Wikipedia:井戸端/subj/Wikipedia:中立的な観点は記事名には適用されませんか?
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Wikipedia:中立的な観点は記事名には適用されませんか?
[編集]私が竹島 (島根県)という記事は、日本政府の立場になったときの表現であり、Wikipedia:中立的な観点に違反しているから解明しようといいました。
すると、そらみみさんという方は「中立性に関する方針は内容に対するもので、タイトルに対するものではありません。」と言いました。
記事名はWikipedia:記事名の付け方で書かれている以下の5項目を満たせば、中立的で貼る必要はありませんか?
認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事からリンクできるもの)。 曖昧でない - できれば、記事名が重複してWikipedia:曖昧さ回避が必要になることを避ける。 簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、括弧内を短く保つことは必要です)。 首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。
--片割れ靴下(会話) 2019年12月15日 (日) 01:28 (UTC)
- 「解明しよう」は「改名しよう」の間違いでしょうか。また、「中立的で貼る必要はありませんか?」というのはTemplate:観点を冒頭に貼るということでしょうか。記事名は一つに絞らざるを得ないため、タイトルが中立的でないという理由でこのようなテンプレートは貼るのは適切ではないような気がします。最終的には認知度が高く見つけやすい名称、もしくは正式名称が優先されるはずですので……。もし記事本文に世界的な観点からみて偏りがあるようでしたら、それに対してテンプレートを貼るのは認められると思います。
- なお、「蘇岩礁」という記事があり、これは大韓民国と中華人民共和国で領有権が問題になっています。そのため、記事名も中国での呼び名である「蘇岩礁」と韓国の呼び名である「離於島」、(古いかもしれないけれど)国際的な呼び名「ソコトラ岩」で議論になっていました。ノート:蘇岩礁/過去ログ1を参照していただければ分かりますが、「ソコトラ岩」は中立的には問題ないかもしれないけれど現在はあまり使われておらず、認知度や見つけやすさという観点から問題がある、かといって「蘇岩礁」と「離於島」は認知度や見つけやすさで明確な差がなく、甲乙付けがたい……ということで決着が付かず、現状維持が続いています。ご参考までに……。--Assemblykinematics(会話) 2019年12月15日 (日) 02:09 (UTC)
- ウィキペディアではこれまでの記事名に対する中立性の話題はいくつかありましたが、概ね記事名の付け方にある『記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。そしてその次に「その記事へのリンクを作成しやすいもの」であることも重要です。 』を満たした上で、中立的にできるならそれに越したことはないというところです。中立性に拘った結果、記事名の付けた方の原則を無視するなら、それは認められないでしょう。そもそもウィキペディアで求められている中立性とは、記事名ではなく、記事内容において、今回であれば「竹島という名称があくまで日本政府の立場であること」「韓国では独島が正式であること」「中立に拘る場合は世界的にはリアンクール岩礁と呼ばれていること」が明記されているのであれば、中立的な観点を満たしていると考えます。そもそも「記事名が〇〇」だからといって、ただちに「○○が正式名称」あるいは「〇〇が正当」であることを意味しません。
- 過去に有名な議論だと、Wikipedia:井戸端/subj/政権側が起こした戦役・事象の改名についてがありますが、まあ、今も有名どころだと小田原征伐や甲州征伐があるし。--EULE(会話) 2019年12月15日 (日) 02:18 (UTC)
- (追伸)そもそも中立性は島の所有権に掛かる話題であって、仮に韓国領であろうと、日本語としては一般に「竹島」と呼ばれる島であって、そこは何も関係ないです。スペインは、原語では「エスパーニャ」が正式ですが、それを「スペイン」と日本が呼んでいるからと言って、スペインは日本領ではないです。ロシア語で「サハリン」を今も日本では「樺太」と呼んでますが、これは中立性に反すると思いますか?--EULE(会話) 2019年12月15日 (日) 02:39 (UTC)
- (追記)元議論を読んで、片割れ靴下氏としては「竹島」という名前よりも、「島根県」が入っている方を気にしているのに気が付きましたので、その点では上記のコメントは的の正中を外しているので参考程度としてください。私は島根県が入っていても問題はないと思いますが。--EULE(会話) 2019年12月15日 (日) 02:52 (UTC)
- 中立的な観点は記事名の付け方にも影響を及ぼすことがありますが、それを理由に記事へのアクセスを阻害するような記事名の変更は本末転倒でしょう。件の島について、日本語で最も一般的な名称は朝鮮語の「独島」でも島を発見したフランス船に因んだ名前の「リアンクール岩礁」でもなく「竹島」であり、かつ島根県に所在することから、現在の記事名は日本語版ウィキペディアとして最も適切な名称と考えます。英語版はen:Liancourt Rocks、朝鮮語版はko:독도、日本語版は竹島 (島根県)、すべて違う名前ですが何の問題もありません。現在発生している政治的問題が発生する前から、件の島は「島根県の竹島」です。--茶でもすするか(会話) 2019年12月15日 (日) 02:20 (UTC)
- コメント 改名を提案なさった片割れ靴下さんは、中立性の意味をそぐわない場所に無理に付与させようとしているように感じます。韓国語版では「독도」(独島)という記事名で、実際そう呼ばれている島は、日本語では「竹島」という言葉で広く一般的に浸透しており、曖昧さ回避の括弧内に一番簡潔で区別のつきやすい語である(島根県)とすることは便宜上何ら問題のないことです。そして曖昧さ回避の括弧内は、同じ記事名との間で混同せず最も見つけやすい単純な語を選ぶのが本筋なので、その括弧内に便宜上以外の意味を持たせた文言をごちゃごちゃと回りくどく入れる方がガイドラインに違反することとなります。政治的な対立のあることや呼称に違いのあることは、その記事内で詳しく書けばいいことであり、記事名の曖昧さ回避は、基本的にそういった類を付与させる場所ではありません。--みしまるもも(会話) 2019年12月15日 (日) 03:16 (UTC)
井戸端を眺めていて目についたのでコメントします。竹島・독도の記事名は、日本語話者の多くが日本人あるいは日本在住者であり、韓国語話者の多くが韓国人あるいは韓国在住者であるという事情で、日本政府と大韓民国政府が公式名称としている竹島と독도になっているのだろうと思います。このへんは日本語韓国語共に使用者数がそれなりに多いものの世界的に見れば公式言語としている国の少ないローカルな言語であることが反映していると思います。--106.181.216.224 2019年12月15日 (日) 23:06 (UTC)
- コメント WP:JPOVの問題を考えるにあたっては、日本中心主義の問題と、日本語中心主義の問題とは分けて考える必要があると思います。当サイトは世界的観点が求められますが、ウィキペディア日本語版でありますので、日本中心主義は許容されませんが、日本語中心主義はむしろあるべき姿だと思います。「竹島_(島根県)」という項目名のうち、「竹島」の部分につきましては、ある特定の島をどう呼ぶかという日本語の問題です。これについては将来国際司法裁判所がその島を韓国領と認定しようともその島が水没しようとも、その島のことに言及する日本語の資料の大半が「竹島」と呼称している以上、日本語では「竹島」と呼ぶべきでしょう。世界的には"Japan"(あるいはそれに類似の単語)と呼ぶことが多い土地のことを日本語では「日本」と呼ぶことと同じように、土地の呼び方も言語によって変わるというだけのことだと思います。これに対して(島根県)という括弧書きについては、このような括弧書きをすれば通常の日本語の用法として「竹島は島根県に属している」と解釈することが通常であるうえに、Wikipedia:記事名の付け方#地名でもそのような趣旨での括弧書きが推奨されていますから、これは単なる言語ごとの呼び方の違いの問題を超えてこの項目の重要テーマである論争に関して特定の観点のみを推していると受け取られてもやむを得ないものだと考えます。従いましてこの項目の命名者の意図がどうであれ括弧書き内部だけに関して言えば中立性の問題があるというご指摘は賛同できるものです。それではどのような記事名にすればよいかについてはノート:竹島 (島根県) で申し上げました通りです[1]。--Henares(会話) 2019年12月16日 (月) 08:22 (UTC)
- コメント 再度言いますが、記事名まで中立性を求める前に、認知度と簡潔性を無視することはできません。一番有名な例は「ロンドン」で、他のロンドンの住民に配慮し「ロンドン (イギリス)」への改名を提案する人は流石にいません。ある意味「竹島 (島根県)」は仕方のない解決策であると思いますが、Wikipedia:記事名の付け方の5つの基準のどちらにも違反していないのでいいではありませんか。--そらみみ(会話) 2019年12月20日 (金) 01:51 (UTC)
- 「中立的な観点」は記事内容についての方針であり、記事名に「中立性」を求めることはウィキペディアのポリシーにはありません。現にウィキペディアには差別的、政治的、思想的、疑似科学的、性的など「偏った」記事名が許容されています。また、「曖昧さ回避」は記事競合を避けるための便宜的な手段であり、そこに中立性や説明性など新たな意味を加えることを求めていません。
- 具体的には、当該記事のノートですでに支持があるように、本記事を代表的なトピックとして「曖昧さ回避」しないのがいちばんかと。本記事と競合する「竹島」が知名度やその他の点で同列とは考えられませんし、これ以上の議論を重ねる必要もなくなりますから。仮に曖昧さ回避のための別の候補を探すとしたら、個人的にはカッコ内を「リアンクール岩礁」あるいは「独島」とするのもありだとは思います。これらは分野的な用語ではありませんが、他に適当なものがないときの例外的なケースとして、木綿 (ゆう)を紹介しておきます。これは読みで区別しているわけです。
- 繰り返しますが、曖昧さ回避は便宜的なものです。この点、現状の「島根県」でも目的は果たしているわけで、その背景まで思いやって中立的でないとか、地理的な項目名にあえて係争問題を持ち込みたいなどのご意見はなかなか受け入れられないでしょう。--みっち(会話) 2019年12月21日 (土) 03:01 (UTC)
- 一般論としてコメントいたします。Wikipedia:中立的な観点には、「相互補完的で議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」とあります。そのため、そもそも「Wikipedia:記事名の付け方にないから記事名は中立的でなくて良い」などというのは見当違いです。「曖昧さ回避は便宜的」「現状の『島根県』でも目的は果たしている」としても、中立的な観点は絶対です。たとえWikipedia:曖昧さ回避が「そこに中立性や説明性など新たな意味を加えることを求めてい」ないとしても、中立的でなくてよいことにはなりません。全てのガイドラインの根本となるのがWikipedia:中立的な観点を含む
三大方針五本の柱であり、そして、中立的な観点という方針に違反するガイドラインは認められません(Wikipedia:方針とガイドライン)。たとえ書いていなくとも、中立的な観点を守ることは方針で定められていることですから、行わなくてはなりません。繰り返しになりますが、「記事名に『中立性』を求めることはウィキペディアのポリシーにはありません。」は誤りだと考えます。「記事内容についての方針」とありますが、記事名は「内容」には含まれないのでしょうか。記事名あってこそのウィキペディアですから、含まれると考えます。曖昧さ回避の括弧内にある言葉は中立的な語句を採用すべきです。--Reiwa period(会話) 2019年12月24日 (火) 09:15 (UTC)修正いたします。--Reiwa period(会話) 2019年12月25日 (水) 10:55 (UTC) - 検証可能性が記事名それ自体では担保できないように、中立性も記事名それ自体では担保するのは不可能なのではないでしょうか。中立性って、単純に論争の両方に理解を示して記述することではないですよね。WP:NPOVに則って相対的な勢力差を示したり、帰属化したり、ということをしようとすれば、中立的ではあるかもしれませんが冗長になり、記事名(見出し語)としては役に立たなくなってしまいます。科学的に一般的な単語は現代科学の視点に依拠していますし(地球球体説を前提にした地球の自転など)、一般的な歴史用語は特定の地域や主体に偏っていることがほとんどです(ロシア視点であるタタールのくびきなど)。差別用語(ニガーなど)や多くの政治的主張(働けば自由になる)なども全く中立的ではない語ですが、百科事典に採録されるべき概念です。そうした記事の執筆に制限がかかるようだと、困ります。記事名においても中立性は完全に無視すべきではないかもしれませんが、適用すべきでない場面が多くなるでしょう。--Vindlys(会話) 2019年12月25日 (水) 15:12 (UTC)
- 「竹島」の問題は、表記自体(この島をどう呼ぶか)が主要な論争と関わっており、どの表記に正統性があるかの論争が(現実社会でもWikipedia上でも)生じているという事例だと思います。「ニガー」は別の表記とどちらにするか揉めているわけではない(もしかすると別表記もあるかもしれませんが、その点が主要な問題とは言い難い)ので、少し性質が異なるでしょう。 --2001:240:241E:C2C2:69EE:336C:EBE3:C89D 2019年12月30日 (月) 09:03 (UTC)
- 井戸端なので、具体的な特定記事の話題ではなく、一般論として論じている方が多いでしょう。竹島の記事については中立性を重視しよう、ということでもよいのかもしれません(そこは判断しません)が、記事名が中立的でなければならない、ということが一般化されてしまうと、発端とは無関係な様々な記事で問題が起こります。「ニガー」のより中立的な別表記は黒人やネグロイドでしょう。「肌の色の濃い人々」を指すという意味では。ただ、対象は同じでも含意が全く異なります。中立性を絶対的なものとして記事名に持ち込むというのは、中立的ではない記事は全て是正されなければならない、という相当な影響のある話だと思うのですが。--Vindlys(会話) 2020年1月1日 (水) 06:58 (UTC)
- 返信 (Vindlysさん宛) Vindlysさんがおっしゃっている点は、Wikipedia:完璧な記事の問題のように思います。完全な中立を達成することが難しいということは記事名だけでなく記事本文においても頻繁に発生することです。そのときに、中立性を60%から80%まで向上させようとする提案が提示されてのに、100%完璧な中立性ではないからと言って対案も出さずに中立性を20%向上させる提案を拒絶することを認めてしまっては、実質的にWikipedia:中立的な観点による改善をほとんどすべて拒絶できることになってしまいます。自分たちで改善できる部分だけは改善しておいて、無理だったものは後の世代のウィキペディアンたちに任せよう、ということです。これは中立性だけでなく検証可能性でも独自研究でも、あらゆる記事の不完全さに当てはまることだと思います。なお、検証可能性を記事名それ自体で確保することは可能です。例えば私がやったことがある事例ではニカラグア事件#cite_note-10。検証可能性の確保する方法として<ref>もっとも一般的ではありますが、要するに読者が情報源を検証できれば良いことでありますので必ずしも<ref>を付ける方法にこだわる必要があるわけではありません。もっとも、記事名の出典は通常は定義部の出典が兼ねることとなりましょうから上記のようなやり方が必要な場面はそれほど多くないでしょう。また上記の記事における私のやり方よりも好ましいやり方が存在する記事もありましょうが、それはWikipedia:利用案内などを利用するなどして他の利用者の助力を仰ぐべき場面で、中立的な観点を適用するかどうかの問題とは異なるように思います。--Henares(会話) 2020年1月1日 (水) 08:28 (UTC)
- そもそもの話で申し訳ないのですが、記事名に適用されるべき中立性とは何なのか、私にはよくわかりません。前述の通り、本来的な中立性の確保には基本的に文字数を費やす必要があり、それでは見出し語としての記事名との相性がよくないです。現時点でのWP:NPOVは記事名における中立性のあり方を指南してくれていないです。Henares様やReiwa Period様にとっては自明なのかもしれませんが、ゴールが不明、そこに到達するための方法論も不明(Henares様の仰る記事名における検証可能性の確保の方法は、中立性の確保には適用できませんよね。記事本文の記述で記事名の中立性が確保されるのであれば、竹島の記事の記事名は竹島(島根県)でも独島でも同等の中立性を確保できるのですから、議論の必要がないはずです)、影響する範囲は非常に広い……、この状態で。「中立性が20%(別に数値はどうでもいいですが)向上します」と言われましても、「本当に向上するのでしょうか?」という疑問の方が先に立ってしまいます。これも繰り返しですが、中立性を無視してよいとはもうしません。両立できればそれはすばらしいでしょう。が、百科事典の見出し語としての機能を十分に果たすためには、記事名においては簡潔明瞭で一般的であるべしというWikipedia:記事名のつけ方の基準の方が中立性よりも優先されるべきだと思います。Wikipedia:完璧な記事の問題とはそういうことではないでしょうか。--Vindlys(会話) 2020年1月2日 (木) 15:57 (UTC)
- Wikipedia:空が青いということに出典は要らないとWikipedia:空が青いということに出典は要るのように一方を守ればもう一方を守れないというものではありませんので、Wikipedia:記事名のつけ方と中立的な観点は両方守らなければならないものであって、どちらか一方だけを守っていればよいというものではありません。これは記事名の付け方と中立性のどちらが優先されるかという二対立構図のお話ではないと思います。そのほかの点につきましては、やはりWikipedia:完璧な記事の問題と、上記にて申し上げました「一般的なやり方が不能であるのならば別のやり方を模索すればよい」という問題に帰着するお話だと思います。例えばニカラグア事件#cite_note-10についても、検証可能性だけでなく、きわめて不完全な形ではありますが中立的な観点が求める異論の併記を実行できている側面もあると個人的には思っています。考えるべきは、中立化のために何かしようとするときに現状と改善案のどちらが中立なのかということではないでしょうか。完璧な中立は実質不可能でありますので、そういった改善案を繰り返していった結果どのようなゴールにたどり着くのかは私たちが検討する意味はないと思います。一般的には「中立性の確保には基本的に文字数を費やす必要」があるのだとしても、Wikipedia:中立的な観点に書かれているやり方だけを見てもそうはならないやり方があるはずですよね。やり方に関する細かい文言を個々に引用することは控えますが、一般的なやり方ができないのであれば別のやり方で同じ目的を目指せばよいのだと思います。独自研究を排除しなければならない以上中立は私たちの考え方の中間を採用することではなく、出典の質・量を考慮して違うことを言っている出典に書かれている情報を中立に扱うべきということになります。従いまして中立性が向上するかどうかは、出典に書かれている情報を公正に判断しようとする意志がある限り出典からある程度客観的に判断できることであります。提示されている出典を読み込めば判断できますし、判断できない案件であるのならば、そもそも調査が足りていないか、または出典の正常な意味を独自研究により歪めようとしているか、ということになりましょう。記事名に限られない話題に波及してしまっていますので、これ以上は私から何かを申し上げるよりも各文書に書かれていることをお読みいただいた方がわかりやすいかもしれないと思っています--Henares(会話) 2020年1月3日 (金) 04:42 (UTC)
- 横から失礼 Wikipedia:完璧な記事が示す「完全に中立」においても、「最も一般的な観点は、どんなものであれ、強調され、極端に少数派の観点は強調されません」と説明されており、これはWikipedia:記事名の付け方における「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」に符合すると思います。Wikipedia:中立的な観点が説いている「中立」とは、換言するならば、「出典に基づく各観点の適切な重み付け」であると考えられるのですが、その微妙な重み付けをするには、記事名という非常に限られたスペースでは不足であり、記事本文で重み付けするしかないでしょう。また、前述の通り、「日本語版ではWikipedia:中立的な観点にもWikipedia:記事名の付け方にも、記事名における中立的な観点の考え方が載っていない」今の現状では、私もVindlysさんに同じく、記事名に適用されるべき中立性とは何なのか、理解の仕様がないと言わざるを得ません。Henaresさんの仰る「記事名における中立性」の理想的な定義も、「中立性の向上」の基点やベクトルも、その実践に際しては曖昧さを多分に含むものと思われます。「中立性」そのものに対する観点や解釈も利用者ごとに多様である(むしろ、その状況こそ全体として不偏不党の状態であると思われる)以上、Henaresさん個人の私的認識のレベルを越えて、それをjaWPの共通認識として合意するのは困難を極めるでしょう。--Doraemonplus(会話) 2020年1月3日 (金) 12:52 (UTC)
- ご理解いただけなかったのならば残念です。現実問題として括弧の内外を問わず「記事名に中立性は不要」というご意見に合意を得られる見込みがないことはこの議論の内容から明らかでありましょう。そして記事名の中立の必要性を主張する利用者はこれからも現れるでしょう。そして意見不一致ならば「交渉の余地はない」。そうなったときに記事名の中立がよくわからないとおっしゃっていたVindlysさんがお困りになるのではないかと思いましたので私なりの説明を善意でさせていただいたつもりです。わからないとおっしゃる方には抽象的な方針解釈を申し上げるよりも「自分がどうやって記事名の中立を目指してきたか」という経験則を説明したほうがわかりやすいかと思いましたので、私的認識が含まれていたことは確かでしょう。Doraemonplusさんに対しても私なりの説明はさせていただきましたし、これでご理解いただけなかったとするならばもはやこれが私の説明能力の限界であります。お二人のご理解の有無に関わらず「記事名に中立性は不要」というご意見に合意が得られていない点には変わりがありませんし、方針などに合意もなく「記事名に中立性は不要」と書かれることもなければ、交渉の余地がないことも変化するわけではありません。これから方針や他者が書いた記事をお読みになることでVindlysさんとDoraemonplusさんがご理解くださる可能性は大いにあると思いますが、残念ながらそうはならなかったとしても方針をご理解いただけない利用者は残念なことに常に発生することで防ぎようのないことであります。お二人にご理解いただけなかったのだとしても私自身は自分がどうやって記事名の中立を目指してきたかは理解していますし、お二人のご理解の程度に関わらずコミュニティの意見や方針の内容が変わることはありませんので、方針が直接的にそのように変化しない限り私の記事名の中立性に関する意見は変わることはありません。私は方針説明係ではありませんし、ご理解いただけなかったのならば残念というだけですね。--Henares(会話) 2020年1月4日 (土) 01:13 (UTC)
- 横から失礼 Wikipedia:完璧な記事が示す「完全に中立」においても、「最も一般的な観点は、どんなものであれ、強調され、極端に少数派の観点は強調されません」と説明されており、これはWikipedia:記事名の付け方における「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」に符合すると思います。Wikipedia:中立的な観点が説いている「中立」とは、換言するならば、「出典に基づく各観点の適切な重み付け」であると考えられるのですが、その微妙な重み付けをするには、記事名という非常に限られたスペースでは不足であり、記事本文で重み付けするしかないでしょう。また、前述の通り、「日本語版ではWikipedia:中立的な観点にもWikipedia:記事名の付け方にも、記事名における中立的な観点の考え方が載っていない」今の現状では、私もVindlysさんに同じく、記事名に適用されるべき中立性とは何なのか、理解の仕様がないと言わざるを得ません。Henaresさんの仰る「記事名における中立性」の理想的な定義も、「中立性の向上」の基点やベクトルも、その実践に際しては曖昧さを多分に含むものと思われます。「中立性」そのものに対する観点や解釈も利用者ごとに多様である(むしろ、その状況こそ全体として不偏不党の状態であると思われる)以上、Henaresさん個人の私的認識のレベルを越えて、それをjaWPの共通認識として合意するのは困難を極めるでしょう。--Doraemonplus(会話) 2020年1月3日 (金) 12:52 (UTC)
- Wikipedia:空が青いということに出典は要らないとWikipedia:空が青いということに出典は要るのように一方を守ればもう一方を守れないというものではありませんので、Wikipedia:記事名のつけ方と中立的な観点は両方守らなければならないものであって、どちらか一方だけを守っていればよいというものではありません。これは記事名の付け方と中立性のどちらが優先されるかという二対立構図のお話ではないと思います。そのほかの点につきましては、やはりWikipedia:完璧な記事の問題と、上記にて申し上げました「一般的なやり方が不能であるのならば別のやり方を模索すればよい」という問題に帰着するお話だと思います。例えばニカラグア事件#cite_note-10についても、検証可能性だけでなく、きわめて不完全な形ではありますが中立的な観点が求める異論の併記を実行できている側面もあると個人的には思っています。考えるべきは、中立化のために何かしようとするときに現状と改善案のどちらが中立なのかということではないでしょうか。完璧な中立は実質不可能でありますので、そういった改善案を繰り返していった結果どのようなゴールにたどり着くのかは私たちが検討する意味はないと思います。一般的には「中立性の確保には基本的に文字数を費やす必要」があるのだとしても、Wikipedia:中立的な観点に書かれているやり方だけを見てもそうはならないやり方があるはずですよね。やり方に関する細かい文言を個々に引用することは控えますが、一般的なやり方ができないのであれば別のやり方で同じ目的を目指せばよいのだと思います。独自研究を排除しなければならない以上中立は私たちの考え方の中間を採用することではなく、出典の質・量を考慮して違うことを言っている出典に書かれている情報を中立に扱うべきということになります。従いまして中立性が向上するかどうかは、出典に書かれている情報を公正に判断しようとする意志がある限り出典からある程度客観的に判断できることであります。提示されている出典を読み込めば判断できますし、判断できない案件であるのならば、そもそも調査が足りていないか、または出典の正常な意味を独自研究により歪めようとしているか、ということになりましょう。記事名に限られない話題に波及してしまっていますので、これ以上は私から何かを申し上げるよりも各文書に書かれていることをお読みいただいた方がわかりやすいかもしれないと思っています--Henares(会話) 2020年1月3日 (金) 04:42 (UTC)
- そもそもの話で申し訳ないのですが、記事名に適用されるべき中立性とは何なのか、私にはよくわかりません。前述の通り、本来的な中立性の確保には基本的に文字数を費やす必要があり、それでは見出し語としての記事名との相性がよくないです。現時点でのWP:NPOVは記事名における中立性のあり方を指南してくれていないです。Henares様やReiwa Period様にとっては自明なのかもしれませんが、ゴールが不明、そこに到達するための方法論も不明(Henares様の仰る記事名における検証可能性の確保の方法は、中立性の確保には適用できませんよね。記事本文の記述で記事名の中立性が確保されるのであれば、竹島の記事の記事名は竹島(島根県)でも独島でも同等の中立性を確保できるのですから、議論の必要がないはずです)、影響する範囲は非常に広い……、この状態で。「中立性が20%(別に数値はどうでもいいですが)向上します」と言われましても、「本当に向上するのでしょうか?」という疑問の方が先に立ってしまいます。これも繰り返しですが、中立性を無視してよいとはもうしません。両立できればそれはすばらしいでしょう。が、百科事典の見出し語としての機能を十分に果たすためには、記事名においては簡潔明瞭で一般的であるべしというWikipedia:記事名のつけ方の基準の方が中立性よりも優先されるべきだと思います。Wikipedia:完璧な記事の問題とはそういうことではないでしょうか。--Vindlys(会話) 2020年1月2日 (木) 15:57 (UTC)
- 返信 (Vindlysさん宛) Vindlysさんがおっしゃっている点は、Wikipedia:完璧な記事の問題のように思います。完全な中立を達成することが難しいということは記事名だけでなく記事本文においても頻繁に発生することです。そのときに、中立性を60%から80%まで向上させようとする提案が提示されてのに、100%完璧な中立性ではないからと言って対案も出さずに中立性を20%向上させる提案を拒絶することを認めてしまっては、実質的にWikipedia:中立的な観点による改善をほとんどすべて拒絶できることになってしまいます。自分たちで改善できる部分だけは改善しておいて、無理だったものは後の世代のウィキペディアンたちに任せよう、ということです。これは中立性だけでなく検証可能性でも独自研究でも、あらゆる記事の不完全さに当てはまることだと思います。なお、検証可能性を記事名それ自体で確保することは可能です。例えば私がやったことがある事例ではニカラグア事件#cite_note-10。検証可能性の確保する方法として<ref>もっとも一般的ではありますが、要するに読者が情報源を検証できれば良いことでありますので必ずしも<ref>を付ける方法にこだわる必要があるわけではありません。もっとも、記事名の出典は通常は定義部の出典が兼ねることとなりましょうから上記のようなやり方が必要な場面はそれほど多くないでしょう。また上記の記事における私のやり方よりも好ましいやり方が存在する記事もありましょうが、それはWikipedia:利用案内などを利用するなどして他の利用者の助力を仰ぐべき場面で、中立的な観点を適用するかどうかの問題とは異なるように思います。--Henares(会話) 2020年1月1日 (水) 08:28 (UTC)
(インデント戻す)私の理解が追いついていないのだと思い、コメントを読み返してみました。私も「記事名には中立は不要」とは考えませんが、記事名の選択に関する具体的な判断基準であるWP:CRITERIAを飛躍して、抽象的な「中立的な観点」論の解釈を展開したところで、実際の記事名の命名時に中立度を高めることには大して寄与しないのではないかと思います。実際のところ、記事名を付ける際に第一に依拠すべきは抽象的な理念よりも具体的な判断基準です。無論、具体的な判断基準(WP:NC)にはWikipediaの基本方針(三大方針)が反映されているべきです。そこで逆にお尋ねしますが、Henaresさんは現行のWikipedia:記事名の付け方について、WP:NPOVの精神が反映されていないとお考えでしょうか。私は先に述べた通り、「完全に中立」の説明に「符合する」と考えています。記事名の中立を達成したいとの御意志自体には一応の理解を表しておきますが、記事名を付けるとき、NPOVを中心に追及する姿勢では、しばしば現実離れした命名議論になりがちです。客観的な視点など存在しないからこそ、中立を保つために記事内容では、観点の偏りを含むかもしれない各論を併記することになっている(前述されたニカラグア事件#cite_note-10も、記事名自体での対処ではなく、記事内容中に併記する形での対処法であり、こちらに該当する)のですが、記事の命名においては、複数の記事名候補から一つ選ぶという性質上、別名の併記が認められていません。元来、命名行為は執筆行為とは性格(判断の優先順・傾向)を異にする(Greenland4氏談を参考)ものです。そのため、記事名に関して中立ということは、各論の併記方法の話ではなく、必然的に記事名の選択基準の話に論点が絞られることになります。どんなに多様な呼称があったとしても、最終的に記事名は1つに絞らなければならないという点で、各論併記を旨とするWP:NPOVとはアプローチが根本的に異なるのです。「中立的な観点」に偏重して、一般的でない記事名を選択しては、検索の利便やリンクの作成しやすさが損なわれるため、本末転倒です。大切なのは、「相互補完的」とされる三大方針のベストバランスを記事名と記事内容の両輪で実現することだと思います。このような認識が利用者間で共有されない限りは、記事名の中立の議論を続けても平行線をたどることになりましょう。--Doraemonplus(会話) 2020年1月4日 (土) 08:02 (UTC)
- もうコメントしないつもりではあったのですが…。私は「JPOVの精神」などというものについて述べた覚えはありませんので、「Wikipedia:記事名の付け方について、WP:NPOVの精神が反映されていないとお考えでしょうか。」と問われましても、私には何のことを問われているのかわかりません。Doraemonplusさんは「私も「記事名には中立は不要」とは考えませんが」とおっしゃいました。そうであるのならば、この議論の論点について少なくとも私たち二者間では大筋で意見の不一致はないように思うのですが。もちろん別人格である以上何から何まで意見一致などということはあり得ませんが、この場でそのようなレベルまで私たちが意見を一致させる必要があるとは思えませんし、議論の主題について大筋で意見一致が見られたからには、これ以上この議論において私たちが意見を交わす必要はないと思うのですが。--Henares(会話) 2020年1月4日 (土) 08:36 (UTC)
- 紹介 日本語版ではWikipedia:中立的な観点にもWikipedia:記事名の付け方にも、記事名における中立的な観点の考え方が載っていないのですが、本家(英語版)にはen:Wikipedia:Neutral point of view#Namingおよびen:Wikipedia:Article titles#Neutrality in article titlesという解説文が存在しています。前者の出だしをざっくりと訳すと、「一般的には中立的な用語が好ましいが、明瞭さとはバランスを取らなければならない。名称が、信頼できる情報源(特に英語で書かれているもの)において広く使用されていることで、読者によく認知されていそうならば、たとえ一部にその名称が偏っているとみなす者がいたとしても、それを使用してよい。」と説明されているようです。この井戸端の話題を機に、日本語版にもこのような解説文書を用意することを検討してみるのもよいかもしれませんね。--Doraemonplus(会話) 2019年12月30日 (月) 15:02 (UTC)
- コメント 竹島についての議論で申し上げたことをより一般化して申し上げます。「A」という記事についてαという考えとβという考えが対立しているという検証可能な情報源が提示されている場合、(α)という括弧書きをするとAのことをβだと信じている読者にとっては曖昧さ回避の役には立たない可能性が生じます。(β)という括弧書きについてもαだと信じている読者にとって同様の問題が生じましょう。しかしα派とβ派双方がAのことをγだと信じていれば、(γ)という括弧書きはα派β派双方にとって曖昧さ回避の役に立つでしょう。括弧書きの中立性が損なわれるということは曖昧さ回避の機能をも損なわれる可能性があるということです。確かに完全な中立は困難なことではありますが、その点はWikipedia:中立的な観点/FAQ#客観的な視点など存在しないの問題と考えています。中立的観点と曖昧さ回避の都合のどちらか一方しか考えないでいいというご意見があるようですが、複数の方針やガイドラインが存在する場合にはどちらか一方だけを守っているだけでは不十分で、そのどちらも守らなけれなばなりません。導入部では三大方針に加えてWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)も守らなければならないことと同じように、括弧書きについても三大方針に加えて考慮しなければならないことがあるというだけのことだと思っています。中立的な観点は適用されることについて「交渉の余地がない」とされるWikipediaの最も根幹的な部分です。そのようなものであっても全面的に適用されないという合意があるのならば不適用でも良いかもしれませんが、現にこうして適用されるという利用者が相当数存在しています。これでは「交渉の余地がない」とされる方針の適用を排除するにはあまりにも「交渉」になってしまっています。それでも括弧書きから中立的な観点の適用を排除したいということであるのならば、Wikipedia:記事名の付け方に「括弧書きには中立的な観点は適用されない」などと誰の目から見ても明らかな直接的な文言を書き加える同意を得るなどして、このような「交渉」の状態にならないようにしていただきたいと思います。そういった合意が得られないのならば、記事名の括弧書きにWikipedia:中立的な観点が適用されることについては「交渉の余地がない」ことだと考えておけばよいと思います。正直、個人的には三大方針を部分的にではあれ記事から適用を排除しようとするご意見が出てくること自体が異常な状況だと考えています。--Henares(会話) 2019年12月31日 (火) 01:21 (UTC)
- コメント Reiwa periodさんが言われる通り、五本の柱>方針、ガイドラインですよね。私はWikipediaは規則主義ではない(WP:BURO)から、この場合は記事名としてWikipedia:記事名の付け方(WP:NC)の5要件に沿う「竹島」がいいと思ったんですが、よく考えたらウィキペディアは規則主義ではありませんも、Wikipedia:記事名の付け方も、方針・ガイドラインであって、それを理由に五本の柱を破ることはできないという事になるんでしょうか(喩えて言うなら、「日本は立憲主義ではありません」って法律ができたら国会は憲法を無視していいのか的な)。どうしてもその点において筋を通すなら、五本の柱の5番目の冒頭、「上の4つの原則の他には、」を削ってしまえば、WP:BUROを必要に応じて五本の柱にも適用できるかもしれません。今後同様のパラドックス?が生じないよう、いっそのこと削ってもいいと思うのですが・・・まぁ流石に五本の柱そのものの改訂を提案できるほど経験がないので提案はしませんが。で、・・・上で述べた理由で、五本の柱を国で言う憲法と捉えるなら、下位規則たる法律、条例(つまり方針、ガイドライン)でこれを覆すことはできないのですが、そもそも中立的観点で記事名をつけるのは不可能、とゆーか不適切かもしれません。だって中立的観点は「どっちつかずの言い方(例えばリアンクール岩礁)」にせよと言うわけではなく、論争のある場合は双方の意見を書きなさいと言う意味でしたよね。その場合「竹島・独島」って事になるんでしょうか。でもそれなら複数の国が領有権を主張し出したらそれにつれてどんどん記事名が冗長になっていく。以前例の京アニ事件で、あの件を「放火」とするか、「放火殺人」とするかで議論(改名提案)が起きました。仮に犯人が「俺はやってない」と言い出したら、「京都アニメーション放火殺人疑惑事件」とかになるのでしょうか?あくまで百科事典と捉えれば、辞書的に正しい見出しは「竹島」だと思います(少々苦しい解釈かも知れませんが、五本の柱に当てはめるなら「ウィキペディアは百科事典です」準拠?)--Q8j(会話) 2019年12月31日 (火) 02:30 (UTC)
- コメント 英語版のen:WP:POVNAMINGに倣って、WP:NPOVという文書の中に記事名に関する事を明記する必要があるのかもしれません。英語版で「English」となっている部分を「日本語」に置き換えて挿入でしょうか--aki42006(会話) 2019年12月31日 (火) 05:50 (UTC)
- 報告 関連方針の改訂等に言及した利用者が複数いることを踏まえ、75568039版、75568045版にてそれぞれ告知を行いました。不必要であれば差し戻して頂いて構いません。--Q8j(会話) 2019年12月31日 (火) 06:38 (UTC)
- コメント結論としては前述べた通りで「記事名の原則に沿った上で、中立性も満たせるならそれに越したことはない」ですが、この手の議論で三大方針が出てくると必ず抜ける点について指摘しておきます。中立的観点は言うまでもなく大事ですが、「検証可能性」と「独自研究はしない」も同等に大事な概念です。記事名の付け方の原則とは、三大方針でいえば「検証可能性」と「独自研究はしない」寄りの考えであって、中立的観点を厳守しようとして、一般的でない名称や、ユニークな名称にすることは、「検証可能性」や「独自研究はしない」に反する(厳密には「一般的でない名称」にするのも中立性の考えに反するけど)。今回の議論に限らず、中立的観点が論点になり、かつ三大方針だから厳守せよという話が出ると、たいがい「検証可能性」「独自研究はしない」の観点が欠落する傾向が見られるので、あえて申し上げておきます。--EULE(会話) 2019年12月31日 (火) 07:28 (UTC)
- コメント EULE氏に同意です。「中立的な観点」「検証可能性」「独自研究をしない」の3つは「相互補完的」な方針であるため、一方を尊重したとき、他方が犠牲になる場合があるが、総合して全体がバランスよく保たれていればよいと考えるべきでしょう。記事名を付ける際の具体的な判断基準をまとめたWP:CRITERIAを見てみると、第一に「信頼できる情報源」における使用例を参考にすることを挙げています。この時点で、まず後2者の方針の適用は満足していそうです。さらに「中立的な観点」が求められる場面となると、異なる観点に立った記事名の候補が複数存在していることが想定されます。記事名における中立性に関する議論の解決策について、en:WP:NPOVTITLEでは、信頼できる情報源に由来する名称に基づく記事名(中立的とはいえないが一般的な名称)と、Wikipediaの編集者が考え出した記述的な記事名(一方的な判断を避けた記述的な記事名)の2通りに分けられるとしています。前者は「検証可能性」と「独自研究をしない」を尊重するがゆえに「中立的な観点」を犠牲にしており、後者は「中立的な観点」を満たすために「検証可能性」と「独自研究をしない」を犠牲にしているようです。日本語版の記事名の付け方のガイドラインは長きにわたり「一般的な名称」よりも「正式名称」(ショートカット名がWP:COMMONNAMEなのがまたややこしさを増している)を使用するよう推奨してきた経緯もあり、英語版のこの「中立的とはいえないが一般的な名称」という規定を日本語版にそのまま導入するわけにはいかなそうです(例:en:North Korea/朝鮮民主主義人民共和国)。典拠とする「信頼できる情報源」にしても、実際には各言語のそれに依存するため、英語の事例が日本語版の問題解決のためにあまり参考にならない可能性も考えられます。まずは、全言語版に通ずる基本理念を詳説したen:WP:POVNAMINGから導入することをお薦めしたいです。課題は山積していますが、2019年12月27日版の参考訳(下線部改変)を以下に記しておきます。--Doraemonplus(会話) 2019年12月31日 (火) 14:43 (UTC)
場合によっては、話題について用いられた名称を選択することで、観点に偏りが見られるようになることがあります。一般的には中立的な用語を選択するのが望ましいですが、明瞭さとはバランスを取らなければなりません。信頼できる情報源(とりわけ日本語で書かれているもの)において広く使用されているために、名称が読者によく認知されていそうであれば、たとえ一部にその名称が偏っているとみなす者がいたとしても、それを使用して構いません。たとえば、広く使用されている名称である「ボストン大虐殺」「ティーポット・ドーム汚職事件」「切り裂きジャック」は、たとえそれが判断を下したように見えたとしても、これらは当該の主題に対する正当な言及の仕方です。話題について使用する最もよい名称は、それが言及される文脈次第であることもあります。とりわけ当該の話題が主な論じられている話題であるときには、別名を挙げ、その用いられ方に関する論争に触れるのが適切かもしれません。この助言は特に記事名に適用されます。一般的な用法においては複数の用語が使われているかもしれませんが、記事名としては、記事名の付け方の指針に従って名称を一つだけ選択しなければなりません。別名を組み合わせて記事名とすることは推奨されません。たとえば、「デリー/ロンドンデリー」「アルミナム/アルミニウム」「地球平面説(地球球体説)」とすべきではありません。代わりに、別名は記事本文内の然るべき箇所に目立つように示し、適切にリダイレクトを作成してください。 名称というよりも、記述的な語句を用いた記事名もあります。記述的な記事名とする場合も、話題に対する賛否を表す観点を示唆したり、問題の特定の側面に関する見解に記事の内容を閉じ込めたりすることのないよう、中立的な言い回しをするべきです(たとえば、「Xの批評」という記事名は「Xに関する社会的見解」に改名した方がよいかもしれません)。中立的な記事名を付けることは、複数の観点を促し、責任ある記事の執筆を奨励します。
--Doraemonplus(会話) 2019年12月31日 (火) 14:43 (UTC)
- そもそも「日本語版」ということからしてすでに日本語POVなわけです。日本語中心から逃れられない。率直に言うなら、私は「中立的な語句」なんてものを信じません。正式名称だから、一般的な呼称だからといって、それが中立的であることの担保にはなりません。極論に聞こえるかもしれませんが、どんな記事名もなんらかの偏りを内包していると思っています。言い方を変えれば、中立的でないという難癖はどれでもつけることができる。そうすると、「記事名の付け方」と「中立性」との間で引き裂かれる事例が出てくる。そうならないために、記事名の付け方には「中立的な語句」などという表現が出てこないんじゃありませんか?
- 偏ったものを偏ったものとして表すのがウィキペディアの「中立性」でしょう。先にも述べましたが、ウィキペディアのカテゴリを見れば、「犯罪」、「侮蔑」、「スラング」、「日本のセクシュアリティ用語」、「差別」、「異端」、「疑似科学」、「悪徳」、「腐敗」、「欺瞞」、「嘘」、「誤り」、「無知」などなど、差別用語や罵倒表現、否定された発見や学説、廃れた思想、宗教的教義などありとあらゆる偏った語句が集められていることがわかるはずです。円周率は3とかもある。そんな記事名群も「中立的な語句」に修正するんですか? 記事内容をそのまま記事名にでもしますか。個別にしろ一般論にしろ、「中立的な語句」など空論だと思います。--みっち(会話) 2020年1月6日 (月) 12:27 (UTC)
提案
[編集]- 長くなりましたので、サブ節を設けさせていただきました。--Greenland4(会話) 2020年1月12日 (日) 03:36 (UTC)
提案 あまり出しゃばるつもりも当初はなかったのですが、くだんの「ノート:竹島 (島根県)」で、さかんにこの井戸端での議論を読むよう勧めてくださる方がおり、また私が当該ノートで発言したことをここで取り上げてくださった方もいらっしゃいますので、お邪魔させていただきます。率直な感想ですが、今回の議論というか騒動・悶着は起こるべくして起こったという印象をいだいています。つまり、マスコミでさえ「竹島(韓国名:独島)」と報道することが多いのに、いやしくも「Wikipedia:中立的な観点」を三大方針のひとつにしているWikipediaで「竹島 (島根県)」という領有権を一方的に主張するような見出しになっているのは矛盾しているんじゃないかという疑問です。ただ、「Wikipedia:中立的な観点」のページでは、「記事名についても中立的な観点が求められる」とは書いていなくて、本文に「この方針は記事以外のテンプレート、ポータルなどにも適用されます」、三大方針を図示した画像ファイルには「ウィキペディアの内容に関する三大方針」とあり、結局、「記事名」はその「など」の中、「内容」の中に含まれるかどうかが、たいへん曖昧です。私などは「Wikipedia:中立的な観点は記事名には適用されませんか?」「適用されませんよ」で(今では)納得してしまうわけですが、「『Wikipedia:記事名の付け方』はあくまでもガイドラインであり、いわば「憲法」である三大方針よりも法的に下位にある(=施行細則くらいの意味しかない?)」とか「三大方針では記事名を除外すると明言していないので命名についても中立性を何よりも優先すべきだ」という解釈も生んでしまいます。すでに「ノート:竹島 (島根県)」でも指摘しているように、記事名について「中立的な観点」を絶対なものとしてしまうと、およそあらゆる歴史上の戦争や領土紛争に関する記事は、「記事名が決まらない」という困った事態が発生します。「蘇岩礁」がそうであるように、すべての戦争・紛争は「当事者Aの立場」と「当事者Bの立場」(――まれに「他人事Cの立場」が加わることもありますが――)しかなく、「中立な立場」などというものがない方がむしろ普通です。なので、方針文書のページでハッキリと「ここでは記事内容についての方針を述べています。記事名については「Wikipedia:記事名の付け方」を御覧ください」とアナウンスすることを提案します。記事名については、中立性がたとえ配慮されるとしても、「認知度が高い、見つけやすい、曖昧でない、簡潔、首尾一貫している」の5基準よりもずっと優先順位が低いはずなので、まずはそれをハッキリさせ、そのうえで、たとえば「記事名における中立性への配慮」というような補足文書を付けてよいとは思います。それならば、ここでの話し合いもムダにはならないような気がします。--Greenland4(会話) 2020年1月6日 (月) 13:14 (UTC)(文章訂正)--Greenland4(会話) 2020年1月6日 (月) 14:07 (UTC)
コメント Doraemonplusさんが取り上げてくださった発言を繰り返しますと、私は「執筆」と「命名」は方向性においてはむしろまるっきり正反対の行為、すなわち「執筆」はいくらでも材料を並べて両論併記・括弧書きを駆使して中立性を高め、日本中心にならないよう諸外国からの視点も加えて信頼性を高めることができ、また、それが推奨されている行為なわけですが、「命名」はそうではなく、数ある候補のなかからベストな、ベストとはいえなくてもモアベターな(無難な)ものを取捨選択する行為であると考えています。片や材料は多ければ多いほどよいのに対し、片や「捨てる」行為をおのずと含むわけですから、判断の基準・ルールが違っていて当たり前。私はそう考えます。みっちさんの上の御意見にも賛同いたします。だいたい、子どもでもペットでも何でもそうですが、「命名」というのは最初から中立性をめざしておこなわれる行為ではありません。愛すべきものは愛すべきものとして、軽く扱うべきものは軽く扱うべきものとして…命名するわけです。個人レベルですでにそういうところから発しているのであり、それが社会性をもつ、周囲と共有するようになっても、その間、「中立性」によって修正されるとは限りません。その共有が日本語話者全体に広がっても、世代を超えて踏襲されても同じでしょう。それを経て定着した「元寇」という言葉にしても、「日本中心視点」以外の何物でもありません。モンゴルからみれば「日本遠征」です。しかし、日本語版ですから、「元寇」といえば一番わかりやすく見つけやすいから、それで問題ないわけです。「竹島」にしても「日本語では『竹島』というのだ」ということでよいわけです。「蘇岩礁」については「日本語には定まった呼び名はないけれど、中国語では『蘇岩礁』といい、なおかつ韓国当局も岩礁であることは認めているんだから『蘇岩礁』がモアベターだ」ということでよいのだと思います。ある意味、韓国名を採用したい人には諦めてもらうことを諒解してもらわなくてはならない(諦めてもらう理由が必要なら考えなくてはいけません)。しかし、「蘇岩礁」という見出しであったとしても韓国語で「離於島」であることまで否定しているわけではないわけです。ところが、たとえば「蘇岩礁 (山東省)」というような見出しだと、仮に必要あってそうしている場合でも、これは非常に軋轢・悶着を生んでしまう記名になります。そこで、もし「記事名における中立性への配慮」というような補足文書がつくられるのだとすると、そのなかで「係争地の地名については、基本的に、所在地を示唆したり、領有権主張を助長するように受け取られるような曖昧さ回避を避ける」というようなルールをつくってもよいかもしれません。--Greenland4(会話) 2020年1月6日 (月) 21:29 (UTC)
- コメント 記事内容に関係ない記事名になってしまっては、読者が記事を検索することが困難になります。内部リンクを書いても記事を識別することが困難になります。括弧書きも記事内容と無関係では曖昧さ回避はほぼ不可能となってしまいます。実際に記事内容と無関係な記事名はウィキペディアでは見たことはありませんし、個人的には他の百科事典でもそのような記事名は見たことがありません。なぜ記事名が記事内容ではないことになるのでしょうか。もしかして、記事内容と記事本文を混同していませんか?--Henares(会話) 2020年1月8日 (水) 08:33 (UTC)
- コメント 前半部分は何を言っているのかわかりませんけど、最後の方はわかります。「なぜ記事名が記事内容ではないことになるのでしょうか。もしかして、記事内容と記事本文を混同していませんか?」はわかります。まあ、そういうふうに解釈する人がいるから、「曖昧」と言ったのです。しかし、「記事=記事名+記事内容」と規定したところで、「記事内容=記事名+記事本文」と規定したところで、さほど変わらないでしょう。実際に、記事を書いて、新規に項目を立てている人はだいたい前者のように考えますよ。本文書いて、リンク貼って、テンプレート貼って、それに実際に記事名を付けますから。最近、「李鴻章狙撃事件」を新規に立てましたが、最後の最後まで記事名をどうするかについては迷いました(中立性ではなく曖昧さと認知度の部分で、ですが)。しかしまあ、「記事名」にも中立性が絶対に求められるとしたら、(1)たとえば「蘇岩礁」はまずいのではないですか? どうして、日本語版が中国政府の肩を持たなくてはならんのですか? 中立性に欠くように思うのですけど、HenaresさんのなかではOK なのですか? それから、(2)「三韓征伐 」などという中立性に欠くうえに「日本中心」そのものの記事名を許しておくのですか? あるいは、(3)「ニガー」などという差別用語をもっと穏当な表現に改めるよう、どうして「改名提案」しないのですか? しにいけばいいと思いますよ。たとえば(4)「フレンチ・インディアン戦争」という記事がありますが、これは、北米イングランド植民地人にとって「敵がフランス人とインディアンである」ところに由来する名前です。日本の記事名は英語そのままですが、当然、フランス語版では別の記事名です。何よりも中立性が優先されるのだったら、どうして日本語話者が100パーセント、イングランド人側・英語話者側に立って、フランス人を敵視しなければならないのですか? 「中立性」に反するじゃないですか? 私が列記したことにすべて答えられないのなら、みっちさんおっしゃるように「空論」ですよ。中立性がそれなりに配慮されなくてはいけないのは、置き換えが効く場合に限られるし、それだって「認知度」よりもずっと優先順位は下です。逆にいえば、認知度がそれなりにあるものだからこそ、人はもっとそれについて知りたいと思って辞書を引くわけです。そのあたりを突き詰めて考える人が少ないので、JAWPはいつまでたってもワキが甘いんじゃないでしょうか。そのあたり、みんなで考えて、方針文書の拡大解釈を防いだり、方針文書とガイドラインの隙間を埋めるような工夫ができればいいですね。--Greenland4(会話) 2020年1月8日 (水) 10:55 (UTC)
- コメント 前半部分はごくごく当たり前のことを申し上げただけなのですが。このような初心者でもわかりそうな検索や内部リンク当たり前の機能のことを言っても何を言っているのかご理解いただけないとなると、さすがにお話にならないですね。いずれにしましてもGreenland4さんの方針変更案の大筋に対してはすでにこの議論にもノート:竹島 (島根県)にも決して少なくない数の異論が書かれていますので、個人のご意見としては尊重しますが、方針変更案の議論としては合意不成立ということでよいと思っています。--Henares(会話) 2020年1月8日 (水) 11:59 (UTC)訂正--Henares(会話) 2020年1月8日 (水) 12:00 (UTC)
- あれ、もうコメントしないつもりだったのでは? 「方針が直接的にそのように変化しない限り私の記事名の中立性に関する意見は変わることはありません」と断言なさっている方との議論は不毛でしょう。結論ありき。--みっち(会話) 2020年1月8日 (水) 12:19 (UTC)
- えーと…特に誰かと約束したわけでもなく、上記のDoraemonplusさんとの一対一に近いやり取りにおいてコメントしない「つもりだった」と申し上げると一切の発言を禁じられるのでしょうか。冷静にお願いします。「交渉の余地がない」「合意によって覆せない」ですから、結論ありきになるのは自然なことだと認識しています。確かに私の見解に対しても全面的な賛同が得られているとは思ってはおりませんが、みっちさんとGreenland4のご意見に対しても異論はあります。方針の変更の提案ですから、合意を得なければならないのはこの議論においてどなたでしょうか。このように反発するばかりで反対意見に対して配慮するおつもりがないのならば、それまでのことです。--Henares(会話) 2020年1月8日 (水) 12:49 (UTC)
- あれ、もうコメントしないつもりだったのでは? 「方針が直接的にそのように変化しない限り私の記事名の中立性に関する意見は変わることはありません」と断言なさっている方との議論は不毛でしょう。結論ありき。--みっち(会話) 2020年1月8日 (水) 12:19 (UTC)
- コメント 前半部分はごくごく当たり前のことを申し上げただけなのですが。このような初心者でもわかりそうな検索や内部リンク当たり前の機能のことを言っても何を言っているのかご理解いただけないとなると、さすがにお話にならないですね。いずれにしましてもGreenland4さんの方針変更案の大筋に対してはすでにこの議論にもノート:竹島 (島根県)にも決して少なくない数の異論が書かれていますので、個人のご意見としては尊重しますが、方針変更案の議論としては合意不成立ということでよいと思っています。--Henares(会話) 2020年1月8日 (水) 11:59 (UTC)訂正--Henares(会話) 2020年1月8日 (水) 12:00 (UTC)
- コメント「記事内容に関係ない記事名になってしまっては、読者が記事を検索することが困難になります」というのは、わけがわからないでしょう。一体どこの誰がそう言ったのですか。それから私は、別に、「方針変更案」なんてことは書いたつもりはなくて、「中立的な観点」というのは、それは確かに記事を書くうえでは絶対守らなければならないルールですよ。そこを変更する気なんかまったくないですよ。しかしまあ、「記事名に関しては適用されない」と考えるのが普通なんじゃないですか。言葉というのは、人文科学の場合は大抵「ある観点」から発せられるものではあるけれども、記事名で示されるのはせいぜい一観点であり、それが「中立的」とは限らないわけでしょう。現に「中立的でない言葉」は山ほどあって、上に掲げた4つは氷山の一角ですよ。「中立的な観点は記事名にも適用される」と考えるのはHenaresさんの自由だけれど、でも、実際には「蘇岩礁」ひとつ解決できないわけでしょ? そのへん、どう考えるかですよ。少し冷静になって自問自答してみてはいかがですか。--Greenland4(会話) 2020年1月8日 (水) 13:52 (UTC)
- 閲覧したい記事内容にまったく関係ない語句で検索する人がいると思いますか?大半の方は常識としてご理解いただけるかと思いますので、ご理解いただけないならばもはやそれで結構ですが。記事に関する方針は論争を解決できるかどうかという論争の都合ではなく、記事名を含めた記事の品質向上のためにあるものです。Greenland4さんは私を含め他者の意見をお読みになっていますか?私一人だけが「中立的な観点が必要」と言っているのならばともかく、そうではないですよね。記事名に中立的観点が適用されるべきだと言っている利用者がこれほど存在しているこの状況で、そのように自己の言い分をおっしゃるだけで合意を得られると本気でお考えですか?正直、もはや「方針変更の合意は不成立」ということで閉じてしまってもよい議論内容だと思っています。--Henares(会話) 2020年1月8日 (水) 14:22 (UTC)
(インデント戻します)Henaresさんが、どうしてそんなにムキになるのかがよくわからないんですけれども。私もまあ、「記事名については中立性を無視しろ」とは言っていません。むしろ、中立性に対する配慮は必要だと思っています。ただし、(1)係争地に関する記事名、(2)定まった用語がなくて候補がいくつかあり、それぞれの認知度に大差がなくて置き換えが可能なもの、(3)その用語を用いることによって異論が封殺されるもの、そのような場合に限ります。それ以外に関しては、「この言葉は中立的じゃないから排除すべきだ」(削除や改名の対象となる)という考え方には断固反対します。実際、私の反対があろうがなかろうが軍事や外交分野に関しては「中立的でない言葉」の方が多いくらいです。「認知度」を度外視してまで「中立性」が大事なわけではない、そういうことでいいんでしょうか。それならば、議論終了でも構いません。--Greenland4(会話) 2020年1月8日 (水) 15:24 (UTC)
問題は、「Wikipedia:中立的な観点」には、「記事内容」(Henaresさんの言葉では「記事本文」)のことは書かれていても「記事名」のことにはひとつも言及がないということです。すべてがこれ、「執筆」にかかわる指針なのであって「命名」の参考になる部分はひとつもありません。したがって、具体的に記事名がどうあるべきかを知りたい人は、他ページをみるしかないわけです。Henaresさんおっしゃるように、「記事内容」に「記事名」が含まれているんだったら、「この方針には記事名も含みます」ということをちゃんと明記すべきだと思うのですね。そうでなかったら、「記事名については「Wikipedia:記事名の付け方」 を見ろ」と案内すべきでしょう。いずれにしても、不親切であることには変わりありませんよね。みなさんは、どうお考えになりますか? --Greenland4(会話) 2020年1月8日 (水) 21:38 (UTC)
コメント 私もGreenland4さんとほぼ同じ理解です。大前提として、記事は記事名と記事内容が合わさって成り立っていると理解しています。Wikipedia:中立的な観点 (WP:NPOV) がCategory:記事の内容についての方針に分類されていることからも、これが記事内容に対する方針であることは間違いないです。方針文書中を隈なく探しても記事名に関する言及が全くなく、「記事名における中立」について具体的な理解の仕様がない点は、Greenland4さんや私に限らず、誰の目にも明らかかと思われます。ただし、方針改定論はこれとはまた別の問題で、今後もしもそういった機運が高まれば具体的な改定案をWikipedia‐ノート:中立的な観点で審議なさればよろしいまでの話です。また、WP:NPOVが示す「中立的な観点」とは、偏りも含めて多様に存在している観点を可能な限り取り入れて記事本文で各論併記することで全体として中立均衡を保つよう努力することを求めているわけで、間違っても唯一選ばれし名称たる記事名に全て記事の中立性を代表させる形で記事の中立を達成することを約束した規定ではないと考えます。さらに、ふつう記事名は信頼できる情報源(出典)に基づいて付けられるため、WP:NPOVと相互補完の関係を成すWP:VおよびWP:NORは当然満たすものと考えられ、出典(検証可能性)付きの命名ならば、三大方針は全体として均衡し、遵守されたとみなしてもよいのではないかと思います。実際の命名に臨んでは、WP:NC、WP:JPE、WP:AIMAIなど、特に優先して守るべき事項があるため、「中立的な観点」のみを突いてとやかく責め立てるのは「机上の空論」と言われても仕方がないと思います。命名の実践の場においては、Wikipedia:記事名の付け方 (WP:NC) に沿うのが最も現実に即していて、それらの事例がまたWP:NCにフィードバックされてベストプラクティス選にもなっているのが実情といったところでしょうか。--Doraemonplus(会話) 2020年1月9日 (木) 09:35 (UTC)
追記 記事名という非常に限られたスペースで「釣り合いのとれた重みづけ」を行うのはどう考えても無理があるため、現行の「中立的な観点」と「記事名の付け方」とは折り合えないと思います。改定するとしたら、このような悶着を繰り返さないためにWikipedia:中立的な観点の適用対象を明記するぐらいが関の山でしょうか。--Doraemonplus(会話) 2020年1月9日 (木) 09:46 (UTC)
- コメント Doraemonplusさん、コメントありがとうございます。また、私の意見に御理解いただき、そのうえで、私の言葉たらずのところを補足・説明くださるなど親切丁寧な御対応に厚く感謝いたします。Henaresさんから御指摘があったのでもう一度みなさんの御意見を拝読いたしましたが、「Wikipedia:中立的な観点」の適用対象については、私の意見は、Henaresさんがおっしゃるほど異端の見解ではないと思いました。そらみみさん、Assemblykinematicsさん、EULEさん、茶でもすするかさん、みしまるももさん、みっちさん、Vindlysさん、Doraemonplusさんは、記事名についてはまず「Wikipedia:記事名の付け方」の方針にしたがうべきというお考えで、記事名の中立性に配慮することは否定しないまでも、それは限られた場面・限られた対象についてであるとの御見解と拝察いたしました。私自身も、みなさんの御見解に賛成です。それに対し、記事名についても「中立的な観点は絶対」という意見を支持されているのは、Reiwa periodさんと-Henaresさんのお二人だけと拝察しました。Q8jさんは、この問題にたいへん誠実に向き合われておられ、どのように考えるべきなのかの試行錯誤を率直に言語化されており、非常に示唆されること、学びとることの多いコメントだと感じました。ただ、Reiwa periodさんにしても、Henaresさんにしても、本当に「中立的な観点は絶対」と100パーセントそう思ってらっしゃるのかなという気はします。そう思っているのなら、くだんの「ノート:竹島 (島根県)」でも「リアンクール岩礁」がベストと主張されるはずなので、そうなさっていない以上、結局は、記事名については「Wikipedia:記事名の付け方」に依拠されているのではないかなと思います。もしそうであるなら、激論がかわされているようでいて、実際は、みなさんの御意見はそんなに違わないということですから、コンセンサスがとれそうな気がするのですが、いかがでしょうか。Doraemonplusさん御指摘のように「Wikipedia:中立的な観点」(WP:NPOV)は「Category:記事の内容についての方針」に分類されている一方、記事名の方は「Category:記事のスタイルについてのガイドライン」にカテゴライズされているのであり、「Wikipedia:記事名の付け方/鉄道」、「Wikipedia:記事名の付け方/日本の皇族」、「Wikipedia:記事名の付け方/ヨーロッパ貴族の記事名」もまた「記事のスタイル」に位置づけられています。内容から遊離した「記事名」があるはずないというのは、一般論ではそうかもしれませんが、ウィキペディアの方針・ガイドライン文書全体の体系のなかでは、記事名は「内容」じゃなくて「スタイル」の話、いわば「別の話」と位置づけられているわけです。「Wikipedia:中立的な観点」が「絶対的で交渉の余地のないもの」だとしても、そもそもそこでは記事名については何も語っていないのであり、何も語っていない相手に交渉も妥協もできる道理がありません。みっちさんおっしゃる「日本語POV」も、Henaresさんおっしゃる「日本語中心主義はむしろあるべき姿」も、つまりは同じことではないでしょうか。「中立性への配慮は不必要」という意見は少なくとも、私も含め、ここにお集まりの方のなかには一人もおられないようです。しかし、ここ以外にはいるかもしれませんので別途協議が必要でしょう。たとえば、「Wikipedia:記事名の付け方/(仮称)中立性への配慮」のノートページとかで。それに先立ち、ここではDoremonplusさんがおっしゃった、「Wikipedia:中立的な観点」の適用対象をどうするかについて、そのコンセンサス形成の話し合いを進めてはどうかと思いますが、いかがでしょう。--Greenland4(会話) 2020年1月11日 (土) 00:56 (UTC)(文章・体裁一部手直し)--Greenland4(会話) 2020年1月11日 (土) 01:12 (UTC)
- ありがとうございます。いまちょっと考えがうまくまとまらないので、またコメントするかどうかわかりませんが、Greenland4さんのまとめでほとんど異議がないことだけとりあえずお伝えしておきます。ただ、チラ見した程度ですが方針類のカテゴライズは日本語版と英語版は違っているようなので、そこはあまり論拠にならないかもしれません。--みっち(会話) 2020年1月11日 (土) 03:26 (UTC)
- コメントを総括してくださり、ありがとうございます。Greenland4さんのまとめ内容に概ね同意します。みっちさんがご指摘なさった方針類のカテゴライズについて、Wikipedia:記事名の付け方はガイドラインですが、en:Wikipedia:Article titlesはpolicy(方針)となっている関係上、言語版ごとに違っているのは当然かなと思います。Wikipedia:中立的な観点の適用対象については、上記したように本家では「記事名における中立」の考え方が示されている(zh:维基百科:中立的观点#条目命名など他言語版にも存在している)のを知ると、記事名を「中立的な観点」の対象から完全排除してしまうのはWikipediaの基本理念から外れるようで、正しいやり方ではないような気もしています。--Doraemonplus(会話) 2020年1月11日 (土) 04:51 (UTC)
- コメント お二人とも、コメントありがとうございます。今回の件では、日本語版では記事名に関しては「ガイドライン」の語を使用していることが、あらぬ誤解を生んだ根源なのではないかという気がするのですが、いかがでしょうか。英語版のように「記事名の方針」というふうに語句を直せば、記事内容に関しては3大方針・5本の柱、記事名に関しては認知度以下の5つの命名基準が5大方針ということになって、スッキリしますし、「3大方針>ガイドライン」というような勘違いは生まれないと思います。そして、そうしてはじめて「記事名における中立」というガイドライン(これこそ、「ガイドライン」と呼ぶべきではないかと思いますが)が生きてくるのではないかと思うのです。「記事名が常に完全無欠の中立性を備えていなければならない」というのであれば、そもそも「記事名における中立」は不要であり、蛇足です。実際、Doraemonplusさんが訳したうえで掲載しててくださった In some cases, the choice of name used for a topic can give an appearance of bias. (場合によっては、話題について用いられた名称を選択することで、観点に偏りが見られるようになることがあります。)でも、「明瞭さ(認知度)」と「中立性」のバランスをとらなければならない、というところから説明をはじめています。「ボストン大虐殺」「ティーポット・ドーム汚職事件」「切り裂きジャック」の例が掲げられていて、「ティーポット・ドーム汚職事件」についてはよくわからなかったものの、「ボストン大虐殺」については「ボストン民間人射殺事件」、「切り裂きジャック」については「1888年ロンドン娼婦連続殺人事件」というふうに言い換えた方が、中立的であるし、正確でもあるし、また、世界中のジャックさんに迷惑がかからないといったことはあるけれども、そういう記事名にしたら「何のことかわからなくなる」ということになって、事典の見出しにはならないということなのだと思います。ことばはしばしば一人歩きしてしまって、それ自体がひとつの現象になってしまい、後世に影響をあたえたり、今も議論の対象になったり、その謎を解き明かそうというモチベーションになったりする。そういうものとして人口に膾炙している以上、「中立的でない」という理由でこれを排除してはならないということでしょう。みなさんが掲げてくださった例でいえば「タタールのくびき」がそうであるし、私が掲げた「三韓征伐」もそうです。だから「記事名=中立」ではなく「記事名における中立」なのだと思います。そこで、3つの提案。(1)「記事名の付け方」(ガイドライン)を「記事名の方針」というふうに文言を改める、(2)「NPOV」冒頭文「中立的な観点 (NPOV、Neutral Point Of View) はウィキペディアの根本的な方針のひとつです。これは、すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない、というものです。この方針は記事以外のテンプレート、ポータルなどにも適用されます。」の次に括弧書きで「(記事名については「記事名の方針」を参照のこと)」というような案内をつけること、(3)「記事名における中立」の日本語バージョンを「記事名の方針」のなかの一節として設ける。この3つをあらためて提案します。なお、日本語バージョンの試作品は"利用者:Greenland4/第十二作業室"にアップしておきました。これは、開放いたしますので、加除や訂正をしてくださっても結構です。あくまでもたたき台です。いかがでしょうか。--Greenland4(会話) 2020年1月17日 (金) 00:21 (UTC)(字句等微調整)--Greenland4(会話) 2020年1月17日 (金) 04:17 (UTC)
- コメント ひょっとして文書の名前を変更する提案ですか?文書の名前を「○○の方針」と変えれば方針になるという性質のものではないですよ。この議論で挙げられた「方針」文書の名前を見るだけでも明らかだと思いますが、念のため--aki42006(会話) 2020年1月18日 (土) 02:04 (UTC)
- コメント 「(記事名については「記事名の方針」を参照のこと)」という文言は今回の議論に一体何の関係があるのでしょう。Greenland4さんは「「この言葉は中立的じゃないから排除すべきだ」という考え方には断固反対します。[2]」とおっしゃいました。この点が今回の竹島の議論から続く意見不一致の核たる部分だと思うのですが。このお考えが議論を経た今も同じなのか変化しているのかについては今のところ私は問うつもりはありません。しかしこのお考えを方針に反映するのであれば「中立的ではないとの理由での改名は認められません。」という、はっきりとした直接的な言葉ではありませんか?「(記事名については「記事名の方針」を参照のこと)」という言葉はただ参照せよと言っているだけで、上記のようなお考えに関しては何も言っていません。これでは方針の最後に{{Wikipediaの方針とガイドライン}}書かれていることと重複することを書き加えようとしているだけで、方針の内容は何も変わらないと思います。もしかして、Greenland4さんのお考えをはっきりと表現した変更案では賛同を得られにくいとご自身がわかっているから、あえて言葉を濁した曖昧な表現を提案しているということでしょうか。--Henares(会話) 2020年1月18日 (土) 03:48 (UTC)
- 返信 (aki42006さん宛) 「文書の名前を「○○の方針」と変えれば方針になるという性質のものではないですよ」とおっしゃいますが、英語版ではen:Wikipedia:Article titlesはpolicy(方針)となっているとのことであり、本来的には「方針」なわけでしょう。命名の実践の場においては、みなさんおっしゃっているようにWikipedia:記事名の付け方 (WP:NC) に沿うのが最も現実に即しており、実際には「方針」として扱われているわけですよね(HenaresさんとReiwa periodさん、片割れ靴下さんは少し違うお考えのようですが)。少なくとも、実際に記事の命名をおこなう初版立項者にとっては「記事名の付け方」は「方針」以外の何物でもないですよ。私は、英語版の方が筋が通っていると思いますがね。日本語版はアナだらけだし、問題解決の役に立っていないと思います。むしろ、記事を改名厨、削除厨のおもちゃにしてしまうような欠陥があると思います。命名において、認知度よりも中立的であることを優先するなどということは、英語版でも中国語版でも言っていないと思いますけれども。「ボストン大虐殺」」や「切り裂きジャック」の記事名は「中立的ではない」わけですが、日本語版では削除や改名の対象になるんでしょうか。Vindlysさんがおっしゃるように、中立性を絶対的なものとして記事名に持ち込むというのは、中立的ではない記事名は全て是正されなければならない、という相当な影響のある話ではないでしょうか。そういうふうに解釈される怖れが実際にあるわけだし、現に、今起こっている最中なわけでしょう。日本語版に固有なローカルな言葉使いを改めて、体系立ったものにしたら、全部解決する問題なんじゃないでしょうか。--Greenland4(会話) 2020年1月18日 (土) 13:29 (UTC)
- メンションが飛んできたので、一言。「文書の名前を「○○の方針」と変えれば方針になるという性質のものではないですよ」→英語版のen:Wikipedia:Article titlesは題名にpolicyが入っていないけど、方針として機能するといった具合に、題名に「方針」を含むかどうかは、本質的には一切関係がないです。例えば、Wikipedia:追放の方針はなめに「方針」を含みますが、あくまで草案にすぎません。Wikipedia:競走馬の特筆性判断の基準と独立記事作成についてのガイドラインは名前に「ガイドライン」が入っていますが、発効されておらずあくまでガイドライン案でしかありません。Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針やWikipedia:日本で著作権が消滅し、米国で著作権が消滅していない画像の利用方針は試験運用の段階です。
- 逆に、Wikipedia:荒らしやWikipedia:管理者は題名に「方針」を含みませんが、「Wikipedia:管理者には「方針」の語が入っていないから私の中では方針ではない。管理者になった暁には『管理者は操作を行うかどうか決定する利用者ではありません』を破って、示威的に管理者権限を使用します。」なんて言ったら確実にブロックと解任を受けることでしょう。
- 方針の「定義」は「題名に『方針』の語が含まれる」ではなく、「Template:Policyを用いている」となるべきですし、そのためにWikipedia:記事名の付け方がWikipedia:記事名の方針だのとする必要はありません。片割れ靴下(会話) 2020年1月18日 (土) 13:44 (UTC)
- 返信 (片割れ靴下さん宛) [3]←これを書いた方が、そうおっしゃられてもね。ハッキリ言うと、こういうことを言う人が今後も出てこないとも限らないからこその提案です。それとも、これを書かれたあと、お考えが変わられましたか。--Greenland4(会話) 2020年1月18日 (土) 14:21 (UTC)
- なんか勘違いしてませんか? そもそも中立性はウィキペディアにおいて最も尊ぶべき理念です。これを捨てたらもはやウィキペディアとは言えない神聖なものです。記事名「ごとき」がこの神聖な理念に違反できないと考えています。ですから、万一Wikipedia:記事名の付け方が方針となろうとも私は当該提案をしたでしょう。
- そのうえで、Greenland4さんが荒唐無稽な(様に私には映った)提案をしていて、かつ私にメンションを飛ばされたので、「いや、それは違うでしょ」と申し上げている次第です。片割れ靴下(会話) 2020年1月18日 (土) 14:28 (UTC)
- 返信 (片割れ靴下さん宛) [3]←これを書いた方が、そうおっしゃられてもね。ハッキリ言うと、こういうことを言う人が今後も出てこないとも限らないからこその提案です。それとも、これを書かれたあと、お考えが変わられましたか。--Greenland4(会話) 2020年1月18日 (土) 14:21 (UTC)
- 返信 (片割れ靴下さん宛) ということは、片割れ靴下さんからみて「偏った記事名」というのは排除されなくてはならない、ということですか? --Greenland4(会話) 2020年1月18日 (土) 14:49 (UTC)
- あえて、当該提案に関して申し上げるなら、「帰属が明らかでない(=領土紛争がある)地物に帰属に基づく曖昧さ回避は不適切でしょ」という至極まっとうなことを申し上げただけのつもりだったんですけどね。ですから、「帰属が明らかである地物(=島根県)を基準とした地理に基づく曖昧さ回避」(私が提案したのは竹島 (島根県から北北西に約211キロメートルの地点にある島)ですが、竹島 (島根県沖)はより優れた例だと思います)は反対しませんし、現に私も提案しています。だから、竹島 (島根県)→竹島への改名が難しいのであれば竹島 (島根県沖)に解明先を変更して審議続行すればいいと思います。--片割れ靴下(会話) 2020年1月18日 (土) 14:46 (UTC)
- 返信 (片割れ靴下さん宛) 竹島 (島根県から北北西に約211キロメートルの地点にある島)という提案は、あまりまっとうには思えないのですけれどね。荒唐無稽なのはどちらなのか、コミュニティに判断を下してもらうしかないでしょうね。片割れ靴下さんからすれば、「ボストン大虐殺」」や「切り裂きジャック」は「中立的」なんでしょうか。それとも「中立的ではないから改善を要する」んでしょうか。どちらでしょうか。--Greenland4(会話) 2020年1月18日 (土) 14:57 (UTC)
- 「ボストン虐殺事件」」や「切り裂きジャック」は、世間でそう呼ぶように一般化されたものですよね。これらの呼称は完全に固定化されていて、少しでも変更を加えれば、主題がわからなくなってしまう恐れが多分にありますから、改名は難しいと思います。一方、南京事件(南京大虐殺・南京虐殺)のように、固定化されているとはいいがたいものに関しては、平穏で中立的な語句(i.e. 南京事件)を使うべきだと思います。また、一般論として、「虐殺」には殺し方の残虐性という主観が入っていて、あくまで個人の感想ですが適用は控えるべきだと思います。すなわち、もし仮に「ボストン虐殺事件」と「ボストン事件」という2パターンでの言及が大多数で、かつその一つが6:4程度でわずかに「虐殺」が上回る程度の場合、前者を適用せずに公社に曖昧さ回避「(1770年)」を付けた記事名を採用するというのが私の考え方になると思います。「切り裂きジャック」に関しては具体的にどのあたりが中立的でないのか文化的側面を存じません(例えば、ブラック企業という言葉の「ブラック」は黒人差別的意識から生まれたマイナス表現の「ブラック」であり、差別表現にあたると主張するウェブ上の記事がありました[4]が、これはちゃんと説明してくれないとわかりませんよね、少なくとも私達は黒人を差別する意図で「ブラック企業」という言葉を使っているわけではありませんから)ので、何とも言えません。片割れ靴下(会話) 2020年1月18日 (土) 15:24 (UTC)
- ところで、私個人・Greenland4さん個人の話になってくると、これはもう井戸端会議の場ではなくWikipedia:コメント依頼がより適切なのかなとも思いますが、どうなのでしょう?私はKoneさんのコメント依頼にしか参加したことがないので、あの辺の規則はよくわからないのですが……。片割れ靴下(会話) 2020年1月18日 (土) 15:27 (UTC)
- 「ボストン虐殺事件」」や「切り裂きジャック」は、世間でそう呼ぶように一般化されたものですよね。これらの呼称は完全に固定化されていて、少しでも変更を加えれば、主題がわからなくなってしまう恐れが多分にありますから、改名は難しいと思います。一方、南京事件(南京大虐殺・南京虐殺)のように、固定化されているとはいいがたいものに関しては、平穏で中立的な語句(i.e. 南京事件)を使うべきだと思います。また、一般論として、「虐殺」には殺し方の残虐性という主観が入っていて、あくまで個人の感想ですが適用は控えるべきだと思います。すなわち、もし仮に「ボストン虐殺事件」と「ボストン事件」という2パターンでの言及が大多数で、かつその一つが6:4程度でわずかに「虐殺」が上回る程度の場合、前者を適用せずに公社に曖昧さ回避「(1770年)」を付けた記事名を採用するというのが私の考え方になると思います。「切り裂きジャック」に関しては具体的にどのあたりが中立的でないのか文化的側面を存じません(例えば、ブラック企業という言葉の「ブラック」は黒人差別的意識から生まれたマイナス表現の「ブラック」であり、差別表現にあたると主張するウェブ上の記事がありました[4]が、これはちゃんと説明してくれないとわかりませんよね、少なくとも私達は黒人を差別する意図で「ブラック企業」という言葉を使っているわけではありませんから)ので、何とも言えません。片割れ靴下(会話) 2020年1月18日 (土) 15:24 (UTC)
- 返信 (片割れ靴下さん宛) 竹島 (島根県から北北西に約211キロメートルの地点にある島)という提案は、あまりまっとうには思えないのですけれどね。荒唐無稽なのはどちらなのか、コミュニティに判断を下してもらうしかないでしょうね。片割れ靴下さんからすれば、「ボストン大虐殺」」や「切り裂きジャック」は「中立的」なんでしょうか。それとも「中立的ではないから改善を要する」んでしょうか。どちらでしょうか。--Greenland4(会話) 2020年1月18日 (土) 14:57 (UTC)
- 返信 単に「ボストン事件」と言ったら、何のことか不明瞭でしょう。多くの人は「ボストン茶会事件のことか?」と聞き返すでしょう。「ボストン虐殺」というのは、ハッキリ言ってオーバーだし、アメリカ側からみたプロパガンダなわけですけれども、そう言えば、その言葉は不正確だし、公正さに欠くと思っている当の本人(たとえば英国マンセーな人)にも「一発で伝わる」のですよ。この「一発で伝わる」というのが、記事名の場合、何より大事でしょうってこと。どうして、それがわからないんですかね? --Greenland4(会話) 2020年1月18日 (土) 16:09 (UTC)
- なんかこれも勘違いされているみたいですが、「固定化されている」呼称に関しても無理やりな中立性担保を行えなどと私が主張したことはただの一度とてありませんよ?これも具体例で申し訳ないのですが、竹島/独島の場合、日本語(≒日本)での言及は圧倒的に「竹島」ですし、この箇所に関していえば明らかに固定化されているので、ここに関して異議申し立てを行ったことはありません。そのうえで、曖昧さ回避は完全にウィキペディア側の都合であって、ウィキペディア側の作為なわけだから、ここくらいは完全に中立的でいましょうよっていうのが私の主張です。今更ですが、私はGreenland4さんの「記事名の方針」案を読んでいません。わたくしがここに来たのは、「Wikipedia:記事名の付け方」は題名に「方針」が付いていないからなめられるんだ!英語版では方針文書に位置付けられているから日本語版のそれも本質的には方針なんだ!(いうまでもないことですが、全言語版共通の理念は5本の柱だけです。また、他言語版で方針であるからと言って、それが日本語版においても方針になるわけなどありません。他国で大麻吸引が反則金レベル(前科が付かない)としても日本においてもそうはならないことと同じです)と荒唐無稽な主張をなさっていてかつ私にもメンションが飛ばされたから参っただけのことでして、Greenland4さん作成の「記事名の方針」で中立性との兼ね合いがどのように記述されているかなど、はっきり言って知りません。片割れ靴下(会話) 2020年1月18日 (土) 17:09 (UTC)
- 返信 (片割れ靴下さん宛) 「はっきり言って知りません」ということは、私の「中立性への配慮」(ないし「記事名における中立性」)に関しては、「反対はしない」ということの意思表明ととらえてよろしゅうございますか。そうであれば、ありがとうございます。また、「『固定化されている』呼称に関しても無理やりな中立性担保を行えなどと私が主張したことはただの一度とてありません」と明言してくださったことについては、本当にホッとしました。ありがとうございました。「竹島 (島根県から北北西に約211キロメートルの地点にある島)」への改名提案は、「無理やりな中立性担保」と感じる人は感じるでしょうし、記事名に関して「記事名の付け方」よりも「中立性」が優先されるという認識に立てば、それこそ「ブラック企業」は黒人差別だからやめろなどという言いがかりに口実をあたえてしまいます。「固定化されている」呼称、すなわち、認知度が高く明瞭なもの・置き換えが不能なものについては、「中立性よりも認知度を優先させる」ということで、よいわけですね。安心しました。中立性を絶対的なものとして記事名に持ち込むというのは、中立的ではない記事名は全て是正されなければならないという主張を含むのであり、それが許されてしまうと、ウィキペディアがポリティカル・コレクトネスを追求する場になったり、気にくわない記事を記事名にインネンつけて削除しようという荒し行為を助長することになるから、私も含め、みなさん、それを何より恐れているわけです。目的外利用者の跋扈ということを。片割れ靴下さんがそういう人でなくて、安心いたしました。「南京事件」に関する片割れ靴下さんの見解も、私の考えとほぼ同じであり、「固定化されているとはいいがたいものに関しては、平穏で中立的な語句」というお考えには、私としても異論はありません。私なりに付け加えれば、「南京大虐殺」のことばが何故好ましくないかというと、それが、現在も論争が続いているテーマに関わる用語であって、しかも「その用語を用いることによって異論が封殺される」からです。同じ「虐殺」のことばが使われていても、「ボストン虐殺」とは全然次元がちがう話なわけですね。そういうことまで踏まえておっしゃってくださっているのだとすれば、私と片割れ靴下さんとの見解の相違はほとんどないのかもしれません。一応、私も係争地の記事名に関しては「極力曖昧さ回避を避ける」「別名を組み合わせない」というような配慮・ガイドラインは必要だと思っていて、それは別途協議によって話し合われるべきと考えてはいます。--Greenland4(会話) 2020年1月18日 (土) 22:37 (UTC)
- 返信 (Henaresさん宛) 今回に関していうと、私の考えは全然ブレていないのですよね。「あえて言葉を濁した曖昧な表現を提案している」つもりもないです。なぜ、そういうふうに感じるのか不思議でなりませんが。「中立性への配慮」が必要か不必要かということでいえば、「必要」だと最初から申し上げているつもりです。ただし、記事名に関しては「記事名の5基準」の方がずっと優先されるべきだと申し上げているし、中立性への配慮が必要な場合というのは、私のみる限り、(1)係争地に関する記事名、(2)定まった用語がなくて候補がいくつかあり、それぞれの認知度に大差がなくて置き換えが可能なもの、(3)その用語を用いることによって異論が封殺されるもの、この3つに限られるとも申し上げたはずです。英語版でも大体、同じようなことを言っているわけでしょう。「中立性も大事だけど、記事名に関しては明瞭さ(≒認知度・簡潔性)が大事だ。別名を組み合わせて記事名とすることは推奨されない。記述的な記事名の場合は、問題の特定の側面に関する見解に記事の内容を閉じ込めたりすることのないよう、中立的な言い回しをすべき(たとえば、「Xの批評」という記事名は「Xに関する社会的見解」に改名した方がよいかもしれない)」というのは、マンマ私の申し上げているそのものなのですけど。で、Henaresさんや片割れ靴下さんが考えるように、「記事名」にとって「認知度」などよりも「中立性」が何よりも大切なのだとしたら、「Wikipedia:中立的な観点」には「この方針には記事名も含みます」ということをちゃんと明記すべきだと思うし、認知度などの5方針よりも「中立性」が最優先されるとハッキリ記すべきだと思うのですが。その点はいかがですか。これはReiwa periodさんにも伺いたいのですけれど。繰り返しますが、中立性を絶対的なものとして記事名に持ち込むというのは、中立的ではない記事名は全て是正されなければならないという当為を含むのであり、これは、決して軽視してはいけませんよ。くだんのノート:竹島 (島根県)でも、「NPOV是正目的の改名には絶対反対」という人が何人もいるのもそのためです。それが悪しき前例になるからなのです。私自身は「竹島 (島根県)」は「竹島」に改名しないよりだったら改名した方がよいとは思いますが、しかし、それは決して記事名における中立性を絶対視するからではありません。私の申し上げていることは、終始一貫していると思いますがね。--Greenland4(会話) 2020年1月18日 (土) 16:09 (UTC)
- 私は、「認知度」と「中立性」は、どちらも重要であり、どちらも守らなければならないと考えます。もしどうしてもあちらが立てばこちらが立たない状態なのであれば、個別に議論して、適切な記事名を決定すべきだと思います。--Reiwa period(会話) 2020年1月18日 (土) 22:08 (UTC)
- 私は「Wikipedia:記事名のつけ方と中立的な観点は両方守らなければならないものであって、どちらか一方だけを守っていればよいというものではありません。[5]」と申し上げておりますのに、なぜ私が「「記事名」にとって「認知度」などよりも「中立性」が何よりも大切」などということを言っているとGreenland4さんはおっしゃっているのでしょうか。
- 「(記事名については「記事名の方針」を参照のこと)」という文言が、例えば先日申し上げました「中立的ではないとの理由での改名は認められません。」などというGreenland4さんがおっしゃってきたご意見を示す意味の文章になっていないことはかなり初歩的な日本語の問題です。これで「「あえて言葉を濁した曖昧な表現を提案している」つもりもないです。」ということを本心からおっしゃっているならばGreenland4さん個人の日本語能力不足の問題かなと思います。わざわざこの場で文法語法を説明して両文の意味の違いを説明する必要はないでしょう。もっとも、ただ重複する文章を書き加えようとしているだけでGreenland4さんのご意見を正当化する意味の文章でないこともかなり初歩的な日本語の問題ですので、特に賛否もないです。
- 竹島の議論にGreenland4さんが関与を初めて割とすぐの段階で気付いていたことですが、以下はGreenland4(のサブアカウントである「Chokorin」)の2011年12月22日 (木) 07:39UTC発言[6]からの部分引用です。
- 返信 (Henaresさん宛) 今回に関していうと、私の考えは全然ブレていないのですよね。「あえて言葉を濁した曖昧な表現を提案している」つもりもないです。なぜ、そういうふうに感じるのか不思議でなりませんが。「中立性への配慮」が必要か不必要かということでいえば、「必要」だと最初から申し上げているつもりです。ただし、記事名に関しては「記事名の5基準」の方がずっと優先されるべきだと申し上げているし、中立性への配慮が必要な場合というのは、私のみる限り、(1)係争地に関する記事名、(2)定まった用語がなくて候補がいくつかあり、それぞれの認知度に大差がなくて置き換えが可能なもの、(3)その用語を用いることによって異論が封殺されるもの、この3つに限られるとも申し上げたはずです。英語版でも大体、同じようなことを言っているわけでしょう。「中立性も大事だけど、記事名に関しては明瞭さ(≒認知度・簡潔性)が大事だ。別名を組み合わせて記事名とすることは推奨されない。記述的な記事名の場合は、問題の特定の側面に関する見解に記事の内容を閉じ込めたりすることのないよう、中立的な言い回しをすべき(たとえば、「Xの批評」という記事名は「Xに関する社会的見解」に改名した方がよいかもしれない)」というのは、マンマ私の申し上げているそのものなのですけど。で、Henaresさんや片割れ靴下さんが考えるように、「記事名」にとって「認知度」などよりも「中立性」が何よりも大切なのだとしたら、「Wikipedia:中立的な観点」には「この方針には記事名も含みます」ということをちゃんと明記すべきだと思うし、認知度などの5方針よりも「中立性」が最優先されるとハッキリ記すべきだと思うのですが。その点はいかがですか。これはReiwa periodさんにも伺いたいのですけれど。繰り返しますが、中立性を絶対的なものとして記事名に持ち込むというのは、中立的ではない記事名は全て是正されなければならないという当為を含むのであり、これは、決して軽視してはいけませんよ。くだんのノート:竹島 (島根県)でも、「NPOV是正目的の改名には絶対反対」という人が何人もいるのもそのためです。それが悪しき前例になるからなのです。私自身は「竹島 (島根県)」は「竹島」に改名しないよりだったら改名した方がよいとは思いますが、しかし、それは決して記事名における中立性を絶対視するからではありません。私の申し上げていることは、終始一貫していると思いますがね。--Greenland4(会話) 2020年1月18日 (土) 16:09 (UTC)
たかが曖昧さ回避のために、「中立的な観点」や「検証可能性」といった記事内容の質を保証する方針が守られなくなることこそ、ゆゆしき問題といえるでしょう。
- どこからどう見てもこの議論におけるご意見とは真逆。Wikipedia:中立的な観点が自分にとって都合がいいときは上記のように曖昧さ回避などよりも中立な観点を優先し、都合が悪いときは中立的な観点を無視または軽視するというのは典型的なダブルスタンダードでしょう。システム関係に疎い私でもすぐに気が付いたレベルですから、時間をかけて探せば上記のように記事名の付け方よりも中立的な観点を優先したGreenland4さんの発言はまだまだ他にもあるのではないですか?今回は名指しは控えますがGreenland4さん以外にも過去のご意見と矛盾することをおっしゃっている方は今回の議論で何人か確認済みです。
- Greenland4さんに関してはWikipedia:コメント依頼/Chokorin 二回目20120315利用者名で指摘された諸問題が再発してしまっていると思っています。私も最近は何年も国際法関係の記事しか関わってこなかった利用者ですからGreenland4さんがおっしゃる外交分野の中立性の難しさ[7]はわからないではないですし、国益が対立する記事について改名を行ったこともありますが、これまで本件の改名議論ほど紛糾したことは一度もありません。議論参加者が出典を提示し、出典がない場合は意見を控えるということを自分が徹底していたからです。対してGreenland4さんはいかがでしょう。紛糾した改名議論は上記コメント依頼以降も経験はありませんか?何年も前から改名議論に対する参加姿勢を問題視されているのですから、外交という分野や他の利用者のせいにするのではなく、ノート:竹島 (島根県)でのご自分の行動について顧みていただきたいです。当該ノートだけでも苦言を呈したのは私だけではないはずです。--Henares(会話) 2020年1月19日 (日) 03:17 (UTC)訂正--Henares(会話) 2020年1月19日 (日) 03:19 (UTC)
- 返信 随分むかしの話を持ち出してくださってありがとうございます。ただ、「ダブルスタンダード」という御批判はあてはまらないと思いますよ。「小田原攻め(小田原合戦)」については、上でいえば、「(2)定まった用語がなくて候補がいくつかあり、それぞれの認知度に大差がなくて置き換えが可能なもの」にあたるでしょう。そこは中立性に配慮した方がよいと今でも思っています。当該記事をみればわかるように、参考文献に掲げられているのは「小田原合戦」ですからね。いまどき「小田原征伐」などという言葉を使う学者はいません。ただし、それは「三韓征伐」とはまったく次元の異なる話なのですよ。「三韓征伐」は置き換えは不可能なわけです。だから、「虐殺」とか「征伐」とかという言葉が「中立性を欠く」とか「不穏当である」ということで排除しようということではないわけです。言葉刈りをしようということではないのですね。私の申し上げていることは全然ブレてはいないと思いますが。ただ、9年前は、方針文書の体系に致命的な欠陥があるとは気づかなかったというのは、あります。その件についてはずっと私なりに考えてきて、いまの提案があります。はからずも、片割れ靴下さんの問題提起で再度、方針文書の体系の欠陥に気づかされたということです。決して自分の都合で言うことが180度ちがうということではないはずですね。むしろ、小田原での議論はちゃんと踏まえているからこその提案なのですが。--Greenland4(会話) 2020年1月19日 (日) 04:23 (UTC)
(インデント戻します)話を元に戻しましょう。Reiwa periodさんも、Henaresさんも、私の問いに対してお答えくださったことに、まだ、お礼を申し上げておりませんでした。ありがとうございました。お二人とも、「認知度」と「中立性」は、どちらも重要であり、どちらも守らなければならないということでしょうか。基本的には、私も同じなわけですけれど、本ページの議題である「中立的な観点は記事名には適用されませんか?」に即していうと、「適用される場合もあるし、適用されない場合もある」というのが、片割れ靴下さんも含むコンセンサスになっているかに思われますが、いかがでしょうか。「切り裂きジャック」や「ボストン大虐殺」、「ブラック企業」、「三韓征伐」、「タタールのくびき」のような、それ自体で人口に膾炙した明瞭なことば、片割れ靴下さんのことばで言えば「固定化されていることば」、置き換えが利かないことばは、中立性よりも認知度が優先されるというのが多数意見のようです。それに対し、南京大虐殺・南京事件、小田原攻め・小田原合戦・小田原征伐のように、固定化されていないもの、置き換えが利く場合は中立性に配慮した方がよい、ということだと思うのですが、それについてはどのようにお考えになるでしょうか。--Greenland4(会話) 2020年1月19日 (日) 13:32 (UTC)
- 「固定化されていることば」のために中立性を犠牲にする際には、個別にノートページで議論し、慎重に検討すべきかと思います。--Reiwa period(会話) 2020年1月19日 (日) 22:03 (UTC)
- 返信 お答えありがとうございます。「固定化されていないもの」「置き換えることができるもの」については、なるべく中立的な言葉をチョイスするという点では、Reiwa periodさんとのあいだに、対立点はないようですね。ただし、「固定化されていることば」に対しても中立的であることを求めるというのは、これは、なかなか影響の大きい御見解だと思います。「中立的でないことば」は常に、改名依頼、削除依頼の危機にさらされているわけですね。「竹島」が「リアンクール岩礁」に改名されることも将来的にはありうるということになるんでしょうか。だとすると、既存の記事については仮にそれでよいとしても、未だ立てられていない記事については何らかの指針か案内が必要なのではないでしょうか。「中立的でない記事名の記事は、方針違反の名のもとに削除されることもあります」というようなアナウンスがどこかで必要になってくるのではないかと思うのですね。そうであれば、「議論」なんかしたくないという人は、最初から記事を書かないで済むわけです。そのへんはいかがでしょうか。--Greenland4(会話) 2020年1月19日 (日) 23:49 (UTC)
- 記事名に迷ったら、{{暫定記事名}}を貼り、ノートページで相談すれば良いかと思います。--Reiwa period(会話) 2020年1月20日 (月) 07:30 (UTC)
- コメントそれはタタールのくびきのように、用例が豊富かつ安定的な用語であっても、中立的でなければ正式なものとするために暫定記事名とした上で相談しなければならないということでしょうか。いくつか疑問なのですが、Reiwa Periodさんはご自身の主張で合意が形成された場合の影響範囲(現行の、あるいは将来的に立項される記事名の中で、中立性が犠牲にされているもの)はどの程度あるだろうと見積もられているでしょうか。また、無論ケースバイケースだとは思いますが記事名決定のための相談はどの程度スムーズに進むとお考えですか。私にはノートページでの相談や議論によって解決できる問題だとは思えないのですが。--Vindlys(会話) 2020年1月21日 (火) 15:37 (UTC)
- 記事名に迷ったら、{{暫定記事名}}を貼り、ノートページで相談すれば良いかと思います。--Reiwa period(会話) 2020年1月20日 (月) 07:30 (UTC)
- 返信 お答えありがとうございます。「固定化されていないもの」「置き換えることができるもの」については、なるべく中立的な言葉をチョイスするという点では、Reiwa periodさんとのあいだに、対立点はないようですね。ただし、「固定化されていることば」に対しても中立的であることを求めるというのは、これは、なかなか影響の大きい御見解だと思います。「中立的でないことば」は常に、改名依頼、削除依頼の危機にさらされているわけですね。「竹島」が「リアンクール岩礁」に改名されることも将来的にはありうるということになるんでしょうか。だとすると、既存の記事については仮にそれでよいとしても、未だ立てられていない記事については何らかの指針か案内が必要なのではないでしょうか。「中立的でない記事名の記事は、方針違反の名のもとに削除されることもあります」というようなアナウンスがどこかで必要になってくるのではないかと思うのですね。そうであれば、「議論」なんかしたくないという人は、最初から記事を書かないで済むわけです。そのへんはいかがでしょうか。--Greenland4(会話) 2020年1月19日 (日) 23:49 (UTC)
- コメント「中立的でない記事名の記事は、方針違反の名のもとに削除されることもあります。記事名に迷ったら、{{暫定記事名}}を貼り、ノートページで個別に相談し、議論してください」というのは、いささか暴論ではないかと思います。その考えでいくとしたら、ちゃんと方針文書で断らなければダメでしょう。ウィキペディアは「議論のためのプロジェクト」でなくて、「百科事典作成のためのプロジェクト」だったはずですね。--Greenland4(会話) 2020年1月23日 (木) 01:46 (UTC)
- コメント そもそも「記事名に関して、WP:NPOVをどう解釈すべきか?」という話がありますよね?その答えは、英語版のen:WP:NPOVの中に書いてある話ではないでしょうか?--aki42006(会話) 2020年1月20日 (月) 07:33 (UTC)
- 返信 aki42006さん、御教示ありがとうございます。私は少し勘違いをしていて、Naming(記事名における中立性)は「Wikipedia:記事名の付け方」の方に記載されているものと思っていました。英語版では「Wikipedia:中立的な観点」のなかで説明されているわけですね。ならば、日本語版もそれにならってよいと思います。ひとつ、疑問ですが、日本語版の「Wikipedia:中立的な観点」では、記事名に関してまったく言及されていないのは、何か理由があってのことでしょうか。ここに言及がないものだから、記事名に関してはもっぱら「Wikipedia:記事名の付け方」のみを参照するという人が多く(私もその一人なわけですが)、今回のような疑問が起こり、論争に発展しているのではないかと思います。私の3提案のうち、他の2つは却下してよいとして、(3)「記事名における中立性」の日本語バージョンを設ける(ただし、「記事名の方針」のなかの一節ではなく、「中立的な観点」の一節として)という提案をあらためて行いたいと思います。今まで「Wikipedia:中立的な観点」のなかで「記事名における中立性」が言及されていなかった理由のひとつに、例として掲げられていた「ボストン大虐殺」「ティーポット・ドーム汚職事件」「切り裂きジャック」が、英米の歴史に通じた英語話者にはピンときても、日本語話者には何のことかわからなかったという経緯があったのだとすれば、この議論のなかで出てきた「タタールのくびき」や「元寇」といった事例を引いた方がよいのではないかと思います。そして、これは感想ですが、なるべくなら「固定された表現」「慣用化されたことば」「認知度が高く、他に言い換えが不能なもの」に関しては、認知度や明瞭性を優先させるような表現にすべきではないかと思います。というのも、記事名に関してはもっぱら「Wikipedia:記事名の付け方」のみを参照するということが長年つづいてきたわけですし、また、「中立性」があまりにも絶対視されて、今後、改名提案・削除提案が頻発するのも好ましくないと思うからです。そしてまた、ある程度、ここでのコンセンサスも反映させた方がよいのではないかとも思うのです。いかがでしょうか。--Greenland4(会話) 2020年1月23日 (木) 01:46 (UTC)
- 「Wikipedia:中立的な観点」は、履歴を追ってみると、2012年9月17日のTondenh氏による改訂以降、内容的に大きな変更がほとんどありません。中には2003年ごろからほとんどそのままの形で放置されている部分もあるくらいで、#中立的な観点とはと#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?など、内容の重複がみられる部分もあります。en:WP:POVNAMINGが作成されたのが2012年11月19日ですから、日本語版のNPOVの方針に記事名に関する言及が全くないのも無理のない話です。そこで、今回の「記事名における中立性」問題をきっかけとして、WP:NPOV全体を最新の状況にあわせて再構成するべく、en:Wikipedia:Neutral point of viewを念頭に個人的に検討を開始しました。近日、改訂草案をWikipedia‐ノート:中立的な観点のサブページあたりに提起しようと思います。--Doraemonplus(会話) 2020年1月23日 (木) 03:46 (UTC)
- 返信 Doraemonplusさん、ありがとうございます。やはり、カスタマイズの部分がひじょうに疎かであったということだったわけですね。よくわかりました。10年来の不備が補われようとするその現場に立ち会えて、何だかとても嬉しいです。Doraemonplusさんの改訂草案が今からたいへん楽しみです。一応私もお目汚し程度のものをつくりましたが、もちろん、方針やガイドラインにお詳しく、英語も堪能なDoraemonplusさんの方が適任だと思います。アップロード時には教えてくださるとありがたいです。--Greenland4(会話) 2020年1月23日 (木) 10:20 (UTC)
- 私の英語力も(手前味噌にもならないくらい)かなり拙いものですが、粗い訳でも無いよりはマシかと思いますので、少しでもご期待に沿えるよう、鋭意努力します。また、語られているほど私はウィキペディアの規則体系には精通しておりません。他の方針・ガイドラインとの整合性チェックには、出来れば管理者の方々のお力添えも頂きたいところです。ところで、すぐにでも出来る改善を施した改訂草案の初版を早速Wikipedia‐ノート:中立的な観点/草案2020年版にアップロードしました。要約欄にも記しましたとおり、節構成を見直しただけのもので、文言自体には一切手を付けていません。英語版からの翻訳は完了するまで暫くお時間をいただきますが、出来次第、追って更新したいと思います。--Doraemonplus(会話) 2020年1月23日 (木) 12:23 (UTC)
- 返信 Doraemonplusさん、ありがとうございます。やはり、カスタマイズの部分がひじょうに疎かであったということだったわけですね。よくわかりました。10年来の不備が補われようとするその現場に立ち会えて、何だかとても嬉しいです。Doraemonplusさんの改訂草案が今からたいへん楽しみです。一応私もお目汚し程度のものをつくりましたが、もちろん、方針やガイドラインにお詳しく、英語も堪能なDoraemonplusさんの方が適任だと思います。アップロード時には教えてくださるとありがたいです。--Greenland4(会話) 2020年1月23日 (木) 10:20 (UTC)
- 「Wikipedia:中立的な観点」は、履歴を追ってみると、2012年9月17日のTondenh氏による改訂以降、内容的に大きな変更がほとんどありません。中には2003年ごろからほとんどそのままの形で放置されている部分もあるくらいで、#中立的な観点とはと#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?など、内容の重複がみられる部分もあります。en:WP:POVNAMINGが作成されたのが2012年11月19日ですから、日本語版のNPOVの方針に記事名に関する言及が全くないのも無理のない話です。そこで、今回の「記事名における中立性」問題をきっかけとして、WP:NPOV全体を最新の状況にあわせて再構成するべく、en:Wikipedia:Neutral point of viewを念頭に個人的に検討を開始しました。近日、改訂草案をWikipedia‐ノート:中立的な観点のサブページあたりに提起しようと思います。--Doraemonplus(会話) 2020年1月23日 (木) 03:46 (UTC)
- 返信 aki42006さん、御教示ありがとうございます。私は少し勘違いをしていて、Naming(記事名における中立性)は「Wikipedia:記事名の付け方」の方に記載されているものと思っていました。英語版では「Wikipedia:中立的な観点」のなかで説明されているわけですね。ならば、日本語版もそれにならってよいと思います。ひとつ、疑問ですが、日本語版の「Wikipedia:中立的な観点」では、記事名に関してまったく言及されていないのは、何か理由があってのことでしょうか。ここに言及がないものだから、記事名に関してはもっぱら「Wikipedia:記事名の付け方」のみを参照するという人が多く(私もその一人なわけですが)、今回のような疑問が起こり、論争に発展しているのではないかと思います。私の3提案のうち、他の2つは却下してよいとして、(3)「記事名における中立性」の日本語バージョンを設ける(ただし、「記事名の方針」のなかの一節ではなく、「中立的な観点」の一節として)という提案をあらためて行いたいと思います。今まで「Wikipedia:中立的な観点」のなかで「記事名における中立性」が言及されていなかった理由のひとつに、例として掲げられていた「ボストン大虐殺」「ティーポット・ドーム汚職事件」「切り裂きジャック」が、英米の歴史に通じた英語話者にはピンときても、日本語話者には何のことかわからなかったという経緯があったのだとすれば、この議論のなかで出てきた「タタールのくびき」や「元寇」といった事例を引いた方がよいのではないかと思います。そして、これは感想ですが、なるべくなら「固定された表現」「慣用化されたことば」「認知度が高く、他に言い換えが不能なもの」に関しては、認知度や明瞭性を優先させるような表現にすべきではないかと思います。というのも、記事名に関してはもっぱら「Wikipedia:記事名の付け方」のみを参照するということが長年つづいてきたわけですし、また、「中立性」があまりにも絶対視されて、今後、改名提案・削除提案が頻発するのも好ましくないと思うからです。そしてまた、ある程度、ここでのコンセンサスも反映させた方がよいのではないかとも思うのです。いかがでしょうか。--Greenland4(会話) 2020年1月23日 (木) 01:46 (UTC)
返信 (Doraemonplusさん宛) ありがとうございました。私の上記提案はこれにて閉じたいと思います。以下、関連する議論が続いていますので、節を新しく設けます。--Greenland4(会話) 2020年2月26日 (水) 00:58 (UTC)
「中立的な観点」草案2020年のアップロード
[編集]報告 本日、翻訳を進めてきましたen:WP:NPOVの抄訳をWikipedia‐ノート:中立的な観点/草案2020年版にアップロードしました。Greenland4さん他におかれましても、ご覧いただきたく思います。正式な改訂提案はWikipedia‐ノート:中立的な観点に立てたいと思います。--Doraemonplus(会話) 2020年2月15日 (土) 09:37 (UTC)
報告 正式に改訂を提起しました。今後はそちらにコメント願います。--Doraemonplus(会話) 2020年2月15日 (土) 12:16 (UTC)
- コメント 結局、「記事名において中立は不要」だとか、「記事名において中立は軽視してよい」といったことを明示する文面を提案するおつもりないのですね。英語版に書かれていることは多くの人が把握していたはずですのでこういったことになる可能性が高いことは多くの人がわかっていたとは思いますが。言っている本人たちが誰も提案することすらできない、ということがこの議論の結論となるでしょうか。--Henares(会話) 2020年2月22日 (土) 06:53 (UTC)
- 最初の問いにお答えします。竹島 (島根県)という記事名はWikipedia:中立的な観点に違反しているか?とのことですが、違反してはおりません。括弧の中に必ず「曲」を付けるPJ音楽や、必ず括弧付きにする小惑星記事などの特殊な例を除いて、曖昧さ回避の括弧の中は極力省略して短くするようにしています。PJ河川では括弧の外に「川」を付けることにしたので括弧の中は「の川」が不要になりました。島の場合も同様で「島根県の島」から省略されているのが今回の記事名です。省略されている部分があるので各人が想像の中でいろいろ補填してあげればよいでしょう。「島根県の島」でもよいですし、「韓国が実効支配しているが日本では島根県の島」としてもよいです。
- 竹島の件が済んでからと思っていたので完全に出遅れてしまいましたが意見だけ。
- 記事名と曖昧さ回避およびリダイレクトは、それぞれの規約に書かれている検索の頻度に合わせた誘導こそがそれらにおける中立であり、それらは守られている
- 従って「中立的な観点」の概念には合致している(不要・軽視・無視は完全に間違い)
- だが「中立的な観点」の具体的内容は記事の書き方のことしか書かれていない
- これまで解釈で乗り切って来れたが、書き加えていただけるのならありがたい
- JPOVは長いことやってきましたけど、一番最初に触れたノート:東大 (曖昧さ回避)を読み返してみて、使用文献を出せという当たり前のツッコミをだれ一人もしていないのは、おそらく思考実験をやりたかったのでしょうね。--Triglav(会話) 2020年2月23日 (日) 00:24 (UTC)
- 「それぞれの規約に書かれている検索の頻度に合わせた誘導こそがそれらにおける中立」ということは、つまり語句そのものが意味するところや想起させるものとは関係なく、どれだけよく使われているかが中立性の判断基準ということでよろしいでしょうか。そうすると、「竹島 (島根県)」を中立的でないと見る人とは、「中立性」の理解が違うということになりますね。このあたりが、私の中でうまくまとまらないと感じていた部分でした。同じ「中立」といいながら、考えていることが違うわけですから。--みっち(会話) 2020年2月24日 (月) 05:49 (UTC)
- (島根県)という括弧書きを否定する意見に対しては「中立的な観点は記事名には適用されない[8]」や、「私は「中立的な語句」なんてものを信じません。[9]」とおっしゃって、(島根県)を肯定する意見に対しては「中立性の判断基準」などというものをおっしゃるわけですか。都合がいいときだけ中立に従い都合が悪いときは中立を信じないと言い張るというのは、単なるダブルスタンダードでしょう。さすがに詭弁が過ぎると思いますが。Henares(会話) 2020年2月24日 (月) 12:19 (UTC)
- まぁ、意見ですからねぇ。こちら現場の者(改名に関連するBot・RFD作業者)としては、一部の人が考える不整合を何とかしたいのなら規約のほうを直してみてはいかがかな? としか申し上げようがないです。あと、Henares様は、「吉野川」「美空ひばり」を改名するか、「検証可能な情報源がないのならば、私ならば念のため平等にしますね。」を取り下げるか、両立するような論を立て直すかしてください。--Triglav(会話) 2020年2月24日 (月) 13:38 (UTC)
- まず、この議論は「代表的か否か」の判定基準に関する議論ではなく、ページ名の通り「中立的な観点は記事名には適用されませんか?」です。この点については「不要・軽視・無視は完全に間違い」とおっしゃっていますからTriglavさんと私との間で議論は必要ないと思っていますが。美空ひばり云々につきましては投稿ブロック依頼のコメントも確認しておりますが、スピード違反の論理とよく言われるものだと思っています。残念ながら論拠不十分な記事は数多くありますが、議題となっているページとは別に論拠不十分な項目があることをご存じならば、Triglavさんご自身が論拠不十分な別の記事を改めてくださればそれで済むことです。--Henares(会話) 2020年2月24日 (月) 14:13 (UTC)訂正--Henares(会話) 2020年2月24日 (月) 14:15 (UTC)
- まぁ、意見ですからねぇ。こちら現場の者(改名に関連するBot・RFD作業者)としては、一部の人が考える不整合を何とかしたいのなら規約のほうを直してみてはいかがかな? としか申し上げようがないです。あと、Henares様は、「吉野川」「美空ひばり」を改名するか、「検証可能な情報源がないのならば、私ならば念のため平等にしますね。」を取り下げるか、両立するような論を立て直すかしてください。--Triglav(会話) 2020年2月24日 (月) 13:38 (UTC)
- (島根県)という括弧書きを否定する意見に対しては「中立的な観点は記事名には適用されない[8]」や、「私は「中立的な語句」なんてものを信じません。[9]」とおっしゃって、(島根県)を肯定する意見に対しては「中立性の判断基準」などというものをおっしゃるわけですか。都合がいいときだけ中立に従い都合が悪いときは中立を信じないと言い張るというのは、単なるダブルスタンダードでしょう。さすがに詭弁が過ぎると思いますが。Henares(会話) 2020年2月24日 (月) 12:19 (UTC)
- 1日おいてみたら、おかしな人が間に入って邪魔をするので、Triglavさんには申し訳ないですがこちらにもう一度書かせていただきます。「中立性」が語句の意味に関係ないという(そうお尋ねした)ご意見は、この問題に関して私が迷っていたところを解決してくれるものです。
- これに従えば、これまでにも出されていた「タタールのくびき」など支配・服属関係や戦争、虐殺事件などに関する用語について、「どちら側」かを考えなくていいし、「虐殺」の事実性がどれくらいかを判断する必要もないわけです。また「姦淫聖書」、「ヤリマン」、「円周率は3」などとといった記事や用語についても、そのままでいい(むしろ言葉の意味にこだわる人が、どうしてこれらを放っておけるのかが不思議)。同様に、「婦人」から「女性」へなどの言い換えや置き換えについても、言葉が中立かやジェンダー論などに踏み込むことなく、単に使用頻度の問題として対応すればいいことになりますね。
- 百科事典の編纂には、時空を超えた視点が必要とは考えていましたが、今回についてはちょっと言葉の意味に引きずられたかもしれません。「竹島 (島根県)」について、「係争地」よりはマシだけど行政単位であることが残念とか、中立をいうなら緯度経度だろうという思いもありました。上記をふまえれば、私の最初のコメントは次のようにすればよかったかなと思います。
- 記事名について、あなたが考えるような意味での「中立的な観点」は適用されません。しかし、別の考え方によって記事名の「中立性」は確保されています。--みっち(会話) 2020年2月25日 (火) 11:12 (UTC)
- 「おかしな人」ですか。感情的になるとそうやって人を罵ることを自制できなくなるみっちさんの悪癖はWikipedia:投稿ブロック依頼/Miki08 解除の時から全く進歩していませんね。自らに反する意見に一切耳を傾けようとしない態度に呆れました。「私は「中立的な語句」なんてものを信じません。[10]」という言動と「別の考え方によって記事名の「中立性」は確保されています。」という言動のどこが矛盾しているのか理解できないのだとしたら、みっちさんはご自分が書いた言葉の意味すら理解できていない有様ですので、せめて自分が投稿した文章の意味くらいは正確に理解してください。もっとも、記事名にWikipedia:中立的な観点が適用されるという当たり前のことをご理解いただけたなら私個人はこれで十分ですが。このページで見られた、方針のどこにも書かれていない理由を持ち出して三大方針を無視・軽視しようとするみっちさんの言動はいくら後付けで取り繕っても記録は残りますので消えることはありません。このページで最後にしてください。宜しくお願いします。--Henares(会話) 2020年2月25日 (火) 12:08 (UTC)
- 「それぞれの規約に書かれている検索の頻度に合わせた誘導こそがそれらにおける中立」ということは、つまり語句そのものが意味するところや想起させるものとは関係なく、どれだけよく使われているかが中立性の判断基準ということでよろしいでしょうか。そうすると、「竹島 (島根県)」を中立的でないと見る人とは、「中立性」の理解が違うということになりますね。このあたりが、私の中でうまくまとまらないと感じていた部分でした。同じ「中立」といいながら、考えていることが違うわけですから。--みっち(会話) 2020年2月24日 (月) 05:49 (UTC)
- 話は変わるのかもしれませんが、私は「(係争地)」という曖昧さ回避は、必ずしも「中立的である」とは思えないのですね。というのも、いわゆる「北方領土」については日露相互に係争地であることが了解されているわけですが、「尖閣諸島」に関しては日本政府の立場は「中国とのあいだに領土問題はない」というのが公式な立場であり、「竹島」に関しては逆に韓国政府の公式な立場が「日本とのあいだに領土問題はない」ということであって、そこが「係争地である」というのはもっぱら日本側の言い分ということになります。もとより、中国は尖閣の日本領有を「不法占拠」とは言っておらず、日本は韓国の竹島実効支配を「不法占拠」と主張しているなどの違いはありますが。その意味では、「(係争地)」の曖昧さ回避は「(島根県)」の曖昧さ回避以上に「中立性に反している」というふうに思います。もちろん、一方が係争地であり、他方がそうではないという主張があって対立している状態を、第三者がみて「係争」と判断する事態は数多くありましょう。フォークランド諸島にしても、問題が解決したと思っているのはイギリス側であってアルゼンチン側にすれば問題が解決したとは思っていないのかもしれない。単に軍事的に屈服しただけと思っているかもしれません。誰かがそれを口にしたら、ただちに「係争地」ということになるのでしょうか。また、アルゼンチンが降伏してイギリスの領有が確定したのちも、スペイン語圏では「マルビナス諸島」が正式な名称で、日本語としては中立性ということを何よりも重視するのだったら「フォークランド諸島」という英語名を採用して「マルビナス諸島」を採用しないということについては何らかの説明なり理由が必要です(マルビナスもフォークランドも、日本語ではありません)。いわゆる「係争地」に関しては、日本語があればそれを用いる、日本語がなければ実効支配している国家の言語を用いるとか、あるいは日本語での慣用的な国家間序列(「日米」「英独」「中韓」のような言い方の序列)の上位に来る方を用いるとか、その都度話し合いで決めるとか、何でもよいわけですが、何らかのルールが必要ではないかなと思っています。そういうことについては、今後も議論を深めていく必要があるでしょう。--Greenland4(会話) 2020年2月26日 (水) 01:54 (UTC)
- この議論は、私にとっては学ぶところの多かった議論だったと思います。そのなかで感心したのは、Henaresさんの「日本中心ではいけないが日本語中心主義はむしろあるべき姿」だという御見解、みっちさんの「偏ったものを中立的に執筆していくのがwikipediaの中立性」という御見解であり、両方とも至言だと感じました。「バランスが大切」というwikipedia英語版の方針はしかし、肝腎なところは逃げている気がします。「ニガー」という記事名、これほど差別的で中立性を欠いた記事名はないわけですが、しかし、それを「黒人」とか「ネグロイド」というふうに「中立的」になおせば問題が解決するかというと、そうはならない。もはや、異なる意味合いが生じているわけですね、その言葉には。かといって、そういう差別的なタイトルをもつ記事を削除してしまえというのも、極論であり、本末転倒しているわけです。そのあたりをどう考えればよいか、なおも議論は必要だと思います。私が初稿を起こした「タタールのくびき」にしても、中立的な言い方に改めることは可能であっても、そうすることによって失われるものが多いわけです。そうした場合、記事名の中立性というのは、それこそせいぜい「小田原征伐」を「小田原合戦」になおす程度の、言い換えて全然差し支えない場合、同内容の対象を示す名称が同じくらいの頻度で使われる場合にほぼ限定されてしまうのではないか、あとは、「〇〇の批判」よりだったら「〇〇の見解」という集合論での「より大きな集合」の記事名をセレクトするという程度の話にはならないでしょうか。そのあたり、コンセンサスが成立しているとは思えないので、やはり協議は継続して必要だと思いますが、いかがでしょう。
--Greenland4(会話) 2020年2月26日 (水) 01:54 (UTC)(ミスを補正)--Greenland4(会話) 2020年2月26日 (水) 01:59 (UTC)- 「「中立的な観点」草案2020年のアップロード」という論点に関する議論はすでにWikipedia‐ノート:中立的な観点#大規模な改訂提案で提起されています。この井戸端の議論に参加していない方もあちらの議論に既に参加しています。「「中立的な観点」草案2020年のアップロード」ではなく「中立的な観点は記事名には適用されませんか?」という議題が主題のこの井戸端ページで、「「中立的な観点」草案2020年のアップロード」を発案して私たちが何かコンセンサスに至ったとしても、Wikipedia‐ノート:中立的な観点#大規模な改訂提案の議論参加者各位にとっては私たちがこの場で形成するコンセンサスは関係のないことですよね?いまここで方針のノートですでに提起されている議論と重複して方針の改訂を議論したところで、方針の変更には何も繋がらないように思うのです。タタールのくびき云々のお話を方針に反映させたいのならば「利用者:Greenland4/第十二作業室を書き加えることを提案する」などとWikipedia‐ノート:中立的な観点で発言していただくしかないのではありませんか?(係争地)についても同様です。「記事名が中立なのか」とは無関係に「代表的か否か」という点ですでに終了した竹島の改名議論において、発案者の私自身が提案を止めてしまった(係争地)の話題がなぜ今頃このページで出てくるのかよくわかりませんが、ここで議論して何らかのコンセンサスに至ったとしても竹島のページに関して何かをする理由にはなりませんよね?協議するのだとしてももはやこのページで協議していては記事にも方針にも何も繋がらないように思います。協議の継続をしたい方がおられるならばご自由ですが、それはこのページで行うことではないのではないのではないですか?個人的願望につき文字を小さくして申しますが、Greenland4さんとの二者間関係においてはノート:竹島#分割の提案の作業に集中したいと個人的には思っています。--Henares(会話) 2020年2月26日 (水) 10:08 (UTC)
- Greenland4さん、コメントありがとうございます。井戸端ですから、自分なりの考えをラフに語っているだけですが、拙い言葉でも通じるところがあったとすれば、それはGreenland4さんが日ごろから記事の執筆で心がけておられることだからでしょう。
- おだてられたついでに木に登ってみますが、「係争地」がダメな理由はほかにもあります。ひとつは、それは現在たまたまそういう状況にあるにすぎないということです。竹島の歴史の中で、係争地とされるのがどれだけの時間なのかという話です。係争問題が決着したら「元係争地」とかに改名ですか? ムダでしょう。もうひとつは、その項目本来のもの以外の属性や「色」をつけるレッテル貼りだということです。これがカテゴリなら文句は言いませんが、首尾一貫性も問われる項目名としては不適でしょう。事実として、私が口を出すまでもなくこの案は受け入れられなかったわけですが、こういうことはその中にどっぷり浸かっていると見えなくなるものもありそうです。
- また、日本語POVの話は、なにがそうあるべきなのか知りませんが、私としては多国語版があることによって中立性が確保されていると理解しています。--みっち(会話) 2020年2月26日 (水) 12:51 (UTC)
- みっちさん、コメントありがとうございました。また、温かいお言葉もありがとうございます。これはTriglavさんにも伺いたいのですが、「ニガー」については、黒人やネグロイドへの改名とか、あるいは統合ということもありうる話なわけですけど、そういう「偏った」記事名の記事があってはいけないということになるのでしょうか。それとも、その語にそこそこ「認知度」があって、なおかつ黒人やネグロイドといった名前には還元されない社会学的な意味合いが含まれていて、「ニガー#例外的用法」などの部分に「特筆性」が認められるから、記事名が「偏っている」ことは確かであっても存続(現状維持)は認められるということになるんでしょうか。他言語版でも結構認められてはいるようですが、どのように考えるべきか後の参考にしたいので、お示しくだされば幸いです。それから、ずっと前から気になっていたのが「Wikipedia:削除依頼/仏教徒による宗教的迫害」などの一連の「〇〇教徒による宗教的迫害」シリーズで、気が付かないうちに「ユダヤ教徒」「ヒンドゥー教徒」「神道信者」「無神論者」は削除されていますが、「キリスト教徒による宗教的迫害」、「イスラーム教徒による宗教的迫害」はまだ残っていて、「ノート:イスラーム教徒による宗教的迫害」を読むと、2007年に出されたコメント依頼に、2010年に1件、2018年に2件コメントが付いただけで今は完全に放置状態になっているのですね。これもまあ、うまい方法がないものか。せっかく中立性に関して関心をもっておられる方々が集まっているわけですので、今回の議論を踏まえ、ひとつ考えてくださればどうかなと思います。--Greenland4(会話) 2020年2月27日 (木) 00:48 (UTC)
- (追記)「フォークランド諸島」に関しては、日本(語)での認知度の高さが フォークランド>マルビナス ということでよいのだと思いますが、「蘇岩礁」についてはどうなのか。私の見解は上に挙げた通りなのですけど、他の方々の御意見もうかがいたいです(考えてみれば「ソコトラ岩」を中国式に表記すれば「蘇岩礁」なのかなという気もしますけど)。--Greenland4(会話) 2020年2月27日 (木) 01:02 (UTC)
- コメント お呼びでないかもですが、お邪魔させていただきます。「ニガー」については、明らかな差別的表現ですが、このニュース記事のように逆手に取った言及の仕方もあるわけで、一概に「記事名が差別用語=内容の偏った記事」と決めてかかるのはNGだと思います。NPOVを考慮するには、記事名だけを持ち出してもダメで、記事本文(内容)で何を記述対象とするのかとセットにして考える必要があります。他の例を挙げると、現代の言葉の用法として「支那」は蔑称であるという意見もあります(参考)が、歴史的文脈、地理的文脈、文化的文脈など、この名称が記事名でないと説明しにくい事柄が多くあるため、これは他の記事名では代替できない主題であると考えられます。英語版を参考にしたWP:POVNAMINGの草案に「(主題を表す名称は)言及される文脈次第」と説明があるのも、こういった(→記事内容とあわせて考えよ、との)意味を含んでいるからではないかと思いました。記事名とするには偏った名称の主題で、必要とされる記述量がそれほど多くない場合には、リダイレクトを積極的に活用して、類似する主題の記事内に収める方法も取れないことはありません(「ニガー」の例で言うならば、ニガーから黒人やネグロイドへのリダイレクトを作成して転送先で説明することです。ただし、このように類似する主題が複数ある場合、記述が分散してしまうデメリットもあり、読者に不便を強いるばかりか、こちらで説明している「観点の分岐」問題が発生するおそれがあります)。つまり、ある偏った名称が記事名となるか記事本文の一部(セクション名など)となるかは、あくまで記事のスタイル上の問題であって、WP:NPOVおよびWP:POVNAMINGの考え方それ自体には、大差はないといえます(せいぜい、ガイドライン上、WP:MSHに従うかWP:NCに従うかの差があるのみ)。「フォークランド諸島」や「蘇岩礁」のように確かな別称が存在していて選択肢が用意されている場合はとりわけ、「日本語で書かれている信頼できる情報源での普及度第一」すなわち、日本語POVということになるでしょう。ここは日本語版ウィキペディアなので。--Doraemonplus(会話) 2020年2月27日 (木) 09:01 (UTC)
- (ニガーにつきまして)百科事典として差別や卑猥に関連する用語の説明が必要かどうかは別に考えるとして、現時点ではこの百科事典では必要とされているらしいですから、ニガーの説明はニガーでやるべきだと思います。正しい置き換え用語へのリダイレクト先で説明するなどあり得ません。これは自治体・学校など解体が困難な団体や、黒人など無いことに出来ない定義など全般に当てはまります。--Triglav(会話) 2020年2月27日 (木) 09:23 (UTC)
- 提案 私自身の行動についての自戒をこめて提案します。「中立的な観点は記事名には適用されませんか?」についてさらに議論が必要とお考えの方は別の井戸端ページを作成されてはいかがでしょうか(私個人は今のところ作成するつもりはないです)。「代表的として括弧を外すときの基準」についてはそもそもこの議論の対象ではないので別ページが良いと思います。「WP:POV全体の改訂」という議題は現在方針のノートで行われていますから、やはりここですべき話題ではないでしょう。私の見解に全面的賛同を得られたとは思ってはいませんが(全面的反対とも思ってはいませんが)、すでにWikipedia:井戸端への読み込みが終了しているこのページでは参加者も固定されてしまっていてコミュニティに開かれた議論とはいいがたいように思います。--Henares(会話) 2020年2月24日 (月) 14:59 (UTC)
調査投票のお知らせ
[編集]告知 当話題が端緒となり、現在議論が続けられているWikipedia‐ノート:中立的な観点#大規模な改訂提案について、改訂草案の内容の是非を問う調査投票が 5月20日(水) 0:00 (UTC) まで実施中です。多くの皆様のご投票をお待ちしております。--Doraemonplus(会話) 2020年4月21日 (火) 11:26 (UTC) より適切と思われる場所へ告知文を移動しました。--Doraemonplus(会話) 2020年4月23日 (木) 11:41 (UTC)