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Wikipedia:井戸端/subj/生年月日・没年月日記載についての解釈

生年月日・没年月日記載についての解釈

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Wikipedia:スタイルマニュアル_(人物伝)#生年月日・没年月日を読みました。そこには

  • 暦法が時代・地域によって異なることに配慮してください。
    • 西暦はグレゴリオ暦の実施日(1582年10月15日)以降はグレゴリオ暦で、それ以前はユリウス暦で記載することを原則とします。
    • グレゴリオ暦とユリウス暦との境界をまたいで生存していた人物の場合には、生年月日・没年月日がグレゴリオ暦かユリウス暦かを明記することが望ましいです。
    • 日本の歴史上の人物では、明治6年以降については全て西暦(グレゴリオ暦)で記載してください。和暦を併記してもかまいません。
    • 明治5年以前も西暦・和暦を併記することが望ましいです。月日は新暦と旧暦でずれが生じますので「2月10日 (旧暦)」のような括弧付きの月日でリンクをつくってください。資料によっては年は西暦で月日は旧暦で書いてあるものがありますので十分注意してください。

とありますが、太字部分に注目していただくと「日本の歴史上の人物では〜和暦を併記してもかまいません」とあります。では、歴史上の人物ではない、俳優、芸人、YouTuberは和暦を併記してもよろしいのでしょうか。私は

  • 日本の歴史上の人物は取り敢えず西暦を記載しなさい。和暦は任意。
  • それ以外の日本の人物は西暦、和暦は任意。

と解釈しております(歴史上のものではない日本の人物は生年月日が公開されていると大抵西暦の方は必ずありますが)。教えてください。--マジカル17号会話2021年1月22日 (金) 04:20 (UTC)[返信]

  • コメント ご質問の中核である「歴史上の人物ではない、俳優、芸人、YouTuber」は、「西暦必須、和暦任意」でOKです。
    • 何を以て「歴史上の人物」とするかは難しい面もありますが、「存命人物」かつ「明治6年以降の生まれ」の場合には、上の取り扱いでまず問題ありません。
    • この条件に当てはまる場合には、たいてい「誕生日」まで情報源で特定できるでしょうから、日付は誤差なく西暦と和暦に換算できます。ただし、年だけが判っていて日付は不詳という場合で、改元があった年については注意が必要です。たとえば「1989年1月3日生まれ」の方は「平成元年生まれ」ではなく「昭和64年生まれ」になります。「1989年」だけわかっていて、日付がわからない場合には、昭和か平成か特定できないので、機械的に「平成元年」とはできません。そのへん気をつければまず問題ないでしょう。
    • レアケースとして、たとえばですが芸能人本人が「令和元年生まれ」としか公表していない場合、これは間違いなく「2019年生まれ」としても誤りではないです。が、「令和元年生まれ」の場合には「2019/05/01-12/31」に限定されるのに対し、「2019年生まれ」だと「2019/01/01-12/31」になりますから、情報量としてはちょっと劣化しています。こういう場合には、機械的にやるのではなく、注釈などを活用して情報を補うといいでしょう。
    • 和暦・西暦あたりをめぐっては、いろいろと難しい問題があり、過去に大変な論争がありました。今でも完全には解決していないと思います。なので、このあたりでなにかする場合には、慎重になさるといいでしょう。
    • 明治6年以前の場合には「とりあえず西暦」は、間違いを起こす可能性があり、慎重にする必要があります。複数の情報源を確認したり、情報源の裏をとったり、その情報源がどういうルールで年号を記しているか確認すべきです。
    • 明治6年以前については、実際には「望ましいというよりは、(可能なら)必ず」和暦も併記したほうがいいとは思います。場合よっては和暦のみとなってもやむを得ないと思います。その場合には注釈などを用いて西暦換算値を書き留めておくというのはあり。
    • (例)情報源で「嘉暦2年生まれ」としか書いていない → 日付がわからないので、西暦ではユリウス暦の1327年か1328年の可能性がある。 → 「生年:嘉暦2年<ref group="注">嘉暦2年は、ユリウス暦の1327年ないし1328年にあたる。</ref>」みたいな感じにしておくとか。--柒月例祭会話2021年1月22日 (金) 08:57 (UTC)[返信]
    • 返信 (柒月例祭さん宛) 詳しく書いてくださり、ありがとうございます。特に、改元については注意を払いたいと思います。
  • 「和暦・西暦あたりをめぐっては、いろいろと難しい問題があり、過去に大変な論争がありました。」とおっしゃいましたがその論争(議論)のページは今でも存在するでしょうか。編集の参考にしておきたいので、もし存在していましたらリンクを貼っていただけないでしょうか...--マジカル17号会話2021年1月22日 (金) 09:29 (UTC)[返信]
  • 返信 正直に言うと、当時の論争には私は参加していないので、全貌を知っているわけではないです。私もあとになって「論争があった」ことを知ったものです。で、ややいい加減で大げさな表現をすると、「和暦西暦戦争」みたいな大騒動だったようです。(正直、今から全部を目を通す気にならないレベベル。)
争点はたくさんあり、たとえば次のような感じです。ノートは一部のみ。
  • 「政治的正しさ」が関係する問題
  • 西暦と和暦を自動計算するテンプレートの是非について(Wikipedia:井戸端/subj/和暦テンプレート除去が「荒らし」か否か、及び「編集フィルター」での自動阻止の可能性
  • ユリウス暦とグレゴリオ暦の問題
  • 旧暦の和暦を新暦の西暦に換算する際の誤り
  • 情報源側にも問題がある たとえば、社会の教科書などは、年の途中で改元があっても1月1日から新しい年号であったかのように書いてある等
  • 情報源側が「(旧暦の)和暦○年+(新暦の)○月○日」のような表記をしている例が少なくない。情報源に「和暦○年(西暦YYYY年)」としか書いていない場合など
  • 旧暦の「8月8日」を8月8日にリンクスすることの是非(8月8日 (旧暦)が作られた)
  • 明治の改元がらみ→明治2年などが作成された
などなど。--柒月例祭会話2021年1月22日 (金) 10:03 (UTC)[返信]
返信 (柒月例祭さん宛) 思っていた以上に存在しており驚いております。和暦については政治的な問題があるのではと予測していましたが、案の定ですね。一通り読むには時間がかかりますが資料として大切にしておきます。ありがとうございます。—-マジカル17号会話2021年1月22日 (金) 10:36 (UTC)[返信]
  • 過去の論争から切り離して、私的な感想を。
  • この問題は、「Y年」という記述が単に時間的座標を指示するだけではなくて時代背景も暗示することがある、というところに、意見が分かれる原因の一つがあるのだと思います。
  • たとえば日本語情報源では「昭和40年代」というような表現は頻出します。このときに、これを「1965年から1974年」と文字を置換したとして、置換前後で意味が等価かどうかということです。
  • 私は「書き手・読み手によっては等価ではない」と考えます。たいてい「昭和40年代」と書いたときには、それは単に時間を指定しているだけでなく、「昭和40年代はこういう時代だった」という背景・価値観を示唆しています。高度成長期とその終焉とか、学生運動とか団塊とか社会問題とか。これは書き手と読み手の双方が、「昭和40年代といえばこんな時代」というイメージを共有していることで成り立ちます。日本文化の文脈では「元禄年間」を「1688年-1704年」に置き換えるといろいろな意味が失われるでしょう。
  • 西暦でも「1990年代」みたいな書き方で「バブルとその崩壊」を連想させることはあると思います。これを「平成初期」みたいにしちゃうとわからなくなる、というむきもあるでしょう。変わったところでは、たとえば私は地方史に興味があるので、そこらの石碑に「紀元二千六百年建立」とあれば「ああなるほどね」とピンとくるわけですが、これを「1940年建立」とか「昭和15年建立」と書かれると咄嗟にはピンとこないわけです。
  • 読み手側がそういう時代背景を知らない場合には、「昭和40年代とか言われてもしらねーよ」ということになり、「1965-1974」のほうが何年前か計算しやすくて便利なんだけど、となります。これは本質的には和暦だけの問題ではなくて、たとえばアメリカ人の記事で何の説明もなく「1864年没」とあったら、わかっているひとは「南北戦争で死んだかな?」と想像するでしょうし、わかっていない人はなんともおもわない。
  • このように「Y年」の記述が、単に時間を指定するだけではない、だけど各利用者のバックボーンはみな違うということも、この議論の根っこにあるんだと思います。日本史に興味ない人にとっては「天正十年六月二日」や「元禄十五年十二月十四日」よりも「1582年6月21日」「1703年1月30日」のほうがわかりやすいというひともいるでしょう。そしてややこしいことに、いまの現実世界では新旧の暦がごっちゃになって「2020年12月14日」に「今日は赤穂浪士の討ち入りの日です」とやったりするわけで。
  • このことは過去の議論ではあまり顕在化していないような気がするのですが、系統としては「政治的な問題」「暦の変換の正確性」とはまた別の問題だと思います。平成とか令和についてもこの類の問題があるのかどうかは、私にはわかりませんが・・・--柒月例祭会話2021年1月23日 (土) 09:00 (UTC)[返信]
  • 返信 (柒月例祭さん宛) 確かに言われてみれば「昭和◯年代」という区切りの見方もありますね。昭和時代が長かったからというのもあって、じゃあ平成はどうなんだと問われてもいまいちピンと来ませんね...いつか「平成年間」「令和年間」とか言われるのかもしれませんが、併記しておくことで見方も複数になるわけですし特に損はないと感じております。—-マジカル17号会話2021年1月24日 (日) 10:44 (UTC)[返信]
  • 「新旧の暦がごっちゃになって」いる例はWikipediaや(大衆の関心を惹く為の)マス・メディアだけじゃなくて、素人ではない(かと言って完全なプロでもないですが…)出版社でも起こっています。例えば、これは別の問題も絡んで来るのですが、坂本龍馬の生年月日について、史料では生まれ月までしか分かっていないそうなのですが、誕生日に殺されたと言うドラマチックな物語にする為か(これが前述の別の問題)、暗殺された没年月日の慶応3年11月15日に合わせて、誕生日を天保6年11月15日にする説が何故か有力になっており、コトバンクの『坂本龍馬』や『坂本竜馬』の項目を見ても、(朝日新聞出版は新旧の暦を併記していますが)多くの出版社がこの説を無批判に採用しており(Wikipediaでも無出典で採用されている上この状態で良質な記事に選出されているのが口惜しい…)、日外アソシエーツの『367日誕生日大事典』に至っては1835年11月15日と記載しています。Wikipediaの当該記事の冒頭を見て戴くと分かる通り、これらの旧暦の日付はそれぞれ新暦に直すと誕生日が1836年1月3日で没年月日が1867年12月10日と全くズレた日付になるのですが、「新旧の暦がごっちゃになって」いる問題は日本の現代社会に根深く残っている証拠になり得るかと思います。--58.188.253.160 2021年2月4日 (木) 10:26 (UTC)[返信]
返信 柒月例祭さん > わたしも関心をもっている問題なので、大変参考になります。
コメント ついでに最近気になった例を上げておきます。
あと、いま加筆作業中の利用者:JuthaDDA/淀川 (差分)なんかだと、既存の文章が節ごとに併記だったり西暦のみだったりなので、どうしたものかちょっと困っています。--Jutha DDA会話2021年1月24日 (日) 11:01 (UTC)[返信]

コメント難しいのは、昔の日本では数え年が一般的だったわけです。ですから、尾崎紅葉は旧暦だと慶応3年ですが、新暦だと1868年に該当する時期に生まれたので、明治29年(1896年)に、数えで30歳を迎えることになるわけです。田山花袋(明治4年だが、新暦換算すると1872年うまれになる)も同じような問題です。たぶん、当事者も、周りの人たちも、そう考えていたのでしょう。たしか、1920年(大正9年)に、花袋と徳田秋声が数えで50歳になると言って、お祝いの会が開かれ、それが大正文壇の一大イベントだと、高見順は『昭和文学盛衰史』で書いていたはずです。花袋を1872年生まれとすると、そうした時代感覚とあわなくなってしまうということは、認識しておいたほうがいいのではないでしょうか。 --ねこぱんだ会話2021年1月24日 (日) 14:13 (UTC)[返信]

返信 (ねこぱんださん宛) ありがとうございます。今のところは現代人しか編集はしていないのですが、いずれそのような改暦や数え年が関係する記事に関わるときのために勉強しておいたほうがいいですね。—-マジカル17号会話2021年1月25日 (月) 01:56 (UTC)[返信]