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Wikipedia:秀逸な記事の選考/中国の仏教 20050808

(ノート) 《推薦理由》約2千年にわたる中国仏教の歴史をほぼ王朝ごとを区切りにしつつ簡明に見通しています。概説としてわかりやすく、かつ各項目への予備知識を与えるよい誘導になっていると感じました。 Aphaia 2005年8月8日 (月) 22:02 (UTC)[返信]

  • (反対)記述が歴史に終始しています。中国の仏教史としては十分でしょうが、百科事典の記事としては中国の仏教の習慣や思想などに関する記述が必須だと思います。(参考:タイの仏教K66星雲 2005年8月9日 (火) 14:45 (UTC)[返信]
  • (賛成)現に仏教国を標榜するタイと、共産主義国家として宗教を害悪とする思想を基本とする中華人民共和国とを同列に扱うことに、違和感をおぼえます。確かに現在の中国でも仏教は儒教道教と同様に「復活」を果たしていますが、出家者に宗教的な自由がどの程度保障されているのか、そもそも信教の自由が、どこまで認められているのか、確かなところは分かりません。うがった見方かも知れませんが、現在の僧侶は、文化財としての寺院を維持し、そこでの仏教儀礼を存続させるための存在とも見られかねない存在とも聞こえて来ます。その一方で、現代の中国の仏教の習慣や思想と言うのならば、それは、儒教や道教と融合した三教合一の習慣や思想に変貌しているので、仏教単一では扱えない面もあります。「中国宗教」のそれ、ということで、別に項を立てて書くべき事柄になります。Adonis 2005年8月15日 (月) 15:43 (UTC)[返信]
    • (コメント)いわれて読み返すと歴史叙述なので「中国の仏教の歴史」のほうがタイトルとしては正鵠をついているのかなとも思います。項目の最後に一節、「他の宗教との関係」のような説を設けて、上でAdonisさんが述べられたようなことを書き、もって中国の宗教への橋渡しとするといいのかなと思います(関連項目にも他宗教はありませんね)。--Aphaia 2005年8月16日 (火) 00:35 (UTC)[返信]
  • (賛成)内容的には少々物足りなさを感じますが、容量との兼ね合いもありますし、概説としては優れていると思います。中国の宗教と言いますか、中国人の信仰生活については、それについての研究は結構されてきておりますので、良い記事が書けるのではと思います。--Kstigarbha 2005年8月16日 (火) 05:38 (UTC)[返信]
    • (コメント)分量のことでしたら、まだ32Kいってませんので、各時代もう少しずつ書き込んでもそれほど読者の負担にはならないと思います。ご参考までに。--Aphaia 2005年8月16日 (火) 12:24 (UTC)[返信]
  • (賛成)「中国の仏教」と言った場合、台湾香港、あるいは華僑の信仰する仏教を除けば、宗教としての仏教、とりわけ日本人が想起するような形態の仏教は、もう存在していないと考えるのが、妥当ではないでしょうか。それには、もちろん現在の中国政府の方針というのも大きいですが、それ以前に、その遥か以前から中国の仏教自身が活力のようなものを失ってしまっていたという点がもっと大きいと思われます。現状の内容で全てとは言えませんが、その辺りの事情も窺い知れる記述にはなっているので、現状で推薦することには賛成です。Wei Yuan 2005年8月17日 (水) 01:07 (UTC)[返信]
    • (コメント)上でみなさんがご指摘されたこと、ごもっともと思いますが、記事からは推察できるというにとどまり明快に述べられていないことがK66星雲さんのような感想を呼ぶ一因かと思います。ここでみなさんが書かれたようなことを、項目の現代のところに書き加えるということは可能でしょうか?--Aphaia 2005年8月17日 (水) 01:23 (UTC)[返信]
  • (保留)(コメント)思想潮流について、唐代、天台や密教その他さまざまな思想潮流が中国で栄えたこと、しかし五代以降は禅と浄土教を除き廃れてしまったことを、具体的に述べてほしい。また、チベット仏教に触れるのであれば、記述が偏りすぎ。元代におけるチベット密教は、元皇族の個人的信仰や、王権を荘厳するための国家儀礼としてチベット仏教が導入されたのに付随して流入はしたが、この時期の中国人の教団や信徒に密教研究や密教信仰が復活したとは聞かない。「チベット仏教に浸水」といえば、清朝の心酔ぶりも大変なものであるが、一切言及がない。また、「中国仏教」と銘うつ以上、中華民国期の太虚らを中心とする仏教復興運動への叙述もほしい。中国仏教における密教の復活をめざし、日本の比叡山チベットに留学僧を派遣し、密教を学ばせた。この時、仏教復興運動に携わったメンバーの中核部分は、のち中華人民共和国時期に、仏教界を束ねて当局と渡り合ったし、いま台湾の仏教界がチベット仏教の各派を台湾に招き、漢人の信者が熱心にチベット僧の説法を聞く状態に成っているのは、この時以来のチベット仏教界との交流の蓄積が実を結んだものである。全体的にみて、まだ未完成感がつよい。--Dalaibaatur 2005年8月27日 (土) 06:31 (UTC) IP氏による【辛亥革命以降の民国時代の仏教界には、さしたる動きは見られない。】という記述は事実に反する。他の時代のすぐれた記述とバランスのとれた記述がほしい。--Dalaibaatur 2005年8月29日 (月) 00:33 (UTC)[返信]
秀逸な記事の選考」に「辛亥革命以降の民国時代の仏教界には、さしたる動きは見られない。」に関することが記されてますが、それは私ではなく、「2005年8月21日 (日) 13:58」の版のKstigarbhaさんの書き込みです。Kstigarbhaさんの方にお確かめ願います。--218.217.181.45ノート:中国の仏教より移動)
さしたる動きは見られないと書きましたのは、私の対応時代ではなく、大して知識がないため、そう思って書いただけです。Dalaibaaturさんによれば、仏教復興運動が為されたよしとの事。これは私は初めて知りましたので、是非、詳しい方に詳細を書いて頂きたいです。人民共和国を削除したのは、218.217.181.45(@nifty)さんではなく、[[210.174.10.90 (ソネット)氏のようです。--Kstigarbha 2005年8月29日 (月) 09:47 (UTC)[返信]
  • (条件付き賛成)
(1)王朝時代までをあつかった部分の記事名を「中国仏教 (王朝時代)」に変更し、「中国仏教 (近現代)」を別にたてるのであれば、現状でも「秀逸な記事」とすることに賛成です。
(2)詳細はノート:中国の仏教で問題提起しておきましたが、王朝時代については「中国仏教」を「シナ仏教」と同義で用い、シナ仏教のみをあつかっていたのを、現代の部分だけチベット仏教を含め、しかもシナ仏教については具体的な記述が一切欠けているのはいかがかと。古代から現代まで、「中国仏教」=「シナ仏教」として一貫させるか、現在の中国の枠組み上に展開された仏教の諸潮流を扱う記事として性格替えするか、一方に徹するべき。
(3)「中国仏教」=シナ仏教とするなら、この記事の近代、現代では、民国時代の仏教復興運動の申し子たちの活動(中国における法尊ら中国仏教協会の命がけの戦いや、台湾仏教界の再編と繁栄)などを紹介していただきたいですね。--Dalaibaatur 2005年8月30日 (火) 13:40 (UTC)[返信]
  • (反対)先には賛成の意志を表明いたしましたが、Dalaibaaturさんの上掲のご意見を伺って、目から鱗の思いです。何昔も前につくられた既製の概説書等の「中国仏教史」という枠組みの先入観に縛られている自分を恥ずかしく思います。そこで、Dalaibaaturさん同様に、条件付き賛成とさせてもらおうかとも思ったのですが、ここは、いったん反対にまわらせてもらいます。無節操の誹りは免れないでしょうが、現状で「秀逸な記事」に推薦するのは、概説書とは違い、アクティブな百科事典としては、無理があろうと思いました。私自身、仏教は専門ではありませんが、今は、以前と違い、書き手が極端に不足しているように思えます。シナ仏教を概観するにしても、清末の楊文会や民国の太虚らの活動は、当然盛り込まれるべきであります。その上で、Dalaibaaturさんの提議された貴重なご意見も十分に盛り込めた形で、再編成され得れば、またの機会もあるのではないか、と考えます。Adonis 2005年9月5日 (月) 09:30 (UTC)[返信]