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Wikipedia:執筆コンテスト/第六回執筆コンテスト/反省会

第六回執筆コンテスト
第六回執筆コンテスト
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第六回執筆コンテスト

このページは、第六回執筆コンテストの反省会の会場です。

コンテストを通じて、今後の反省点、あるいは評価を皆様、サロン感覚で書き連ねてください。

運営委員からのコメント

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執筆コンテストは第三回から参加しています。2回の加筆コンクールを合わせるともう6回も運営しているのかと考えると、さすがに、もう古参の仲間入りをしているのかと思いつつ、回を重ねる毎に、記事のレヴェルが向上していることを実感しています。久々に、記事のエントリーをB分野でやってみましたが(記事のエントリー自体はイスラーム建築以来になります)、見事、返り討ちにあいました。やはり、自らの得意分野以外で勝負をするには限界があります。

さて、まず、私自身の反省点を述べた上で、全体の課題を述べていきたいと思います。

私自身の反省点としては、やはり、思ったほどの時間がプライベート・パブリックともに取られたこともあり、記事の執筆に多くの時間を割くことが出来なかったことです。結果として、カジランガ国立公園の記事は「訳がこなれていない」と分かりつつも、エントリーせざるを得ない状況に陥ることとなりました。記事を読む時間は、ゴールデンウィークがあったので、ゆっくりとることができたのですが……。

全体の課題としては、記事のレヴェルが向上していることは素直に評価していいと思います。私も前回と違って、FA選考に耐えられる記事がいくつもあると感じていますから。問題は、記事の読み手が不足していることでしょうか。各分野の審査員が3ないし4名とは、さすがに少なすぎるかな。もっとも、審査員に求められる条件も厳しい部分があるのですが。

運営面からでは、ある程度、回数を重ねていることもあり、割かし、スムーズだったと思います。

日本語版ウィキペディアをインターネットにおける質も量も兼ね備えた最良・最高の百科事典を目指すのであれば、管理者の方こそ、審査員に参加してくださると思うのですが、この考え方はないものねだりなのかなあ……。--Tantal 2010年5月16日 (日) 07:37 (UTC)[返信]

いあ、管理者という立場は、コンテストと関係付けられるものではないと思いますよ。ぼくらがコンテストというお祭りにうつつを抜かしている間に権限が必要な作業をしてくれていることに感謝しましょう。--Ks aka 98 2010年5月16日 (日) 18:39 (UTC)[返信]

今回は「執筆コンテスト?お祭りには出なきゃ損」と思い、単に運営委員として、案内ページの<ref>関係でエラーが出てたのをつぶしたり、案内文書の一部訂正をしたり、議論に加わったりという裏方仕事をやった程度で、この程度でよかったのかどうかと云われると反省すべき点ではなかろうかと思います。

今回の記事も審査採点こそしておりませんが楽しく拝見させていただきました。質が高く、特に歴史的項目を執筆された方はよく調べたなぁと感心させられました。得点や順位はとにかく、新しい記事が(しかもこんなに質のいい記事が)多量に増えたことは、喜ばしい限りであります。執筆者の皆様に敬意を表します。今後記事の書き方という点で参考にさせていただきたく思います。

運営上の問題などありましたら議論してまた次回から修正しましょう。皆様大変お疲れ様でした。--御門桜 2010年5月17日 (月) 02:27 (UTC)[返信]

今回執筆コンテストは初めてで、得意な分野が特にないということもあり、運営委員として立候補させていただいたのですが(運営委員としても殆ど何もしていませんでしたね…、これはどうかと)、大変楽しく端から見させていただきました。質の高い記事がたくさん出来あがっていって、本当にこのコンテストはすごいなあ、と思います。

反省点は、殆どまかせっきりの状態になっていたことですね。何か参加しようとしても皆さんが素晴らしい動きをしてくださるので、ほっとしてぼーっと見ているだけになってしまいました。

次回は、運営委員もしようと考えているのですが、時間があれば少し執筆にも挑戦してみようかと。祭りを盛り上げるのはもちろん、少しでも日本語版ウィキペディアがよい品質になるということは、やって損ではないことだと思いますので。

最後に、運営委員、審査員、そして執筆者のみなさん、お疲れ様でした。次回も素晴らしいコンテストとなるように頑張りましょう!--Lucky7+9会話/履歴 2010年5月19日 (水) 10:58 (UTC)[返信]

審査員からのコメント

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前回のコンテストは執筆者としてのみの参加でしたが、今回初めて審査員も務めさせていただきました。前回のコンテストの反省会で、理由説明の伴わない審査は無効にすべきだとかなり厳しいコメントを出しましたが、やはり執筆者の立場に立てば採点には理由説明が伴うべきで、しかも説明には説得力がないといけないと考え、そのためにはどの要素をどの程度考慮しますという基準を示し、その基準に記事を当てはめた結果を執筆者に示すことが必要という結論に達し、採点表を作成することにしました。基準づくりは予想以上に難しいものがありましたが、色々と考える中で、自分自身が記事についてどういった要素を重視しているのかについて見つめ直すことができ、貴重な体験をさせて頂いたと感謝しております。

ちなみに今回、私を含め過半数の審査員が採点表を作成しましたが、この記事と自分の記事の差は具体的には何なんだ、どのくらい差があるんだ、という執筆者からの疑問に対し審査員が完全に答えられる(どの記事の執筆者にどの記事との差を説明するよう要求された場合でもきちんと説明できる)ようにするためには採点表が必須だと思いますし、この傾向が一層強まることを望みます。-- 2010年5月16日 (日) 16:03 (UTC)[返信]

みなさんお疲れ様でした。おおよそは利用者:Ks aka 98/第六回執筆コンテストに書きました。よかったら、以前書いた[1]も参照してみてください。今回はエントリしようと思っていたのですが、思いのほか資料収集と読み込みに時間を取られ、それが仕事を圧迫し、さらに審査期間の作業を圧迫し…ということで、コメントなどが遅れました。一部コメントが言葉足らずで執筆者に不快感を与えたこと、また、協賛参加の項目まで手が回りませんでした。お詫びします。記事の方は、おいおい投稿しようとは思うのですが…。

これまでもウィキペディアの記事の質というのは、いろいろと考えてはいたのですが、この一年、良質な記事の導入があって、ちょっとごたごたしたりもして、それからWCJとその関連で、学識者の方々と意見交換する機会もあり、また学識者との連携という話もあったりして、さらに考えることも多かった。

審査については、自分のことを離れると、もっとゆるい審査員がいてもいいと思ってます。ウィキペディアの方針類はある程度把握しておいてもらわないと困るし、誠実に読まないといけないけれど、先生に採点してもらうレポートじゃないんですから、「素朴な読者」の「素朴な評価」に耐えられるものこそ百科事典記事。

記事という視点を離れるなら、廉さんのテンポイント、神戸居留地競馬、神戸外国人居留地というエントリの推移が興味深いと思いました。失礼にあたるかもしれませんが、自分の関心を糧に資料を収集して素朴な実証主義的にまとめあげる記事から、多様な視点と多様な情報源を扱わないといけない総合的な記事へ。記事や過去のエントリへのコメントは、分野による情報源の扱いの違いを如実に示していますし、執筆者としての成長は、ウィキペディアが自発的な生涯学習の場として機能することを示していると思います。分野BのMiya.mさん、分野Cあるいは翻訳記事の汲平さんの存在は、各分野の壁として立ちはだかっていますが、それぞれに情報源の甘さや日本語文献の不在なども指摘されているわけで、そろそろ誰かがこのお二人を乗り越えて行って欲しい、またお二人もより意欲的な挑戦をして、切磋琢磨して欲しいなと思います。

このコンテスト/コンクールという場所は、かなりウィキペディアの理念を体現している場所だと思うんです。エチケットを守り、善意に解釈し、指摘があれば記事を改善するという形で発展させる。PJ検証やPJ執筆支援へのフィードバックや、以前話に出たこともありますが、図書館などでのワークショップ、共同執筆の試みなども検討されるといいなあ、と。--Ks aka 98 2010年5月16日 (日) 18:38 (UTC)[返信]

執筆者からのコメント

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分野A

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  • 神戸外国人居留地で参加いたしました廉です。前回神戸居留地競馬でこの記事のテーマである神戸外国人居留地の存在に触れ、居留地で活動した人物の記事をいくつか手がけるうちにこの記事の作成を思い立つに至りました。分野Aはいつかエントリーしたいと思っていた憧れの地でしたが、高い評価を頂き本当にありがたく、光栄に思います。頂いたコメントをもとに更なるブラッシュアップに努めます。画像について好意的なご意見を複数頂きましたが、これは663highlandさんが優れた画像を多数アップロードして下さったお陰です。この場を借りて663highlandさんに感謝申し上げます。-- 2010年5月16日 (日) 16:43 (UTC)[返信]
  • ノルウェーの経済で参加しましたWushiです。拙稿、読んでくださりありがとうございました。ついでにメールでお世話になったノルウェー統計局(SSB)の皆さまありがとうございます(Tusen Takk!)。中国から流れ流され北欧にたどり着きましたが、今回初めて、北欧の大規模記事に取り組んでわかったことは、北欧の文献が無さ過ぎるということでした。専門としている中国はそれなりに近所の本屋にも書籍があるのに、北欧は山川出版社の『北欧史』くらいでした。あとはAmazonか近所の図書館です。社会保障はスウェーデンやデンマークは新書レベルであるのに、ノルウェーはあまり無いし、トホホという感じでした。早稲田大学出版会からの『ノルウェーの経済』・『ノルウェーの政治』・『ノルウェーの歴史』やSSBといったものがあったからまだ、形にはなったと思いますが、相変わらずSTUBレベルです。いつになったらSTUBのテンプレートが取れるか未定ですが、少しずつ指摘事項を埋めていきたいと思います。最後に周辺記事誰か手伝ってくれないかと思わないでもないです。OBX指数関連だけでもいいので、と思っていますが...OTZ。--Wushi 2010年5月17日 (月) 13:15 (UTC)[返信]
  • 今回初参加しましたのりまきです。私が最近手がけるようになった鉱山関連の記事でコンテストに参加したいと思っていたところ、エントリーできる記事の大きさが引き上げられたおかげで日立鉱山に取り組むことが出来ました。実のところ著名な鉱山の中でもまだまだスタブ程度の記事は多く、どうしても日立鉱山にこだわる必要はなかったのですが、やはり日立や足尾、別子などといった「銅山」が、金属鉱山の中では日本の産業史に最も大きな影響を与えていて、他の鉱山よりも書くべき内容が豊富なのです。また日立は私にとって比較的便利が良い場所で、多くの資料を集め、また現地の写真を記事内に入れることも出来ました。そんなこんなで思った以上に大きな記事になってしまい、皆さんのご意見にもあるように構成について課題が残ったことが一番の反省点です。良かった点としては高い評価をしていただいたことで、正直思った以上に大変でしたが「やってよかったな!」と感じております。また皆さんに少しでも鉱山の面白さを伝えることが出来たら嬉しいです。このところ公私ともに多忙で、なかなか執筆時間が取れないために、更なるブラッシュアップや周辺記事の充実は見通しが立ちにくい現状なのですが、徐々に取り組んで行きたいと思います。皆様どうもありがとうございました。--のりまき 2010年5月17日 (月) 13:23 (UTC)[返信]
  • 暗黒時代 (古代ギリシア)で初参加させていただいたHideokunです。まず、今回、コンテストの運営の方々への感謝と私の拙い記事にコメントを寄せていただいた方々へ厚くお礼申し上げます。力作が揃っている中、運良くコンテスト内に記事を完成させることができたことから参加させていただきましたが、時間的余裕がなかったため読者の方々を充分に納得させるレベルではなかったことは様々なコメントを戴いたことから明らかでした。今後の教訓にしたいと思います。ただ、言い訳がましく言わせていただければ、そもそも私はこれまで研究家たちが築き上げたものを有り難く頂戴しているだけにすぎず、またその代弁者でしかありません。私の書く記事は全てがスタートレベルでしかないと思っています。私のような趣味人レベルがこれまで投稿した記事がさらに発展してより優秀な記事となることを常に願っております。そういう意味でこの暗黒時代が多少なりとも興味の的になったのならば、ギリシャ史を中心に活動している私としては本望と言えると思います。そして、そのような機会である執筆コンテストは非常に有意義なイベントであると思います。今後もこのような催しが行われて優秀な記事が増えることによりWikipediaがさらなる発展することを切に願っております。今回は本当にありがとうございました。--Hideokun 2010年5月18日 (火) 20:57 (UTC)[返信]
  • ルワンダ虐殺で参加させて頂きましたken.yです。ルワンダ虐殺はルワンダに関して説明する上で避けて通れない事項でありますが、民族浄化という題材の難しさ、中立的な執筆の困難さ、背景説明の複雑さから、加筆を躊躇しておりました。おそらく、当コンテストのような締め切り付きの機会が無ければ現在でも踏ん切りがつかず、加筆は出来ていなかったと思います。怠惰な私にコンテストの参加機会と締め切りを与えて下さった運営委員の皆様に感謝致します。また今回、多くの方々から改善すべき点や過分な評価の言葉を頂けたことを本当に有難く、そして嬉しく思いました。審査員の皆様、コメンテーターの皆様、そしてライバルコメントを下さった皆様に感謝します。そして、コンテスト期間の後半から健康上の都合により対応が遅くなってしまったことをお詫び申し上げます。本記事は私の不勉強や力不足もあり未だ不十分な点も多く残っているため、ご指摘頂いた改善すべき点も含めて今後より良い記事としていきたいと考えています。最後に、Wikipedia日本版のアフリカ関連の記事はスタブや赤リンクが重要な項目に未だ数多く残っていますが、これらが徐々にでも作成・充実していったらいいなぁ……。--Ken.y 2010年5月23日 (日) 06:16 (UTC)[返信]
  • 富山県の総合開発計画を執筆しましたネプチューンです。いちよ運営委員にも参加したのでしたが、忙しくて何も出来ずごめんなさい。記事についてはGWに一気に加筆するつもりでしたが、スケジュールを読み間違えてしまい中途半端なところで終わってしまいました。同じことを何度も繰り返して申し訳ございませんでした。いつか富山ネタで入賞できるよう頑張っていきます。しかし、秋の加筆コンクールは中国へ単身赴任するので何も出来ません。おそらくwikiブレイクせざるを得ません。今まで運営委員を始め、多くの方々にお世話になりました。大変感謝しております。また復帰できる日が来ることを祈ります。--ネプチューン 2010年5月30日 (日) 15:21 (UTC)[返信]
  • 只野真葛で参加しましたChokorinです。おかげさまで楽しく参加させていただきました。運営委員・審査委員・コメンテータの皆様にはたいへん御難儀をおかけしました。ありがとうございました。コンテストは読み手がいて初めて成り立つものだということを改めて痛感いたしました。審査にたずさわった皆様がたいへん丁寧にお読みくださいましたこと、あつく御礼申し上げます。ありがとうございました。--Chokorin 2010年6月3日 (木) 00:31 (UTC)[返信]

分野B

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  • 専有部分共用部分で参加したo fudo です。今回の分野Bは、これまでにまして仕上がりの高いものばかりで格差を思い知りました。今回は、建築関係をもう少し書けるかなと思ったことと、法律、経済、行政的なことを技術系の方々にも明瞭な説明をしてみたい(私は法曹でもエコノミストでも行政関係者でもないですが)、ということもありましたが、ご覧の「ざま」でした。今、他の方々がマンションの整備を進めておられるところに関わっていますが、今回の経験をもとに少しはお役に立ちたいと思います。前回が分野Aだったので、次の機会があれば、分野Cも考えてみたいと思っています。--O fudo 2010年5月22日 (土) 14:24 (UTC)[返信]
  • 大西洋横断電信ケーブルで参加したアリオトです。この題材は、ウィリアム・トムソンを加筆しようとして色々調べているときに見つけました。海底ケーブルに関してはあまり知識が無かったのですが、このケーブルの敷設までの歴史が魅力的に感じたので執筆に挑戦してみました(個人的には、ケーブル敷設が成功したときのタイムズ紙の論評がお気に入り)。元々知らない分野でしたのでどうなる事かと不安でしたが、コメントや選考では予想以上に好意的な評価をいただき光栄です。一方、本来の目的だったトムソン教授については、彼の手がけた分野があまりにも多く、とても私の手には負えないことが分かったため加筆は諦めたのでした。今回は自分のことで手いっぱいだったため、特に他分野の記事についてはまだしっかりと目を通してもいない状況なのですが、これからのお楽しみということで、ゆっくりと読みつつ、今後の参考にしていきたいと思います。最後に、運営委員、審査員、コメンテータの皆々様に感謝いたします。--アリオト 2010年5月23日 (日) 08:13 (UTC)[返信]
  • 鉱床学で参加したMiya.Mです。この項目はエントリーの時に書きましたように「のりまき」さんのすばらしいご執筆を見て「こっちもなんとかせにゃあ」と思い立ったものです。何とかコンテスト内にまとまったので参加させていただきましたが、予想以上の高評価をいただきました。有難うございます。ですが評価いただいた主要因はコモンズから持ってきた「分かりやすい/面白い写真」にあったように思います。この項目に限らずここ数年のコモンズの充実ぶりは目を見張るものがあります。このコンテストが 翻訳記事にしろ、写真の移入にしろ、全Wikimediaのなかの日本語版Wikipediaという位置づけの啓蒙になっているのかなあ と感じる次第です。それと 最後にエントリーして高評価をいただいてしまい、「後出しジャンケン」になってしまいましたことを、B分野の参加者の方にお詫び申し上げます。Miya.M 2010年5月23日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

分野C

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  • 今回初めて参加させて頂きました。最後まで読みきれず全ての記事にコメント出来なかったのは非常に心残りですが、有意義で濃密な時間を過ごさせて頂いた事に感謝したいと思います。コメンテーターとして選考関係と同じノリで一部記事の粗捜しのようなコメントとなってしまった事は反省すべきで、「この記事は何が良いのか」という観点からもっとコメントしていければなと思いました。不快に思われた方には申し訳無く思います。執筆した食品サンプルについては高く評価して頂きましてありがとうございました。ご指摘のように資料の渉猟が甘く、このへんエントリから1ヶ月だと少々厳しいものがあり、もう少し前から準備しなければならないのかなどと思ったりもしました。多数の方に読んでいただけたのが何よりでした。また機会があれば参加させて頂きたいと思います。運営委員・審査委員の皆様ありがとうございました。参加された皆様本当にお疲れ様でした。--R.Lucy 2010年5月17日 (月) 05:04 (UTC)[返信]
  • 光舟です。結構ボリュームのある翻訳記事の完成がコンテストの日程とたまたま合致しただけという軽い理由で「オランダ黄金時代の絵画」で初参加してみました。エントリ時にも書いたとおり英語版からのつたない素翻訳ですが、意外にも次点を頂き吃驚しているのが正直なところです。せっかく有益なコメントを皆さまに頂いたにも関わらず、資料がないため指摘いただいた内容を独自研究や情報の合成にならずに加筆することが出来なかったのが申し訳なく、かつ悔しかったですね。コメントを頂いた、あるいは審査していただいた方には本当に感謝しています。何故かこの記事の執筆で燃え尽きた感じがしており、実生活が忙しいこともあって次の執筆(翻訳)意欲が湧かないのが困ったものですが、おいおいリハビリしていきます。今後参加するかどうかは分かりませんが、面白かったです。今回のコンテストに携わった皆さまに再度お礼を言います。ありがとうございました。--光舟 2010年5月18日 (火) 12:01 (UTC)[返信]
  • アルプ・シュニットガーで参加した汲平です。前回のハイデルベルク城ははじめからからコンテストを意識した記事でしたが、今回はシュターデを書いている時にこの記事に遭遇して、たまたま時期もあっていたのでエントリーしました。皆様から過分のお褒めのお言葉を頂戴して、勘違いしてしまいそうですが、なにぶん翻訳記事ですので、この記事の功績の第一は、元記事であるドイツ語版を作成した皆さんであることは論を待ちません。日本語を読める人は多分ほとんどいらっしゃらないでしょうが、この場を借りて感謝申し上げます。また、オルガンについてはほとんど素人ですので、その構造などに関する専門知識はドイツ語版ユーザーでオルガン奏者のMetznerさんにご助言を頂戴しました。この方のご指導がなければこの記事は書けなかったと思います。御礼申し上げます。そして、記事を読んでコメントを下さった方々にも厚く感謝致します。毎回コンテストでは様々な勉強をさせて頂いております。それがその後の編集に反映できているかどうかは甚だ心許ないばかりで心苦しいのですが、少しずつでも記事の質を向上させることができればいいな、と思っております。今回も楽しませて頂きました。ありがとうございました。--汲平 2010年5月18日 (火) 15:42 (UTC)[返信]
  • 櫻間伴馬で参加させていただいたsat666です。初参加、しかも廉さんにお勧めいただいて初めてエントリーを思い立ったこの記事で入賞という結果を残せたことは、まさしく望外の喜びです。親族による回想に少なからぬ部分を拠る形での執筆となりましたが、コメントでご指摘があった部分も含め、中には明らかな矛盾がある場合もあり、出典の取り扱い方について今後いっそうの課題としたいと思います。結果的に他の皆さまの記事に一つもコメントできず、また自分の記事に寄せていただいたコメントにも満足に応じられなかったことは反省しきりです。まだ3分の1足らずの記事しか読めておりませんが、その中でもアルプ・シュニットガー只野真葛を特に興味深く拝読させていただきました。こうしたコンテスト、また査読を受ける機会は初めてだったので不安もありましたが、大変楽しく、また勉強になる経験でした。参加者、運営・審査委員を初めとする総ての皆々さま、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。今後ともマイペースで精進したいと思います。--サトウミツロウ(sat666) 2010年5月19日 (水) 11:35 (UTC)[返信]

コメンテーターからのコメント

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参加者のみなさん、お疲れ様でした。「トリスタンとイゾルデ (楽劇)」で分野Cにエントリしましたが、協賛参加にとどまりましたので、コメンテーターとして感想を述べます。コメントは同じ執筆者として、ここはこうしたいというようなことを率直にいわせていただいたため、ダメ出しが多くなったことはお許しいただきたいと思います。個人的なベストを順に挙げると、分野Aでは「ルワンダ虐殺」、「暗黒時代 (古代ギリシア)」、「日立鉱山」、「ダライ・ラマ5世」。「只野真葛」も強く印象に残りました。分野Bでは「タヌキモ属」、「大西洋横断電信ケーブル」、「冬季作業車両」です。

私がウィキペディアに望んでいるのは、「面白くて、ためになる」記事です。読むと、思わず引き込まれたり、発見がある記事。世界には自分のまだ知らない驚異があるんだ、と実感させてくれる、そんな体験です。以前のコンテストで「センス・オブ・ワンダー」と表現したことがあったのですが、同趣旨です。これは、百科事典の「正しいあり方」としてはやや異質なのかもしれません。あるいは突き詰めていくと両者は矛盾するかもしれません。しかし、私としては、この二つを高い次元で両立させた記事を自分でもものにしたいと願っています。そういう立場からすると、分野C「食品サンプル」のような記事がもっと増えてほしいところです。また、分野A「2010年中国における日本人死刑執行問題」について、コメントでは「微妙」としましたが、こうした時事問題を扱うことは「紙製の百科事典ではない」ウィキペディアの可能性やあり方と関わっており、同時に、百科事典とジャーナリズムの関係をどのように整理していくのかという点でも興味深い記事だと捉えています。

翻訳については、前回加筆コンテストでの議論もいただきましたが、私としてはむしろ日本語版から外国語版に翻訳されるような記事を書いてもらいたいと思います。まあこれは「執筆コンテスト」だからこそいわせていただくことでもあります。前提として、外国語版の優れた記事を紹介いただくのはありがたいことですし、書き下ろしとはまた異なる困難を克服してこなれた日本語に訳されている方々には敬意を表します。現在の日本語版の充実は、翻訳者の方々の努力があってこそだとも思います。その上でのお願いということで。

「もっとゆるい審査員がいてもいい」というKs aka 98さんの言葉に勇気づけられましたので、ご迷惑でなければ、次回はもしかしたら「ゆるゆる派」(?)として審査員に立候補するかもしれません。--みっち 2010年5月18日 (火) 07:30 (UTC)[返信]

今後への課題

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エントリーできる記事の大きさについて

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今回、エントリーできる記事の大きさが3,000バイト以下から5,000バイト以下に引き上げられ、さらに10,000までへの引き上げが検討されたり条件をなくす提案がされたりしました(Wikipedia‐ノート:執筆コンテスト/第六回執筆コンテスト#初期条件を参照)。入賞した記事だけを見ても分野Aのルワンダ虐殺日立鉱山、分野Cの食品サンプルは3,000バイト以下ではエントリーできなかった記事で、条件の緩和がエントリーを促す効果はあるようです。ただし、条件をなくした場合には秋の加筆コンクールの違いをどのように設定するのか、あるいは実質的に加筆コンクールを春秋2回開催するのかといった問題も出てくるように思われます。-- 2010年5月17日 (月) 10:33 (UTC)[返信]

コメントさすがに5,000バイトに引き上げてから、すぐに10,000バイトにするのはいかがと思ったので「協賛参加」の妥協案を提示させていただきました。私個人の意見としては、今回5,000バイト以下で条件が固まったわけですし、しばらく5,000バイトから様子見で良いのではないかと思います。--御門桜 2010年5月17日 (月) 13:56 (UTC)[返信]
コメント例外もありますが20kから100k越えのエントリがほとんどというところで、5kに制限する意味はあまりないんじゃないかと思っています。
経緯として執筆コンテストが基本で加筆コンクールができたという意識が強いのですが、制限なしを基本として、そうじゃないのを一つ。これまでは、もうひとつのほうとして、加筆コンクールの「既にある記事のさらなる充実」という目的があった。今度は逆に、もうひとつのほうを、新記事またはスタブという制限ということでもいいんだけど、それならそれで目的を明確化するというか。
たとえば過去の入賞者はエントリできなくして参加しやすくするとかでもいいですし、個別のテーマを設けてもいい。「翻訳」とか「人物伝」とかのテーマなら、みんなでその分野の書く上での方法論みたいなところに集中できる。エントリ可能な項目を「すべての言語版にあるべき項目の一覧」や「多数の言語版にあるが日本語版にない記事」に限定してしまえば、百科事典として明らかに不足している項目を充実させることになる。これはある程度コンテスト/コンクールが軌道にのって、毎回参加している人がでてきているからこそ、企画倒れにならずにすむんじゃないかなと思うものでもあります。--Ks aka 98 2010年5月17日 (月) 14:27 (UTC)[返信]
コメント 廉さんのおっしゃるように、記事のサイズの制限を撤廃して加筆コンクールを春秋の2回実施すべきだと思います。今まで参加してきて、執筆コンテストの目的は「いままで書かれなかったネタを記事化してそれを充実させる」だと感じております。ただ記事化しても1000バイトに満たない記事を作られては困ります。さらに5000バイト以下の記事が対象ですとエントリーできる記事が専門的なものに限られてきます。
やはり、ユーザーさんには記事を読むだけではなく積極的に記事の作成・加筆にも参加していただきたいので、それを促すための執筆コンテストや加筆コンクールで行ったほうがいいのではないでしょうか。また、書くネタが思いつかない方々のことを思うと、Ks aka 98さんのご提案はナイスアイデアだと思います。--ネプチューン 2010年5月30日 (日) 15:42 (UTC) (敬称が抜けていました。すいません。--ネプチューン 2010年5月30日 (日) 15:44 (UTC)[返信]

審査について

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前回(第5回)のときに、「審査基準を明確にすべきだ」という意見がありました。しかし、今回新たに、「誠実に読まないといけないが、レポートではないので少々ゆるい審査員が居てもよいのではないか」と感じた方もおられます。私は前回「審査は明確にすべきだ」と言う意見を出しました。しかし、「レポートじゃないんだし」と言う意見を拝見した後、どちらも一理ある内容だと感じました。コンテストなんだから公平な審査をして、得点はつけなければならない、しかしガチガチに審査基準を固めて採点表云々というのもどうかと思うのです。そこで改めてこのコンテストの審査という物はどうあるべきか、改めて(反省もかねて)課題としたいと思います。記事を執筆された方、実際にコメントをお寄せ頂いた方、様々な方の意見をもう一度お伺いしたく存じます。是非忌憚のない意見をお寄せください。--御門桜 2010年5月18日 (火) 09:53 (UTC)[返信]

コメント2点申し上げます。
  1. まず、明確な審査基準に基づかない審査でも、審査員の人数が多ければある程度妥当な結論が得られるのかもしれないと思います(月間新記事賞などは各人がコメントも付けず自由に投票しますが、おおむね妥当な結果が得られている印象があります)。しかし今回のような人数では、ゆるい審査が結果に及ぼす影響力が大きすぎます。なるべくきちんと採点して頂きたいです。
  2. 私が審査基準を明確にすべきだと主張する理由のひとつは、どのような審査基準を採用してもいいから、ポイントをつけた記事の長所を述べるだけでなく、ポイントをつけなかった記事に不足している点も指摘して頂きたいからです。ポイントをつけた記事はこれこれこういう点が素晴らしかったです、と述べるだけでは、そうでなかった記事の執筆者はただ漠然と「ポイントが付いた記事のような記事を目指しましょう」と言われたも同然であり、途方に暮れるばかりではないでしょうか。採点表を用いず、コメントをつけながら採点をする方式でも別に構いません。しかしそうであるならば、すべての記事についてコメントと選考の少なくとも一方でなんらかの言及をすべきです。それがどのような記事であれエントリーをした執筆者に対する最低限の礼義であり、「未執筆の記事や、スタブ程度の記事を…成長、改善し、素晴らしいものに仕上げる」というコンテストの趣旨に沿っているといえるのではないでしょうか。-- 2010年5月18日 (火) 12:43 (UTC)[返信]
コメントまず最初に、思ったことを推敲なしにコメントすることをお許しください。確かに審査員の方が投票しなかった記事を書かれた方は、「どうして」「どこが」「なぜ」という疑問が残ることは間違いないです。そういう点で私も前回「審査基準というのを設けて」ということにしました。しかし、いざ立候補しようかという時点で正直に申しあげますと少々萎縮してしまいまして、結局審査員には立候補しませんでした。要は、「厳しすぎなく、且つ、的確に満遍なく審査をする」ような評価方法が必要ではないかと思います(例えば「記事が読みやすいか」、「分量は適切か」、「適切な内容か」、「出典は明確か」等あらかじめ採点表を作っておく、etc...)。--御門桜 2010年5月21日 (金) 10:34 (UTC)[返信]

「レポートじゃないんだし」というのは、「少々ゆるい審査員がいてもよいのではないか」というのとは、ちょっと違って。ゆるい、というのは、いいかげんでもいい、というのとも違う。

レポートというのは、評価すべきポイントがわかっているような人が採点します。先生とレポート提出者に、明確な上下関係があって、「上」であるだけの知識がある。ところが、コンテストの審査と記事の執筆は、そういうもんじゃないですよね。正直、エントリがあったすべての項目その項目がこのように書かれるべきというだけの知識は、持ち合わせていないですし、インターネット上にある誰でも編集できる百科事典をどのように書くかということについても明確な答えを持ち合わせているわけではない。ひとつの分野にこれだけの幅を持つコンテストで、「適切な内容か」なんてことをまともに評価できるわけがないですよ。

たとえば「テンポイント」と「ギリシア神話」を、明確な、単一の審査基準で評価することができるのか。「出典」なら「出典」を評価する上で、先行研究の量や質の違いというのは考慮しないといけないし、分野ごとの慣行もある。それを踏まえない画一的な基準に審査員や執筆者が囚われてしまうのは、むしろ避けるべきことですよね。審査基準という枠が、正当な評価や発展の可能性を阻害してしまう。採点表というのは、ひとつの方法だとは思います。でも、採点表にすれば的確に満遍なく審査ができるわけじゃない。そこを、いくつかのポイントを絞って、いくらか幅を持たせつつ、評価していくというのは、秀逸な記事や良質な記事の選考だと思うんですね。修正すべき点を知りたい執筆者は、そっちの選考に自薦するか、査読依頼に出す。

執筆者からしたら、こういうふうに直せばいいんだとわかるのは、さぞかし嬉しいことだと思います。でも、執筆者と審査員では、その記事について詳しいのは執筆者ですよね。その分野の常識、周辺の知識、資料にあったけど書かなかったこと、分野の慣習や研究動向事情など、記事に書かれていないことを知っているんだし、表現が曖昧で読み取れなかったことも、執筆者はその内容自体は把握している。読む側は、執筆者と同等の知識がある分野でなければ、その記事が属する領域での常識や、執筆者の真意はわからないこともあります。ここがわからないと言われれば、なぜそこがわからないかと思い至るように執筆者が考えないといけないという面もある。逆に、そこのところは、わからなくてもしょうがない、と説明できるのも執筆者。ここがわからない、という指摘がなければ、それは改善できないのだし。

百科事典の記事として読まれるために書いているんだから、読者が、読者としての意見を言えば、それは十分審査であるはずです。真面目な高校生あたりが何かを知りたいと思って、その記事に出会って、難しそうだから読むのをやめた、読んだけどさっぱりわからなかった、というのも記事に対する評価です。おそらく、実際の百科事典の読者は、そういう反応をする。執筆者として、読者がどういう点で不満なのかを知る機会はそうそうないですよね。もちろん「漢字が多くて」とか、「3行以上は読めません」では困る。でも誠実に読んで、誠実に何故わからないかを言葉にしてくれるなら、とても有用な意見です。今の審査員は、ろくに記事を書いていないぼくを別にすれば、錚々たる顔ぶれです。執筆実績があり、その背景には知識や学識や語学力があると想像される。だから、その記事の内容はともかく、執筆者として、意見を言う、というようなこともできるでしょう。でも、学術的な手さばきが十分かどうかとか、参照している資料の質がどうかとかいう判断はしなくてもいいし、どうすれば記事が改善するのかどうかという助言もいらないし、その記事についての知識をある程度持っている必要はない。読者として、たとえば「わかりやすさ」だけに特化して、率直に意見を述べ、評価をするようなことがあってもいい、というのが「ゆるくてもいい」です。

コンテスト、コンクールというのは「おまつり」だという話が、以前は常々出ていたのですが、それでいいと思うんです。とにかく頑張るぞーとか、頑張ったぞーってことで、エントリ。すげーとか、なんじゃこらーとかいいながら、審査。いわゆる優良執筆者も参加するけど、ようやく慣れてきたという人も参加しやすいものであって欲しいし、審査する側も、いろんな視点から選ぶ人がいていいと思う。百科事典の記事として優れていれば、人気投票みたいなものでも、上位に選ばれます。詰めの甘い部分は、コメント、特に、同じ分野のライバルコメントが、有益な指摘をしてくれるでしょう。--Ks aka 98 2010年5月23日 (日) 16:10 (UTC)[返信]

やっぱり少々燃え尽き症候群だったのかなあ~しばらく記事を書く気力が出てこなかったのですが、ようやく少し戻ってきました(苦笑)。今回初めてコンテストに参加させていただいて、「本当に力作揃いだなあ」という印象を強く持ちました。多くの記事から主執筆者の強い記事に対する思いの深さを読み取ることが出来て、これだけ真剣に取り組まれた内容を評価し順位をつける難しさを考えると、意外と執筆の方が審査より楽なのではないか…と感じました。私のエントリーした記事で恐縮なのですが、日立鉱山では当然考えられる歴史、地学のみならずアマチュア野球に関する記載もあります。他のエントリー記事もそれぞれ項目に関する総合的な記載が行われていて、専門家であっても完全な評価を行うのは困難でしょう。しかもA分野でいえばエントリーされた記事は日本やアフリカの現代問題から古文献、女性史、鉱山…Ks aka 98さんのおっしゃられるように、確かに「適切な評価」は限りなく困難であると思います。
今回の審査員はA,B分野で3名、C分野で4名でした。私としてはもっと多いほうが良いと思います。現状では審査の難しさから手を挙げにくくなっているのではないかと考えます。Wikipediaの特性を考えれば、Ks aka 98さんのご意見のように審査員それぞれの視点からの(たとえば読みやすさに特化した)評価を集めて審査を行う方向を採るもの止むを得ないかな~と思っています。また今回私から見て良いと思う記事が各分野3つ以上あったことなどを考えると、順位付けを廃止して、審査員がある程度の水準を超えたと判断した記事全てを入賞扱いするという方法も考えられると思います。順位付けの廃止は審査の負担軽減には大きくプラスすると考えられます。ただ「コンクール」という位置づけだとやはり難しいでしょうが。--のりまき 2010年5月29日 (土) 01:49 (UTC)[返信]

コメントコメントが遅くなりまして申し訳ございません。私が思いまするに、今回なんだか審査員の立候補の集まりが凄く停滞しておりまして、前回かなり厳しい事を言ったかもしれないと云う自戒の念もありまして、今回ちょうど、Ks aka 98さんが「ゆるい審査員がいても良いんじゃないか」というコメントを拝見致しましたので、少々考える機会があればと思っておりました。審査は公平かつ適切に行わないとダメではあるんだけど、ちょっと前回ので敷居が上がりすぎて、萎縮された方もいらっしゃるのかなとか考えました。実際私は自分で前回言っておきながら、今回はどこまで厳密に審査するべきか迷いまして、審査員立候補を致しませんでした。これは今になって考えてみれば申し訳ないと思います。ここは謝罪するべき点と思います。自分で敷居を上げておきながら審査しないなどと云う行為は矛盾しておりました。そこで、もっと執筆者も審査員も本当に「お祭り」のように適度の緊張で(お祭りの中にも一歩間違えれば危険なものもありますので)、やっていかねばならないと思います。具体的な案が出ませんが、まずはもっと参加者が増えれば良いんですが…。--御門桜 2010年6月2日 (水) 12:54 (UTC)[返信]

告知について

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今回の結果発表は、従来のように「Wikipedia:執筆コンテスト/第六回執筆コンテスト」では行わないのでしょうか?それをキックにメインページ等の告知を切り替えようかと思っていたのですが……。--ととりん 2010年5月18日 (火) 18:00 (UTC)[返信]

発表文の作成、お疲れ様です>Tantalさん。告知の切り替えを行いました。--ととりん 2010年5月18日 (火) 21:43 (UTC)[返信]