後年の美術が獲得していった社会的機能は持っていなかった」の「これらの遺例」が何か分からない。この節の書き出し、「実生活において有用に機能するとは考えにくい遺物・遺構」以降の全部なのか、直前の「これらの洞窟絵画」だけなのか。「宗教的意味合いが込められていたと推察される」とあるものに社会的機能がなかったとするのは極めて不自然なので、後者なのかなと推測していますが。
- 「この時代に洞窟絵画に見られるような絵画的美術が創出されたのかどうかは今となっては不明であるが、『西洋美術史要説』では制作そのものが少なかったのではないかと推察している」が意味が分からない。制作の少なさと絵画的美術の創出がどう関連するのか分からない。「制作が少なかった(から残っている遺物が少ないので)絵画的美術が創出された(かどうかを判定できるだけの材料がなく)不明である」という意味なのでしょうか。
- 「後世、20世紀あたりになって、原始美術に影響され原始主義(英語版)に繋がる」が文として唐突な印象で何がどう繋がっているのか分からない。場所的に直前の「メンヒル、ドルメン、ストーンヘンジなどといった宗教的な意味を持っていたと考えられる石製構造物」が20世紀の原始主義に繋がっているかのように解釈しそうになる。本来は最初の「ただし、これらを原始美術と分類し、その地位が確立されたのは20世紀に入ってからである」と直結する文章に思えるのですが。
- 「特にウルク期の中心的役割を担ったエアンナ」が何をになっていたのか分からない。たぶん、《ウルク期の中心都市であるウルク市で政治的・宗教的な意味で極めて重要な役割を果たしていた街区と推定されているエアンナ》ぐらいの意味かなと推測しているのですが、ぱっと目には《文化史・美術史的な意味でウルク期という用語があり、その定義の中心はエアンナ》に見えなくもない。実際にはどうなのでしょうか。
- こんな感じの疑問点がぽつぽつ出てきて、内容がすっと入ってこない感じです。記述は簡潔かつ要点を抑えてあり、分量が増えすぎないようにまとめられているとは感じるのですが。--シダー近藤(会話) 2021年4月26日 (月) 02:50 (UTC)
推薦者が不正な多重アカウントとして無期限ブロック済みで、他利用者による有効な賛成票がない状態なので、推薦無効として終了します。--Yapparina(会話) 2021年5月4日 (火) 03:01 (UTC)