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Wikipedia:井戸端/subj/有意な言及の程度について

有意な言及の程度について

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独立記事作成の目安にある有意な言及に書かれている「取るに足らないようなもの」とはどんなものかについてです。

WEB記事のコラムを見るとあるテーマについて言及し記事の中で複数を紹介する記事を度々見かけます。その言及自身は二次資料である事が多く出典として使われますが、その記事の一部記載されたことをもって「取るに足らないようなもの」以上とし有意な言及と言えるのかを意見をください。

具体例としては、popnrollの記事を提示します。--Nocto会話2025年2月24日 (月) 12:13 (UTC)[返信]

確かA,B,C…といった複数のことを言及している記事にAについて載っているからといってAの記事が書ける(書いても削除されない)訳では無いはずです。(ただしwikipedia外のサイトにあった情報なので真偽は不明です)--特急いよのたみ会話2025年2月24日 (月) 17:46 (UTC)[返信]
一般論として。たとえば系図や墓碑の類に、ある人物の名前と生没年や戒名などいくらかの簡単な情報が載っているだけ、というのを有意な言及とは言いにくいと思います。そういった基礎的な情報がわかって、そういった人物が実在したことを認めてもよいとして、その人物がどの程度重要な人物なのか? というのがそれだけではわからないからです。ただし、もちろんこれは時代などにも左右されます。古代など、もともと非常に残された史料の少ない時代においては、名前と生没年がわかっているというだけでも貴重かもしれません。とはいえ、それは我々ウィキペディアの編集者が決めることではなく、(できれば複数の)研究者が「この時代の人物で生没年がはっきりわかるのは貴重である」とか言及していればこそそう判断できるのであり、それこそがまさしく有意な言及です。
以上は歴史分野での話ですが、おおまかにはエンタメ分野においても同じだと思います。報道などにおいて名前が列挙された、というだけでは、有意な言及とは言いにくい。なぜその名前をここで挙げる必要があるのか、を説明してくれる内容がその言及にあるかどうかが有意か否かの分水嶺になると思います。結局ケースバイケースですね。--taisai429会話2025年2月24日 (月) 17:56 (UTC)[返信]