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Wikipedia:査読依頼/夢路いとし・喜味こいし 20100114

夢路いとし・喜味こいし - ノート[編集]

(とくに1950年代以降の活躍の詳細について)加筆するにあたって有用な資料等がありましたら、ご指摘願えればありがたいです。また、簡単にで結構ですので、良質な記事の選考に堪えられるかについてコメントをお願いいたします。 2010年1月13日 (水) 22:38 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
井上の師匠にあたる荒川芳丸 - 「玉乗り芸人」の師匠が万歳師というのはちょっと考えにくいです。井上は「芳丸会」のメンバーだったので彼にとって「座長」に当たるわけですが、「井上自身の師匠」というわけではないのではと思います。インタビューの書き起こしでは、インタビュワーの誤認が紛れ込むこともありますから、複数の文献で比較検討が必要でしょう。--miya 2010年1月22日 (金) 17:57 (UTC)[返信]
『いとしこいし想い出語り』p.18に井上の台詞が出てくるのですが、そこで荒川のことを「師匠」と呼んでいることから師弟関係にあると思ったのですが、改めて考えると芸能界では大御所を「師匠」と呼ぶ慣習があるので、おそらくそちらのほうの「師匠」なのでしょう。『いとしこいし漫才の世界』には荒川が井上の師であるとは書かれていませんし、おそらくmiyaさんのおっしゃる通りと思います。表現を改めました。-- 2010年2月2日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
漫才師に転向するよう勧められ、 - その頃には子役として半端になっていたことや、劇でのしゃべりが面白かったと言われたこと、漫才の世界では「こども漫才」「少年漫才」としてスタートしたことにも言及してはどうでしょう。--miya 2010年1月22日 (金) 17:57 (UTC)[返信]
アドバイスに従って加筆してみました。-- 2010年2月2日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
客から「漫才をやれ!」と野次られ、泣きながら演じることも - というのは、『桂吉坊がきく芸』では「地方の劇場」、『いとしこいし想い出がたり』では「行く地方によっては」となっていますが、大阪や東京でもそういうことがあったのでしょうか。--miya 2010年1月22日 (金) 17:57 (UTC)[返信]
2人は具体的な地域として和歌山を挙げています。大阪・東京については言及がないようです。そのあたりを反映させていました。-- 2010年2月2日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
手見せ(オーディション) - とありますが、「オーディション」とつけると、近年のオーディション風景を連想してしまうと思います。南陽館での「手見せ」は通常の観客の前で漫才を演じるて会社の人にも見てもらうものだったということを注釈などで明確にしてはどうでしょう。--miya 2010年1月22日 (金) 17:57 (UTC)[返信]
アドバイスに従って加筆してみました。-- 2010年2月2日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
吉本興業直営の寄席のほか、当時大阪で最も権威のあった寄席である南地花月と花月倶楽部にも出演した - とありますが、これだと南地花月と花月倶楽部は吉本の直営ではないように読めます。しかし法善寺の花月も1918年には吉本の傘下になっていたのではないでしょうか?この花月が最も権威があったのは確かなようですが、いとし・こいし出演当時、吉本直営でなかったかどうかは確認できませんでした。--miya 2010年1月22日 (金) 17:57 (UTC)[返信]
:これは私の読み違えのようです。『いとしこいし漫才の世界』p.25には「吉本直営の寄席…なかでも…南地花月と…花月倶楽部」とあります。-- 2010年2月2日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
活動停止 - 弟の事だけ書いてあるため、兄はその間何をしていたのかと不思議に感じました。身体が弱くて兵隊に行かなかったなど、わかる範囲で書いた方がいいと思います。--miya 2010年1月22日 (金) 17:57 (UTC)[返信]
アドバイスに従って加筆してみました。-- 2010年2月2日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
ピン芸人 - いとしさんが亡くなった後のこいしさんを「ピン芸人として活動している」と形容されていますが、楽屋言葉のような「ピン芸人」というスラング(?)は、こいしさんの立ち位置には合わないように思います。--miya 2010年1月22日 (金) 17:57 (UTC)[返信]
確かにそうかもしれません。表現を改めてみました。-- 2010年2月2日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
力作ですね。記事の質のさらなる向上を目指すなら、人物記事ではありますが、二人の活動した時代の背景を大きく把握しておくことが大切であろうと思います。コンビの記事というのは、メンバー個人の記事と内容が重なりがち(かといって矛盾しても困る)ですが、いとし・こいしさんのコンビの記事では、お二人の活動の背景も加味して、昭和の上方漫才史におけるいとし・こいしさんの存在を浮き彫りにできれば素晴らしいと思います。
たとえば、萬歳ー万歳ー万才から漫才への移行、吉本、松竹など芸能社の勃興、万歳/漫才を演じる場所・衣装・観客の移り変わり(小屋~寄席~ラジオ~テレビ、着流し~紋付袴~背広、学生やサラリーマンの存在)、音曲や猥雑さがつきものだったそれまでの萬歳/万歳/万才と新しいしゃべくり漫才(秋田實の「無邪気な笑い」)との対比...などを踏まえたうえで、いとし・こいしを解説していただければと思います。
上方漫才史について体系的に把握するのにお薦めなのが大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方編『上方演芸大全』(創元社 2008年)です。上方漫才育ての親とも言うべき秋田實の著書や評伝も当時の芸能界の状況を知るのに有効でしょう。秋田實『私は漫才作者』(文藝春秋 1975年)や富岡多恵子『漫才作者秋田實』(筑摩書房1986年/平凡社2001年)には1950年の宝塚新芸座設立前後の事情も書かれていて、そこにいとし・こいしさんの名前も出てきます。--miya 2010年1月22日 (金) 17:57 (UTC)[返信]
  • ありがとうございます。お薦め頂いた『上方演芸大全』を取り寄せました。これはいい本ですね。おっしゃる通り上方漫才の流れは抑えておきたいところなのでこの本で勉強してみます。後はそれをどこまで記述に反映させられるかですね。秋田實についてもこの記事を執筆したのをきっかけに少し興味が湧いていたところでした。『漫才作者秋田實』は取り寄せられそうなので読んでみます。(「検証」については後ほどお返事します)-- 2010年1月30日 (土) 23:04 (UTC)[返信]
【感想】 ──専門外の方による感想。
【その他】 ──表記・文体など