Wikipedia:井戸端/subj/編集法についての確認
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編集法についての確認
[編集]「東映セントラルフィルム」と「セントラル・アーツ」の違いが私自身よく分からず、wiki内でも混同した記述が見られたことから、文献を集めて「東映セントラルフィルム」の記事を新たに立ち上げ、「セントラル・アーツ」と「黒澤満 (映画プロデューサー)」の記事に出典を加え加筆しました。主要参考文献は、『キネマ旬報』1978年12月号の特集 「東映セントラルフィルム研究 プログラム・ピクチュアこそ日本映画のオリジンだ 〔座談会〕村川透 佐治乾 黒沢満 〔司会〕山根貞男」と、『映画秘宝』洋泉社 2010年12年号の特集 「男の教科書! 東映セントラルの世界 ~セントラル・アーツの世界」で、これに岡田茂の著書と松田優作の関連本などを出典にしました。すると、ノート:東映セントラルフィルム、ノート:セントラル・アーツで、--106.156.159.58氏より、
「百科事典として特筆性の低い記述が大量に含まれているように感じられ、また黒澤満 (映画プロデューサー)、東映セントラルフィルムと内容が大幅に重複する箇所が見受けられます。出典さえ提示すれば無作為に情報を記述しようという編集方針は如何なものでしょう。参照:Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか、Wikipedia:ページの編集は大胆に」との指摘がされました。
下の四つはルールを振りかざしているだけで、具体的な内容が無いため、「東映セントラルフィルム」に内容は集中させ「セントラル・アーツ」は出典を中心とした内容に変更し重複部分の削除を実行しました。すると先のユーザーより ーノート:セントラル・アーツ参照
「私の独断において問題があると感じられる項目を除去・再編集致しました」 と回答があり、現状のような記事になっています。Wiki内で「私の独断において」などと言える方がおられるとは驚きですが、「東映セントラルフィルム」は約90%、「セントラル・アーツ」は100%削除され、今は中身がない状態といえます。つまり、ほぼ100%記事に問題があると考えられてるようです。「セントラル・アーツ」は出典を全部取ってしまっています。この方の編集法なら内容はほとんど一行なので記事を書く人はいらないんじゃないですかね。この記事は「東映セントラルフィルム」の製作部門が「セントラル・アーツ」であるということが特に重要と考えますが、現状の記事は「東映セントラルフィルム」から「セントラル・アーツ」を、「セントラル・アーツ」から「東映セントラルフィルム」の記述を消しており、関連性が全く分からない状態になっています。「東映セントラルフィルム」は「セントラル・アーツ」として松田優作の多くの関連作品の製作の他、向井寛や若松孝二らに映画を撮らせて日活ロマンポルノ出身者に一般映画を撮らせる道を作ったり、日本映画史に於いても特筆した功績を残しています。設立された過程、「セントラル・アーツ」との関係、解散に至った経緯などは必ず必要な記述です。106.156.159.58氏は、映画はあまりお詳しくないんじゃないかと思います。Wikiは、日本映画の記事が貧弱な感じがします。このような編集をやっていては今後の発展は望めません。
ご意見はノート:セントラル・アーツに頂いてもいいでしょうか--219.106.43.135 2015年1月17日 (土) 15:03 (UTC)
- Wikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメントに、依頼を出し、第三者の意見を聞いた方が良いように思います。議論の場所は、依頼文の中で、指定すれば問題ないですね。少なくとも、出典付きの記載を大量に除去するのは乱暴に過ぎるでしょう。--森藍亭(会話) 2015年1月17日 (土) 15:27 (UTC)
- これは流石にやりすぎ。「私の独断において問題があると感じられる項目を」という理由は問題があるでしょう。106.156.159.58さんは、この件について明白な理由を述べていただくようお願いします。内容に出典が無い、特筆性がない、荒らしや悪戯など、方針に合致しないものを掲載されたのならばウィキペディアでは受け入れられませんが、219.106.43.135さんの投稿は少なくとも目立った問題があるようには思えません。この手のいざこざは当事者のみでもめると編集合戦になりかねないでしょう。記事を発展させていきたいという意志は互いに同じだと思うので、コメント依頼を提出して頂き、第三者のコメントも参照にしながら、キチンと議論してほしいと考えます。--Precise tortoise (Talk/History) 2015年1月18日 (日) 15:29 (UTC)