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Wikipedia:井戸端/subj/未発売の新商品の項目

未発売の新商品の項目について[編集]

Wikipedia:削除依頼/手をつなごう (絢香の曲)について削除票を投ずる方向でいろいろ調べながら検討していたのですが、即時存続となったのでここで質問してみます。
未発売の新商品についての項目がなし崩し的に増えてきてしまっているようですけど、ウィキペディアンのみなさんはそれについてどう考えておられるのでしょうか? 少なくとも紙の百科事典に未だ発売されていないアルバムについての項目が立てられることなどあり得ないと思うのですが。制作サイドによるプレスリリースしか情報がないような新商品の項目というのは中立的な観点からの記述が不可能であり、商品の宣伝に加担するようなものなのではないでしょうか。
手をつなごう (絢香の曲)を何が何でも削除すべきだと思っているわけではないのでこの件について今さら蒸し返す気はないのですが、未発売の新商品の項目が乱立するような状況には何らかの歯止めが必要だと思います。この点についてよかったらご意見をお聞かせ下さい。--sergei semenovich 2007年12月17日 (月) 08:43 (UTC)[返信]

現実的には困難なことはわかった上でそんでも言ってみちゃうんですが、もう事件だろうが新製品だろうが新曲だろうが「発生後・発表後、3ヶ月以内に記述されたものは、問答無用で削除」とか決めらんないもんだろーかなんて思うことがありますねえ。そういう速報的情報を書きちらかすやつなんか、まず絶対にあとで記事をまとめなおすとかいう作業をやってくれないしな。--Nekosuki600 2007年12月17日 (月) 10:25 (UTC)[返信]
事件だの新製品だの速報的な内容は姉妹プロジェクトのウィキニュースで歓迎されます。出典を必要とするので小さい話題は書きづらいかもしれませんが、大きな話題に関しては速報をある程度書けるんでないかと思います。やや横道だし、「これが全てだ」みたいに思われると困るんですが参考までに。--Marine-Blue [ 会話 履歴 jawn ] 2007年12月17日 (月) 11:32 (UTC)[返信]
私は、逆に、大きな話題であればなおさら「情報がまとまるまで待つべき」という気もしますけどね。 言ってみれば「祭り」意識で編集されるので伝聞を頼りに、書きなぐられる方向に対する防御が弱いですし。そんな事の為に編集合戦や保護や半保護みたいなのも悲しいものです(たしか保護まで至ってませんが。加熱気味になった記事は、Wikipedia:削除依頼/時太山俊ノート:時太山俊があります)。 全体的に、賛同が得られにくい話ではあると思いますが個人的には、そうあっても構わないでしょうし。そのワンクッションとして、『新規記事を立ち上げるにあたって、3ヶ月以内は除去・削除』というのは、良いクッションになるかもしれません。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年12月17日 (月) 12:02 (UTC)[返信]

(インデント戻し)発売(発表)前の作品の記事が立ち上げられる問題は、音楽関係にとどまらず、フィクション系の記事でもよくあります。そういった記事に書かれている内容は、ほぼ間違いなく百科事典のそれではないです。対処として、現状では速報記事の警告系テンプレを貼るにとどまるケースが多いようですが、そういう記事を立ち上げる方への教育の意味も込めて、「こういう記事は作るべきでない」と明示するためにも、少々面倒でもせめて未発表の物の記事は削除した方がよいのではないかと思うことはよくありますね。--KM-0901 2007年12月17日 (月) 12:11 (UTC)[返信]

(2回編集競合しました)ぼくも、以前から速報やら(まだ未発売の)新商品などについて即座に記事が起てられることに疑問を持っています(Wikipedia:性急な編集をしないも立ち上げています)。ネット上のプロジェクトですからある程度のタイムリー性はあるでしょうけど、 Wikipedia はあくまで、百科事典です。検証可能性独自研究の問題がある上に、履歴の増大なども含めて少なくても好ましいこととはいえないと思います(場合によっては必ずしもというわけではありませんが)。例えば、シリーズ作品ならまず、シリーズ全体の記事を起ててその中で簡単に解説し、ある程度記述できることが多くなってきたと判断できたら記述するのが一番でしょう(ぼくが関わった記事の中で記憶に新しいのはキャラクター・ボーカル・シリーズ鏡音リンですね・・・これは結局、後にサプライズがあり名称変更になっているように発売前では何が起こるか分からないという例です)。本当は発売されてからの記述の方がより適切なんですけど、さすがにそこまでの規制は難しいか。 Marine-Blue さんのいうように本来、そういった速報は Wikinews の役目です。 Wikinews では速報が求められているというか、逆に速報でなければ記述できません。なので、ある程度時間が経つと有用なニュースでも記述できなくなってしまうという問題があり、ワザワザ方針違反してまで百科事典に記述せずにニュース記事として執筆したらいいのに...と思っています。 --Mzm5zbC3 2007年12月17日 (月) 12:12 (UTC)[返信]
ウィキニュースは出典が求められるんである程度正確な情報が書けるんじゃないかと思ってます。時間とともに失われる情報をしっかり残せるって言う気もします。どこの項目だったか忘れたけど実際それが生きた例もありました。
以前、某事件の記事が旬な時期に保護されてそれが半年以上継続してたんですが、これは不適切な編集の抑制という本来の効果をしっかり発揮しながら必要な情報すらも書けなくなってしまった気がしました。--Marine-Blue [ 会話 履歴 jawn ] 2007年12月17日 (月) 12:38 (UTC)[返信]
物事が起きてからどれぐらいか、とか、公式リリースの前か後なのか、といった点はそれほど本質的な点ではないんじゃないかと思います。むしろ大事なのは、その主題について、その段階でどれだけ信頼性の高い情報を多数集められるのか、という点だけだろうと思います。仮にその後 記事の内容が大きく変化したとしても、それはそれで逆に資料としての価値を履歴が持つようになるでしょう。とはいえやはりある種のテーマ、特に政治的なものや社会性の強いものなどは、ある程度の時間が経たないと、中々落ち着いて編集するのは難しいでしょうね。それに対し電気製品の新規格の情報などは、製品リリース前から詳細がある程度わかってたりするので書きやすかったりします。こうした主題による事情の違いというのがありますので、なかなか一律に、というのは難しいでしょうね。考え方も人それぞれでしょうし。とりあえず最後に頭の体操として一番極端な例を。
宇宙の終焉、この記事はいつ書き始めるべきか。--Was a bee 2007年12月17日 (月) 13:10 (UTC)[返信]
「科学的理論としての宇宙の終焉」の議論が始まって出典などが出揃った以降、ですかね……--なのこえ 2007年12月18日 (火) 01:57 (UTC)[返信]
私は特に答えは考えていなかったのですが(おい)、なのこえさん要約に納得させられました。その中ですと、出揃う、という所の意味が肝になってきそうですね。確実性の高い情報がある程度の量 関係者の間で共有されるようになっていること、そして不確実な情報については何がどの程度、どのように不確実なのか、について、関係者の間である程度 認識が共有されるようになっていること、みたいな感じでしょうか。--Was a bee 2007年12月23日 (日) 05:56 (UTC)[返信]
もちろん、「物事が起きてからどのくらいか」なんてのは全然本質的な問題ではありません。ただ、本質的な問題(ってなんだ)に行き着く前に、とりあえず速報厨をどうにかせにゃならんわけで。あるかないかわからない本質論にこだわって現実的脅威への対策が後回しになるとそれはそれで違うだろうと。
とりあえずなんだな。「事件発生後3ヶ月」とか「発表後3ヶ月」とかいう程度のほとんど根拠レスな縛りがあるだけでもだいぶ違うんじゃないかと思うわけで(もちろん、事象によっては3ヶ月は長すぎ、事象によっては短すぎる。だから、この期間には、現状たいした意味はない)。
ほんとに大事な出来事であるのなら、期間が経過した以降に、いつか誰かが適切な記事を立てるだろうと思う。誰も立てなけりゃその程度の出来事だったということで。本質論は置いといて、速報厨による書き散らかし記事をどう阻止するかみたいな方向に話が進むといいなあ、と思っております(まあ、ここでやる話じゃないんだけどね)。--Nekosuki600 2007年12月19日 (水) 03:09 (UTC)[返信]
本質云々といった話ではなく、単に「どういう理由で、何を目指して、(基本方針に対して)どういう位置づけで」新しいルールを置いてみるのか、といった点についてしっかり議論してから方針を作っていかないと、望まない副作用に悩まされてしまう、というだけです。Nekosukiさんは恐らくテレビや漫画関係や芸能などのエンタメ関係にて、子供達が行なっている、週単位での細かい編集などを念頭にイメージして、上のような提案をされているのではないかと思うのですが、そうした特定の状況に対処するための方策を、荒っぽい網として一気に全域に対してかけてしまうのは、まずいだろう、ということです。例えば毎年恒例のノーベル賞受賞者関係の記事、NASA・JAXA系の宇宙プロジェクト関連の記事など、プレスリリースなどを一つのきっかけにして周辺記事が整備されていくような状況というのはじっさい数多くあります。そしてこうした記事の多くは一般に、それなりに使える記事である、または使える記事に成長していく場合というのが殆どです。しかしあまりに荒い網のかけ方をすると、こうした記事さえも一部の削除好きな方々の「標的」になってしまうでしょう。出典もあって、内容も正確で、画像もあって、外部リンクも整理されていても「内容のことなんて知らない。発表後三ヶ月以内。だから削除。」などと言い出す人が確実に出てくるだろう、ということです(これがひとつの副作用です)。また人々の関心が集まる時期に立項を禁止する、というのは同時に、記事の書き手が最も多い時期に記事の編集を禁止する、というのとも同義です。これは荒れを防ぐというポジティブな意味も勿論持ちますが、書き手を逃している、という非常にネガティブな意味ももちます(特に学術関係のように人数の少なさがひとつの重要課題であるような領域においては手痛い打撃です。これもひとつの副作用です)。そして何より大きな事としてもし三ヶ月ルール的なものを掲げてしまえば、そこには大きいスタンス上の変換が伴なうという事です。つまり「ウィキペディア?あそこは古い情報しか載ってないよ。」という状況を導いてまで、そうした立項の禁止をしていく価値があるのか、ということです。勿論それで記事の質や信頼性が全体的に大幅に向上する、というなら、それは払うべき価値のある代償なのかもしれません。しかし私が思うにそれをやっても全体的な記事の質には、あまり変化は見られないのではないか、と思います。確かにドラマの各放送回ごとにストーリ情報が付け加えていく、みたいなことをどこまでやっていくのか、というのは難しい問題ですが、しかし「どんな形で立項され編集されていったとしても、ほんとに大事な出来事であるのなら、期間が経過した以降に、いつか誰かが適切な形に編集しなおすだろう」というウィキペディア本来の考え方があるわけです(実態はまた別として)。ですから例えば「Wikipedia:ページの編集は大胆に」をより拡充・徹底する、という対処法もあるでしょう(例えば「この記事は全面的に書き換えられなければなりません」みたいな「前面書き換えタグ」を作る、とか)。何の為にルールを作るのか、その目的を達するためにどういった方法がありうるのか、こういった点についてちゃんと議論してからルールというものを作っていくべきでしょう(ほんとに議論するならこの場所は手狭ですが)。--Was a bee 2007年12月23日 (日) 05:56 (UTC)[返信]
「現実的には困難なことはわかった上でそんでも言ってみちゃうんですが」と留保をつけて書いてるところにかような長文の反論なんか書かれてもなあって感じがします。往々にしてそういうところから話はそれていく。真面目で善意であっても話の逸走を引き起こす真面目さや善意って厄介だなあと思ったりもしました。ついでですが、念頭に置いているのは芸能エンタメ関係じゃないです(念のために書いておくと不快感表明です)。--Nekosuki600 2007年12月23日 (日) 07:09 (UTC)[返信]
不快にさせてしまったようで、失礼しました。私は細部を詰めたいな、と思っただけなのですが、少し言葉が足りなかった(または長文すぎた)ようです。「速報厨による書き散らかし記事をどう阻止するかみたいな方向に話が進むといいなあ」というのは私も同意です。例えばの話ですが、もしNekosukiさんが特任削除人みたいな形でルールを一人で運用していく、という話なら、三ヶ月というアバウトなルールでも私は賛成します(Nekosukiさんならきっとうまく運用してくれる気がするからです)。でも普通はルールの運用は高校生や大学生といった(Nekosukiさんから見れば)非常に若い人達が中心になってやってます。だから周辺を押さえとかないと、物事の単純化とそれによる暴走の危険性が常につきまとってきます。逆に言いますと、これは細部を詰めれられれば良い話になるかもな、という気持ちがあります。それでネチっこく周辺事情を書いていた次第です。とはいえ、自分で見ても段落さえないグダグダ長文。猫パンチが飛んでくるのも無理なきことでした。--Was a bee 2007年12月23日 (日) 08:06 (UTC)[返信]
不快感表明だけじゃひでえなと思ったので、「Wikipedia:井戸端/subj/時事的速報記事の抑制ができないか」という問題提起をしてみました。そちらもよろしくどうぞ。そっちでとりあえずブレインストーミングやってみて、それからどうすっか考えるというシーケンスを想定しています(考えるのをやめるという選択肢ももちろんある)。--Nekosuki600 2007年12月23日 (日) 16:02 (UTC)[返信]
そもそも、単なるアルバム(あるは個々の新商品)が単独の記事になることに違和感がある。記事として成立するだけの内容があるのだろうか?そのアルバムだけの、特筆すべき特徴があるのだろうか?。いつ記事にするかなんてことより前に、考えるべきことがあるように思える。--カイの迷宮 2007年12月18日 (火) 00:29 (UTC)[返信]
(長くなりますがご容赦)どんなものにも情報はあります。そしてそれが有意味かどうか、というのは基本的に読み手の持つ背景知識と好奇心のあり方によって決まってくる問題です。例えば音楽アルバムの記事、これをどういった人達が見る可能性があるのか、それについて少し考えてみてください。
  • まず思いつくのがアーティストのファンです。これが一番多いでしょう。しかし実際にはもっと多様な人々がみているでしょう。
  • 自分の子供が最近買ってきたアルバムについて興味を持ってちょっと検索してみたお父さんお母さん、
  • CD屋でそのアルバムに関する予約を最近受け付けつけた経験を持つアルバイトの大学生、
  • ひたすらブログやWikipedia上のアーティスト関連項目を眺めているレコード会社のマーケティング担当、
  • 今度そのアーティストのコンサート設営を担当することになっているイベント会社のスタッフ、
  • たいして音楽に興味はないが駅の掲示板に貼られているアルバムの販促ポスターが気になってググってみた定年間近のJRの職員、
  • アルバムのジャケットを描いたイラストレーターやデザイナーが気になって調べている家でDTP関係の仕事をしているインドア派のパソコンマニア、
  • 歌詞の中に何度か出てくる「○○○」というフレーズが、自分の好きなあの小説家の××という作品の中の一節から取った言葉なのではないか、などと気になっている文学好きの少女。
  • 学校の運動会でダンスの時に流す曲が収録されているので、そのアルバムについて調べてみている筋肉質の体育の先生、etc、etc。
こうしたウィキペディアを訪れているであろう様々な背景知識と好奇心を持った読み手に対して、どの情報がどういった意味をもつ事になるのか、それはほぼ予測不可能です。ある人にとっては発売日や発売曜日が重要であり、また別のある人にとっては参加アーティストやジャケットの製作者、また別の人にとっては製作秘話が重要である、そしてまた別の人にとっては、レコード会社やその中の担当部署などが重要な情報になってくるでしょう。しかしそれは書き手には予測のできないことです。Wikipedia側として出来ることは、信頼性の高い確固とした情報を、なるべく多数、読みやすいように整理して用意しておく、というだけの事です。ですから、それを記事内の節として置いておいた方がいいのか、それとも単独記事として分離しておいたほうがいいのか、これは単純に集められた情報量の多寡によって決まっていくべき問題でしょう。もし集められた情報がある程度の量に達しているのであれば、文脈に関わる問題がないかぎり、別ページに単独記事として分離しておいてテンプレートで誘導した方がアクセスしやすくなるでしょう。--Was a bee 2007年12月18日 (火) 02:24 (UTC)[返信]

たくさんのご意見をありがとうございます。百科事典というのは本来すでに評価の定まった事柄を事後的に記載するもので、Wikipediaも当然そういう方針で運営されているのだと思っていたのですが、実際参加してみるとこれからどちらに転ぶかわからないような進行中の出来事を平気で速報的に記載する人が多いので驚いていました。例の項目もあっさりと存続が決まったので自分みたいなのは小数意見なのかと思ってしまったのですが、同じような懸念を持っておられる方も多いことがわかり少しほっとしました。
「発生後・発表後、3ヶ月以内に記述されたものは、問答無用で削除」というのには私も賛成です。それくらい毅然とした態度を取らないとWikipediaの信頼性は確保できないと思います。ただ、工業製品の新規格などは各種の報道機関が独自取材をした上で多角的に報道することが多いですから、そういうケースなら許容されてもいいのでは、とも思います。
あらためてWikipedia:性急な編集をしないを読み直してみたのですが、「未放映/未発売の作品記事や製品記事に対し、制作発表段階や発売前から記事を作成・編集する」ケースは「単なる宣伝としてWikipedia:即時削除の方針に該当するケースが多い」と明記されていましたね。このことは削除依頼などの議論でもっと重視されるべきだと思いました。
なお、アルバムを単独項目として立てることの是非は私の質問の主旨とは違った議論になりますが、簡単に意見を述べておくと、アルバムについての単独項目でも十分充実した内容になり得ると思います。自分の知っている例でいうとサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (アルバム)とかKAMAKURAなどはかなり立派な項目になっています。実際問題としては収録曲と作詞者作曲者のクレジットとタイアップの情報くらいしか書いてないような項目が多いのは確かですが、それらの情報をアーティスト本体の項目のディスコグラフィの節に書いてしまうと量が増え過ぎて可読性が損われるために単独項目としてあるケースも多いようです。ただ、アーティストが著明性の基準を満たすからといってその作品の全てを単独項目としていいかどうかには一考の余地がありそうですね。--sergei semenovich 2007年12月18日 (火) 09:20 (UTC)[返信]